奥さんとお子さん

 日本語の授業では、今週から、新たに「たべもの」の単元に入りました。昨日の授業で、「ちちは ごはんと みそしるが すきです。」、「よく コーヒーを のみます。」といった表現を学んだので、復習も兼ねて、今朝はこんな会話から授業を始めました。

   「~さんは ハンバーガーが すきですか。」
   「はい、すきです。」
   「~さんの おこさんも ハンバーガーが すきですか。」
   「はい、つまも……」

 日本語の「おくさん」と「おこさん」は、ひらがなで書くと、ただでさえ表記や発音が似ているため、実は、昨年末に日本語能力試験のN5を受けて合格した個人授業の生徒さんも、よく間違えます。日本語で話していて、話がどうもかみ合わないと思ったら、その原因は「おくさん」と「おこさん」の勘違いということが少なくありません。

 しかも、これは「おくさん」と「おこさん」の表記・発音が単に似ているという問題ではなく、日本語では、無声子音(この二語では「く」・「こ」の/k/と「さ」の/s/)に挟まれた母音は発音が弱くなる、あるいはかき消える傾向がある上に、もともと日本語の「お」と「う」はそれぞれ、イタリア語の開口音・閉口音のoおよびuの音に比べて、それぞれ口のすぼめ方が中途半端で、舌の位置も違うため、このオ段とウ段の違いが聞き取りにくいという問題もあります。似たような母音でも微妙に異なることは、逆に、日本語を母語とするわたしたちのイタリア語学習、イタリア語での生活においてもつまずきの石になりがちで、eやoが開口音か閉口音を聴き取るのが難しく、また、閉口音のoを聞いて、oかuか判断がつかないということが起こりがちです。そして、耳で違いが聞き取れない音は、間違って覚えたり、覚えてもいつまでも間違えてはいないかと不安になったりしがちです。

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 それで、ホワイトボードに絵を描いて、「おこさん」と「おくさん」の違いがはっきりと分かり、しっかりと覚えられるように工夫しました。そもそも、イタリア語では、自分の「こども」、「つま」だろうと、他人の「おこさん」、「おくさん」だろうと、どちらも、figlio、moglieで済むので、家族の呼び方がだれの家族かによって変わることさえ、学習者にとっては厄介なのです。ただしイタリアでも、他人の奥さんのことは、敬意を払ってsignoraと言及することがあります。

 「おこさん」は「こども」の「こ」をとって「おこさん」と説明したあと、「奥さんと言うのは、昔は高貴な奥方がお屋敷の奥(fondo)に暮らしていたからで……」と、大奥の話までしておきました。

 個人授業で教えている生徒さんは、「似ていて混同して覚えられない」と言うのですが、学校の生徒さんは、「それぞれどう書くかは分かっているけれど、耳から聞くと、違いが聞き分けられない」とのことです。

 さらに、イタリア語では、母音の長短に意味の弁別機能がないため、イタリア語が母語の人には、短母音と長母音の違い、たとえば、「あ」と「ああ」の違いが聞き取れないという問題も加わります。どういうことかと言うと、「おかあさん」も「おかさん」も同じに聞こえるため、単語を覚えるにも「あ」があるかないかで迷い、あるいは「あ」抜きで覚えてしまうことがあり得るのです。「おかあさん」を「おかさん」と認識してしまうと、「おかあさん」まで、「おこさん」や「おくさん」と混同してしまうことになります。まあ、これはN5 に受かった生徒さんにはない間違いなので、克服がしやすいことでしょう。先週は雨が降っていたので、授業の初めに、「あめあめふれふれ かあさんが……」と歌詞をホワイトボードに書いて、歌いもしましたし。

 ちなみに、母語で弁別機能がないと聞き分けられないという現象は、日本人のわたしたちがイタリア語を学習していても起こることで、RとL、BとVの聞き分けが難しいことはよく知られていますが、子音のみならず音節単位でも発生します。たとえば、イタリア語のsusino「セイヨウスモモ」、Parigi「パリ」の下線部の発音の違いは、どちらも「ジ」と大ざっぱにとらえてしまう日本語の耳では聞き取りにくく、聞き取りの段階で間違えて、間違ったまま覚えてしまうということもありがちです。こんなふうに、外国語学習では特に音声の習得において、いくら気をつけていても、母語というフィルターを通して間違った発音で聞き取ったり、身につけてしまったりすることが多いため、わたしは英語やイタリア語の入門書でいつまでも片仮名表記で読みを記すことにも、日本語の入門書でいつまでもローマ字で読みを記すことにも反対です。母語による外国語発音習得のゆがみを悪化させ、また、間違った発音が定着してしまいやすいからです。余談になりますが、同じ理由および日本語の伝統的な発音や表記を尊重したいという理由から、たとえばサービスをサーヴィス、ビデオをヴィデオと、すでに日本語に定着していた外来語の音を、むやみに原音を尊重する表記で書こうとする風潮も、残念に思っています。わたしがこうした表記に反対する理由はいろいろあります。一つには、いくら「サーヴィス」と書いたところで、しょせんは「サー」は英語のserviceのser-の発音とは異なり、原語の英語ではない語末の母音、日本語のuを挿入してしまっているため、結局は、原音尊重が中途半端にとどまること、二つ目として、日本語本来の発音体系や美しさ、日本語に実際に定着している語彙の軽視が感じられること、三つ目として、「サーヴィス」と書いても、結局は「サービス」と発音している人が多いであろうし、書く人の自己満足に思われるから、四つ目として、上記のようにそもそも外国語の発音の片仮名表記には大きな限界があり、実際の外国語の発音とは隔たりがある場合が多いため、こうした表記は、教育における片仮名発音表記信仰や学習における片仮名発音表記使用をさらに蔓延させ、外国語学習に多大な弊害をもたらすと考えるからです。

 閑話休題。社会生活や慣習においては、日本では規則を、イタリアでは場や目の前にいる人との関係を重んじるようであるのに、言語はその反対に見えるのもおもしろいです。たとえば、「こども」は、日本語では話し手と聞き手の関係や話される場によって、「こども」と言うか「お子さん」と言うかが決まってきますが、イタリア語の場合には、だれの子供に言及しようが、基本的には使う単語はfiglioです。ただし、「息子」一人であればfiglio、「娘」一人であればfiglia、「娘」だけが二人以上であればfiglie、「子供」の中に一人でも「息子」がいれば、figliと、「子供」の性別や人数に応じて、文法の規則に対応して、語形が変わってきます。

 さて、そろそろ午後5時も過ぎて、花粉の飛散も収まったかと思います。久しぶりに明るい時間にうちにいるので、窓を開けてうちの掃除を始めます。それに、明朝の授業の準備のために、途中でバトンタッチし午後4時半に終わった今日の授業でどこまで進んだか、同僚の先生に電話をして尋ねなくては。(掃除を終えて水やりするうち夫が帰宅し、同僚の連絡を受けての明日の授業の準備が先ほど終わったので、記事の書き終わりから発行する今までに数時間経過していますが、あしからず。)

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OKOSAN, OKUSAN & OKAASAN in Lingua Giapponese

- Volete riferirvi ai propri familiari?
Bene, il figlio (figli/figlia/figlie) si dice KODOMO, la moglie TSUMA, la madre HAHA. Fin qui non c'è problema; basta memorizzare i vocaboli.
- Invece, è quando volete riferirvi ai familiari altrui che vi sorgono i problemi. 1) In Giapponese per indicare i familiari di altre persone, si usano parole diverse per esprimere il rispetto. Dunque, per figli altrui OKOSAN, moglie altrui OKUSAN, madre altrui OKAASAN - e come si vede, 2) questi termini, scritti in hiragana, si assomigliano molto tra di loro sia in grafia che in pronuncia. Di conseguenza, i miei allievi faticano tanto a ricordare e non sbagliare ma non ci riescono...
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- アイとコイを口にするイタリア人? (13/6/2010)

Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2015-04-21 23:49 | Insegnare Giapponese | Comments(6)
Commented by nagisamiyamoto at 2015-04-22 10:15
なおこさん、こんばんは
イタリア人が思う日本語の壁もあり、日本人が思うイタリア語の壁もあり。ある意味学ぶというのは興味が後押しして成長するものだと思っています。『奥さん』しかり『お子さん』しかり、経験が補ってくれるというしか私には説明のつけられるものではないですね。その辺は日本語をおしえてらっしゃるなおこさんなら解決策をみつけられそうですが。
なおこさんの絵がとてもかわいらしくほのぼのとしていて、いいですよ!!
Commented by ayayay0003 at 2015-04-22 11:18
こんにちは^^
「奥さん」と「お子さん」を間違えるなんて、日本人は考えられないけれど、発音というのは、実に巧妙に出来ているのですね~(・。・;
なおこさんの解説を見て、ああ、なるほど・・・と理解出来ました。私たちが、ヨーロッパの言葉を勉強するのが難しいのは、この発音がネックなんですよね!
それでも、日本語を勉強してくださる生徒さんがたくさんいることを嬉しく感じます(^-^)
私たち日本人もがんばらなくてはなりませんね♫
Commented by mitsugu-ts at 2015-04-22 18:43
とっても勉強になりました!細かな発音の違いは、どこまで追及するか、というバランス感覚が大事だと思っています。間違いはもちろん避けたいですが、気にしすぎて話せなくなってしまうと本末転倒ですし・・・。
カタカナ表記も、ぜひ一度ゆっくり議論してみたい事の一つです。何より肝要なのは、仰る通りカタカナによる外国語の表記(traslitterazione)には限界がある事をはっきりと認識する事だと思います。その上で、そのカタカナ言葉がどれだけ定着しているか、という問題もありますし、考えだすとキリがありません。生徒の名前を書き換えるのも一苦労で、例えばSabrinaをサブリナとするか、サブリーナとするかなど・・・。僕はどっちも提案して、日本人としてどう発音するかを聴いてもらったうえで、本人に選んでもらうようにしていますが、どっちが正しいなどあるのでしょうか?
家族の呼び方も、妻が奥さんになり夫がご主人や旦那さんになるのはひどい男尊女卑だ!と突っ込まれます。笑。
身近にこういう事を話せる同僚がいないので、つい長文になってしまい失礼しました。今月の日本人作家読書会は村上春樹の「象の消滅」を選び、明日やります!また情報更新しますね!
Commented by milletti_naoko at 2015-04-23 01:57
なぎささん、こんにちは。言語というのは、その言語を話す人々の世界観や価値観を反映する一方、そういう世界の切り取り方や読み取り方を言語習得・成長の過程で規定していくところもあるので、だから新しい言語を学ぶということは、新しい文化や考え方、世界に向かって頭や心の窓を開くことであって、おもしろいのだと思います。そういう意味で、仕事のためにやむなくではあるのですが、それを仕事や機会をありがたいと考えて、日本語や日本文化に大いに興味を持って勉強してくれる生徒さんは頼もしいし、うれしいです。ありがとうございます♪ 授業中黒板やホワイトボードに絵を描くのは、高校教師時代からのわたしの必殺技です。
Commented by milletti_naoko at 2015-04-23 02:06
アリスさん、こんにちは。おもしろいですよね。人間、生まれたときにはどんな音も聞き分ける潜在能力を持っているのに、話し始めることができるその前から、すでに母語で必要な音の聞き分けだけができるように、耳や脳が発達していくのだそうです。生まれてから死ぬまで、母語だけを話していればいい世界であれば、それでもよかったのですが、今はその「脳の成長や聴解能力の発達における省エネ」が、外国語を学習する段になってあだになります。たとえば、日本人には、mare「海」とmale「悪、痛み」を聞き分けるのが難しいけれど、イタリアの人には、「はい」と「あい」(Hはイタリア語では書いても発音せず、そもそも/h/という音がイタリア語にはありません)、「作家」と「サッカー」が識別できないというふうに、聞き取りで母語に制約されてしまう点がいろいろとあるからです。日本の人がイタリア語を、イタリアの人がイタリア語を、互いの国・文化に興味や敬意を持って、勉強していることはとてもすてきなことだと思います♪
Commented by milletti_naoko at 2015-04-23 02:18
みつぐさん、やっぱり心、言わんとすることが大切ですよね。ただ、「奥さん」と「お子さん」はそもそも意味も近いため、最初に気をつけておかないと間違ったまま定着してしまうのではないかと、気にかけながら授業をしています。イタリアの人はそもそも、よっぽど耳のいい人か、日本語を勉強した人でなければ、母音の長短の違いが認識できない、長くても分からないため、「サブリナ」も「サブリーナ」も同じに聞こえてしまうのではないかと思います。名前の表記は難しいですよね。すでに日本語に定着したものは、もうそのまま(たとえば「トリノ」、「ミラノ」は原音に近い「トリーノ」、「ミラーノ」ではなく、定着した地名をそのまま利用する)か、それとも「ヴェネツィア」に見られるように、従来の「ベニス」、「ベネチア」と「ヴェネッツィア」のどちらを取るか…… わたし個人としては、すでに日本でなじみがあり、日本語で一定の表記が確立した地名はそのままでいいので、新しい地名については、人の好みもあるのかなと感じています。そもそも、五十音表の付表自体が、従来の表記でもいいし原音を尊重する表記でもいいと、ちょっと自由の幅を与えすぎているきらいもありますし。わたし自身の好みを考えても、たとえば「ヴェネツィアはベネチアという名称がすでに定着していた上、原音への忠実さを徹底するならヴェネッツィアだろうし、ヴェとツィが混合する表記が見て美しくない」とか、「Viterboをビテルボとすると、バ行音が二つ入って何とも間抜けな響きになりそうだからヴィテルボ」とか、「Silviaは原音に忠実を心がければスィルヴィアだろうけれど、そもそもスィという表記に違和感があり美しくない上、ヴィがさらに表記の醜さを添えるようで、すでに定着しているシルビアでいいんじゃないか」とか、自分で自分ならこう書くという理由を考えても、互いに矛盾したりする点もないとは言えず、かなり主観的です。みつぐさんがされているように、本人が字面や発音で選ぶというのが一番いいかもしれませんね。読書会の様子楽しみです。またブログを拝見しますね。
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