カテゴリ:Poesia, Letteratura( 3 )

Buon Natale 2015

Buon Natale a tutti!

「今日は世界に
涙を流す子供が一人もいませんように。
肌の色が白かろうと、黒かろうと、黄色であろうと、
同じように笑顔でいることができますように。
何を命ずることもないそんなこのぼくが
皆さんに何を言わんとするか分かりますか。
こういうすてきなことすべては
容易に実現するでしょう。
わたしたちが互いに助けの手を差しのべあえば、
奇跡は起こるのです。
そうしたら、クリスマスの日が
1年じゅう続くことでしょう。」(ジャンニ・ロダーリの詩から、「 」内は石井訳)

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Presepe del Pakistan @ Mostra dei Presepi del Mondo
Basilica di Santa Maria degli Angeli, Assisi 6/1/2013

“[…] Voglio che oggi non pianga
nel mondo un solo bambino,
che abbiano lo stesso sorriso
il bianco, il moro, il giallino.
Sapete che cosa vi dico
io che non comando niente?
Tutte queste belle cose
accadranno facilmente;
se ci diamo la mano
i miracoli si fanno
e il giorno di Natale
durerà tutto l’anno.”
Dalla poesia, “Lo zampognaro” di Gianni Rodari
(In cima ho tradotto la poesia in giapponese)

クリスマスおめでとうございます。
皆さんにとって、世界じゅうの人々にとって、心安らぐよき日でありますように。

LINK
参照ページ / Riferimenti web
- Filastrocche.it – Lo zampognaro di Gianni Rodari (詩の全文あり)
- ”Lo Zampognaro” di Gianni Rodari letta da Dino Becagli (詩の朗読音声が聴けます) 
関連記事 / Articolo correlato
- どうあろうとも戦争は~ジャンニ・ロダーリの詩、『覚え書き』 / “Promemoria” di Gianni Rodari (18/11/2015)

Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2015-12-24 23:59 | Poesia, Letteratura | Trackback | Comments(14)

覚えるために繰り返す

[…] répéta le petit prince, afin de se souvenir.

 昨晩の記事を書くために、『星の王子さま』の言葉を書き写していたら、「小さい王子は覚えておくために繰り返しました。」というこの言葉が、フランス語の原書ではそっくりそのまま三度繰り返されていることに気がつきました。そして、忘れぬように、「覚えるために繰り返す」ことを表現するその文章がそのまま、「繰り返さ」れていることの妙に感心しました。

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 この部分はイタリア語版では次のように訳されています。

[…] ripeté il piccolo principe, per ricordarselo.
[…] sussurrò il piccolo principe, per ricordarselo.
[…] ripeté il piccolo principe per ricordarselo.

 同じ表現を反復するのはよろしくないという、イタリア語で文章を書くときの規範に影響されてか、この三つの文はそれぞれ微妙に違っています。2文目では「繰り返す」(ripetere)の代わりに、「ささやく」(sussurrare)という動詞を使い、3文目では、上の2文にはあったコンマが姿を消しています。

 これでは、せっかく「繰り返す」という言葉が「繰り返される」という乙な修辞技法や、そっくり同じ言葉を反復することで生まれるリズムや心の奥に響く強さが失われて、なんだか残念です。

 この繰り返しに気づけたのは、手ではなくキーボードを通してですが、自分で本の文字を目で追いながら、文を書き写したからです。お経の書写ではありませんが、いいなと思った言葉を書き写してみると、より心に残り、また、今回のように、何気ない要素が目に留まり、考えを深めるきっかけになるような気がします。ちょうど道を進むのに、車よりも自転車で、自転車よりも徒歩で行った方が、目に入るものも、心を打つものも多いのと同じように。考えたことを、日々のできごとをブログであれ日記であれ、書いて形に残すのも、同じように、自分の思いやできごとをじっくりと見つめ直すきっかけになっているはずです。

 いい言葉を聞いても、すばらしい生き方に触れても、なかなか実践が難しいのは、やはり繰り返し方が足りないのかなという反省もあります。souvenirという言葉は、イタリア語では「おみやげ」という名詞として使われるのですが、フランス語を勉強しているおかげで、この言葉がフランス語からの外来語であることが分かりました。フランス語では、まずは代名動詞、se souvenirが「覚えている、思い出す、忘れないようにする」という意味で使われ、そこから、「思い出、みやげ、記憶」といった名詞としての用法が派生したようです。

 sou(s)- 「下に」+venir「来る」という語構成がおもしろいなと感じていたのですが、今語源を調べてみると、ラテン語のsubvenireから変容したもの(下記リンク参照)とありますから、やはり、この二つの言葉を組み合わせた、元来は「下に来る」という意味を含んだ合成語ではないかと思います。何かを思い出そうとするとき、無意識に人の目は上を向くのだそうですが、このフランス語の「覚えている、思い出す」という言葉も、記憶することが、どこか自分たちの上にあって、そこから自分の頭や心に下りてくるようなイメージが連想されて、おもしろいなと感じました。一方、日本語の「思い出す」という表現にも、思い出すべきことが、何かの中に、記憶の片隅や頭や心のどこかにしまい込まれてしまっているのが、外に出てくるようなイメージがあります。

 覚えておかなければいけないのに、思い出したいのに、ふっと出てこないということはあって、それで、そういう記憶はどこか自分の外、フランス語であれば上、日本語であれば、自分の中の、けれども見つかりにくいところにあるという意識があるから、こういう表現を使うのかしらと、勝手な想像をめぐらせて楽しみました。

 そう言えば、万葉集にこんな歌がありました。

   家にありし櫃に鍵さしをさめてし恋の奴のつかみかかりて   穂積皇子

 苦しい恋の思い出を、家の長びつに厳重に鍵をかけてしまい込んだというのに、恋の奴、それでも時々、自分につかみかかってくるのだ。

 哀しい歌ではありますが、相手に深く恋い焦がれる気持ちがひしひしと伝わってきて、好きな和歌の一つです。

A casa ho trovato una cassa,
dentro ho rinchiuso il fantasma dell’amore
che tuttora mi assale.

- Principe Hozumi (VII-VIII sec.), trad.it Naoko Ishii

In questa poesia raccolta nel “Man'yōshū” è l’amore difficile da dimenticare che è descritto ‘rinchiuso dentro’, ma chissà nel Giappone antico era considerata dentro qualcosa pure la memoria, visto che la parola, omoidasu che significa 'ricordarsi' è composta da omou ‘pensare’ e dasu ‘tirare fuori’ . Invece, forse per i latini e per i francesi la memoria e i ricordi si trovano non ‘dentro’ ma sopra, perché si usano le parole come ‘subvenire’, ‘se souvenir’ che vorrebbero dire ‘venire sotto’. Da qualche parte ho sentito che quando cerchiamo di ricordare qualcosa, i nostri occhi guardano inconsciamente sopra. Sarà perché gli occhi pensino che la mamoria esista sopra e la cerca? Da quando ho trascritto le parole del libro, “Il Piccolo Principe”, la mia immaginazione ha iniziato a girovagare così.

関連記事へのリンク
- Rose (14/12/2013)

参考文献・リンク / Riferimenti bibliografici & web
- Antoine de Sant-Exupéry, “Le Petit Prince”, Folio Junior
- Antonio de Saint-Exupéry, "Il Piccolo Principe" , Bompiani
- Larousse – Dictionnaires de français – souvenir. verbe impersonnel
- Larousse – Dictionnaires de français – souvenir. nom masculin
- 田辺聖子、『文車日記―私の古典散歩』、新潮文庫
- Shuichi Kato, "Letteratura giapponese. Disegno storico", Marsilio

Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2013-12-15 21:17 | Poesia, Letteratura | Trackback | Comments(8)

日暮れはすぐに

  誰しもこの世のただ中にひとり
  一筋の日の光に射抜かれて、
  そうして、すぐに夜となる

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 昨日の夕方、トーディから訪ねてきた義弟の家族といっしょに、温かい紅茶を楽しんでいたら、夕焼けがあまりにもきれいなので、写真に収めました。

 冒頭に掲げたのは、イタリアの詩人、クワジーモドの詩です。(原詩は下注を参照)原詩の持つリズムや多様な解釈の可能性を大切にして、わたしなりに訳してみました。ペルージャ外国人大学の文学の授業で教わった有名な詩で、今も時々心に思い浮かべる、好きな詩のひとつです。昔のノートや教科書を探す手間を惜しんで、今インターネットで調べてみると、この詩は、人間の孤独や、人と人が互いに理解しあうことの難しさ、人生のはかなさを語り、「一筋の日の光」は、人間をさいなむ「幸福をつかめるという幻想」なのだということです。

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 ただ、わたしの中では、いつのまにか、かつて教わったであろうことが、自分なりの解釈に変わり、だれもがこの世で自分の場所を持ち、わずかな間だけれど、自分の道を切り開き、夢に向かう可能性を秘めているんだというふうに、人生を肯定的にとらえたものだと思うようになっていました。2行目冒頭のtrafittoは、「(弓矢や剣などに)に刺し貫かれる、突き通される」という意味でよく使われる単語ですから、この言葉と、作者の作品傾向から、オンラインで見つけたような人生の孤独やはかなさを訴える詩という解釈がされているのでしょう。ただ、わたしの中では、自分勝手に、この「一筋の日の光」(un raggio di sole)を、人の人生を一貫して突き動かす、細いけれども確かに続いていく、希望のような意思のような、志のような、あるいは愛情のような……何か確かなものだと、思うようになっていました。そうして、時々、夫や友人たちと共に、山を歩いていて、「ああ、いつの間にか、もう日が暮れてしまうのだな」と感じたときにも、この詩の最後の1行、「ed è subito sera」が心に思い浮かぶのでした。

 昨日の伯父の葬儀のミサでは、神父さんの説教がとてもすてきで、その説教の中で、「人生のはかなさ」を繰り返し強調していました。「あちこちで死亡広告を見ても、皆、自分が死ぬとは思っていないけれど、死はわたしたち全員に、いつか必ず訪れるのであって、だから、まだ時間があると思わずに、ふだんから神の意にかなった、隣人への愛や思いやりを忘れない生き方をしなければいけないのですよ。」

 「死は遠い先と思っていても、不意にやって来るので、いつ来るか分からないから、常に気をつけて、準備をしておかなければ。」と、ドン・インニャッツィオ。言葉を変えて、何度も注意を呼びかける様子と、その内容が、14世紀の日本に生きた兼好法師が、『徒然草』の中で、繰り返し訴えた内容と、その執拗さに、驚くほどよく似ていました。違うのは、ドン・インニャッツィオはカトリック教徒としての望ましい生き方を、兼好法師は出家を呼びかけていたという点です。

 いつか死に直面したときに、あるいは、いつ死が訪れても、後悔のない生き方ができればと、それがどんなに難しいことであるかを知りつつも、思いました。

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 1年前に読みかけて、最後の部分だけ読み残していたこちらの本を、昨晩ようやく読み終えることができました。題名は、『Dreams from My father』。読書そのものを楽しめた上に、こういう、人の気持ちが分かり、感受性が豊かで教養があり、使命感の強い人が、アメリカの大統領に選ばれたということに、希望を感じました。

この本を読み終えたから、いよいよフランス語の勉強を始めなければ、というところですが、この数日は掃除も洗濯もできなかったので、今日はそちらに取りかかっているところです。まもなく洗濯が終わるでしょうから、そうしたら、2日ぶりに『Zaz』の歌を聞きながら、洗濯物を干すつもりでいます。

下注

Ed è subito sera      Salvatore Quasimodo

Ognuno sta solo sul cuor della terra
trafitto da un raggio di sole:
ed è subito sera


参照リンク
- it.wikipedia – Ed è subito sera
- ItaliaLibri – Ed è subito sera – Salvatore Quasimodo
- it.wikipedia – Salvatore Quasimodo
- Wikipedia -サルヴァトーレ・クァジモド

Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2012-02-09 12:08 | Poesia, Letteratura | Trackback | Comments(4)