美しいイタリア語と識字能力の低下

 イタリアの著名な言語学者でかつ元教育大臣であったトゥッリオ・デ・マウロ氏が、約10年前にペルージャ外国人大学で行われた会合で、イタリア人のイタリア語力の低下について講演をしたことがあります。確か、その講演では、日本語で言うと、ら抜き言葉や漢字の書き間違い・読み違いにあたるような間違い、標準イタリア語の規範からはずれる表現が、若者どころか社会人の間でも増えてきているということを、具体例を挙げながら説明されたのではないかと思います。氏は講演を、「こういう問題は、イタリア語が文法的にとりわけ複雑な言語なので起こるのでしょうか。」という言葉で締めくくりました。

 そのとき、ちょうど同大学で学士取得過程を卒業したばかりで、かつ日本語・日本文化を教える講師として働いていたわたしが、思わず挙手をして、わたし自身が日本の高校で12年間教えた経験と、おそらくは主に読書力の低下のために、その12年間に高校生たちの国語力の急降下がひしひしと感じられたことを説明し、ですから、国語力の低下は決してイタリアだけ、イタリア語だけの現象ではありませんと、発言しました。そうしたら、その後しばらくして、当時副学長だった、大学時代に「イタリア語教育法」を教わった恩師が、そばに来て、言ってくれたのです。

 デ・マウロ教授がさっきわたしに、「あの美しいイタリア語を話す日本人女性はだれですか。」って驚いて尋ねたのよ。「わたしたちの教え子で、今は同僚でもあるんですよ。」と答えたのよ。

 イタリア語について、「上手に話す。みごとなイタリア語を話す。」と、それが日本人であるにしてはであるにせよ、ほめられることは少なくないのですが、このときは、それがイタリアでも著名な優れた言語学者であり、かつ、イタリア人におけるイタリア語の話し言葉・書き言葉の乱れを嘆く発音をされた直後に、ですからそんなふうに、きわめて注意深くイタリア語の文法や語彙、表現法にも気を配りながら聴かれたであろう氏が、そう言ってくださったと知って、本当にうれしかったです。

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 氏のこの著作は、その後、シエナ外国人大学の外国語としてのイタリア語教育法を専門とする大学院課程に通ったとき、授業の教科書として購入し、読んだものです。

 昨日からの新しいブログのタイトル、「美しいイタリア語・日本語屋 なおこのブログ」は、このデ・マウロ氏の言葉をありがたく思い、そういうイタリア語をこれからも話し、書いていきたいし、教えていきたいという気持ちと、イタリア語・日本語という言語そのものの美しさをかけています。

 日本語についても、イタリア語についても、きれいに書いて話すと、いろんな方に言っていただけるのは、どちらの言語についても言語学や文法を、大学の授業などで、社会言語学から歴史言語学まで多岐にわたって学んだということに加えて、文学作品を中心として、多数の本を読んできたおかげだと思っています。


 最後に、関連映像として、デ・マウロ教授が、イタリア・世界における識字能力の後退について、特にイタリアに焦点をあてながら解説している番組のYouTube映像をご紹介します。大学卒業後の識字能力の後退は、イタリアのみならず、韓国・日本・フィンランド・オランダでも激しいと説明しています。

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Nel 2006 durante un convegno presso l'Università per Stranieri di Perugia, il grande linguista, il prof. Tullio De Mauro ha parlato delle difficoltà dell'educazione linguistica in Italia e ha concluso il suo discorso domandando se tali difficoltà fossero dovute alla peculiare complessità della lingua italiana. Poco dopo ho alzato la mano e detto - riporto qui la sintesi: "Gli stessi fenomeni stanno succedendo - vale a dire, gli allievi hanno sempre meno competenze della lingua materna anche nelle scuole giapponesi e li ho visti con i miei occhi come insegnante. Secondo me sono dovute soprattutto alla mancanza della lettura."
Dopo la prof.ssa Ciliberti mi si è avvicinata e sorridendo, mi ha raccontato che il prof. De Mauro le aveva chiesto: "Chi è la ragazza giapponese che parla un bellissimo italiano?" e che lei gli aveva risposto che ero ex studentessa e docente dell'ateneo.
Queste parole non le ho sentite io direttamente, ma sono tuttora uno dei complimenti a me più graditi e mi rendono ancora lieta e fiera :-)))
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Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2016-03-21 22:09 | Lingua Italiana | Trackback | Comments(12)
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Commented by ぷー at 2016-03-22 07:49 x
なおこさん、こんばんは。
自分が外国人のためのイタリア語講座を修めみて、イタリア人の国語力低下には、私も気づくことが多々あります。だからといって私のイタリア語能力がずば抜けてるわけではないのですが(大汗)。文法は言わずもがななのでしょうが、先日はFBで恩師が「安易にfareばかりを使わずに、それぞれの状況に適した動詞の使用を求む!」と訴えていました。
私は語学は専門ではありませんが、幼少からの読書好きが功を成してか、国語で苦労したことは皆無で、また自分自身いろんな面に非常に敏感なつもりではいます。イタリア語もそれくらい自分のものに出来たらな〜と思いながら、講座を終えた今も勉強の日々です。イタリア語を勉強し続けることにより、この国を多方面から深く知ることにつながるし、愛情やこだわりも強くなりますし^^ といいつつも、昨日覚えた単語を今日は「なんだったっけ〜?」と忘れる繰り返しで、思うようにはいかない日々を過ごしているのでございます〜。ガク−
Commented by suzu-clair at 2016-03-22 23:23
イタリアの言語学者の方からも美しいイタリア語とおっしゃっていただけるなんて、
本当に素晴らしいですね。

私はそこまで外国語の習得ができていないので、
語学留学していたころも、
果たして、自分の話すフランス語は、
ネイティブの方には、どのように聴こえているのだろうか、と、気になっていました。

イタリア語でも、
言葉の乱れが見られるのですね。
日本語は本当にどんどん乱れてしまっているのを感じます。
テレビやネット等のメディアによっても、
おもしろおかしく若者を中心とした省略語や乱れた表現方法などを取り上げるから、よけいおかしな言葉や用法が蔓延してしまっているように思います。

言葉というのは、
言葉の選び方や話し方、表現の仕方などによって、
その人の人間的な側面まで写し出しますよね。
私も、本当に正しい言葉をどこまで遣えているかはわかりませんが、
TPOに合わせてときにはくだけた現代風の言葉を使ったとしても、
できるだけ言葉は大切に遣える人間を目指したいといつも思っています。

たまに時代劇などのような、
古い大和言葉や表現が出てくるテレビなどを観ると、
昔の日本人の言葉遣いは、美しいな・・・と思います。
今は言葉の乱れに目くじらを立てると堅苦しいと言われそうな風潮がありますが、
正しい日本語を後世まで受け継いでいってほしいですね。

ブログタイトルのご変更、
気づいていました。
なおこさんのお仕事に対する真摯な姿勢が感じられます。
本当に、いいお仕事をなさっておられますね。
Commented by メルカートのYUKI at 2016-03-23 00:22 x
こんにちは。
イタリア語の表現方法というのも、千差万別で、その状況において使っていい言葉や表現がありますが、どのように伝えたら、わかりやすく伝わるだろう... と考える時、母国語の出来が大いに関わってくるなぁ、と日々感じています。これはきっと、英語も同じじゃないかと思うのです。
そんな時、古い友人が言っていた、「外国語を習うのなら、まず母国語から」に今更ながら大きく賛同する私です
Commented by milletti_naoko at 2016-03-23 03:35
ぷーさん、こんばんは。本を読まない子どもや大人が増えていること、だれもがイタリア語を話すようになったことから、イタリア語自体が方言から受ける影響も多く、言語学者の中には、規範で長年無理やり押さえつけようとした枷が外れようとしているとも言えるなどと書く人がいるほどです。大野晋さんも、もう約20年前だったと思うのですが、たとえばら抜き言葉も、少数であるうちは誤用と言えるけれど、それがやがて半数を過ぎてしまえば、文法や日本語そのものが変わるのだと書かれていて、「書き言葉・規範文法」と「話し言葉・間違い」とのせめぎ合いは、どこでも大変だと言えるかもしれません。本を読まずに、限られた知人や友人・家族の中だけ過ごしていると、テレビや新聞に触れても、知らない言葉は上滑りして語彙が増えないので、何でもfareで済ませてしまうのかもしれませんね。先生が講座修了後も、教え子の皆さんのイタリア語にも注意しながら読まれているというのもすてきです。

わたしも中学校の頃から国語だけは成績がよかったのは読書のおかげで、読書は言葉に対する感受性も培うし、母語の力、ひいては思考力や判断力の大切な肥やしにもなると考えています。本を読むこと読まない子で、読書感想文やHR日誌、就職作文に小論文など、本当にさまざまな文章に、国語力の差が恐ろしいほど表れていたのです。ぷーさんがイタリア語の語彙や表現・文法に敏感なのも、それを日本語で読書で養われたからでしょう。大丈夫、本当に大切でよく使われる言葉は、意識していれば何度も目や耳に留るので、そのうちきっと記憶にしっかり残りますよ♪ 語彙の定着は年齢が高い方が確実だという研究結果もあったような気がします。
Commented by milletti_naoko at 2016-03-23 19:41
すずさん、あくまでも日本人であるのにという前提の上での言葉としても、現代イタリア語の歴史や使われ方などを研究していて、話し方には敏感な先生がそう言ってくださったと知って、とてもうれしかったです♪

仕事や旅行・生活のため、趣味で学んでいるなど、外国語の習得にもいろいろな理由がありますよね。それぞれの目的に応じて、その外国語でしてみたいことがこなせるだけの力がつけば、いいのではないかと思います。わたしは県立高校の常勤教諭という安定した職業をなげうって、言わば背水の陣という形で、イタリア語を今後自分の専門にしようと考えていたので、必死で勉強をしました、と言うよりは、せざるを得ない状況に自分を追い込んでいました。

言葉が乱れ、母語の力が低下してくると、きちんと考えて書かれたこと、話されることよりも、瞬間的にぱっとおもしろいこと、あっと驚かせることにだけ人が飛びつくようになり、それがテレビ番組の制作者の意向に影響し、質が下がってますます国語の力も下がるという悪循環ではないかと心配しています。イタリアではベルルスコーニが首相だった頃には、そうやってわざと国民を白痴化させて、国政を思うように牛耳ろうという意図があったと言う話もよく聞きましたが、今でもそういうきらいがあります。同じような傾向が、そうすると日本にもあるんですね。

すずさんはお花や自然も、言葉も、いつも真摯な姿勢と細やかな感受性とで、大切にされているとブログから感じています。わたしは、もともと国語教師という仕事上、同僚や先輩と共に、校内新聞や雑誌、研究紀要などの編集や校正にあたることが多かったので、そういう複数での校正を通して身につけてきた感覚が、少し「古きよき日本語」に偏りがちであるということは、自分でも気づいています。「携帯電話」を「携帯」と呼んだり、「スマートフォン」という言葉にいまだに抵抗があったりしつつも、やむを得ず使うこともあるのですが、日本を離れて、「現代実際に話されている日本語」からは浦島太郎状態になっているので、その傾向に拍車がかかっているかもしれません。
Commented by milletti_naoko at 2016-03-23 19:53
ゆきさん、まったく同感です。考える力・判断力・感受性は、母語の力と比例していて、外国語での文章の構成はもちろん、語彙や表現・文法に対する感受性も、母語でそれを培っていなければ、外国語に応用することもできません。そういう意味で、日本でもイタリアでも、英語教育を低年齢で行うより、パソコンや携帯電話の普及・読書離れでますます母語の力が低下する今、まずは母語の教育にしっかり力を入れるべきだろうと感じています。
Commented by poirier_AAA at 2016-03-24 00:42
なおこさん、こんにちは。

わたしのフランス語は相変わらず中途半端なところで足踏みしているので偉そうなことは言えないのですが、長くこの言葉と付き合ってきたからでしょうか、いわゆるネイティブと言われる人たちの使う話し言葉や書き言葉の中に、好き嫌いをはっきり感じるようになりました。

フランス語も、最近はずいぶん品がなくなってきたと感じます。特に若い女性は変な語尾イントネーションをつける人が多くて聞き苦しいですし、小学生の子どもでも気がつくようん綴り間違いのある公的な手紙が来ることもあります。夫に言わせると、比較的堅い職場ですら綴り間違いをする人がたくさんいるのだそうです。

読んでわかる、人に伝わるようにきちんと書けるって、とても大事なことですよね。小学生の子どもの様子を見ていると、小学校で一番大事なのは国語の授業ではないかと思うくらいです。国語ができないとけっきょく算数も社会も理科も理解できなくなります。それに加えて小学生でもインターネットを使って調べ物をしなさいと言われる時代、まだ言葉の土台がしっかりしていないところにインターネットの玉石混交の文章、正確かどうか判断できない情報を持ち込むようなことをしても大丈夫なのか?と心配になります。

いろいろな誘惑が多いですし、土台をしっかり作るのがますます難しくなっている時代なのかもしれないと感じます。
Commented by ひな at 2016-03-24 06:00 x
なおこさんのブログを長く愛読させて頂いている理由の一つに、読んでいてとても心地が良いという事があります。
表情や声のトーンで感情を伝えることの出来ない文章上では、書き手の言葉の選び方や使い方からその方の想いや人柄を感じ取ることが多いですが、なおこさんのブログからは、丁寧に書かれた文章や読者が読みやすいように句読点を打って下さっていることから、とても穏やかで安心した気持ちで読むことが出来るのです。

きっとイタリア語での場合にも、日本語を書き綴る時のそれと同じ思いで長年向き合われているからこそ、イタリア人をも唸らせる語学力に繋がっているのだと思います。言葉のプロ、と名乗るに相応しい語学への愛情とたゆまぬ努力、素晴らしいです!
Commented by milletti_naoko at 2016-03-24 22:18
梨の木さん、こんにちは。梨の木さんは、お子さんたちが学んでいく言葉や、ご自分が読まれる本などのフランス語の文章や言葉づかいを、深い洞察力で観察し、細やかな感受性を持って見聞きされているなと、ブログの文章を拝見して、感じています。女性の妙なイントネーションや間違いのある公的文書が、なんとフランスでもあるんですね!話している当人たちはそれがおしゃれというか、それがいいのだと考えて、真似したり身につけたりしているのでしょうか。フランスは、イタリアに比べて、自国の言語に対する愛情やこだわりが強いという印象があるので驚きました。そう言えば、DELF B1のリスニングの問題にも、否定文でne...pasのneがなく、pasだけしかない文が出てくるものが少なくなく、口語とは言え、あぜんとしたのを覚えています。日常ふつうに話される言葉が聴き取れることは大切でしょうが、文法的にはいけないとされている表現を、聴解問題の問題文に使うとは。ne...pasしか意識していなかったわたしは、最初は聞いてすぐに内容が取れなかったような気もするのではありますが。

小学校の段階で最も大切なのは、わたしも国語の授業だと思います。11歳前後になって判断力や思考力がしっかりしたものになり始めるまでは、授業を母語と外国語の2か国語で行うよりも、母語だけで行った方が望ましい成果が得られるという研究結果を読んだことがあります。そういう判断力・思考力、そしてその土台になる理解力を培うためにも、国語力は欠かせませんよね。考える力と感じる力こそ生きる力の柱であって、その両方は国語力と共に育っていくものだと感じています。言葉も、判断力もあいまいな時期に、インターネットの大海に投げ込むことには、わたしも疑問です。わたし自身、夜寝る前に投稿して、翌朝に誤字やおかしな文を発見して恥ずかしくなり訂正することが少なくないのですが、子供の目に触れてはどうかという問題があるウェブページは、内容的にも多いですよね。
Commented by milletti_naoko at 2016-03-24 22:37
ひなさん、お忙しい毎日の中、読んでくださっているんですね。ありがとうございます。そんなにほめていただいて、ありがたいし、気恥ずかしいです。ブログの記事を読んだり書いたりする目的は人それぞれなのですが、読む方が少しでもほっとしたり、学びがあったり、あるいは、うれしくなったりする記事でありますようにとは心がけているので、ひなさんの心からの温かいコメント、とてもうれしいです。

ひなさんが、お若いのに、よりよいサービスをと研鑽を積んで真剣にお仕事に向かわれる様子を、わたしも常々、すばらしいし頼もしいなと感じています。
Commented by papricagigi at 2016-03-25 01:02
Naokoさん、おはようございます。
私も上にコメントされている皆さんと同じようにNaokoさんの文章が大好きです。もちろん、伊語の学び方やポイント、Naokoさんの暮らしの様子を知りたくていつも楽しみに読ませていただいているのですが、Naokoさんの文章を読んでいると忘れてしまった本来の美しい日本語が心に染みてくるような感じがするんです。文章には人となり、が現れますね。Naokoさんにはお会いしたことはないですが、穏やかですぅっと落ち着いた女性なのだろうな、って思います。
少し一時帰国をしていたのですが、今回も改めて日本語って美しい言語だなぁって思いました。
私は文章を読むことは好きなのですが、自分の語彙や表現の乏しさを常に感じています。海外に住むようになって日本語を使うことも随分と減ってしまい、これではいかん!という焦りからブログを始めました。文章が上達しているとは思いませんが、ブログを通して色々な方の日本語に触れて学べる(←これは学べられる?が正しいのです。。。ね?)ことが嬉しいです。

Naokoさんの美しいイタリア語も聞いてみたいです!
Commented by milletti_naoko at 2016-03-25 21:25
papricagigiさん、とてもうれしいコメントを、そして、記事を楽しみに読んでくださって、ありがとうございます。自分の文章が他と比べてどうかは、自分ではなかなか分かりにくいのですが、大学で雑誌か何かをクラスの皆で作ったときに、わたしが書いた文章を読んだ恩師が、「とてもいい文章を書かれますね。」と言ってくださったので、驚いたことがあります。ひょっとしたら、シャーロック・ホームズに赤毛のアンなど、小学生の頃から翻訳された小説を読むことが多く、そうすると、ホームズの同じ話でも読みやすいものと、ひどく読みにくいものがあったりして、そういう中で、こういう漢字の使い方や句読点の打ち方は読みにくいな、一方、こちらは読みやすいなという経験を積み重ねていったからかもしれません。中学2年の頃に小倉百人一首にはまって夢中で覚え、後に高校教師になってからは、仕事上、古文や漢文を読み解いたり、何度も何度も生徒とともに音読したり、競技がるたにはまったりしたため、そういう古文や漢文のリズムが、自分の中に心地よいリズムとして、基準として定着したからかもしれません。文を書くとき、自分が書いた文を読み直すときに、自分の中に、こういう文のリズム・流れならいいけれども、これでは引っかかり・淀みがあると感じ取る感知器のようなものがあって、文法や語彙の使い方には問題がなくても、その感知器でこのリズムではいけないと感じて、書く前にどう書いたらいいか迷ったり、あとから書き直したりするときが、時々あります。

わたしもイタリアに暮らし始めてから、日本語で読んだり書いたりする機会がかなり減ってしまっていて、こうしてブログを書いたり、コメント欄を通して皆さんと交流したりすることを通じて、日本語で書き、読み、交流し、そうしてそのために日本語で考えるいい訓練もできていると思います。「学べる」は、動詞「学ぶ」に対応する可能動詞で、それだけで「学ぶことができる」という可能の意味を含んでいますので、「られる」をつける必要はありません。ですから、Papricagigiさんが最初に書かれたとおりでいいんですよ♪

ありがとうございます。大学で教えていた頃や学んでいた頃に比べると、公の場で学問について話したり聴いたり書いたりする機会が大幅に減ってきていますので、わたしもイタリア語をきちんと使える力を保てるように心がけていきたいと思っています。
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