イタリアの方言と日本語特訓の成果その3

 3か月歩く間に、日本語を勉強したいから、会話文をiPodに吹き込んでほしい、と2600kmの巡礼の旅を控えたフランコに頼まれて、わたしが躊躇したのは、「繰り返し聞き流して、外国語を覚える」という学習法に、原則として反対だったからでもあります。(詳しくは、前回の記事を参照。リンクはこちら

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写真はすべて、彦根の龍澤寺。 Ryotan-ji, Hikone    2009/3/31

 とは言え、8月8日、大切な友人に、出発の前日に頼み込まれては、やはり断れませんでした。ただし、ロンリー・プラネットの文を吹き込むのは論外で、わたしの方で、旅行に必要な会話表現を30ほど書き出して、イタリア語の訳を添えてみました。「はじめまして、わたしはフランコです。」、「わたしはイタリア人です。」と言った具合に、誰かと出会った場面や道を尋ねる場面、買い物の場面などを想定して、ごく簡単な日本語の表現をイタリア語訳とともに紙に書いて、さらにフランコのiPodに吹き込みました。

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 外国語の学習書では軽視されがちな、語学入門者や旅行者の強い味方となる言葉も、もちろん取り入れました。

これ、ください。               Mi dia questo, per favore.

「これ」(questo)、「あれ」(quello)というのは非常に便利な言葉です。特に、語彙が少ないときは、指をさしてこう言えば、買い物もできるし、レストランでも、特に日本のようにメニューに写真がある場合には、食事の注文もできます。

「使える言葉」より「文法項目の順序」を気にして作られた学習書でも、旅行会話集でも、得てしてその大切さが指摘されていない、便利な言葉です。でも、イタリア語ゼロの状態で、イタリアで暮らし始める移民や子供も、まず覚えるのは、「あいさつ」や「人の注意を喚起する言葉」と共に、自分の語彙不足を補ってくれるこの便利な代名詞なのです。

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 フランコは、すでに2度、サンティアーゴ・デ・コンポステーラまでの巡礼を果たしており、2度とも大勢の日本人巡礼者に出会ったそうです。そのときは英語で会話をしたようですが、今度は、それを日本語で話すいい機会にできるようにと、「あなたは日本人ですか。」という文も加えておきました。

 “Grazie, Naoko!!”と大喜びで、わたしが会話表現を記した紙とiPodを手にし、翌日からスペインを目指して歩き始めたフランコ。イタリア国内を歩いていた間は、電話でもよく話をしたので、「がんばれ」という言葉は、リストにはありませんでしたが、真っ先に覚えたようです。

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 サンティアーゴからさらにフィニステッレまで歩いたので、結局フランコは2700km近く歩いたわけですが、それでは、この3か月の間に繰り返し聞き続けた日本語の学習成果はいかに?

 なんと、「3か月間何度も聞いたから、表現はすべて丸暗記したけれども、ある日本語表現と、その意味を思い出すには、そこまでにあった表現を全部思い出さなければならない」ということです。つまり、たとえば、”Dov’è il bagno?”を日本語でどう言うかを思い出すには、もしこれがリストの20番目の文であるとしたら、そこまでの19文をすべて頭の中でさらう必要があるということです。

 「外国語聴くだけ学習」に懐疑的だったわたしも、ここまでひどい結果が出るとは思わなかったので、びっくりしました。実は、イタリア人の我が夫も、数字の1から10までを、日本語で言えるものの、1から10まで一括りに丸ごと覚えているだけです。「7」を日本語で何と言うかは、頭の中で1から6まで言ってからでないと出てきません。これと同じ現象が、まさかこれだけ長い録音で起こるとは思わなかったので、驚きました。

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 誤解のないように書いておきますが、繰り返し音声を聞くこと自体は、外国語学習に不可欠、たとえばアルクの1000時間ヒアリングマラソンは、かつて実用英検1級に合格できる総合力をつけるのを助けてくれましたし、雑誌、『English Journal』(リンクはこちら)と付属のCDも非常に優れた教材です。実際、イタリアでは映画でもドラマでも音声を吹き替えるため、英語を耳にする機会が少なく、それを補おうと、今年の春から、英語のブラッシュアップのために、年間購読しているくらいです。

 言葉を読み・書き・聞き・話すことができるようになるためには、聞いて覚えるだけではなく、併行して、文を読むことも必要だし、文法や語彙を学ぶことも、コミュニケーションの機会を持つことも必要なのです。外国語は「丸覚え」するものではなく、多くの外国語のインプットに接し、文法を学習する中で、その「しくみ」を理解し、使えるようになるものです。言語学者たちが言うように、人間の頭は生まれたとき、まったくの白紙状態では決してなく、だれもが言語を身につける能力、言語の仕組みを理解し応用できる潜在能力と共に、生まれてくるのです。

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 言われた言葉をそのまま返すオウムが決して語学の達人とは言えないように、単に連ねられた文章を丸ごと覚えるのは、外国語を話せるのではなく、覚えたことを口にするだけです。サイトでも、いくつかのイタリア語の学習教材のCDを、繰り返し聞くこと、真似て言うことをおすすめしていますが(リンクはこちら)、これだけでは「イタリア語のリズムや発音に慣れる」だけであり、本当にイタリア語の力をつけるには、やはり平行して、鉛筆と辞書を片手に学習書を使って勉強し、テレビのイタリア語講座やイタリア語の歌・映画や本を通して、一方では、語彙や文法から理解・表現できる力をつけ、もう一方では、周囲の補助的情報(話者の表情・ジェスチャー・物語の展開など)から言われている内容や言葉の仕組みを推測できるようにする必要があります。

 全体から細部へ、細部から全体へ。母国語を話すときには、まず右脳で概要をとらえ、左脳で細部(言葉の意味・文法など)を分析し、再び右脳で両者の情報を統合して、言われることを理解するという研究結果が、明らかにされています。外国語の場合にも、同様に、脳のしくみを利用して、全体(概要)⇒細部(分析)⇒全体(統合)という順序で、右脳と左脳の両方を活用する必要があります。

 周囲の補助的情報も利用して、話の概要を捉える訓練ができていないと、語学留学して、すべてイタリア語で授業が行われる場に放り込まれたときに、一語でも分からない言葉があると不安で、辞書ばかり見て、大切な授業の多くを聞き逃すことになります。逆に、あまりイタリア語を学習せずに、イタリア人の中で暮らすようになると、周囲の様子から言われていることの概要は推測できるものの、自分の言いたいことを伝えるための語彙やしくみ(言葉のメカニズム・文法)が自分にないために、もどかしい思いをすることになります。

 英語の場合には、多くの日本人が高校までの9年間学んでいるため、確かに聞き流しているうちに、昔学んだことを思い出すこともあるかもしれませんが、イタリア人がゼロから日本語を、日本人がゼロからイタリア語を学ぶ場合には、その足がかりもありません。

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 ちなみに、フランコの日本語特訓がこういう結果に終わったのには、もう一つ理由があります。わたしもフランコも、「巡礼中に日本の人と会って、おしゃべりを重ねるうちに、少しずつ身についていくだろう」と思っていたのに、なぜか今回の巡礼に限って、フランコは3か月中、一人も日本人に出会わなかったのです。巡礼をする東洋人にはたくさん出会い、そのたびに、「あなたは日本人ですか。」と尋ねたのに、皆、中国・台湾・韓国と、別の国から来ていたのです。そのため、日本語を実際にコミュニケーションの場で使う機会がなかったというのも、フランコの日本語が丸暗記に終わった理由です。それでも、何度も言おうとしたためか、「あなたは日本人ですか」という文だけは、どういう意味かを覚えているし、日本語の発音だけは、わたしが教えたイタリア人学生の平均よりも、いいくらいではあります。

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 外国語を学習しようと思ったら、音声を聴くことはとても重要ですが、それだけでは困ります、ということを、今回はお伝えしました。

Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2010-11-16 18:47 | Giappone | Trackback | Comments(10)
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Commented by Acui at 2010-11-17 09:55 x
英語学習に行き詰っている私がやってきました。
ある程度まで上達して自分を甘やかしたことでこの7年ほど停滞しています。汗
やはり避けて通れない単語力構築も、なんせ一番つまらない部分なのでなかなか定着せず…私の彼が漢字を勉強するのが嫌いなのと似ていると思います。はぁ。。
語彙力が増えてきたら文法を基礎から見直そうと思っているのですが、自分に甘い私なのでなかなか大変です。
ちょっとなおこさんの記事で渇をいれて頑張ります!
Commented by ゆん at 2010-11-17 10:54 x
フランコさん、楽しい方ですね。
それにしても、丸ごと覚えたのに意味が・・・という状態には驚きました。
私は逆の頭でっかちで、文法や教科書をやって出来る気分になっても、結局口からとっさに言葉は出てこないし、耳から聞いても頭で翻訳してるので、会話の速さについていけないという、多分多くの日本人にありがちな情けない状態です。こういう状況を打破するためには、フレーズを暗記することはとても有用だと思いますが、単純に暗記するだけって退屈なんです^^;
ですから、頑張って丸暗記されたフランコさんをある意味尊敬します(笑)

東洋の巡礼者が中・台・韓ばかりで日本人がいなかった・・・
昨今のいろんな事情を映し出すような話で、ちょっと寂しいですね。
Commented by misoji at 2010-11-17 11:17 x
なおこさん、こんにちは!

フランコさん、今回は日本方と出合えなくて
残念でしたね。

でも、またきっと、必ず機会があると思うので、
その際には日本の方との交流、
是非たのしんでほしいなと思いました。

> 言葉を読み・書き・聞き・話すことができるようになるためには、聞いて覚えるだけではなく、平行して、文を読むことも必要だし、文法や語彙を学ぶことも、コミュニケーションの機会を持つことも必要
↑これは本当にそうですね。

特にコミュニケーションって、大事だなと思いました。
以前は仕事場でも海外の方がいたのですが、
今はいないので、ただでさえ、ひどい私の英語力ダウンです(w)

5つのこころ、いいですね♪
また、素敵な事、教えていただきました♪
ありがとうございます♪♪♪
Commented by milletti_naoko at 2010-11-17 18:01
Acuiさんへ

英語学習の目的によりますが、単語力構築は、たとえば英検受験が目的でなければ、英検1級の現地の人でも知らない人が多くて使わない単語を覚える必要はないし、単語帳を覚えるのは、おもしろくないし効率が悪いのです。言葉は文脈と共に、あるいは意味的に関連するほかの言葉と共に、あるいは映像や絵と共に、覚えたほうが定着しやすいからです。おすすめは、興味のある分野の雑誌や記事を読むこと。自然や旅行に魅かれるAcuiさんには『National Geographic』が、写真も美しいし記事もおもしろいかもしれません。文脈の中で写真の助けもあるので、まずは前後の文脈から語彙の意味を想像し、辞書を引けば、語彙力がついてきます。小説も、まずは日本語訳で読んで感動した本の原書を読むとか、映画の原作本を読むと、内容が分かっているので、理解もしやすいはずです。わたしもAcuiさんの言葉で、喝を入れてダイエットと思ったのですが、昨日もトルコロを焼いて、我ながらおいしく焼けたので、おやつに手を伸ばしてしまいました。お互いに頑張りましょう! 
Commented by milletti_naoko at 2010-11-17 18:18
ゆんさんへ

フランコはすごい人で、よく驚かされます。外国語を学習するときに、頭で翻訳する習慣を打破するには、フレーズの暗記ではなくて、言葉を一々分析せずに、状況からこう言っているのだと推測する、全体⇒細部の訓練が大切だと思います。『星の王子さま』の英語版を読んだり、子供・青少年向けのNHK2か国語ドラマを利用したりするのがおすすめです。私が見ていたのはもう何年も前ですが、たとえば『フルハウス』や『大草原の小さな家』どは、英語が多少分からなくても、話の流れやセリフの理解を映像がかなり助けてくれます。社会人になって英語の際勉強を始めた頃は、録画しておいて、最初は英語、次に日本語で分からなかったところを確認し、最後にもう一度英語で見ていました。大切なのはフレーズを覚えることより、こういうドラマを見ることを通して、リズムをつかみ、こういうときにはこう答えるという英語のモデルを暗記というのではなくて、自分の中に徐々に積み重ねていくことだと思います。

フランコがたまたま日本人巡礼者に巡り合わなかっただけかもしれないのですが、おっしゃるように、やはり昨今の事情を反映している気もします。
Commented by milletti_naoko at 2010-11-17 18:23
みそじさん、こんにちは!

実はフランコは昨年から日本語を勉強したいという気持ちは持っていて、しばらくの間は、会うたびに、平仮名・片仮名や基本的な会話表現は教えていたのですが、なにせリミニは車で2時間半と遠く、会えば登山をすることが多いので、勉強にはならず、1年以上勉強が中断して、以前習ったことはほとんど忘れてしまった、という状態でもありました。

「五つのこころ」、いいですよね! こういう簡潔だけれど心に届く言葉、さらに右横の鋭い視線と共に、胸に飛び込んできます。
Commented by ensyuu at 2010-11-18 00:25 x
 英語に限らず、外国語を話すのは苦手です。
 しかし、韓国、中国の人と話す時でも、当然英語で会話しています。最近、聞き流す教材をよく見ますが、多少、胡散臭い感じがして、手が伸びません。この記事を読んで、その手の教材に手を出さなくて良かったと思いました。
Commented by milletti_naoko at 2010-11-18 06:37
ensyuuさんへ

韓国や中国の方と話すのは、日本国内でしょうか?前回帰国して、松山空港から市内行きのバスに乗ったときに、乗車案内が、日本語・英語・中国語・韓国語の4か国語だったので、驚きました。

このうさんくさい教材については、ぜひ使ったことのある方に結果と感想をおうかがいしたいと思います。『裸の王さま』の童話に出てくる家来や人民ではありませんが、「テープを何回聞いても、英語がすらすら話せないのは、自分だけじゃないだろうか」と思って、恥ずかしくて言えない人が、実は多いのではないかと、勘ぐっているのですが……
Commented by ensyuu at 2010-11-18 22:31 x
 韓国や中国の方と話すのは、日本国内です。ホームステイの人と話すことがあるのですが、話す言語は英語です。

 胡散臭い教材については、もう少し調べてみて考えてみます。本当は、ブログの記事も半分くらい英語で書けると良いなと夢想しています。
Commented by milletti_naoko at 2010-11-18 23:51
ensyuuさんへ

日本で茶道にいそしむensyuuさん宅で、ホームステイできる外国の方は幸せですね。

外国語教育・学習については、大学・大学院で、深く広く学びました。そうして学んだ知識から考えると、例のうさんくさい教材は、お金と時間の浪費だと思います。

ホームステイの方と話すには、そういう場面を多く扱った会話集でCDつきのものの中から、書店でensyuuさん自身がこういうことを話したいという内容が充実したものを選び、音声を聞くと同時に、文章も目で追い、語彙や文法も合わせて理解するべく努めること。ブログの記事を英語で書くためには、茶道について書いた記事を読んで勉強し、記事における文の構成や独特の語彙を学んでいった方がいいと思います。文法に疑問がある場合は、高校生向けなどに売っている、文法を体系的に分かりやすくまとめた文法書を、参考書代わりに使うのがいいのではないかと思います。ブログの記事を半分英語で書くことは夢想ではなく、いつかきっとできるはずです。わたしも時々は、ブログの記事を、日本についてイタリア語で書いたらいいのですが、つい日本語でばかり書いています。お互いに頑張りましょう!


日本語教師・通訳・翻訳家。元高校国語教師のイタリア暮らし・旅・語学だより


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