2014年 03月 11日
No more Fukushima
3年が過ぎた今も、
避難先で暮らす方が27万人近くもいて、
福島でのがれきや堆積物の処理も、
被災3県での住宅汚染も、まだ半分近くしか終わっていません。
毎日3、4千人もの方が、放射線を浴びる危険にさらされながら、
福島の原発で、さらなる被害や汚染を防ぐべく働いています。
思いもよらぬ災害に、
かけがえのない命を失った方も多く、
家族や友人、家や学校を失った方、
今もなお故郷に足を運べない方が、
どんな思いをされているか考えるにつけ、
心も大地も
傷跡がまだ生々しく、癒えてもいないのに、
その傷を癒すどころか、
新たに大きな深い傷を生じかねない原発の再稼動を
どうして考えられるのでしょう。
どんなに最先端の科学技術や知識をもってしても
予測を上回る災害が起こり得ること、
緊急事態に、被害を避けるための判断や処置が難しいことが、
まだ分かっていないのでしょうか。
国の経済的な優位や、豊かな暮らしのためだけに、
多くの命や幸せを奪いかねない危険に
目をつぶろうというのでしょうか。
No more Hiroshima Nagasakiだけではなく、
No more Fukushimaと、万人が感じているはずです。
核兵器同様に、原発も放棄することこそ、
復興作業やその支援と共に、今何よりも必要なのではないでしょうか。
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No more Hiroshima
No alle armi nucleari
No more Fukushima
No agli impianti nucleari
Perché non ragiona il governo giapponese?
Perché non ascolta il popolo?
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LINK
- 日本経済新聞 - 首相、原発再稼働「審査に適合すれば進める」 (2014/3/10)
- Ansa.it – Fukushima: Tokyo Marcia contro nucleare. Grande manifestazione a 3 anni da peggiore cridi dopo Cernobyl (10/3/2014)
- Ansa.it – A Fukushima emergenza è acqua contaminata. A tre anni da disastro, per esperto ancora progressi da fare (10/3/2014)
イタリアから、
日本へ、福島へ、思いをお寄せくださっておられること、
感謝します。
モノにあふれ、なんでも便利になった現代は、
本当に大切なことが見えなくなっていますね。
原子力発電も、
この震災までは、安全神話が信じられ、
当たり前に毎日が平和に暮らせると、誰もが思っていました。
皮肉なことですが、
震災をきっかけに、
本当に大切なことはなにか、
考える機会をもった日本人は少なくないと思います。
私も、ずっと考えてきました。
それでも、
悲しいことに、
直接被災していない人たちは、
日常に追われる中で、次第にその意識も薄れてしまっているのが、現実だと思います・・・。
最近は、震災にからめてなにかをすれば、美談となると考える人もたまにいるようで、情けないような…。
私たち日本人が、
真剣に復興について考え、
ちいさなことであっても、一人ひとりが、できることを考えていかなければなりませんね。
日本の、真の復興、安心できる暮らしを、心から、願っています。
原発に限らず、日本・イタリアに限らず、市民の健康や安全・環境よりも、企業や政府高官などの私益私欲を優先した、多国籍企業の活動や国家の政策というものが多く、実は、原発事故も、今言う再稼動の話も、結局はそういう姿勢や官民癒着の延長上、甚大な繰り返してはいけない悲劇ではありながら、その氷山の一角が、表面上に現れるべくして現れたのではないかという気さえします。
以前にも官民癒着で、国民の健康を守るための情報が伝えられなかったという問題はいろいろありまし、イタリアで、日本には複数の新聞社やテレビ会社があるけれども、情報が規制されているという記事を読んだことはありましたが、わたしは、日本の政府やマスコミをもっと信じていました。情報の隠蔽も続き、震災後は、政治家たちだけに、大切な国の、わたしたちの未来を任せていてはいけないと、痛感するようになりました。
二度とこういう惨事が起きないようにすることこそ、一刻も早く被災地を復興することと共に、緊急課題であると、思うのですが。
昨日(3月11日)に用事が出来て京都へ行くことになり、車の中で普段は聞かないラジオを聞いていたら、東京国立劇場というところで、政府主催の復興三周年記念イベントを開催していたのを放送していたのを聞いて、ああもう三年もたったのかと思いました。
その中で、被災地の代表の方が、ご家族をどのように亡くされたかを
スピーチされているのを聞いて、本当に悲しくなって涙が出て仕方なかったです(;_;)
ああ、この方たちにとっては、三年と言っても、ついこの間のことなんだと思いました。決して哀しみが癒えることはないでしょうかが、
せめて、生活だけでも以前の状況に戻すことを最優先に考えていろいろなことを実行していって欲しいなと改めて思いました!
こんにちは。
被災地への想いをこうして書いてくださって
日本に暮らしながら恥ずかしくもあります。
この日だけの報道にも違う気がします。
これでオリンピックを開催って?変ですよね。
被災地の工事も滞りそうですし、心配します。
自分たちのための政策であり国民に向けていない
事が腹だたしいですね。
こうして考える機会をくださってありがとうございます。
いつも言葉をいただいて嬉しいです。
残念でなりません。
ここ何日がブログの更新がないので、風邪などでも引かれてないかしら?と気になっています。
イタリアに居ると震災を思い起こさせるニュースなどを直接目にすることが少ないですが、日本から遠い国に住んでいるが故、原発の恐ろしさを耳しる機会も多いような気がします。3年経って、人々が便利な世の中で何事もなかったように暮らしている感じがありますが、でもいつかまたまた必ず起こりうる震災に対して、私達一人一人が意識を持って、3年前の出来事を教訓ににして、日々暮らして行く必要があるのだと感じます。
わたしも、イタリアに暮らしているからこそ、原発の危険性や実際に今起こしている汚染について、多くの情報に接することができているような気がしています。便利さよりも、物質的・経済的豊かさよりも、本当に大切なのは何か。せめて今回の学びを次回につなげなければ。