2017年 03月 22日
ひらがな板書と授業計画
学んだひらがなを読む練習をしようと、プリントにあった語彙だけでは、練習が足りないので、「覚えなくてもいいですよ。読み方の練習をするだけですから。」と言いつつ、すでにみっちり練習したひらがなだけ使った、入門・初級レベルの言葉を思い浮かべてはホワイトボードに書き、生徒さんに読んでもらいました。
「かじ」と書いたのは、「かぜ」と書いたら、生徒さんが「かじ」と読んだので、「かじはこう書いて、こういう意味なので、かぜとはまったく違うんですよ。」と説明するためです。
社会人の生徒は、「ぼくは歌は歌わない」という人と、「歌ですか、いいですね。」と積極的に喜んで歌う人とに分かれる傾向があるのですが、今回の生徒さんは、「いいですね。カラオケですね。」と、カラオケではないのですが、『春が来た』をうれしそうにいっしょに歌ってくれたので、わたしもうれしかったです。数年前、パリの語学学校で、わたしも大好きなZazの歌を、とてもすてきなフランス語の先生が授業で取り上げて、内容を教えてくれたあと、いっしょに歌おうと言ってくれたのに、他の生徒がだれも歌わなかったからと言って、声を出して歌えなかったことを、今もこういう機会のたびに、反省しています。熱心ないい先生だったのに、申しわけなかったな、と。
授業開始前から、同僚の先生方と密に連絡を交わしていたのですが、今日の夕方は電話でも長く話をして、ようやく授業の進め方についてめどがついたので、すでにお二人には提案して了承を得たことと、前回の授業計画表を参考に、いつ教科書のどの課を勉強するかという詳細な学習指導計画表を、パソコンやプリント、カレンダーとにらめっこして、先ほどようやく完成させました。
日本の高校で教えていた頃は、『山月記』は何時間、『項王の最期』は何時間などと、教材ごとに詳しく時間数を記し、何月何日から何日まで学習するという詳しい指導計画を書くのが苦痛でした。その学期だけではなく、学年度の最初に書く年間計画なので、予定外の学校行事などが入ってしまったりして、予定どおりには進まないことが多く、現実の授業の実施とはずれてしまいがちで、単に形式的な業務のように思えていたのです。
それが今は、かつてと違って、教科主任や教務課の先生にせかされたり、締め切りがあったり、どうしても計画表を作る義務があったりするわけではないのですが、おおざっぱに、この期間にここまで教科書を終えようでは、結局間に合わずに最後に急ぎ足になったり、時間配分がおかしくなり、ついだらだら授業をしてしまったりしそうで、詳しい学習指導計画表を作る習慣がつきました。作っておくと、毎週、そして毎日の授業のノルマや、生徒さんがこの時間、この日、今週に何を習得しなければいけないかということが把握しやすいので、かつて高校で、計画表を作る習慣をたたきこんでくださった先生方と学校に感謝しています。
この指導計画をもとに、生徒さんが、いつ各課でどんなことを勉強するかがを一覧できるような、生徒用の授業の予定表も作成するつもりなのですが、今夜はもう遅く、目もひどく疲れたので、明日にするつもりでいます。
先日ののび太君の夏休み前の嘆きではありませんが、授業でも片づけでも、フリーランスとして取り組まなければいけない仕事でも、同じように予定が概観できるように、メモや手帳の記入の仕方を、もっと工夫しなければと反省しています。イタリア語学習メルマガの作成や、フランス語再学習、再請求をしなければいけない、まだ振り込みがない昨年の翻訳の仕事の報酬の催促など、ずるずる先延ばしにしてしまうのは、大切で急がなければいけない用件であるというのに、それが分かったようで分かっていないからです。学校の授業だけではなく、もっと自分がしなければいけないさまざまなことを、うまく統括し、概観して、計画的に行っていけるような工夫をしなければいけないと、考えるだけではなく、実行に移さなくてはいけません。
****************************************************************************************************************************
A scuola continua l'insegnamento/l'apprendimento di hiragana, alfabeti sillabici giapponesi.
****************************************************************************************************************************
生徒の立場しか知らない私は、先生は大変だなあ~と感じました!
フランスでの歌の件ですが、誰も賛同しなかった時、勇気を出すというのは、かなり大変な事と思いますので、なおこさんの取った行動もいたしかたないと・・・
なおこさんの授業にも「春が来た」が登場するのですね~♡
遠いイタリアで、日本語の授業に「春が来た」が登場してると思うととても嬉しいです(*^_^*)
フランス語の歌、わたしより若い生徒さんが多く、ラテン系の生徒さんさえ何人もいたのに、声が上がらなかったのが不思議なのですが、歌は好きで知っていたし、自分の立場なら困るのに、あのとき歌っていればと今も思うのです。お優しいお言葉、ありがとうございます。春が来た、春に授業があるたび、歌っています。5月初めには、『こいのぼり』も歌いますよ♪
教えるための準備は本当に大変なんですね。いつかペルージャでなおこさんにイタリア語を教えて頂けたら楽しいなあと思います。始めたイタリア語のレッスンですが、独学していたころはいい加減にしていたことが多かったので、先生に教えて頂くということは生徒のほうもそれなりに予習、準備そして復習をしなければ意味がないのだと思います。
私は専業主婦なので時間はたっぷりあります。それでも、
家事の他に勉強、趣味のことをするのに時間を有意義に使うには計画と実行が必要だとしみじみ思います。
なんとうれしいお言葉を、ありがとうございます。すてきな頼もしい同僚の先生方にめぐまれてもいて、クラスも教えるのも楽しみです♪
初めまして~(^^)/
papricaさんのコメント欄でお見かけして
やってきました。
関西在住の主婦です。
長年英会話学習を続けていますので
日本語を教える立場というのにも
とても興味があります。
マンドリン合奏をしているので
マンドリンの故郷イタリアにも
一度行ってみたいと思いながら
まだ願いは叶っていません。
高校の時少しフランス語会話を習ったのですが
その時教えて頂いた フランス童謡を今でも歌えます。
生徒さんに日本の歌を歌ってもらうのは
楽しいですね~(^^)
マンドリンの合奏をされているとは、すてきですね! いつかきっとイタリアに来られる日が来ることでしょう。そう言えば、わたしも高校の頃に習ったサンタ・ルチーアのイタリア語の歌を、カタカナで学びはしましたが、今も歌詞を覚えています。音楽の授業と違って、日本語の授業では何度も歌うわけではありませんが、生徒さんが楽しそうだったので、よかったです♪