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災いに潜む幸せの兆し1、留学生活と共同アパート

 2002年9月末に、ペルージャで留学生として暮らし始めたとき、最初の半年はホームステイをしたのですが、その後は、外国人大学の語学講座の友人たちに紹介してもらって宿を決め、男女混合の共同アパートに住むことになりました。今当時の手帳を見ると、2003年12月20日に、日本に一時帰国するまでの約9か月間、そのアパートで過ごしたようです。
 
 最初のホームステイ先は、日本を出発する前に、ペルージャ外国人大学が当時紹介し、勧めていたアテナ・サービスという宿泊斡旋業者を通じて決めました。留学生との交流を好んだり心がけたりする家庭ではなく、高齢者が生活資金の足しとして下宿人を取るという感じだったのですが、すでにウルバニアでそういうステイ先に慣れていた上、外国人大学の授業やその予習・復習に忙しく、勉強や友人とのつき合いに専念できたので、特に問題に感じませんでした。

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Arco Etrusco & Palazzo Gallenga dell’Università per Stranieri di Perugia
Perugia 22/4/2015

 先の共同アパートを決める前に、「アテナ・サービスを通じて宿を決めると、毎月手数料を取られるから、掲示板や友人・知人の紹介で、次の宿を決めた方がいい」と、ペルージャに長く住むクラスの友人たちが助言をくれ、また、自分たちが住む共同アパートなどを紹介してくれました。そうして選んだアパートは、外国人大学のガッレンガ校舎と同じ広場に面していて、当時通っていたイタリア語・イタリア文化講座、V Gradoの同級生であった日本人女性の友人が、すでに長く暮らしているところでした。同胞の同じクラスの友人と暮らせる上、通学にも便利なので、他の3人がアラブ人男性だということも、あまり気にしませんでした。すでにいっしょに住んでいた友人が、多少癖はあっても、同居に問題のないいい人たちであると、宿を決める前に言ってくれたからでもあります。

 ところが、その秋か冬になって、困った学生が同じアパートに暮らし始めました。わたしは秋に、ペルージャ外国人大学の学位取得課程に入学をし、2年生に編入できるかどうかが最初は分からなかったため、その審査が終わるまではと、1年生と2年生の科目を、できる範囲ですべて受講し、授業に予習・復習と、慌ただしい毎日を送っていました。それまでにも、日本の友人やアラブ人学生が、同性・異性の少数の友人を招待して、同じ宿で食事をしたり、宿泊をしたりということも、時々ありました。けれども、よくアメリカのテレビドラマやイタリアの映画で見るような、家に入りきらないほどの友人を呼んで、家中に大音響でにぎやかな音楽を流し、深夜まで騒ぐパーティーはいっさいありませんでした。それが、この男子学生は、暮らし始めてすぐに、何度かそういうパーティを、わたしたちにいっさい連絡もせずに開いたので、うちでの生活は制限されるし、勉強の邪魔にはなるしで、とても困りました。それだけなら、たまのことならと水に流せたかもしれないのですが、その上、共同の生活空間であり、窓もない屋内の廊下でタバコを吹かし、注意をすると、かえって激昂するありさまです。(つづく)

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Arco Etrusco, Palazzo Gallenga dell'Università per Stranieri di Perugia & Piazza Forte braccio

Fino al dicembre 2003 ho abitato in un appartamento che si affacciava su questa piazza. Con l'arrivo di un nuovo coinquilino, sono stata costretta a trasferirmi in un altro appartamento, ma pensandoci ora forse è proprio questo trasloco che mi ha aiutato a conoscere meglio mio marito, collega di un'inquilina del nuovo alloggio.
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Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2015-11-03 23:40 | Ricordi | Trackback | Comments(4)

ペルージャから迎春のごあいさつ

 明けましておめでとうございます

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Il sole che sorge nel Cammino Primitivo a Santiago di Compostela 27/9/2014

 去年は、5月にはボローニャからフィレンツェまで歩き、9月末からは、約1週間でしたが、サンティアーゴ巡礼路の一部を歩きました。

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Basilica di San Francesco, Assisi 3/4/2014

 仕事は、通訳としては、昨年はおそらくは不況のために、産業通訳に比べて、観光や研究などのために日本を訪れるお客さんの同行通訳が増えてきました。観光の同行通訳の場合は、日本やこちらの旅行会社を通じて、仕事をいただく場合がほとんどです。旅行会社の方から、ガイドではないという点は伝えていただいた上で、お客さんが訪ねたい場所に同行するのですが、ぼったくりの問題もあって、買い物や食事の際に、安心してほしいものを頼んでいただける上、だまされるのを防ぐという効果もあるのかなと、観光中にぼったくりの被害に遭ったというお話をうかがいながら思いました。

 ペルージャ観光の際は、お客さんの訪ねたい場所ということで、それまで入ったことがなかった、中心街にあるぺルジーナのチョコレートの専門店を訪ねました。値段は高いのですが、味や箱もいろいろ選べて、お子さん用から優雅なもの、かわいいものまでいろいろあり、興味深かったです。通訳の仕事に専念していたため、残念ながら、写真はありません。

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Scuola Lingue Estere dell’Esercito, Perugia 11/6/2014

 日本語教師としても、軍外国語学校や個人授業で、新しい出会いもあり、熱心な生徒さんに教えるのがわたしも楽しみです。今週月曜日の授業では、なんと生徒さんが、クリスマスの休日中に『きよしこのよる』を暗唱したと言って、何も見ないで歌って聞かせてくれました。歌うのが本当に楽しいようで、昨日も自ら授業中に歌ってくれて、わたしとしては、うれしい限りです。

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Corso di eco-printing, Navelli 11/6/2014

 ワイナリーでの写真講座や修道院での実践薬草学講座など、いろんな集まりに参加した1年でしたが、一番印象に残っているのは、8月にアブルッツォに一人で遠征し、宿泊研究で学んだ草花染め講座です。

 自然の花や実にいろいろな個性や使い方、隠れた長所があるように、わたしたちの一人ひとりにも、かけがえのない個性や能力があるのであって、わたしも含めて皆が、そういうかけがえのない自分の花を開いていける、そんな2015年でありますように、そうして、平和の大切さを皆がもっと認識し、過去の恐ろしい過ちが日本で繰り返されることのありませんように。

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Cammino Primitivo a Santiago di Compostela 29/9/2014

 皆さん、昨年は本当にお世話になりました。新年もどうかよろしくお願い申し上げます。

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24/9/2014

 どんなに果てしがないように見えても、少しずつ歩いていけば、きっと目的地に到着することができ、山の上ではすばらしい眺めが待っている。山を歩きながら教わったことを、生活のほかの場面でも生かしていきたいと考えています。

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BUON 2015 a tutti!

Con un passo alla volta si può raggiungere
anche una meta lontana che sembra impossibile.
L'ho imparato camminando in montagna e per i pellegrinaggi,
ma ciò vale anche per la vita.
Tanti auguri e buon cammino per la vostra vita e per il vostro 2015.
Vi ringrazio di cuore per la vostra gentile compagnia
che ha reso la nostra vita più ricca e più gradevole.
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Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2015-01-01 13:06 | Ricordi | Trackback | Comments(20)

アパートでの共同生活

 ペルージャ外国人大学の学士取得課程を卒業して、夫と暮らし始めた2005年の秋までは、共同アパートを転々としていました。

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Università per Stranieri di Perugia 14/8/2013

 半年のホームステイのあと、初めて住んだ共同アパートは、外国人大学で同じクラスに通っていた日本のお友達が、空いている部屋があるからと、紹介してくれました。彼女以外は、アラビア圏の男子学生ばかりという不思議な同居生活ではありましたが、男性たちも皆、少なくともわたしたちには礼儀正しい人ばかりです。大学が目の前にあり、近くてそれは便利だったのですが、ウンブリア・ジャズのときには、アパートの前の広場で、大音響でコンサートの練習が繰り返され、家の壁が音で揺れるような気さえしました。なかなか居心地がよかったこのアパートから引っ越すことになったのは、新入りのやはりアラビア人学生が、アパートに大勢の学生を招いて、大音響でパーティを開いたり、皆に共通の空間で煙草を吸ったり、これまでにはなかった迷惑な行動が重なる上に、注意しても、自分の権利だと息巻くばかりだったからです。

 夏に文学の授業で知り合って親しくなった、スペイン女性の一人が、だったら、わたしが国に帰ったあと、このアパートに来ればいいと、勧めてくれました。Corso Cavourにあるそのアパートには、すでにこの友人を訪ねて、何度か行ったことがあり、住人の顔も知っていました。外国人大学からは少し遠くなりましたが、新しいアパートは、住人が4人ともすべて女性である上に、新しい同居人たちとは、すでにいっしょに映画を見たり、コンサートに出かけたりしたこともあったので、安心感がありました。以前の大学に近いアパートは、本当は出たくなかったのに、やむなく後にしたのですが、今考えてみると、そのおかげで、夫と出会うことができたのでした。と言うのも、この新しいアパートに住む唯一のイタリア人女性は、ウンブリア州庁に勤めていて、夫の友人と特に親しく、夫のこともよく知っていたからです。わたしと夫がつき合うようになったのは、彼女が糸を引いてくれたおかげです。(下記リンク参照。これが、「せい」ではなく「おかげ」と言えるように、仲よく暮らしていきたいのですが、はてさて。)彼女と、ナポリに恋人がいて、毎晩長い間恋人と電話で話すドイツ人学生と韓国からの留学生は、わたしがこのアパートに来てから、このアパートを去るまで、ずっと一緒にいたのですが、皆気のいい、優しい性格でした。できることならずっと暮らしていたいこのアパートを去ることになったのは、契約の関係で、全員がアパートを出なければならなくなったからです。

 このあと見つけたVia Fonti Coperteのアパートは、大学からは遠いのですが、家賃が安いのが魅力でした。同居人3人が皆イタリア人で、しかもうち二人が社会人で、落ち着いた生活が送れそうだとも思いました。同居した女性たちは皆気のいい人たちばかりで、うち一人は、買い物の達人で、買い物や暮らしの知恵をいろいろ教えてくれました。ただ、家賃は安いのですが、大学は歩いて40分と遠く、家のたてつけもひどくて、部屋のガラスだったか、よろい戸だったかが壊れていて、修繕を頼むように夫に言われたことを覚えています。大家さんがアパートのすぐ下に店を構える肉屋さんで、毎晩、眠ろうとするのに、階下の巨大な冷蔵庫の立てる音と、前の道路を絶え間なく走る車の音に悩まされました。週末は、たいていはだれか、あるいは複数の同居人の恋人が泊りがけで来ていて、にぎやかでした。わたしはたいてい、夫と二人で、卒業後で二人でしばらく暮らした田舎の家へと向かっていました。騒音や遠さは気にならなかったのですが、問題なのは、同居人中二人が大変な喫煙家で、窓のない台所で、朝も晩もたばこを吸っては、台所と家中を煙で満たし、家のたてつけにも問題があったので、ドアのすき間から煙が入り、わたしの部屋まで煙が充満したことです。夏は窓を開け放せばいいだけの話なのですが、冬はそういうわけにもいきません。それで、今度は、中心街にあるワンルームアパートに引っ越しました。

 さまざまな国出身の学生たちが、バルセロナで共同生活を送る映画、『スパニッシュ・アパートメント』を見て(下記リンク参照)、「掃除するのは、どうせわたしだけなんだから。」という女子学生の言葉や、時々お泊りに来る同居人の恋人たちなどを見て、かつてのアパートでの共同生活を、なつかしく思い出しました。

 金曜の朝から日曜まで留守にしているため、昨日と今日のこの記事は予約投稿にしています。コメント返しや皆さんのサイトへの訪問、遅くなりますが、必ずしますので、今しばらくお待ちください。

関連記事へのリンク
- 出会いのきっかけ
- 西仏アパート映画その2

Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2014-01-18 23:59 | Ricordi | Trackback | Comments(8)

2013年から2014年へ

 昨年、2012年の年末には、ミジャーナの改築中の家には、

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24/12/2012

まだ家正面の扉もなく、

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床には、温水式床暖房のための配水管が張りめぐらされたものの、上から覆うレンガがなく、上階へ上がる階段もなく、壁は白いままでした。

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16/1/2013

 2013年は、1月には床に、夫も半分に切る作業を手伝ったりして、レンガが敷かれ、

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14/3/2013

春には正面扉もできて、この階と上階については、欠けていた窓やよろい戸が、新しく完成しました。

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30/5/2013

 以後、ガスタンクや排水溝の設置や配管工事と少しずつ作業が進み、

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4/8/2013

夏からは、はるばるリミニから手伝いに来てくれるフランコのおかげで、

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二つのトイレもゆっくりゆっくり仕上がりつつあります。シャワーの床にと、夫と二人で小石を取りに行ったのは春だったでしょうか。

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13/9/2013

 秋には、壁も色づき、ようやく階段もできました。床も階段もガスも、どの作業を取っても、まずは自分たちでどうしたいかを考えてから、ウンブリアやトスカーナのあちこちにある業者を回り、料金や仕事を見て、まずは業者を決め、それからどんなふうに仕上げたいかを業者と相談し、打ち合わせを重ねた後で、作業が始まりますので、とても時間と根気がいります。

 頼んでいたように、予想していたとおりには仕上がらず、失望したり腹立たしい思いをすることも多いのですが、それだけに、期待していたとおりに、あるいはそれ以上に仕上がったときの喜びはひとしおです。

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15/11/2013

 11月半ばには、オリーブ収穫を助け、果物の若木を植えに来てくれた友人たちを迎えて、改築が始まって以来、初めて家で料理をし、

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14/11/2013

 食事をし、わたしも寝袋で夜を明かしました。

 今写真を見ながら、遅々として進まないように見えて、少しずつではあっても着実に、家が形をなしつつあるのだと実感しました。

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3/5/2013

 仕事は、日本語の授業については、フォリンニョの社会人の生徒さんたちに、楽しくしっかり学んでもらえるいい授業ができました。通訳や翻訳の仕事は、昨年までは、ペルージャ外国人大学の教員名簿を見て連絡を取ってきた業者や、大学の恩師や同僚の紹介・依頼による仕事が多かったのですが、今年に入って、ブログやメルマガをきっかけに受けることができた仕事が増えました。

 ワークショップでの講師の先生と受講生の間での通訳や皮革製品を作る工場で研修する日本の方のための通訳、ミュージカルのパンフレットの翻訳など、時々異色の仕事はあったものの、これまでは、日伊の企業、あるいは地方公共団体の間に立って、通訳を務めることが多かったのですが、今年、そうして新しく入った仕事には、アッシジ観光、研究を目的にイタリアに滞在中の大学の先生の調査などの同行通訳、結婚式に参加するために、はるばる遠くから訪ねて来てくれたご親戚やご友人をもてなすためのトリュフざんまいの昼食会や中世の宴での通訳などがあり、仕事の幅が一気に広がり、すてきな方にたくさんお会いすることができました。

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19/10/2013

 ブログを通しては、今年は10月にはフィレンツェ、11月には昨年のエミーリア地震で被害を受けたピエーヴェ・ディ・チェントの町に、ブロガーとして招待され、イタリア各地の高性能のカメラを構えるフォトブロガーたちと知り合い、ふだんは一般公開されていない場所を始め、歴史ある建築物などを、ガイドつきで訪ねることができて、とても興味深かったです。



 5月に、聖べネデットの足跡を追い、モンテカッシーノまで巡礼をしたのもいい思い出です。モンテカッシーノに到着する前日に着いたロッカセッカの宿の人がそれは親切で、村の名所を案内してくれたことを、うれしく覚えています。モンテカッシーノを目指して歩く人々に、こうして温かいもてなしを続けている宿の方が、そうして歩く様子や村の岩壁に潜む美しい古い教会などの映像をYouTubeで紹介しているのですが、この映像の中には、わたしもしばしば登場しています。

 実際にお会いした方も、ブログを通して知り合い、コメントでお話をしている方も、そして、コメントは残さずとも、このブログを楽しみにして、時々のぞいてくださる方、応援クリックをくださっている方、本当にありがとうございます。

 新しい年が、皆さんにとってすてきな1年でありますように。少しずつできていく家のように、わたしも一歩ずつでも確実に、前に進んでいける、そういう2014年にしたいと思っています。

Nel 2013 la Casa di Migiana ha avuto i pavimenti in cotto, i portoni, la fogna, l'impianto del gas, una bella scala, i colori alle parete e non solo.
I passi sono lenti, ma continuando a camminare, si va sempre più avanti,
come nel Pellegrinaggio a Montecassino che abbiamo intrapreso.
E come nel cammino ci ha aiutato gentilmente Tommaso e Angelo,
anche qui ci hanno aiutato molto gli amici e la famiglia.
Per lavoro questo anno opportunità più numerose e variegate grazie a questo blog che mi ha consentito anche di partecipare a due eventi per Fotoblogger.
Grazie a tutti per questo anno & Felice 2014!

Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2013-12-31 12:39 | Ricordi | Trackback | Comments(10)

家計簿とアマゾン夢の改善?

 他にもどうしてもほしい本があったので、せっかくだから新年になる前にと、アマゾン日本で購入しました。

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 人気があるという家計簿について、アマゾンや出版社のサイトで、家計の記入の仕方や使った人のコメントなどを見比べて、選ぶ参考にしました。

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 お金の無駄遣いを避けるためにも、自分がどんなことにお金を使っているかを把握するためにも、出納の記録は大切です。けれども、イタリアに留学しようと、退職して日本から旅立った2002年4月には、家計簿を買うことまでは頭が回りませんでした。2002年8月から、必要を感じたからか、大学ノートを使って、こんなふうに出納の記録をつけ始めました。出費の項目は二つで、左は「飲食費+食事」、右は「その他」となっています。11月までは、どういうわけか、朝・昼・晩に何を食べたかまで記録してあります。

 この年8月の出費としては、7月29日から8月24日までの語学学校の授業料が392ユーロ(本来428ユーロのところ、滞在が長いので割引)、宿泊費が451ユーロとなっています。途中でホームステイ先を変え、変える前は朝食・夕食込みだったので、1週間157ユーロ、引越後は朝食のみで1週間98ユーロになり、その3週間分を払っています。11年も前で、しかも地方ののんびりとした村だというのに、宿泊費がかなり高かったなと、今になって驚きました。

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 ちなみに、イタリアに渡った最初の3か月間の出費の記録は、手帳に書いてあります。その手帳を見ると、3月末まで、つまり日本を発つまでの収入や支出の細かい記録もあるので、日本に暮らしていた頃は、出納の記録を手帳で済ませていたようです。日本でも家計簿を買ってつけた年もあるのですが、どうやら毎年ではなかったようです。

 教員住宅の家賃や、業者が毎日職場に運んでくれた昼食の弁当代などが給料から天引きなので、日常の細々とした出費の記録になっています。イタリアでは、国民健康保険に加入していれば、かかりつけ医の診療は無料で、公立病院での診療も自己負担金を払い、薬を買うだけです。けれども、このページに記入された日本の診療費と薬代が安いので、薬代も考えると、結局はイタリアに暮らす今の方が、医療費をかなり払っている気がします。ウンブリアは他州に比べて薬が高いことを最近の新聞記事で知りました。しかも、わたしが花粉症や関節症、風邪などに使う薬草を成分とした商品も、飛蚊症対策にと目医者さんが処方してくれたコラーゲンなどの栄養補助剤も、値段が高く、長く使う必要があるのに、税金控除ができないので、踏んだり蹴ったりです。

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 収入の一切ない留学生としては、出費をきちんと管理したいという思いがあってのことでしょう。2003年末までは、上の大学ノートに、出納の記録を続け、2004年と2005年は、こういうちゃんとした家計簿を買って、2年間、ていねいに記録ができています。

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 日本語でつけたり、イタリア語で記録したり、まちまちなのがおもしろいです。

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 こういう市販の家計簿のありがたいところは、週間・月間、そして年間の収支が一覧できるので、出費の傾向や概要がつかみやすいことです。共同アパートに他の女性たちと暮らし、一人部屋を借りて住んでいたのですが、7月末に引っ越すまでは家賃が月250ユーロ、8月以降は月155ユーロとなっています。ただ、電話代や階段の掃除代、暖房費などの光熱費・共用費は、家賃とは別に払う必要がありました。月155ユーロの家は家賃は安いのですが、家が中心街からも外国人大学からも遠く、歩いて40分かかった上に、下階に住むのが、大家である肉屋さんで、夜眠るときに、肉屋の巨大な冷蔵庫の音や車の音がうるさかったり、部屋のよろい戸が壊れていたりするという問題がありました。結局のちに引っ越すことを決めたあと、光熱費・共用費にと、余分にかなりのお金を置いておいたら、後から来たという住人に使い込まれて、取り戻すことができなかったということもありました。

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 2005年秋には、ペルージャ外国人大学で、外国人へのイタリア語教育の学士取得課程を卒業すると同時に、日本語・日本文学の担当講師として、勤めることになりました。夫が卒業祝いにと贈ってくれたパンテッレリーア島への旅行から帰ってから、二人での生活が始まったのですが、最初のうちは、わたしと夫がそれぞれ必要なものを必要なときに購入して、後で二人がそれぞれ同じ金額を払うことになるように、時々調整をしていました。たとえば、この週だと、夫の方がわたしよりも27.61ユーロ多く支払っているので、わたしがその半分を夫に渡して、調整するという形です。

 ただ、これでは出納の記録が大変なこともあり、結局は、今もこうしているのですが、基本的には、わたしが日々の食料や暮らしに必要なものを購入し、夫がガス代や電気代、外食費などを払い、それぞれの家族への贈り物や自分の衣料などはそれぞれが支払うという形で、落ち着きました。家賃は幸い、義父母の持ち家なので払う必要がなく、月々支払う金額は、夫の方が多い傾向があるのですが、家事はわたしにかかる負担が圧倒的に多いので、大体こんなものではないかと思っています。ただ、これでは、夫婦二人で、家計全体で、いったい支出がどこに偏りすぎていて、どこで節約できるかが分からないため、数年前から夫には、二人でお金を毎月いくらか家計に入れるようにして、わたしがそれを管理するとは申し出ているのですが、イタリアでは奥さんが家計を握るという慣習がないからか、自分の給料は自分が管理するのに慣れているからか、夫からはやんわりと断られています。

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 ちなみに家計簿は、年末年始に日本にいないと、イタリアからでは高い送料や関税を払わないと購入できないため、2006年からは、再びノートに、出納の記録をつけることになりました。

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 イタリアで家計簿に似たものが何か売っていないかと、こんなものを見つけて、出納帳に使ってみたのですが、長続きしませんでした。

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 昨年は、イタリア旅行中に、わたしを訪ねて来てくださった杏さんに、何かほしいものがあればと聞かれて、インターネットで調べて、この家計簿がよさそうだと思い、お願いしました。おかげさまで、怠けながら、そうして字が雑な日がありながらも、何とか家計簿をつけることができ、記入をしながら、節約力に関する知恵も学べました。ただ、使った金額の合計を書く欄はあっても、日ごと週ごとに、収支を記録して、合っているかどうかを確かめる欄がないのが残念です。

 「節約力を磨くために押さえておくべき金額!!」として、一人当たりの衣服代の1か月の平均額が約4000円とあり、わたしはそれを見て、もっとおしゃれにお金をかけなければ、投資しなければいけないなと思いました。

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 今年、2013年は、出費を、手帳の脇に書き込んだり、再びこの書きづらい出納帳(6.50ユーロもしたんです!)に記入したり、しなかったりしています。最初から、家計簿として販売されているものを利用した方が、記入もしやすいし、記入する気持ちと習慣も長続きし、さらに、月間・年間の出費が把握しやすいので、来年用には再び、きちんとした家計簿を購入することに決めました。

 たくさん出ている家計簿の中から、わたしが今回選んだのは、冒頭に写真を掲げている2014年 らくちん袋分け いきいき家計簿です。

 袋分けそのものは必要を感じていないし、使うつもりもないのですが、わたしにとって決め手になったのは、次の三点です。

・表紙がきれい、あるいはかわいらしくて、毎日手に取るのがうれしくなるようなものであること、

・支出を、わたしが必要だと考えるだけの項目に分けて、記入できること、
(たとえば、教育・衣類・医療などにどれだけお金をかけているかが把握したいので、食費とその他に分けるだけの家計簿では、わたしの役には立ちません。)

・日々の支出をさっと一覧できること。

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 今回購入した家計簿は、これまで購入した市販の家計簿同様に、項目が細かく分かれていますが、記録の仕方は、わたしがノートや出納帳にしていたのと同じで、支出があるたびに、前回の支出のすぐ下に、それを書き込めるようになっています。

 上でご紹介した猫の家計簿も、家計ノートも、見開き2ページを1週間で割って、1週間の出納の記録ができるようになっています。何か買った日に、その日の日づけを探して記入するには楽だし、書く欄も大きくて書きやすく見やすいので、これまではずっとこの手の家計簿を利用していたのですが、こういう家計簿では、たとえば1週間に1度しか買い物をしないときでも、それで2ページ使ってしまいます。そのため、月ごとの出費を振り返りたいときに、何ページもページをめくって、各週にばらばらに記載された項目を見て、さらにそれを頭の中で統合しなければいけないので、めんどうです。

 それが、こんなふうに、支出があったときだけに、細かい項目別に書き込めるようになっていると、見開き2ページを見ただけで、支出や内訳を概観することができます。それに、家計簿というと怠けやすいわたしとしては、こんなふうに、一度記入をし忘れると、後からの記入に困る方が、家計簿をきちんとつけ続ける勢いを与えてくれそうです。シールがほしくて選んだわけではありませんが、絵もかわいらしく、色彩豊かなシールがたくさんついていて、貼ったり、家計簿をつけたりするのが、楽しくなりそうです。

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 もう一つ、これはいいなと思ったのは、毎月月初めにある、この右のページです。体重や血圧などを毎日記録する欄があります。わたしは毎日、体重やフランス語の学習時間を手帳のその日のところに記入し、フランス語の学習時間については、毎週月曜日に、前週の学習時間を、手帳の年間予定表に書き移し、その週の合計時間とそれまでの累計学習時間を出すようにしています。(最近は、勉強も書き移すのも合計を出すのも怠けています。)それが、この家計簿を使えば、毎日の体重をここに書きながら、その月の体重の変化も把握することができます。わたしは今のところは血圧には問題がないのですが、コロンの印も間にあることですし、血圧の欄は、フランス語の毎日の学習時間を記入するのにうってつけです。右側には他にも三つ欄があるので、たとえば、エゴスキューの体操をきちんとできたかどうかなど、毎日するべきことが、きちんとできたかどうかを記入し、振り返ることができます。そうして、こうして一覧になっていることで、記入をしながら、「食べる量を減らさなければ、運動やフランス語の学習時間を増やさなければ」という反省や意識が、自然に生まれてきそうです。というわけで、今回買ったこちらの家計簿は、本来の家計簿としての役割だけではなく、体重管理・学習管理・健康管理にも大いに役立ってくれそうで、今から使うのが楽しみです。

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 ちなみに、DHLにしつこく食い下がり、アマゾン日本にDHLに厳重に注意してくださいとお願いしたそのおかげか、今回アマゾン日本を利用したときは、支払いに関して、もしこれがこのまま続くのであれば、ありがたい大きな改善がありました。

 家計簿を含む4冊の購入の料金は、注文時にアマゾンのサイトでは、
(商品3682円+配送料・手数料2600円+輸入税等前払金251円)
の合計6533円となっていて、これまでにはなかった「輸入税等前払い金」とは何だろうといぶかりました。関税は、どうせイタリア国内で配送を担当するDHLが代わりに支払い、イタリアで小包を受け取る際に、DHLが更正していれば本代と送料の合計料金の4パーセント、懲りずに間違いを続けていれば20パーセント強の関税に加えて、通関手数料を支払わなければいけないのにと思ったからです。(下記リンク参照)それでも、数年前に比べると、配送料・手数料がかなり安くなっている上、251円という金額はそれほど高くもないし、後で戻ってくるだろうからいいかと考えて、そのまま注文しました。

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 そうして、小包を受け取ったときのことです。まずは、書籍に対する関税の税率が、本来あるべき4パーセントであることを確認して、ほっとしました。アマゾン日本に、メールを通じて、「残念ながら、イタリア企業にはありがちなのですが、消費者の訴えは通じにくく、仕事を依頼されている貴社からの言葉の方が、体質改善および今後の過失を防ぐのに役立つように思」いますので、「貴社の方から、DHLの方に、この件について、二度と同じようなことが起こらぬように言っていただけると幸いです」とお願いしたかいがありました。でも、改善は、単に配送業者の間違いが正されただけではなかったのです。

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 「手数料徴収すべからず」とでかでかと印刷された紙が箱に添えられていて(赤い文字は、わたしが意訳として書き添えたものです)、紙に印刷されたとおり、関税も手数料も、配達人にはいっさい支払わずに、注文していた本を受け取ることができたのです。

 今までであれば、4パーセントの税、1.86ユーロと通関手数料である7.75ユーロの合計料金を、イタリアで小包を受け取る際に払わなければいけなかったところを、サイトでの注文の際に、1.86ユーロに該当するであろう251円を支払っただけで、受け取りの際には、何も支払う必要がなかったのです。これまではローマ経由で届いていた小包が、今回は初めてミラノ経由で来たようなので、一瞬そのせいかとも思ったのですが、関税の支払いがすでに注文の際に請求されたというところにも、変化があります。

 というわけで、今後は本の関税は、アマゾン日本に注文する際に、正しい税金だけを支払うことになり、イタリアで受け取る際には、通関手数料も関税も払う必要がなくなったのではないかと思います。DHLとアマゾンが、迷惑をかけたおわびにと、今回だけわたしには通関手数料を請求しないことにしたという可能性もないことはないので、最近、アマゾン日本から海外で本を取り寄せて、関税の扱いに変化、改善が見られたという方が他にもいらしたら、教えていただけると幸いです。

Un Libro per tenere i Conti di Casa nel 2014
l'ho ordinato dal Giappone, dove si trovano tanti tipi diversi.

In passato ho provato ad usare anche un quaderno o un'agenda,
ma il libro fatto apposta mi aiuta a tenere i conti meglio e riflettere
sulle spese fatte. Il problema sarebbe il fatto che
a volte le spese le faccio io ma altre volte mio marito.
Quindi in realtà nel libro scrivo solo la metà dei conti di casa e
poi sono mischiati con le mie spese personali...

*追記(1月4日)
 フランス版、スペイン語版の家計簿もあることを発見しました。アマゾンイタリア・フランスはもちろん、どちらもアマゾン日本でも購入可能です。詳しくは下記リンク参照。

 Esistono i Kakebo anche in francese e in spagnolo! (↓↓) Ho pensato quasi a creare una versione in italiano, ma quanti italiani saranno disposti a tenere i conti di casa?

- フランス版家計簿、スペイン語版も発見! / Kakebo in francese e in spagnolo (3/1/2013)

リンク
- 2014年 らくちん袋分け いきいき家計簿
- 奪回! 超過関税、アマゾン・DHS

Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2013-12-27 23:59 | Ricordi | Trackback | Comments(6)

わたしとイタリア語、思い出の学校2

 わたしがイタリア語を勉強し始めたのは1999年8月ですが、当時住んでいた小さい町には、NHKラジオの電波も届かず、松山にさえイタリア語を教える学校はないという状況だったため、まずは入門書や練習問題集をそろえ、イタリア語の勉強を始めました。並行して、イタリア語を学習するきっかけとなった、ダブリンの英語学校で出会った友人たちが勧めてくれた歌手のCDを購入して聞いたり、テレビのイタリア語講座を見たりもしていました。ただ、仕事が忙しい中での、あまり仲間のいない独学は、つい怠ける方に傾きがちになるため、途中から、文法と作文・翻訳添削中心の通信講座を始めました。料金がひどく高いわりに、提供している学習内容は今ひとつだったように感じているので、名前はご紹介しません。ただ、初級については、毎月何かの文法項目について学習し、それについて課題に答えて送付し、添削を受けるという形だったおかげで、毎月、手持ちの学習書の中の、該当する課をきちんと勉強するという学習のリズムを作ってくれました。翻訳・作文が中心だったように覚えている上級講座までは、日本からイタリアに向けて出発する時点ですでに修了していました。並行して、実際に出会った、あるいはオンラインで知り合ったイタリアの友人たちと、イタリア語でメールを交わしたり、イタリア語の音声CDつき雑誌を講読したり、イタリア語の本を取り寄せて読んだり、歌や映画を通してイタリア語に触れたりもしていました。

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Città di Urbania vista da Peglio 27/8/2011

 退職して、2002年4月からイタリアで語学留学をすることを決心してからは、どこで勉強するのがいいだろうかと、本やインターネットで調べ、京都で開かれた留学説明会に、はるばる愛媛から参加しました。結果として、まずは地方の小さい私立の語学学校で、村の人と交流しながらイタリア語で聞き、話す力を身につけ、それから、ペルージャの外国人大学で、イタリア語やイタリア文化について、より深く学ぼうと考えました。今振り返って、いい選択をしたなと感じています。マルケの小さな村、ウルバーニアでは、数か月過ごすと、近所の人や見知らぬお年寄りが、声をかけてくれたり、食事に招待してくれたりして、学校で出会った世界各国からの友人だけでなく、イタリア語で話す機会が多く、地元の方と交流をすることもできました。大切な友人たちにも出会うことができました。

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 わたしが通ったのはこちら、Centro Studi Italianiという学校です。先生が熱心で親切で、とにかく話す機会を設けよう、いろいろとわたしたちに興味があることを教えようとしてくださいました。冒頭の写真でお分かりのように四方を山に囲まれていて、交通の便がそれほどいいわけではありませんが、すぐ近くにあるウルビーノを始め、フィレンツェやサン・マリーノなど、学校でいろいろと、小旅行を計画してくれました。オペラ歌手志望者たちが学ぶアメリカの大学との提携もあって、夏にはこうした学生たちが多数押し寄せ、毎週イタリア語の歌のコンサートがあったり、村の劇場で、学生たちによるオペラの上演があったりもして、楽しかったです。

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Con amici di Urbania 26/8/2011

 日本でしっかり勉強していたおかげで、最初から上級クラスに入ることができました。授業の理解には問題がありませんでしたが、しばらくは、言いたいことがあったときに、言いたいことがすぐに言葉として出てこなくて、もどかしい思いをしました。もともと日本で国語を教えていて、正しくきちんと話さなければいけないという意識が強かったためでもあるのでしょうが、当時の友人たちにも、「イタリア語を上手に話すけれど、ゆっくりゆっくり話をするね。」と言われました。外国語学習は車の運転を学ぶのに似ています。いくら車のしくみや交通規則を習っても、実際に自分で車を運転し、さらに運転に慣れてからでないと、いちいち考えずにさっと運転ができるようにはなりません。外国語も、文法や語彙をいくら知っていても、実際に使う機会がなければ、頭のどこかには存在する知識が、さっと口から出てくるようにはなりません。小さな村で親切な村人たちと、そして、学校が小さいので、授業中も授業の後も、イタリア語で何かと話す機会を持てたおかげで、ウルバーニアでは、日本でわたしに欠けていた路上教習、コミュニケーション実践を積むことができました。

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Cena @ Casa della Tintoria, Urbania 26/8/2011

 春先の人数が少ないときには、文法の授業では、発言の機会が多く、先生がきめ細かく指導してくれるという利点があり、上級クラスであった上に、英語圏ではないヨーロッパ諸国からの留学生も多かったので、幸い授業以外の場でも、友人たちとはイタリア語で話すことができました。ただ、すぐ近い国から来るこうした留学生は、2週間、1か月と、わずかな期間滞在しては、自国に戻る傾向があって、親しくなったと思ったらさよなら、そして、生徒がしばしば変わるので、遠過去や接続法など、授業内容も、同じことを学び直すこともまれではなく、留学期間が終わる半年後には少々退屈に感じることもありました。

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Con lo chef 26/8/2011

 午後には、イタリア語会話や美術、歴史、文学などの授業がありました。美術の授業では、ウルビーノの美術作品について詳しく学んだ後、ウルビーノへの学校からの小旅行があって、授業も旅行もとても興味深かったです。文学は、後でペルージャ外国人大学で受けた、内容が濃く、しかもおもしろい授業に比べると、まだ大学生だった、校長の娘さんの授業だったこともあり、もっと工夫できたのではないかと思います。ある作家の作品を、作者や作品解説を読んだあと、ひたすら読み続けるという感じだったのですが、それでも、いろいろな文学作品に接する機会を持つことができました。歴史の授業は、おもしろいこともあった一方、オーストリアからの留学生が憤慨するほど、歴史をイタリア寄りにゆがめて説明するなど、主観的になりすぎることもありました。これも、ペルージャ外国人大学のイタリアの歴史の授業を受けて、そのときに、学問的根拠があり、かつ客観的でおもしろい歴史の授業とはこういうものなのだと、感心しました。小さい学校でありながら、イタリア語だけではなく、イタリアの美術や歴史の授業があるのが、わたしがこの学校を選んだ理由の一つなのですが、美術の授業をのぞいては、こういう文化の授業の講師の資格に問題があった気がします。というわけで、話す機会を多く持てたという点には感謝しているものの、イタリア語やイタリア文化について、本当に系統だった学習を、しかも深くできたのは、やはりペルージャ外国人大学の講座でだったと思います。

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Il Mattarello, Urbania 26/8/2013

 お金を別に払って、当時は存在していたイタリア料理のコースにもしばらく通いました。イタリアやマルケの料理について、単に作り方だけではなく、文化や歴史も学ぶことができて、さらに、おいしくて、それほど手間はかかなない料理をいろいろと教えてもらって、とても参考になったし、何より楽しかったです。この授業を教えてくれた先生、フランチェスカは、実はわたしの親しい友人のいとこです。今も村で、家族と共に、手作りのパスタやピザなどを作って、店で売っているため、ウルバーニアを訪ねたときには、あいさつがてら訪問して、とびきりおいしいおみやげやおやつを、いくつか購入しています。

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 おととしの話ですが、この虹色のピザを夫へのおみやげにと購入したのですが、野菜たっぷりで彩りがきれいで、しかも、それはそれはおいしかったので、夫も感激して、どうやって作ったのだろうと、食べながら生地を見て研究していました。

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Palazzo Ducale e Museo Civico, Urbania

 滞在で一番わたしにとって問題だったのは、ホームステイ先です。受け入れ先の家族との交流や会話を期待していたのに、わたしが当たった家は、経済的な理由だけで留学生を受け入れていて、夕食も頼んであったのに、家族はすでに先に食べてしまったあと、わたしだけ一人で、冷たくなった食事を食べなければなりませんでした。洗濯も、それは考えたらそういうものかもしれませんが、7ユーロだか8ユーロだかお金を払って頼まなければいけませんでした。他の友人たちは、いつも夕食を一緒に食べて、遅くまで話をしたり、日曜に一緒に出かけたり、支払ってはいないのに昼食にも招待されたりと、面倒みのいい家庭に当たった人も多いようで、そういう話を聞くたびに、悲しくなりました。幸い、途中で学校側に相談して、ステイ先を交換してもらい、今度は温かく、かつ国際交流に関心のある家庭で過ごすことができましたし、その頃にはすでに、ウルバーニアに家族ぐるみで親しくなった友人ができたり、知り合いのお年寄りがたくさんいたりして、しばしばそういうお宅でごちそうになり、また、一緒に過ごしたりしていました。

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 ホームステイにはあたりはずれがあるし、合併授業や授業のレベルの問題も、小さい村の小さい学校では仕方ない点もあるのではないかと思います。外国人大学の上級コースの授業は、留学生の大半が、少なくとも講座が続く半年はしっかり勉強しようと考えて来ているのですから、しっかりした授業編成や計画ができるのは、当然と言えば当然でもあります。2002年4月から9月末に外国人大学に入学するまで、半年間学んだ学校は、いろいろあったけれども結果として、いい思い出・学び・交流の機会をたくさん与えてくれました。村の人も温かく、村は空気も眺めも治安もよくて、わたしがイタリアで暮らし始めた最初の半年を、そういう村で過ごすことができたのも、この学校のおかげだと、いろいろな意味で感謝しています。

Ricordi di Urbania e della scuola, Centro Studi Italiani

- Urbania, bellissimo paesino delle Marche dove ho iniziato a vivere
in Italia, gente e amici gentili, accoglienti e simpatici.

- Centro Studi Italiani, molto bei ricordi delle lezioni, tempo trascorso con gli amici, escursioni, concerti & teatro. Insegnanti bravissimi e disponibili.

- Tutto buono @ negozio, Il Mattarello. Bella e ottima la pizza arcobaleno. Anche qui ricordi della scuola, ho imparato nel corso di cucina italiana da Francesca.

- Piatti squisiti e belli da vedere, decorati dai fiori @ Casa della Tintoria.

Sì, ad Urbania ci si mangia anche bene!

LINK
- Urbania l’antica Casteldurante - HOME
- Centro Studi Italiani – Italian school of Italian launguage and culture for international students (In italiano)
- Centro Studi Italiani – Italian school of Italian launguage and culture for international students (In English)
- Casa Tintoria - Cucina
- mestieriartigiani.com – Il Mattarello. Alta gastronomia tipica del territorio

関連記事へのリンク
- 思い出の学校1 (2/12/2011)
- 指輪の行方 (21/4/2012)
- ルパンと里帰り (16/9/2012)
- 悲しい帰郷 (11/4/2013)
- 「直子の訪伊日記Ⅰ 出発編」 (3/4/2013)
- イタリア語のTPO (19/11/2012)

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by milletti_naoko | 2013-12-13 19:20 | Ricordi | Trackback | Comments(13)

悲しい帰郷

 昨日、4月10日水曜日は、久しぶりにウルバーニアを訪ねました。

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Palazzo Ducale, Urbania 10/4/2013

 「帰りました」と、「帰る」という動詞を使いたい思いに駆られるのは、わたしが11年前にイタリアで暮らし始めた最初の地であり、かつ、イタリアの家族と呼べるような友人家族に温かく迎えてもらった、うれしい思い出のある場所だからです。

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 ただ、昨日突然ウルバーニアに帰ったのは、その大切な友人のお母さんの訃報を知ったからでした。夫が、職場から昼食時には帰宅して、君に同行するよと言ってはくれたのですが、それでは葬儀の開始時刻に間に合わない可能性が高いので、迷った挙句、一人で車を運転して行きました。片道2時間の道のりは長いのですが、幸い天気はよく、白や黄色、桃色のきれいな花たちが、緑の野山を彩っていました。

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 何かできるわけではないし、気の利いた言葉が言えるわけでは決してないけれど、前にするだれをも優しく包み込むような、病気や苦難に遭いながら、そして、いつも笑顔で働いていた、友人のすてきなお母さんに、最後のあいさつを、皆と一緒することができました。

Ieri sono tornata ad Urbania, purtroppo per dare l’ultimo saluto alla mamma di una carissima amica.

Era una persona davvero speciale, come descriveva ieri il sacerdote, ‘coraggiosa nei dolori e affettuosa, si dedicava sempre ai familiari, agli altri con tanto amore’.

関連記事へのリンク
- 思い出の学校1 (2/12/2011)
- 指輪の行方 (21/4/2012)
↑↑ ウルバーニアに滞在中、最初のホームステイ先ははずれだったけれど、温かい村の人や友人のおかげで楽しく過ごせたという話。
- 薬が効きすぎ (30/11/2011)
- ルパンと里帰り (16/9/2012)
- イタリア語のTPO (19/11/2012)
- 「直子の訪伊日記Ⅰ 出発編」 (3/4/2013)

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by milletti_naoko | 2013-04-11 21:39 | Ricordi | Trackback | Comments(4)

「直子の訪伊日記Ⅰ 出発編」

 1年間イタリアに語学留学をしようと、退職し、日本を発って、わたしがイタリアで暮らし始めたのは、2002年4月3日。今からちょうど11年前のことです。数か月前、片づけをしていたら、こんな懐かしいものが出てきました。

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 受け持っていたクラスの生徒たちに、「こういう理由でイタリア留学を決めて、こんなふうに1年を過ごそうと考えているんですよ。」と伝えるために書き、

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 離任式の日に皆に贈った、このクラスの思い出集に、綴じ込みました。

 「直子の訪伊日記Ⅰ 出発編」

 1年の予定が、11年経った今も、イタリアに住んでいるため、結局「Ⅰ 出発編」で終わってしまったのですが、今日は、自分自身があの頃を振り返るために、そして、どなたかの参考になればと思って、この訪伊日記に書いてあることをご紹介します。

イタリア
 1999年の夏休みに、アイルランドで共に過ごしたイタリア人のクラスメートたちの温かさと陽気さ、人生を楽しもうとする姿勢に魅かれたのが、イタリア語学習のきっかけです。
言葉や文通、実際の旅を通して、その文化に触れるにつれ、行って学んでみたいというあこがれが、どんどん深くなりました。また、自分が言葉や古い文学、いろんな人との交流に強い関心を持っていることに気づきました。
 生徒や先生方と共に学ぶのも楽しく充実していたのですが、自分の興味と力が最も向いている方向で、精一杯学んでみたい気持ちが、だんだん大きくなりました。

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<今後の予定>
2002年
4月 3日 松山 → 関空 → ミラノ
      4/4、4/5は、「こころ」や「山月記」、「人間失格」の愛読者であるイタリア人
      の友人に、ミラノの町を案内してもらいます。
4月 6日 ミラノ → ウルバニア
4月 8日 ウルバニアの私立語学学校、Centro Studi Italiani
  │   (チェントロ ストゥーディ イタリアーニ)で学ぶ
9月21日
      ホームステイ先
      (プライバシー保護のため省略)

10月1日  ペルージャ外国人大学のイタリア語イタリア文化コースで学ぶ
  │
2003年
3月31日

 就学ビザが最長1年間、2003年4月2日までなので、4月に帰国する予定です。もしイタリアの大学に正規あるいは単科留学したい場合には、東京のイタリア大使館で4月~7月にかけて申請の手続きなどを行わなければなりませんし。

ウルバニア
 Centro Studi Italianiを選んだ理由は、
1.言葉とともに文化に関する授業(イタリア文学、イタリアの経済など)が学べること、
2.人情が温かく治安のよい小さな小さな町にあること、
3.ホームページや英独米の提携校から、先生方が熱心ですばらしいことがわかること……です。

ペルージャ
ペルージャ外国人大学は数千人の外国人が学ぶところです。文化を深く学べることにくわえて、いろんな国から来た人たちと共に学ぶことができるのもとても楽しみです。「イタリア語イタリア文化プロモーション学科」、「国際コミュニケーション学科」などの学位取得課程も気になります。

 1月末に通信教育の「イタリア語上級」を終えたのですが、読み書きはともかく「聞くこと、話すこと」はまだまだなので、まずは向こうで言葉をしっかり身につけモノにしたいと思います。
 1年間を通して、イタリア語イタリア文化のさまざまな側面を学んだあとで、イタリアの大学で、あるいは日本の大学院で学ぶか、仕事をするか考えたいと思います。

これから
 日本の古典の世界(とくに平安時代)を向こうの人に知ってもらい、日本の人には、日本人は知らないけれど、すばらしい伊文学の作品を紹介するようなことができたら…という漠然とした希望はあるのですが。お世話になっているすてきな先生方、それではArrivederci!(またお会いしましょう)

TOSHIBA Dynabook M3/275PRH
 イタリアで日本の情報を手に入れたり、日本の人と日本語でメールをやりとりしたりできるように、世界保証のあるこのノートパソコンを購入しました。メールアドレスがあったら教えてくださいませ。


 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 以上です。

 今、書き写していて、どうやら、クラスの生徒だけではなく、上司・同僚の先生方にも、職員室のレターケースにでも入れて、あいさつに代えていたようだという気がしてきましたが、記憶はさだかではありません。

 旅立つ前の予定はこうだったけれど、実際に留学してみたら、どうだったのか。これまでにも、いろいろな記事に少し触れてはいるのですが、今後は、当時の留学生活やイタリア語・イタリア語文化の講座などについても、意図的に、少しずつ書いておきたいと考えています。

3/4/2013 - Sono passati undici anni da quando ho cominciato a vivere in Italia!

- Qualche mese fa ho trovato una mia lettera. Fino al marzo 2002 ho lavorato come insegnante nella scuola superiore e la lettera era indirizzata agli studenti della mia classe e ai miei colleghi.

- "Mi piacerebbe far conoscere la letteratura classica del Giappone agli italiani e insegnare ai giapponesi le opere letterarie dell'Italia"; alcuni di questi desideri si sono esauditi in qualche modo, ma vorrei provare ancora di più!

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- Un po' per festeggiare questo anniversario, finalmente abbiamo mangiato (e per farlo prima abbiamo spezzato) il bellissimo uovo di Pasqua; è anche molto buono!

関連記事へのリンク / Link agli articoli correlati
- あれから10年 / Dopo 10 anni (4/4/2012)
- 思い出の学校1 / Scuola di Urbania (2/12/2011)
- 滞在許可証3+仕事の現状と抱負 / Università per Stranieri di Perugia (21/11/2010)
- 重要3000語で95% / Lezioni di italiano (3/12/2012)

Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2013-04-03 23:23 | Ricordi | Trackback | Comments(12)

指輪の行方

 わたしが語学学校の留学生として、初めてイタリアに暮らし始めたのは、2002年4月。その年の復活祭をどう過ごしたか、まったく記憶にないので、今確認したら、2002年のカトリック教の復活祭は3月31日なので、すでに終わっていたのでした。

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Urbania, Marche 27/8/2011

 マルケの小さな村で、最初にホームステイした家は、経済的理由のためだけに、留学生を受け入れているという感じでした。朝食・夕食込みのホームステイだったのに、なぜか夕食は、わたし一人が食卓につき、ステイ先の老夫婦に「食べなさい」(Mangia!)と言われながら、それほどおいしくはない大量の食事を無理して食べることが多かったように覚えています。学校の友達から、ステイ先の一家が「家族のように接してくれる」という話を聞いて、うらやましかったこと、そして、かつてわたしと同じ家に滞在したことのある日本人女性から、「あの家はね」と言われて、「ああ、やはりこの家では留学生の扱いがひどいのだ」と悲しく思ったのも、記憶しています。

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Urbania, Marche 27/8/2011

 ウルバーニアの名誉のために言っておくと、村には、老若男女に関わらず、心の優しい人が大勢います。学校から家に帰るまでの短い距離の間に、いろんな人に話しかけられて、おしゃべりをしていたら、結局帰るのが遅くなったり、独り暮らしのおばあさんや老夫婦から食事に誘われて、そのまま残って夕食をいただいたりすることも、よくありました。

 夕食をよそでいただいたのは、数か月後に、学校に頼んで、他の家での朝食だけのホームステイに変えてもらってからです。新しいホームステイ先の主人からは、わたしがよくお年寄りの家を訪ねたり、食事に誘われたりするので、「新手の高齢者訪問ボランティアかい」とからかわれました。自分より少し年上の女友達もできて、食事や休暇を彼女の家族と共にすることも多く、睡眠時間を除けば、ホームステイ先よりも、長く入り浸っていたような気がします。

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Urbania, Marche 27/8/2011

 閑話休題。留学を始めたばかりの頃の復活祭は覚えていないのに、なぜかその1年前に起こったはずの、復活祭関連のテレビニュースを、わたしはよく覚えているのです。1年経っても、珍しいニュースで、話題性があったので、繰り返し伝えられたのでしょうか。あまりにもよく見聞きしたので、最近でも、その事件のその後が、時々気になっていました。

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 それは次のニュースです。

- Corriere della Sera – Anello di diamanti nell’uovo Ma lei non lo sa e lo cambia (15/4/2001)

 イタリアでは、復活祭の贈り物になる大きなチョコレート卵の中に、びっくりプレゼントが隠れています。2001年4月、とある男性が、恋人に婚約指輪を贈るのに、この復活祭の卵の中に入れて、びっくりさせようと考えました。このとき、受け取った女性が、その卵を開けていれば、うれしい驚きの声を上げたことと思います。それが、彼女は、その卵に使われているチョコレートは、自分の好みに合わないからと、恋人が卵を買った店まで持っていって、他の卵と交換してしまったのです。高価なダイアモンドの指輪は見つからず、激しいケンカになって、男性が手をあげ、彼女は告発すると息巻いて…… (上の写真は、今年わたしが受け取った卵です。)

 結局、その婚約指輪は見つかったのかしら、二人の恋の行方はと、復活祭が来るたびに、思い出しては気になっていました。今日思いついて、この指輪と恋人たちのその後を、インターネットで調べてみました。「指輪が見つかった」という記事は見当たらないので、結局指輪は、誰かが自分の手中に収めてしまったのではないかと思います。二人のその後については、上の記事の翌日に出た、次の記事に書かれていました。

- Quotidiano.net – italianews – Caccia all’uovo di Pasqua: un nuovo anello riporta la pace fra i fidanzati. Non hanno trovato ancora il simbolo milionario del loro amore, smarrito dentro un uovo pasquale del quale si sono perse le tracce. Dopo l’annuncio di querela la coppia di Perugia ha fatto pace e ha deciso di partire per una vacanza (16/4/2001)

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Perugia 11/1/2012

 記事を読んでみて、この恋人たちが、なんとペルージャに住んでいたことが分かりました。指輪の行方は分からないものの、結局、男性は新しい指輪を買って、今度は直接彼女に贈り、無事に仲直りをしたとのことです。

 こちらでは、お金や貴重品が落ちているのを見つけると、「警察に届けよう」と思うより、「運がいい」と考えて懐にしまいこむ人も多いようです。そういうわけで、元の指輪は、幸運が舞い込んだと思う誰かのものに、なってしまったかもしれません。どうも指輪は見つからなかったようだけれども、二人が仲直りしてよかったと、10年以上も前に解決した事件の結末を、今さら知ってほっとしているわたしです。

関連記事へのリンク
- あれから10年 (4/4/2012)
- 薬が効きすぎ (30/11/2011)
- 思い出の学校1 (2/12/2012)
- 殻をやぶれば (8/4/2012、復活祭のチョコレート卵の中には)

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by milletti_naoko | 2012-04-21 16:04 | Ricordi | Trackback | Comments(8)

あれから10年

 2002年4月3日。愛媛県立高校で、12年間国語を教えたわたしは、同年3月31日づけで退職し、4月3日に日本からイタリアへと旅立ちました。

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 3月29日、学校全体の離任式のあとで、担任していたHRの教室に入ると、きれいな花束と共に、教え子たちが、心のこもった言葉と写真でいっぱいの色紙と、

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ルーズリーフに、一人1枚ずつ、温かい言葉でつづった手紙をまとめたファイルを、贈ってくれました。当時の手帳に、こんなふうに書いてあります。

「22R教室では、生徒たちが心づくしのお礼の会を開いてくれて、うれしくて感激した。たくさんの花束に、写真いっぱいの色紙。一人一枚の個性豊かなメッセージまで…… 彼らに出会えたことに心から感謝。」

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 カラーをいっぱいに使い、写真や絵を添えて、小さな字でびっしり書いてくれた女子生徒たち。

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 そして、色紙にも、ファイルにも、主に鉛筆を使って、書き慣れないメッセージを、一生懸命に考えてつづってくれた男子生徒たち。

・僕も先生に負けないように絶対に夢を手に入れます。これからは夢にむかう”ライバル”です。

・イタリアは日本からかなり距離があるけど、国境を越えて、先生のことを応援しています。僕も、自分の夢に向かってがんばっていくので、先生もいろいろと困難にぶつかるかもしれないけど、くじけず、あきらめず、1日1日を大切にして、ガンバッテください。

・イタリアにいくと聞いたときはびっくりたまげました。3年生になってもまた一緒に勉強できるのかとたのしみにしてたんですけどねー。でも人っていうのは、いくつになっても夢をおいかけないとなー。だから先生がイタリアにいくというのなら、まわりの見る目を気にせず自分の正しい道を進んで下さい。

・先生の好きな国、「イタリア」で好きなことに挑戦し、いろいろなことを学んでください。絶対に辛いことの方が多いと思いますが、自分が好きでやることですから後悔だけはしないでください。ですが、「辛いことが多くなると喜びもまた大きい」っていいますけど。

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 男子15名、女子27名と、女子生徒が圧倒的に多い文型クラスでした。当時のことを思い返して、原点を振り返りたいという気持ちもあり、今日はとりあえず、男子生徒からの手紙を、じっくり読み返しました。

 昨日の晩は、ペルージャで、何年も一緒に日本語を教えた同僚でもある友人と、久しぶりに会って、おしゃべりをし、楽しい一時を過ごしました。わたしはイタリアに暮らして10年、彼女は約11年。異国に住む同胞として、いろいろな苦労も喜びも分かち合える友達と、いろいろ話すことができて、うれしかったです。イタリア在住10年を祝って乾杯し、お互いに、これからのことに思いを馳せました。

 お世話になったいろんな人に、十分にお礼も言えないまま、恩返しできないまま、日本を発ってしまった10年前。日本に残る家族と友人、かつての同僚の先生方。そして、高校生活残り1年を控えた皆と別れて、旅立つことを選んだわたしを、たくさんの笑顔と励ましの言葉で送り出してくれた生徒たち。

 今、あの子たちに、胸を張って出会えるような毎日が送れているかしら? これから少しずつ、女子生徒たちの手紙と色紙の言葉も、じっくり読んでいきたいと思っています。今日はようやく、4鉢のうち、一鉢だけですが、椿のつぼみが開き始めています。

Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2012-04-04 17:45 | Ricordi | Trackback | Comments(17)