思い出をありがとう

トスカーナとの州境にあった亡き祖父母の家に
夫が友人たちの力を借りて少しずつ住める空間を作り
畑を耕しバラを育て、友人を呼んでは集っていたのは
わたしと出会う前からのこと。

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今は人手に渡ったその家で食事をするためにと
夫が買ったのが、この皿たち。
左手はスープや短いパスタ用の深皿、
右手はリゾットや肉・魚・野菜料理用の平たい皿。

わたしがこの皿たちと出会ったのは、2004年、
前年知り合った夫とつき合い始めて、
義母が生まれ育ったという、夫の祖父母の家を
夫と時々訪ねるようになった年。

ペルージャから友人や家族を招いて夕食を楽しんだり
リミニの友人たちと釜でピザを焼いて食べたり
二人きりの夜に、夫が暖炉の火で焼いた栗を食べたり
そういうときには、この皿たちが活躍してくれたはず。

外国人大学を卒業し、ペルージャの宿を引き払って、
夫に手伝ってもらい、二度にわたって
あの緑に囲まれた家に荷物を運び込み、
夫と共に暮らし始めたのは、2005年11月1日。

当時は、わたしもまだ大学で教え始めたばかり。
この皿たちも、古いストーブも、
木製家具職人だった、夫の亡き祖父が作った
テーブルや食料品入れも、当然のように二人で大切に使いました。

やがて、その家が人手にわたって今の二世代住宅に暮らし始め、
2007年6月に結婚したとき、新しい食器をと、わたしは思ったのですが、
この皿に夫は愛着を感じており、まだひびも入っていなかったので、
そのまま使い続けることになりました。

それから今まで8年の間に、
割れたり欠けたりして処分した皿があり、
別の皿も追加して使い始めたものの、
週に何度かは、この皿たちで食事をすることがありました。

二人暮らしなのでめったには使わない食器洗い機で洗うたび、
この長寿で元気だった皿たちに
ひびが入り、裏が小さく欠けたりするようになりました。
先週は、数年ぶりに夫がうっかり1枚割ってしまいました。

そうして、それを機に、以前からの考えを決行しようと、
夫に同意を求めました。
どこか欠けたりひびがあったりする皿は処分しましょう、
その代わり、来客用に取ってあった皿を使いましょう、と。

それは、4年前、わたしたちが生徒さんや同僚を呼んで夕食会をしたとき、
皿が足りないだろうと、義母が見つけ出して
わたしたちにくれた美しい来客用の皿です。
夫の亡き伯父夫妻が来客用にと持ちながら、ほとんど使ったことのない品です。

もうずいぶん長い間、気に入った皿があれば、
食器を一新しようと考えていたのですが、
最近は、今うちに11枚ずつある来客用の平皿と深皿は
わたしも好きなのだから、それを使った方がいいと考え始めていたのです。

せっかく場所を取っているのだもの、
せっかくいい食器があるのだもの、
食器だって、たとえ割れる機会があっても
使ってもらえた方がうれしかろう。

夫にいいよと同意してもらい、今日調べてみると、
無傷の皿は、平皿と深皿が1枚ずつあるだけです。
残りの6枚は、処分しようと
夕方、ごみに出してきました。

これまで長い間、どうもありがとう。
お役目、ごくろうさまでした。
この12年間の大切な思い出の中、
活躍してくれて、いてくれてありがとう。

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Cari nostri piatti, addio. Grazie per tanti bei ricordi.
Ci terrà ancora compagnia un paio rimasto sano.
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Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2015-10-19 23:59 | Altro | Trackback | Comments(2)
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Commented by suzu-clair at 2015-10-20 09:30
なおこさんとご主人の、
思い出とともにずっと使ってこられた食器なのですね。
大切な思い出をおうかがいして、
じーんとなりました。
食卓を囲むというのは、
そこにさまざまな、
かけがえのない日々の積み重ねがありますものね。
ずっとなおこさんたちの傍らで、
年月を重ねてきた食器とのお別れ、
感慨深いですね。
大切にしてこられて、
お義母さまもきっと喜んでおられることでしょう。
使い捨ての時代といわれる現代で、
こうしてものを大切にして、
感謝ともにお役目を終えてもらえるモノとのかかわりかた、
本当に素敵だなと思います。
今日も素晴らしいお話をありがとうございます。
Commented by milletti_naoko at 2015-10-20 19:19
すずさん、ありがとうございます。思い切ってさよならをする前に、今まで持っていた意味や、いっしょに時を過ごした思い出は別の皿を使っても、心の中に生きているのだということを(何だかキャンディ・キャンディのアンソニーの言葉に似ていますが)、自分に言い聞かせたい、感謝を形にしておきたいと思ったんです。

日曜は来客があって、ふだんに輪をかけた大家族での昼食だったのですが、食後に女たちで話をしていたら、親からの贈り物や食器の話になりました。義父母宅もそうなのですが、特別な来客用の食器は、大事に取っておくけれども、たとえ使う機会があっても一生に数回という場合が多いようです。これは、親しい友や家族用には、ふだん使いではないけれども、また別のそろいの食器を使ってもてなすからでもあります。うちには、好きというわけではないけれど、あるので使っている、使うことを余儀なくされている家具も少なくないのですが、今は不思議と暮らしの、わたしたちの人生の一部になって、しっくりなじんでいます。という気がするのはわたしたちだけで、はたから見ればちぐはぐで、統一感がないのでしょうが、家族の歴史が感じられる家具というのも、それはそれでいいものだなと感じています。すばらしいだなんて…… わたしの感慨にじっくりつき合って読んでくださって、わたしの方こそありがとうございます♪
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