イタリア写真草子 ウンブリア在住、日本語教師のイタリア暮らし・旅・語学だより。

一夏の恋~日本語・イタリア語懐メロの元歌はフランス語

 水曜の夜、行きつけのピザ屋で流れ始めた音楽にはっとしました。前奏が終わり、歌が始まります。遠い昔に、きっと何度も聞いたことがあるのでしょう。言語も題名も覚えていないのに、音楽だけはひどく懐かしく、心に迫ってきます。おそらくは、もう何年も聞いたことがなく、存在を忘れていた曲が、ふと聞いたとたんに、こうして心を揺さぶるとは不思議なものです。

 そうして、遠い昔に日本で聞いたこのメロディーが、なんとフランス語で歌われているではありませんか。夫も、「これはかなり古い歌だけれど、ぼくも知っている。」と言います。その晩、家に帰ってから、そして翌日、つまり昨日の朝も、気になっていろいろ調べてみたのですが、昔日本ではやった(原歌が?)フランス語の歌ということと、覚えているメロディー、なんとか聞き取れたフランス語の歌詞だけでは、歌の正体を突き止めることができませんでした。

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Champ de lavande en Provance, France 3/7/2012

 それが昨晩、屋外で上映される映画を一緒に見た友人に、メロディーを歌って聞かせると、すぐにイタリア語版の題名を教えてくれ、さらに持ち合わせていたiPhoneで、フランス語の原歌を調べ、YouTubeで歌も聞かせてくれました。曲調から、ドラマチックで切ない歌という印象があったのですが、歌詞を見ると、この印象ははずれていませんでした。原歌は1972年に、日本語版は1978年に発表されて、日本でも大流行したということなのですが、不思議と、メロディーだけは鮮烈に覚えているのに、歌詞も誰が歌っていたかもまったく記憶にありませんでした。

 さっそく今朝、名曲だと思いつつ何度か聴いた、フランス語の原歌はこちら、ミッシャル・ヒュガン(Michel Fugain)の『Une Belle Histoire』です。


 わたしの記憶に刻みこまれたメロディーは、ほぼ間違いなく日本語版、『Mr.サマータイム』のものだと思います。1978年にサーカスが歌い、その夏、カネボウのキャンペーンソングになって、大流行したそうです。

La versione in giapponese, “Mr. Summer Time”


 一方、友人が教えてくれたイタリア語版の題名は、『Un’estate fa』です。

La versione in italiano, “Un’estate fa” – Franco Califano


 題は、フランス語では、「美しい恋物語」(une belle histoire。ただし、なぜか邦題は「愛の歴史」として知られているそうです。)、イタリア語では「一夏前」(Un’estate fa)となっています。題名や冒頭の言葉、歌詞中の動詞の時制から見ても、フランス語では、夏に芽生え、花開いた美しい恋と、やがて訪れる別れを、恋の発端から別れまでを順に追い、最後に、実はすでに過ぎた話なのだと分かるのに対し、イタリア語では題名からすでに、その恋が過去のものであることが明らかで、歌の初めから、夢のようであった恋物語を思い出し、回想する形で歌っています。日本語では、原歌にある夏の出会いと恋は踏まえつつも、その恋は、本当に愛する人を裏切っての夏の過ちという、異なる状況設定となっています。サーカスの歌声はすばらしいのですが、歌詞が最も美しく、心を打つのは、何と言っても、原歌のフランス語だと、わたし個人としては思います。

  C'est un beau roman, c'est une belle histoire
  C'est une romance d'aujourd'hui

 フランス語では、冒頭で、「それは美しい恋物語だ」と直説法現在(est)で、この夏の恋をとらえているのに対し、

 イタリア語では冒頭から、 

  Un'estate fa, la storia di noi due, era un po' come una favola.

その恋が「一夏前」であったことを明かし、「おとぎ話、夢」(favola)のようであったと、直説法半過去(era)を用いて、過去のこととして、描いています。

 一方、フランス語では、

  Il rentrait chez lui, là-haut vers le brouillard
  Elle descendait dans le midi, le midi
  Ils se sont trouvés au bord du chemin

と、出会う前に二人がそれぞれの目的地に向かい、高速道路を走る様子を、直説法半過去(rentrait、descendai)で語り、ちょうど映画で、二人が移動中の場面をカメラが追うような描写をしたあと、道端での出会いを直説法複合過去(Ils se sont trouvés、イタリア語の近過去に相当)で語っています。恋が芽生え、花となり、やがて訪れる別れを、聞き手が、主人公たちが過ごす時の流れの中で共に体験することができるので、臨場感があり、二人と共に、歌を聞くわたしたちにも、この恋の行方はどうだろうかと不安を感じさせます。

  Ils se sont quittés au bord du matin
  Sur l'autoroute des vacances
  C'était fini le jour de chance
  Ils reprirent alors chacun leur chemin
  Saluèrent la providence en se faisant un signe de la main

  Il rentra chez lui, là-haut vers le brouillard
  Elle est descendue là-bas dans le midi

 二人が別れるところまでは、出来事を直説法複合過去(se sont quittés)で、目の前で起こった、今も心に残る思い出のように語り、最後の最後で、それぞれ別々の道を歩み、恋と決別する場面(reprirent、Saluèrent)だけは、直説法単純過去(イタリア語の遠過去に当たる)で突き放して書いてあって、ここで初めて、この恋物語が、終わりを告げた過去の恋なのだということが分かります。夏の恋の思い出は今も心に迫るけれど、別れは遠いつらい思い出として封印し、客観的にとらえているからかもしれません。

 最後の2行では、冒頭では直説法半過去を使い、北へ、南へとそれぞれ移動中だった二人を描いた同じ表現をそのまま使い、動詞の時制だけ、直説法単純過去と大過去(rentra、est descencue)になっているのが、みごとだと思います。高速道路を走る途中に、道端で芽生えた恋がやがて終わり、同じ動詞の時制だけ最後に変えて、二人がそれぞれ本来目指していた目的地に到着したところで、歌が終わっているからです。

 最初から、この夏の恋を過去のものとして懐かしむイタリア語版と違って、フランス語の方が、二人の若い恋物語の行く末を、歌の流れと共に語っていて、臨場感があります。まだフランス語は勉強中で、さっと読んだだけでは分からない語句もあるし、見当はずれなことを言っているかもしれませんが、歌詞を読んで、こんなふうに思いました。

 ちなみに、歌の中で彼女が向かっているのは南フランスで、それがle midiと表現されています。「正午」や「真昼」を第一義に持つ言葉が、「南仏、南欧」と南部を指すのがおもしろいのですが、これを初めて知ったときは、イタリア語と同じだと思いました。イタリア語でも、「正午、真昼」の意味で使うことが最も多いmezzogiornoは、「南、南部」を指すことがあり、特に、ジャーナリズムではよく「南イタリア」という意味で使われるからです。(この場合しばしば大文字始まりでMezzogiorno)正午は、太陽が最も上に来る、暖かいときで、南は暖かいという共通点があるからかなと考えて、ふとそう言えば、日本でも、かつて、方位や時刻を十二支を使って表していたときは、午(うま)は、正午・真昼の時間帯を指し、かつ、方角としては南を指していたことを思い出しました。この「午(うま)の刻」は、現代日本語にも、「正午・午前・午後」といった言葉の中に残っています。思いがけぬ三つの言語の共通点に気がついて、おもしろいなと感じました。

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"Questa musica la conosco tanto bene, ma..."

Avrei sentito la canzone parecchie volte ma tanti tanti anni fa, non ricordavo nemmeno la lingua e le parole. Pure ascoltandola, mi è tornato il ricordo.
Solo ieri ho scoperto il titolo della canzone:
Originale in lingua francese, "Une belle histoire" (1972)
La versione italiana, "Un'estate fa"
La versione GIAPPONESE, "Mr. Summer Time"
- Inizia con le parole inglesi ma il resto della canzone è in giapponese.
Le parole sembrano più belle in quella francese, anche se è molto bella anche la canzone giapponese che ha avuto un grande successo in Giappone nel 1978.
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Articolo scritto da Naoko Ishii

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Commented by mitsugu-ts at 2013-07-06 01:34
メロディーから思い出がつながって、話が広がっていく・・・音楽家の端くれとしては、そういう体験がなおこさんに起こった事が嬉しいです!僕も最近知ったんですが、メロディーをハミングするだけで歌のデータを検索してくれるソフトがあります(Sound Houndなど)。便利にはなりましたが、ちょっとロマンチックさが失われてる気がしますね。笑。
Commented by milletti_naoko at 2013-07-06 02:24
みつぐさんは音楽を仕事にされているので、思い入れがある歌、仕事や学びの中で大切な意味を持つ歌や曲というのが数多くあるのでしょうね♪ そう言えば、10年余り前に、職場の先輩が、バーでカラオケを歌っている合間に、「いろいろな歌に、これはこのときのって、人生の思い出がつまっているんだよな。」とおっしゃっていました。その頃は(今に比べると)まだまだ若かったので、今を生きるのに必死で、何となく聞き流していたのですが、最近になって、本当にそういう人生の節目というか時々の思い出に重なる歌というのがいろいろあるなと感じています。この曲については、歌も題名も知らず、長い間意識の隅にも浮かばなかったのに、しっかり記憶の片隅に残っていたことがすごいなと思います。コマーシャルソングのサブリミナル効果というものでしょうか。

そんなソフトがあるんですね! 確かに、すぐに答えが分かるのはありがたいのですが、少し考えて、記憶をたどったり人と話したり、そういう機会が失われてしまうのは、何だか寂しいですよね。
Commented by licklick at 2013-07-09 23:33 x
なおこさん、こんばんは。
Mr.サマータイムがはやった1978年といえば、私は21歳!
なおこさんは「大流行したそうです」と伝聞調で書かれていますが、私は、まさしくその時代の目撃者。
当時、本当にいい歌だと思っていました。
カネボウのテレビCMの画面は常夏の太陽に溢れ、まぶしいくらいでした。
でも、サーカスの歌は何か哀感を帯びていました。
フランス語とイタリア語の歌詞から、哀しさの理由が分かったような気がします。
歌手の写真を見たからではありませんが、50代も半ばになった私にとっては、イタリア語の歌詞と歌い方がもっともしっくりくるようにも思います。
Commented by oliva16 at 2013-07-11 23:59
Mr.サマータイム、懐かしい!原曲とずいぶん離れた歌詞だったんですね。訳詞というよりは、あらたに歌詞を当てたようですね。原曲とか原詞の単語にとらわれがちな自分を振り返って、私だったらできそうにないなーと思いました。
Commented by ムームー at 2013-07-13 17:52 x
なおこさんこんばんは。
今日の暑さはましですが、雷が昼からずっとなっています。
この歌の歌詞も歌い方も優しくて心地いいですねぇ~
やっぱり心に響く歌はいつ聞いてもす~っと胸に入りますね。
Commented at 2013-07-15 10:29 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by milletti_naoko at 2013-07-15 16:40
Licklickさん、こんにちは。歌が大流行した頃に、Licklickさんは、歌を味わい、鑑賞できる年齢だったんですね! この頃、わたしはまだ小学校の高学年で、歌詞やコマーシャルはまったく覚えていないのに、メロディーだけは記憶のどこかにしっかりと残っていました。CMの画面まで覚えていらっしゃるんですね! 

それぞれの国でそれぞれにこの歌と接した人が、これが最高だろうと思う方法で、歌にしたのでしょうね。作り手も鑑賞する側も、国や世代、性別などによって、好みが変わるのが興味深いです。
Commented by milletti_naoko at 2013-07-15 16:48
Olivaさんは、この曲をよくご存じなんですね! おっしゃるように、元歌の歌詞の中から、「夏の恋、夏の誘惑」という要素だけは引き継いだものの、後は新たな物語を創り上げ、歌詞をあてていますよね。外国の歌が日本語では歌詞が変わるのはおもしろいですね。大学生の頃、ドイツ語を勉強していてびっくりしたのは、「こぎつねコンコン山の中…」や「ぶんぶんぶん蜂が飛ぶ」という日本語の童謡が、かなり趣旨の違うドイツ語の原曲を基にしているということです。確かドイツ語では、それぞれ、いたずらキツネには「今度来たら鉄砲でズドンだぞ」とおどし、うるさいハエに怒っている歌だったような…… ここまで内容をうまくすりかえて美しい児童唱歌にしてしまうのは、本当に芸人技という気もします。
Commented by milletti_naoko at 2013-07-15 16:49
ムームーさん、猛暑に雷、そちらも夏らしい季節になっているんですね! もう2、30年前の歌ということですが、いい歌は、何度聞いてもいいですよね♪
Commented by milletti_naoko at 2013-07-15 16:57
鍵コメントの方へ

こんにちは。ご心配いただき、ありがとうございます。週末にアドリア海岸の友人を訪ねたあと、この友人たちと共に、先週月曜日からトレンティーノ・アルト・アーディジェを旅行し、リミニには昨晩、ペルージャには今朝戻ったところです。

飛蚊症は、症状自体は改善していないのですが、慣れて、あまり気にならないようになってきました。最初の頃は、本を読むにもパソコンの画面を見るにもしみが気になったのですが、今はあまりとらわれずに読むことができます。

だんなさま、三連休中もお仕事大変ですね。わたしも学校では、長期休暇前と後に仕事が何かと多くて慌しかったのをよく覚えています。
Commented by Art-Chigusa at 2013-08-02 17:09
とても面白く拝読しました。3つの言語をここまで深く読み込んで、比較できるって、素晴らしいですね。同じ歌でも、表現がこんなに違っていて、とても興味深いです。それにこの歌いいですよね。私もやっぱりフランス語がいいと思いますが、それぞれに違う意味でいい歌になっていると思いました。
Commented by milletti_naoko at 2013-08-02 19:18
ちぐささん、コメントをありがとうございます。本当にとてもいい歌ですよね。夏という季節だからこそ生まれて散った恋を、どの言語でもそれぞれに設定や趣向を変えて表現しているのが興味深いです。

日本で12年間国語を教えている間に、必要にかられて教材研究に励み、授業を準備しているうちに、作品の分析や鑑賞・比較をする力もついたのでしょう。芸術家のちぐささんが、色や光、造形に繊細な感覚や深い鑑賞眼で対されるように。
by milletti_naoko | 2013-07-05 13:29 | Film, Libri & Musica | Comments(12)