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歯医者その3と脱税、差別

 本日を以って、ようやく4週間にわたるイタリアでの歯科通院が、ひとまず終了しました。週に1度、計4回の通院で、費用は合計140ユーロです。興味のある方は、まず、以下の記事をご覧ください。

・「歯医者でびっくり、日伊の違い」(リンクはこちら
・「イタリアの歯医者と保険その2」(リンクはこちら

 以前の記事でも書いたように、通院の原因となった虫歯は1本だったのですが、まず、その治療に2週間かかりました。

 先週の木曜日は、「今日で歯医者通いも終わり」と喜びながら、バスを乗り継いで歯医者にたどり着き、診療室に案内してくれた女性に、「ふつう歯石の除去にはどのくらいかかるんですか。」と尋ねました。なにせ前の週に、1本の虫歯の治療のために1時間口を開け続けなければいかなかったのが辛かったので、もし妙に時間がかかるのであれば、心の準備をするためです。

 「20分くらいですみますよ。」と聞いて、ひと安心。大きな時計が診療台のすぐ前にあるので、診療開始時に大きく口を開きながら、「あと20分の我慢。」としっかり自分に言い聞かせました。

 前回日本に帰ったときには、京都の妹を訪ねたり、夫と共に旅行したりで、歯医者には行きませんでした。というわけで、歯石除去も数年ぶりになります。さらに歯並びがひどく悪いので、女医さんが苦労しながら歯石を除去してくれるのですが、やはり時々痛みます。時計を眺めながら、「あと10分間経てば……」と治療の終わりを心待ちにしました。

 20分のはずが15分ほどで終わったので、すっかり喜んでいたら、「歯茎から血も出ていて、痛むでしょうから、歯石除去は2回に分けてしましょう。来週また来てください。」と言われてしまい、がっかりしました。まあ、あのまま歯石の除去が続いたらそれはそれで拷問が長引いたようで辛かったと思います。

 そして、今日。やはり時々痛みましたが、ようやく2度に分けての歯石除去が終わりました。歯石を取り除いたあとに、何か白い粉のようなものを噴射して、口の中を掃除していたのですが、その主成分は重曹(bicarbonato)だそうです。皿洗いや洗濯に重曹を使うと、きれいに仕上がるし、環境にも健康にも優しいということは知っていたのですが、口の中に入れられるくらいだから、やはり毒や害のないものなのだろうと改めて思いました。

 歯医者さんは、「今から重曹で歯を掃除しましょうね。」と言って作業にかかり、掃除が終わったあとで、「重曹で食器や衣類を洗えるのは知っていましたが、歯も洗えるんですか」と聞くと、「ああ、でも重曹だけではなくて、他にもいろいろ入っているんですよ。」と言っていました。

 さて、時が流れるのがひどく遅く感じられた歯石除去のあと、いよいよ代金を支払うときがやってきました。「領収書(ricevuta)はいりますか。」と聞かれましたが、ここで領収書つきとなしとで値段の差がないところが、少しは良心的かと思います。最初から領収書の有無で料金に差を設けて、患者に領収書なしの支払いを暗に強制し、収入と税金をごまかす医者も、少なくないようです。

 これについては、今日の昼、『Le Storie - Diario italiano』という番組でも、脱税がテーマになっていました。「別に人を殺したわけでも暴力をふるったわけでもないし」と脱税しながら平気でいる脱税者の映像を流したあとで、脱税者たち(evasori)にまったく罪の意識がないことに、司会者と知識人たちが憤慨し、「脱税者は詐欺師(truffatori)だ」と言っていましたが、まさにその通り。脱税の規模の大きさも、脱税者に対する処罰がフランスでは非常に厳しいのにイタリアでは甘いことも詳しく語っていて、興味深い内容でした。イタリア在住の方は、1週間以内であれば、RAIのホームページで、今日の放送分をご覧になれます。リンク先は以下のとおりです。

 Le Storie – Diario italiano, 2010-09-29
(録画された番組放送の前に、コマーシャルが30秒ほど入っています。)

 この放送の冒頭部では、昨晩イタリアのニュースで取り上げられていた、自国に働きに来るイタリア人をネズミとして描いたスイスの問題映像が流れています。スイスにせよイタリアにせよ、移民なしでは経済自体が成り立たないのに、移民を一括りに差別・侮蔑する傾向があり、自分たちが侮蔑されたことを通して、せめて、「移民や外国人に対する自分たちの態度が問題だった」と思うイタリアの政治家や市民が増えてくれればと思います。

 この件については、新聞やそのオンライン版にも取り上げられています。興味のある方は、たとえば次の記事をお読みください。

-la Repubblica MILANO.it
Campagna razzista in Canton Ticino. “I frontalieri italiani sono come ratti” (リンクはこちら

 大臣でもあり、与党で勢力もあるLega Nordの党首ボッシが、日頃から移民や南部の人を目の敵にしている上に、最近「ローマ市民は豚だ」(Sono porci questi romani)という爆弾発言をして、顰蹙と怒りを買っていたのですが、どうやらようやく謝罪をしたようです。ただし、その謝罪も、「冗談だったのだけれども、もし市民が気分を害していたら謝罪します。」ですから、あまり反省の色が見えません。(この件についてのオンライン記事へのリンクはこちら

 弱い立場にある人が幸せに暮らせて、初めて本当に幸せで平和な社会だとはいうのに、移民も身体の不自由な方も、同性愛の方や子供、老人も、イタリア社会では生きていく上で大きく問題を抱え、子供と老人を除いては、差別の対象になりがちかという気がします。まずは、だれもがお互いを大切に思い合い、相手の立場や気持ちを尊重することから始めなければいけないのですが、上に立つべき首相が「ジャーナリストは皆共産党員だ」(最もひどい侮蔑のつもり)とか「裁判官は精神的に病んでいる」とか言っているくらいですから、先が思いやられます。

 話がずいぶん逸れてしまいました。歯医者の話に戻ります

 領収書がほしいと言うと、なんと歯医者は、そこで初めて、診療カードを作らなければと言って、いわゆる問診表の質問をわたしに投げかけ始めました。「アレルギーがありますか、既往症はありますか……」

 法的に必要だからではなく、患者に適切な治療を選ぶために必要なのだから、治療前にするべきだろう、と思いながら、質問に答えました。

 虫歯の治療代80ユーロと歯石除去の60ユーロ。計140ユーロを、本日現金で一括払い。幸い円高で、ユーロで出て行くお金は同じなのですが、円に換算すると、一時期に比べて同じ金額に対する円での料金がかなり安いので、妙にありがたく思ったりします。

 これからは1年に1度、歯石の除去をして、ついでに虫歯のチェックもしてもらおう、毎日しっかり歯を磨いて虫歯がないようにしよう、というこの今の気持ちを、いつまでも忘れずにいたいものです。

Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2010-09-30 23:40 | Sistemi & procedure | Trackback | Comments(7)

カエデの巨木と聖母、フランコ訪ねて3

 この大きなカエデの木と隣に見える教会は、遠い昔に起こった奇跡をきっかけに植えられ、建てられたものです。

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 14世紀には、ここは大きなカエデ(acero)が1本立つ草原であり、木の幹には、聖母マリア(Madonna)の姿を描いた版画が貼られていました。ある日、耳と口が不自由な少年たちが羊の群れを世話して雷雨に遭い、この大きなカエデの下で雨宿りをします。すると、悪天候のさなかに聖母マリアが現れ、少年たちに聴力を与え、話すこともできるようにしました。

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 この伝説がもとで建てられたのが、このSantuario di Madonna dell’Acero(訳すと、「カエデの聖母マリア教会」)です。聖母出現をきっかけに、まずは1358年に小さな聖堂が建てられ、その後、現在の教会が建立されたのは、16世紀から17世紀にかけてであるということです。この地の名も同じく、Madonna dell’Aceroで、ボローニャ県の南西、アッペンニーニ山脈の1200mの高みにあります。

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 当時聖母の姿が掲げられていたカエデは切られてしまったものの、教会の祭壇には、今も、そのカエデの幹が、聖母の絵姿と共に祀られています。

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 ここには、イタリア語で、聖母の画像は、かつて聖母が出現した、その樹齢数百年のカエデの幹にはめ込まれていると、説明してあります。

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 聖母出現のあった地ということで、聖母に祈願を捧げ、祈りをかなえていただいたお礼にと捧げられた奉納物(ex voto)(記事はこちら)が、教会の壁を覆っています。

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 現在、この教会の傍らに立つカエデの木は、14世紀に小さな聖堂が建てられた後で、植えられたものです。今では、このカエデも樹齢数百年を誇り、幹周りが4.75m、高さが10メートル。イタリアの巨木を集めて解説した次の本にも、写真と説明が載っています。

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 数年前に病気のため、木の病んだ部分を切り取らざるを得なかった、と1990年に出版されたこの本に書かれているのですが、その生々しい痕が、20年以上発った今も、よく見えます。

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 8月16日月曜日、朝ペルージャを発って、正午頃にボッカディリーオの聖処女マリア教会を訪ねたわたしたち(記事はこちら)は、その後、巡礼中のフランコと合流しようと、スカッファイオーロ湖畔の山小屋に向かいました。

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地図は、ボローニャ県立コルノ・アッレ・スカーレ自然公園の立て看板から借用

 ところが途中で道に迷ってしまい、結局午後8時前に到着したMadonna dell’Acero村のホテルに滞在することになりました。というのは、フランコが滞在する湖畔の山小屋までは、車でしばらく進んだ後、さらに40分ほど山を歩いて登る必要があったからです。

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 こちらが、わたしたちが宿泊したHotel dell’Acero(リンクはこちら)です。フランコの滞在地に最も近い宿だからと選んだのですが、ブナの森林に囲まれた、静かな場所にあって、すぐに気に入りました。ここが、聖母出現の地であり、そのために建てられた教会が、ホテルのすぐ近くにあることは、宿の人から聞いて初めて知りました。

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 幸い、夕食もおいしかったです。こちらは、鹿の肉を焼いたもの(cervo alla griglia)で、山ならではの新鮮な肉の料理を味わえました。

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 こちらのブルーベリーとラズベリーのタルト(crostata di mirtilli e lamponi)も、少し酸味のあるベリーが甘いクリームとほどよく調和して、それはおいしかったです。

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 宿泊した部屋にも、枕もとの壁に、カエデの聖母マリアの像が飾られていました。前日の8月15日が、聖母マリア被昇天の祝日であり、「祈りや苦しみは聖母マリアに委ねて」とミサで説かれたその翌日に、聖母マリアの出現を機に建てられた地を、二つも訪れたその不思議を、つくづくと思いました。

 苦しみも理解しがたいことも、すべて穏やかに、神を信じて受け容れた聖母マリアのように、辛いことも、どうしようもないことであれば、落ち着いた心で受け容れていけたらと、まだカトリック教徒ではないのですが、感じました。

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 翌朝、ホテルで朝食を取った部屋の一角にバールがあったのですが、そのカウンターでは、採れたてのブルーベリーが売られていました。高い山では、ブルーベリー(mirtillo)ラズベリー(lampone)があちこちで熟れて、ちょうど食べ頃、収穫の時期でした。

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 ブルーベリーが豊富に取れる地域なので、ブルーベリーのジャムに加えて、ブルーベリーのグラッパ(grappa con i mirtilli)も、販売していました。左手の透明な器に入った液体は、ブルーベリーのジュースかと思ったら、こちらもグラッパでした。

 この後、すぐ近くにある教会、Santuario di Madonna dell’Aceroに行くと、ちょうど朝のミサが始まる時間帯だったため、教会内には参列しようとする人々が大勢いました。大きなカエデの木と教会を訪れた後、Madonna dell’Aceroの村に別れを告げます。ちなみに、この「カエデの聖母マリア」を意味する村の名前を、あえてカタカナで表記すると、マドンナ・デッラーチェロとなります。

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 Madonna dell’Aceroから、車で坂道を登り、コルノ・アッレ・スカーレ山(il Corno alle Scale)(1945m)の山頂が見えるところまで、やって来ました。8月も半ばだというのに冷たい風が吹きすさび、山頂に霧がかかっています。冬にもスキーに来る旅行客の多いこの地域一帯は、山と同名の県立自然公園、Parco Regionale del Corno alle Scaleとなっています。

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 写真に見える湖のほとりには、カヴォーネの山小屋(Rifugio Cavone)(1424m)があって、宿泊はできませんが、バールとレストランがあり、食事もできます。閉店が18時で、夕食には予約が必要と、サイト(リンクはこちら)に書いてあります。

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 うれしいことに、湖の周囲には、ラズベリーの木が茂っています。よく熟れた赤い実を選んで、摘み取って食べました。

 こうして湖のまわりを歩いてから、コルノ・アッレ・スカーレを後にして、この日こそフランコに合流しようと、モデナの聖湖(Lago Santo modenese)へと、車での長い旅に出発したのでした。

 この晩にフランコと会って、翌朝しばらく巡礼の旅につきあった際の様子は、すでに記事、「フランコ訪ねて1、森の幸満つ湖」(リンクはこちら)でお話しました。

 次回は、「フランコ訪ねて」編の最終回。フランコと別れた後、ペルージャに帰り着くまでに訪れた興味深い場所について、お話しするつもりです。

 ちなみに、フランコは現在フランスのルルド付近に達し、目的地であるスペインのサンティアーゴ・デ・コンポステーラには、11月2日頃に到着する予定だということです。

 先週はマヌエーラとサブリーナが、フランスの、フランコが到達した地点まで車で行き、5日間彼と巡礼の旅を共にしました。土曜日に帰宅したマヌエーラによると、フランコはまだ元気も体力もいっぱいで、巡礼を続けているということです。

 がんばれ、フランコ! 

参考にした本とウェブページ
-AA.VV., “Gli alberi monumentali d’Italia - Il Centro e il Nord”, 1990, Edizioni Abete, Roma.
-Parco Regionale del Corno alle Scale – Santuario di Madonna dell’Acero

Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2010-09-29 23:30 | Emilia-Romagna | Trackback | Comments(0)

奇跡の救いに感謝、フランコ訪ねて2

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 勢いよく走る馬に振り落とされて落馬し、あるいは、戦争中に正面から銃撃を受け、あるいは、重い病に床に伏す、そういった死に直面した場面を描いた絵が、壁にいくつも飾られています。

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 こちらは、司祭が教会正面の階段を落ちていく瞬間をとらえた絵です。

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 ここには、馬車にもろにひかれてしまう人や、高いところから落下中の人が描かれています。

 これらは、災難にあった人々が、こうした死と隣り合わせの状況から救ってくれたこと、祈りをかなえてくれたことに感謝して、神や聖人に捧げる奉納物(ex voto)です。PGRは、 Per grazia ricevuta、「受けた恩寵に感謝して」という言葉の頭文字を取ったもので、祈願成就に感謝しての奉納物である旨を表しています。

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 どの絵にも、幼子イエスを抱いた聖母マリアが描かれているのは、これらの奉納物が、聖母マリアに受けた恩寵に感謝して、捧げられたものだからです。

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 というのも、ここは、ボッカディリーオの恩寵の聖処女マリア教会(Santuario della Beata Vergine delle Grazie di Boccadirio)、名前のとおり聖母マリアへの崇拝から建てられた教会だからです。

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 1480年に、この地、ボッカディリーオに、二人の幼い少年少女が羊を連れてやって来ました。その眼前に聖母マリアが現われ、少年には神父に、少女には尼僧になるように言い、また、「この地にわたしのために教会が建つことを望んでいます。ここに祈りに来る人々にはすべて恩寵と庇護を約束します。」と語ったそうです。

 聖母の言葉どおり、二人は神父、尼僧となって、神に捧げる生涯を送り、まずは、この地に小さな教会が建てられ、その後、16世紀初めから、現在の教会の建立が始まりました。

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 こうした教会の歴史は、教会の柱廊の壁に書かれていました。(上の写真)

 無数の奉納物は、教会の祭壇奥の部屋にあります。

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 危機に陥った身を描いた絵だけではなく、さまざまな奉納物が飾られています。

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 車のハンドルや車輪は、事故から救ってくれたことへの感謝、杖の数々は、杖なしでも歩けるようになったことへの感謝を込めて、奉納されたものなのでしょう。

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 この、フィレンツェとボローニャのほぼ中間に位置するボッカディリーオの教会を、わたしたちが初めて訪れたのは、7月20日火曜日で、チンクエ・テッレ(記事はこちら)や百の湖自然公園(記事はこちら)での旅行を終えて、ペルージャへと帰る途中のことでした。

 高速道路を避け、山中を進んでいたところを道に迷い、店の人に道を尋ねたときに、「美しい教会が近くにあるので、ぜひ訪れるといい」と教えてもらったのが、こちらの教会でした。その日は残念ながら、ちょうど閉まっている時間帯に到着したため、周囲だけを回ったのですが、今回は、友人のマヌエーラたちと落ち合わせて、皆でこの教会を訪ねました。

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 こうして教会を訪れたのは、8月16日月曜日の正午頃でした。前日の8月15日は、イタリアでは「夏を謳歌しに海へ山へと行くフェッラゴストの祝祭」と捉えている人が多いような気がしますが、この日は、聖母マリア被昇天(Assunzione della Beata Vergine Maria)の祝祭日でもありました。ミサで、「苦しみも迷いも、聖母マリアに祈りを捧げ、身を委ねるように」という説教があったその翌日に、聖母マリアが出現した地に、聖母を敬って建てられた教会を訪れることの不思議を思いました。

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 実は、マヌエーラたちは、リミニの自宅からスペインのサンティアーゴ・デ・コンポステーラを目指して巡礼中のフランコを週末に訪れて、この月曜日は、自宅へと戻る途中でした。一方、わたしたちも巡礼中のフランコを追いかけようと、ペルージャを発ったのですが、フェッラゴストの渋滞を避けようと、出発は月曜日。そこで、マヌエーラたちと、以前見られなかったこの教会で落ち合って、一緒に訪れようということになったわけです。

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 こちらは、Locanda Pellegrino Trattoria Bar Albergo、(巡礼者の宿、トラットリーア・バール・ホテル)のテラスです。この建物は、ボッカディリーオの教会のすぐ脇に建っています。一つ前の写真の壁に貼ってある、ポルチーニ茸の写真満載のポスターでもお分かりのように、キノコや獣の肉などの山の幸を非常においしく味わえる店でした。

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 昼食の後は、皆で教会近くの山をしばらく散歩しました。上の写真で手前に見える黄色い建物が、Locanda Pellegrinoです。

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 散歩の後で別れを告げ、マヌエーラたちは家路を目指し、わたしとルイージはフランコと合流するべく、スカッファイオーロ湖近くの山小屋を目指しました。ところが、この教会に長居しすぎたため、そして、道に迷ったために、フランコと実際に会うのは、翌日の8月17日火曜日となりました。(記事はこちら

 そして、フランコと合流できなかったことを残念に思いつつ、最も近い場所に宿泊したのですが、なんとその宿と土地も、聖母マリアに非常に縁の深いところだったのです。

                 「フランコ訪ねて3」(リンクはこちら)につづく

参考にしたウェブページ
Per Grazia Ricevuta – Ex Voto devozionali
Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2010-09-26 23:54 | Emilia-Romagna | Trackback | Comments(0)

リッチョーネの花市

 先週の週末はアドリア海岸の町、リッチョーネ(Riccione)で、花市(リンクはこちら)が開かれました。そこで、わたしと夫も、9月19日日曜日に、この花市を訪れました。色とりどりの花々を見て楽しんだのはもちろんですが、むしろ、庭をより美しく、居心地のいい空間にするためのアイデアがたくさん見つかって、興味深かったです。

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 会場は、館、Villa Lodi Fèとその庭園です。入り口で3ユーロを払って入場。この花市の正式名は、Giardini d’autore、訳すと「芸術家の庭園」です。残念ながら、この日は朝から雨が降っていました。

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 妖精や鳥の置物に囲まれた鉢では、蓮の花が、美しく咲いています。

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 こちらの装飾は少々グロテスクで、水草に覆われた水面に浮かぶ顔の口から水が噴き出ていて、水を入れてある鉢は、紫がかった色をしています。「蓮の花と水草」から日本で連想する池や庭の趣向と大きくかけ離れているところが、逆に意表をつかれて、おもしろかったです。

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 竹林の間に、竹を組んで小道を作り上げ、人が通れるようになっています。西洋風の花市の一隅に潜む「和の空間」。傘をたたんでは、小道へと入って行く人が大勢いました。

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 竹林の小道を抜けると、金属で作ったさまざまな鳥や動物、植物などの置物を飾った、不思議な空間がそこにありました。ツバメ、鶏、スズメ、……どれもよくできています。

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 キノコやリス、ハリネズミもあります。ハリネズミの行列が、何だか愛嬌があって、かわいかったです。フランス人の女性が一つひとつ手で創り上げた品のようで、看板はフランス語で書かれてあり、金髪の女性が、このおとぎ話のような空間を訪れる客に、作品の説明をしていました。

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 色も形もさまざまな、美しいランの花が並んでいます。

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 こちらの店では、果物、野菜など、さまざまな植物を乾燥させ、天然素材を使ったいい香りをたっぷり染み込ませた、まさに自然志向の「芳香剤」を売っていました。

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 漂ってくる香りが好ましいものであることはもちろん、色使いや置物など、店の装飾がそれは美しいので、思わず足を止めました。

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 他にも、花を使った香水や石けん、基礎化粧品、そして、さまざまな果物のジャムなどが売られていました。野生の鳥が一休みして、餌を取るための鳥の家も、さまざまなデザインのものを木で作ってありました。

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 こちらは、バラで作ったシロップです。バラの香りがたっぷりの赤いシロップは、とても甘くておいしかったです。

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 鉢植えの花や果物の木の他に、こうして球根も売られていました。

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 こちらは、夫によると、南アメリカ原産の植物だそうです。

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 花に水をやるのがうれしくなるような、こんな道具類も売られていました。

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 陶器の装飾が加わった美しい植木鉢や噴水も、館の建物の前に飾られていました。

 天気には恵まれませんでしたが、美しい花や趣向を凝らした品々を、たくさん見ることができて、実りの多い花市訪問となりました。

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>追記(9月28日)

 園芸を専門に執筆活動を行うミンマ・パッラヴィチーニさんが、ご自身のブログ内でこの記事を取り上げ、それをきっかけにコメントの応答もしました。

LINK ↓↓
MIMMA PALLAVICINI’S WEBLOG – ‘questo si questo no' di Mimma

 ミンマさんは、わが夫が愛読する園芸誌、『Gardenia』や『Giardinaggio』に数々の寄稿をし、庭園や園芸、花についての本も何冊か出版されている方です。

 というわけで、お誘いに乗って、そのうちイタリア語で、日本庭園や日本人が古来から花に寄せてきた思い、その思いを歌った和歌などについて、執筆してみるかもしれません。

Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2010-09-25 10:58 | Feste & eventi | Trackback | Comments(0)

イタリア運転免許への書き換え

 今年の初めに、日本の運転免許をイタリアの免許に書き換えました。申請先によって、提出書類や手数料などが多少異なるとのことですが、ペルージャで申請したわたしは、ささいなことで手続きが滞って、どうなることかと心配しました。

 最初に参考にしたのは、在イタリア日本大使館、領事情報の「イタリア運転免許証への書き換え手続き」のページ(リンクはこちら)です。

 県陸運事務所(Motorizzazione Civile)に加えて、イタリア自動車クラブ(ACI、 Automobile Club d’Italia)や自動車学校などの手続き代行機関で行うことができるとあったため、電話やメール、訪問を通じて、いくつかの機関で、必要書類や費用を尋ねてみました。

 結局、ペルージャ市内の自動車学校を通じて申し込んだのですが、自動車学校に申請する際に必要だった必要だった書類および手数料は以下のとおりです。

1.日本運転免許証
2&3 公的証明を受けた「日本運転免許証の翻訳証明」
 (手続きの手順は
  2.日本運転免許証の翻訳証明 ⇒ 3.免許証の翻訳証明の公的証明)
4.証明写真3枚
5.滞在許可証*
6.市発行の身分証明書
7.市発行の出生地市町村証明書**(←一般には不要な場合が多いようです)
8.医師診断書
9.自動車学校に申請を頼む手数料

 1、5、6については、イタリア免許への書き換えをお考えの方は、すでにお持ちのことと思います。

 4.について、わたしが証明写真をよく頼む店は、ペルージャ外国人大学から、すぐ近くのエトルリア門(Arco Etrusco)(下の写真)をくぐって、すぐ右手にある店です。

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 「2.日本運転免許証の翻訳証明」(下の写真)は、ローマの日本大使館あるいはミラノの総領事館で申請します。大使館のサイトに詳しい(リンクはこちら)のですが、現在の手数料は33ユーロとのことです。

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 「3.免許証の翻訳証明の公的証明」は、県庁で行います。在イタリア大使館・領事館によって発行された書類を、イタリア国内で法的に有効なものとするには、県庁(prefettura)に公的証明(legalizzazione)をしてもらわなければいけません。

 わたしの場合は、ペルージャ県庁に行き、公的証明担当室で、大使館が発行した免許証の翻訳証明と14.62ユーロの収入印紙(marca da bollo)を提示しました。

 公的証明(legalizzazione)担当室には、外国外交官の署名一覧があります。担当官はその一覧を使って、翻訳証明にある副領事の署名を照合したあと、翻訳証明の裏面に、直接収入印紙を添付し、さらに公的証明を行う旨を記したスタンプなどを押し、署名をします。(下の写真)こうして申請から5分も経たないうちに、公的証明が終わり、すぐに公的証明済みの翻訳証明を受け取ることができました。

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 「8.医師診断書」については、手続きを頼んだ自動車学校が指定した日時に、学校内で指定医の目・耳などの検査を受け、医師が直接、診断書を学校側に提出しました。

 「9.自動車学校に申請を頼む手数料」は、わたしが頼んだ自動車学校、Autoscuola Cortonese(リンクはこちら)では106ユーロでした。費用としては、それに加えて、証明写真代(5ユーロ?)と、翻訳証明関係料金(翻訳証明30ユーロ、公的証明14.62ユーロ)、そして、出生地証明書申請手数料(0.26ユーロ)がかかったことになります。ローマに行く交通費や電話代は除き、合計で約156ユーロかかったことになります。

 この自動車学校に代行を依頼することにした理由は、以下のとおりです。

 ペルージャでは県陸運事務所が何度電話しても、電話に応じない上、イタリア自動車クラブ(ACI)の事務所は、遠くにあります。手数料の見当をつけるため、インターネットで検索すると、当時ローマのACIで135ユーロ、ジェノバのある自動車学校で130ユーロという値段が見つかりました。外国免許のイタリア免許への書き換えを代行する自動車学校は、客の注意を引くために、窓ガラスにでかでかと、「CONVERSIONE PATENTE ESTERA」(外国免許書き換え)と書いてあります。通勤中のバスの中からこの文字を見て、エルチェ(Elce)の自動車学校で尋ねると、「手数料は、学校内で指定医の診断を受けるなら、診断料45ユーロ込みで150ユーロで、もし自分で地域保健所(ASL)などで診断を受けて、診断書を提出するなら、105ユーロ」とのことでした。というわけで、なぜか同じペルージャ市内なのに、指定医師診断料込みの値段が40ユーロ近く安いAutoscuola Cortonese(コルトネーセ自動車学校)に依頼することにしたわけです。安いだけではなくてサービスもよく、メールや電話での質問に、常に迅速かつ丁寧に対応してくれました。

 昨年12月上旬に必要な書類をすべて提出し、ようやく発行された免許証(下の写真)を手にしたのは、その約2か月後の2月上旬でした。クリスマス休暇が間に入った上に、県陸運事務所側からの「出生地証明書類」に関する厳しい要求で手続きが滞ったため、発行が遅くなったのかもしれません。

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 この記事を書くにあたって、同じ頃に免許の書き換えをされたエミリア・ロマーニャ州の方のブログ記事(リンクはこちら)を拝見すると、直接県陸運事務所で手続きしても、自動車学校側が受け持ってくれた手続きの実費(申請費用・医師診断書)に計90.86ユーロかかっているようです。わずか15ユーロの手数料で、診断も提出も、そして、わたしの場合には非常に難航した県陸運事務所との交渉も、すべて代行してくれたので、とても助かりました。

 上の方の記事を見ても、各地で提出書類などが違うのがよく分かります。ペルージャにお住まいの方も、そうでない方も、いつどこで申請するかによって必要なものが変わってくることを考慮しながら、参考にしてください。この記事は、ジーナさんのご要望にお応えして、書いたものです。

下註

*「5.滞在許可証」に関しては、大使館サイトには提出書類として、「住民登録証あるいは滞在許可証」とあり、さらに、下記注に「イタリア国内で住所が移動している場合には、転居証明書を要求する事務所がある」と書かれています。滞在許可証と身分証明書については、学校に現物を持って行き、学校側が書類を確認したあとで、コピーを取り、原本を返してくれました。

**「7.市発行の出生地証明書」は、近くの市役所の出張所で発行してもらいました。料金は、0.26ユーロ。これが必要だったのは、上の写真でお分かりのように、イタリアの免許証には「出生した市町村」の記載があるのに、日本では、運転免許証やパスポートといった証明書類に、出生地が書かれていないためです。わたしの身分証明書は、プラスチック製で電子情報入りの新しいものなのですが、もし旧式の紙製の身分証明書を持っていれば、身分証明書自体に出生した市町村名が書かれているために、出生証明書は必要なかったそうです。

 滞在許可証を申請するときには、申請書に「出生地 KAWASAKI」と書いておけば、別に裏づけする公の書類がなくても、受け付けてくれていたわけですから(記事はこちら)、ペルージャ県陸運事務所だけが、ことさら「出生地」証明書類にこだわるのかという気もします。出生地証明の有無が原因で、免許の書き換えが滞ったという記述は、インターネット上でも見かけませんでしたし、大使館などの申請情報のページにも、出生地証明書類については、記載がありません。

 実は、この「日本の証明書類に出生地が書かれていない」ことが原因で、融通のきかないペルージャ県陸運事務所との果てしない戦いがあり、その挙句に、市発行の出生証明書で構わないということになりました。この件については、ペルージャで申請を検討される方については、再び問題が勃発する恐れもありますので、いずれ詳しくご説明したいと思います。

参考にしたウェブページ

在イタリア日本国大使館・領事情報 ← 詳しい情報が満載で助かります。
Prefettura di Perugia – LEGALIZZAZIONE DOCUMENTI
ブログ、『La vita a Reggio Emilia』 -「イタリア免許への切り替え」(2010-3-23)

Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2010-09-24 13:54 | Sistemi & procedure | Trackback | Comments(4)

秋の庭と「amore」考

 実りの秋。我が家の庭でも、いろいろな木々に、果実が実っています。

 こちらは、リンゴの木(melo)です。

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 ほとんどのリンゴ(mela)がよく熟れて、美しい赤い色をしています。ただし、薬をまったくやらないため、ほとんどのリンゴが一部、虫に食われてしまっています。そこで、ナイフで茶色い部分を取り除きながら、食べることになります。

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 こちらはオリーブの実(oliva)です。まだ青いのですが、これから収穫時期の11月に向けて、少しずつ熟していき、色が黒ずんでいきます。我が家では、家の周囲に植わったオリーブの木(olivo)に加えて、夫の生まれた村、ミジャーナにもオリーブ園があります。(詳しくはこちら

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 イチジクの木(fico)も2本あります。この写真に写っているイチジクは、皮が濃い紫色になって初めて、実が十分に熟して、おいしく食べられるようになります。

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 椅子に登って、いくつかイチジクの実(fico、実も男性形です)を収穫してみました。ちょうど前夜に、友人宅でよく熟れた黄緑色のイチジクを食べておいしかったので、少し青みが残るものも摘んだのですが、後から、こういう青いイチジクはまだ熟していないので、おいしくないことが判明しました。イタリアのことわざが言う、”Sbagliando s’impara”、「人は間違いを重ねながら学んでいく」を、身を持って実践しました。

 生ハム(prosciutto crudo)をメロンと共に食べることをご存じの方は多いと思いますが、イチジクと一緒に食べてもおいしいのです。この時期のレストランのメニューには、前菜として、「生ハムとイチジク」(prosciutto e fichi)が、「生ハムとメロン」(prosciutto e melone)と共に並んでいることも、よくあります。

 9月9日木曜日は、姪っ子たちが、義父母のもとで1日過ごしました。まだ学校が始まらず、両親は仕事がある間は、両親の仕事が終わるまで、おじちゃん(nonno)とおばあちゃん(nonna)が、孫の面倒を見ることになります。姪たちはトーディに住んでいるため、休みの大部分は、近所に住む母方の祖母の家でいとこたちと過ごすのですが、週に1、2度はペルージャの義父母宅で過ごし、同じ二世帯住宅に住むわたしたちのところにも、時々遊びに来ます。

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 ジャスミンと竹で作ったアーチに、咲きほこる朝顔の下で、写真撮影。「花がきれいだから、花と一緒に撮りましょう」と言っていたのに、まだ小さい姪っ子たちは、撮影が終わってから、初めて朝顔の花に気がついたようです。

 姪たちが身に着けているエプロンは、海辺の町、リッチョーネで2週間を過ごした義父母からのおみやげです。

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 エプロンには、大きく「AMORE DI NONNA」と書かれています。「愛」という意味でご存じの方が多いであろうこのamoreという言葉は、「愛する人、愛する対象」を指すこともあり、恋人や配偶者、幼い我が子や孫に「amore」と呼びかけるほかに、小さくかわいい子供を見かけると、自分の子供や孫でなくても、「amore!」と呼びかける人もいます。

 ですから、エプロンの言葉は、「おばあちゃんの宝物(愛する孫)」とでも訳せるでしょうか。

 人によって、ある言葉を口にしやすい、しにくい場合があるのですが、こういうamoreという呼びかけを、うちの夫は使いません。「ありきたりの言葉よりも」と、自分自身でいろいろなわたしの愛称を考え出しては、そうやって呼ぶわけですが、でもやはりロマンチックな感じがするので、amoreという言葉で、夫を呼んでみたいようにも、呼ばれてみたいようにも思うのです。けれども、夫はそう呼ばれるのも好きではないようで、結局、わたしも夫に話しかけるときは、名前や自分が考え出した愛称を使っています。

 わたし自身、日本語で、「好きです」は言えても、「愛しています」と言うのは何だか気取っているようで、抵抗があります。照れて言いにくいのと、言葉が使い古されて陳腐な感じがするというのが、夫がこういう呼び方を好まない理由かと思います。周囲を見ていても、恋人どうし、夫婦どうし、あるいは小さい子に、「amore」という言葉がすぐ出る人と、まったく使わない人に分かれる気がします。昨年金婚式を迎えた義父母がいつも仲睦まじく、こんなふうに寄り添いあいながら、二人歳を重ねていけたらと思うのですが、考えてみると、夫の両親も、いつも名前で互いを呼び合っています。

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 ちなみに、うちの夫も、好きな歌を歌うとなると、何のてらいもなく、この呼びかけを口にできます。たとえば、『La prima cosa bella』という歌では、さびの部分で、「amore amore amore」と、「愛しい人よ」という呼びかけが、3度も繰り返されます(記事はこちら)が、メロディーも言葉の響きも美しい部分なので、すっかり乗った気分で歌っています。

 わたしがもともと夫に魅かれたのは、そういう気取らないところでもあり、言葉で飾らない誠実な優しさや思いこそ大切で、それを見抜く目と感謝する心がなければ、と思うこの頃です。

 こんなピザを焼いてくれたり、

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 バレンタイン・デーに、こんな美しいケーキを手作りして、贈ってくれたりする優しい夫ですから。

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 いずれも今年2月の写真です。バレンタインがちょうど日曜日で、大家族がそろって昼食を取ったため、ケーキは皆で分け合って食べました。シチリア名物の赤いオレンジをうまく使った美しい赤いバラが、本当にうれしかったです。

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by milletti_naoko | 2010-09-22 15:10 | Famiglia | Trackback | Comments(2)

アンゴラうさぎとカンナーラ午後の散歩

 アンゴラうさぎの毛をニット製品に利用することを思いついたのが、ルイーザ・スパニョーリ(Luisa Spagnoli)であり、彼女が、ペルージーナ社の創業者であると同時に、バーチ・チョコレートの産みの親でもあることは、以前にもお話しました。(詳しくはこちら)ただ、わたしは、つい最近まで、アンゴラうさぎが一体どういう風貌をしているのかを知りませんでした。

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 それが、9月14日火曜日に、初めて、このアンゴラうさぎの写真を見ることができました。夫とCIA(イタリア農業者連合)の支部に出かけたときに、部屋の壁に、世界中のうさぎの写真のポスターが、貼ってあったからです。

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 ちなみに、こういうポスターが農業連合会に貼ってあるのは、イタリアではウサギ(coniglio)を食用として育てるからです。(日本では食べないけれども、ペルージャで食べる動物については、こちら

 ふかふかで柔らかそうな毛並みは想像したとおりでしたが、写真写りが悪いのか、モデルの問題か、思い描いていた姿とかなり違っていたのでびっくりしました。

 夫が農業連合での用事を終えたあと、先日玉ネギ祭り(記事はこちら)で訪れたカンナーラ村を、日の光のもとで散歩することにしました。

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 ペルージャから車でカンナーラに近づくと、道路の左手にアッシジの町が見えます。横に長い台形のような形をしたスバージオ山のふもと近くに見える白い部分に、アッシジの美しい町並みがあります。夫によると、聖フランチェスコは、このアッシジのスバージオ山とペルージャのテッツィオ山(記事はこちら)が双子の兄弟(gemelli)だと語ったということです。

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 車を駐車し、トピーノ川(fiume Topino)を渡って、カンナーラ(Cannara)村の中心街へと向かいます。

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 わたしたちが玉ネギ尽くしの夕食を堪能したレストラン・ブースは、この石壁の内側に、設置されていました。石畳の道や外灯に、風情があります。石壁の中をのぞくと、レストラン・ブースは今年のお役目を終了したものの、まだテントが設営されたままで、子供たちが何人か、テーブルの間を走り回って遊んでいます。

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 村の中心にある美しい教会。祭りのときには、出店やコンサート、大勢の人々でにぎわっていた教会前の広場も、今は人がまばらで、ひっそりとしています。

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 こちらは夫が撮影した街角の写真です。4階建ての家の屋根近くまで、高く生い茂っている緑は、なんとジャスミン(gelsomino)です。

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 こんな風に、さりげなく壁に飾られた花たちが、優しい空間を作り出しています。

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 ふと見上げると、しっぽが太くふさふさとした猫が、わたしたちをじっと見つめています。

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 夕日が傾き始め、石壁に温かい色の光を投げかけています。

 アッシジ、スペッロ、フォリンニョなど、近くに美しい町が多いので、近くを何度も素通りしてしまっていたのですが、玉ネギ祭りをきっかけに、また一つすてきな村を見つけることができました。

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by milletti_naoko | 2010-09-20 17:02 | Viaggi in Umbria | Trackback | Comments(2)

たまねぎ万歳! ウンブリア村祭り

 ウンブリアで有名な玉ネギの産地と言えば、カンナーラ(Cannara)。カンナーラはペルージャの南東、アッシジの近くにある村です。

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 恒例の玉ネギ祭り(Festa della Cipolla)が、今年30周年を迎えました。毎年約10万人が訪れるという玉ネギ祭りに、わたしも、9月11日土曜日の晩に足を運びました。一緒に行ったのは、上の写真中央で後ろ姿を見せている夫とルーカです。

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 中心街入り口の近くを流れるこの川は、トピーノ川。橋を通りかかると、ちょうど夕日が、空と川を美しく染めているところでした。

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 収穫したての玉ネギを売っている出店があります。赤、白、茶色と色とりどりの皮に包まれ、味や大きさ、形のさまざまな玉ネギが、並んでいます。

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 中心街には、大勢の客をもてなせるレストラン・ブース(stand gastronomico) が、五つ設けられていました。どの店も、当然玉ネギ尽くしの料理を提供しています。今回わたしたちが選んだのは、Il Giardino Fiorito。「花が咲く庭園」という店名が気に入った上、玉ネギ祭りのホームページ(リンクはこちら)を見ると、歴史の長いブースで、メニューもおいしそうだったからです。

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 皆が一番満足したのは、こちらの前菜です。中でもおいしかったのが、右手前に見えるクロスティーニで、パンの上に、バルサミコ酢で料理した薄切り肉とマリネした玉ネギを載せてありました。

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 こちらは、わたしと夫が頼んだパスタです。牛乳、チーズ、玉ネギを使って作った玉ネギのクリームがパスタと和えてありました。それなりにおいしかったのですが、あまり玉ネギの味がしなかったのが残念でした。隣のおじいさんが「おいしい」と舌鼓を打ちながら、ポレンタに調理した豚肉と玉ネギを添えた料理を食べていました。

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 ルーカが頼んだセコンドは、ローズマリー・ニンニク風味のポーク・ソテーにソースをかけたものです。これはうまい、と喜んでいました。肉料理の向こうに見えるのは、コントルノで、もちろんこちらも玉ネギ料理です。小玉ネギ(cipollina)を料理したものが2品並んでいて、一つは甘酢で調理してあった(all’agrodolce)のですが、もう一方は、料理名が「美味な小玉ネギ」(cipollette deliziose)。わたしは食べていないので、どういう味つけだったのかは分かりません。

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 なんとデザートまで、玉ネギ尽くしです。玉ネギ入りのクリームで作ったこのパイが思いがけずそれはおいしかったので、夫は大喜びです。

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 こちらのデザート、aragosta cipollataも、カリカリ、パリパリの外皮の中に甘いクリームがたっぷり入っていて、おいしかったです。見かけだけではなく、殻(?)の触感も、イセエビ(aragosta)に似ていました。

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 食事と支払いを済ませてブースを出ると、すでにすっかり日が暮れて、暗くなっていました。食後の腹ごなしもかねて、出店や人だかりでにぎわう村の中心街を散歩します。教会の前にも、やはり玉ネギを売る露店があります。

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 教会は、中の装飾も美しかったです。祭りを訪れる観光客のためか、夜遅いというのに教会が開いていて、たくさんの村人や観光客が訪れていました。

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 教会前の広場に椅子が何列にも並べてあり、ステージ上に音響設備が整えてあったので、どうもこれはコンサートがあるらしい、ということで、椅子に座って、開演を待つことにしました。やがて吹奏楽団の音楽が聞こえ始め、歩きながら演奏する楽団員が目に入ってきました

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 演奏したのはモーツァルトやエンニオ・モリコーネの曲で、それも調べが美しく、耳になじみの深いものでした。

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 通りに並ぶ出店は、玉ネギの店ばかりではなく、本やアクセサリーなど、さまざまです。目抜き通りは、大勢の人々であふれかえり、道端でパフォーマンスをする芸人もいました。

 玉ネギの好きな方、村祭りで食を楽しんでみたいという方は、ぜひ年に一度の玉ネギ祭りを訪れてみてください。できれば平日に訪れた方が、食事も散歩もゆったりとした気分で楽しめると思います。

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by milletti_naoko | 2010-09-20 01:03 | Gastronomia | Trackback | Comments(4)

滞在許可証よもやま話2 

(記事、「滞在許可証よもやま話1」へのリンクはこちらです。)

 滞在許可証については、イタリアで申請しなければならなかった人であれば、だれでも何かしら苦い思い出があるのではないかと思います。今回は、過去の経験の中から、おもしろそうなこと、参考になりそうなことを、かいつまんでお話します。と言っても、最近は提出方法や書類もかなり変わりましたので、滞在許可証の申請自体の参考にはあまりならないと思います。

 わたしがイタリアでの語学留学で、最初に学んだのはマルケ州の私立語学学校です。日本で就学用のビザを領事館に申請したときから、留学の予定は1年間で、マルケ州で半年学び、その後、さらに半年ペルージャ外国人大学に通おうと決めていました。

 ですから、ビザの期限は1年間だったのですが、にも関わらず、滞在許可証を受け取ったら、有効期限が1年後ではなく、半年後だったので、びっくりしました。「ペルージャでの滞在分は、ペルージャに行ってから申請すればいい」と警官に言われたものの、実は、マルケの学校の通学を終える日と、外国人大学に通い始める日の間に、10日間ほどの空白があって、この期間はどうすればいいのだろうと、きまじめな日本人のわたしは、途方に暮れてしまったのです。

 マルケでの滞在を終える頃、家主が笑いながら、こう言いました。

「難しく考えすぎだよ。イタリアでは、法律に従おうとすればするほど、厄介な手続きが増えて、がんじがらめになって困るけれども、最初から従わなければ、まったく問題なく過ごせるのだから。」

 この言葉が冗談だったのか、それとも本気だったのかは、今でも謎です。「法律に従おうとすれば」については、「まじめに税金を納める人」と「脱税者」(留学生や移民に、契約書なしで宿を賃貸する家主もこの類です)に始まって、実際イタリアでは「正直者が馬鹿を見る」制度や法令をよく見かけます。高齢者を介護する移民を、家族が合法的に雇用するのがひどく難しいような法制度を整えておきながら、何年かに一度「違法事例の追認、合法化」(sanatoria)を行って、少々お金を積めば、闇で雇っていた移民の雇用を合法化できる期間を設けるというのも、そのいい例です。脱税者が、本来払うべき額の何分の一かにあたるわずかな罰金を、見つかる前に自分から払えば許されるというscudo fiscale(訳すと、「収税の盾[防御]」)も然り。現政府は、「おかげでたくさんの脱税者が税金を払い、国庫の収入が潤った」などと言っていますが、識者や野党が言うとおり、「この見過ごし法令がなければ、何倍もの金額が国庫に入ったはずであり、こうした法令は、『税金はごまかした方が得だ』という誤った考えを市民に植えつける」と、わたしは思います。

 それはさておき、家主は、自分の言葉を裏づけする例として、「君みたいに几帳面に滞在許可証を申請しよう、延長しようとすると苦労するけれども、オーストラリアから来て、ビザも滞在許可証もなしに、2年間問題なく暮らしている人も知っているよ。」と、言い加えました。

 日本の皆様は、くれぐれも非合法滞在などなされませんように。まず一市民として法を破るのが、道徳的に問題があるだけではなく、法律は、社会だけではなく、自分自身も守ってくれるものです。最近は、非合法滞在者が病院を訪れたら医師は告発しなければならないという法律が国レベルで定められたりもしました。盗まれ、襲われても、自分自身が法を犯していては、助けも求め難いでしょう。また、外国で日本人が信用を得ているのは、これまで日本の方がそういう不法なことをしていないおかげでもあります。イタリア政府は、最近非合法滞在者に対しては、厳しい路線を打ち出しています。即出国を迫られ、二度とイタリアには来られなくなるかもしれません。

 とにかく、物事をきまじめに考えすぎる日本人のわたしは、この10日の空白期間のためにも滞在許可証の申請が必要だ、と考えて、ウルビーノの警察署に、滞在許可証の延長を申請しに行きました。警察署には、友人が車で同行してくれました。

 さて、警官が、細かい身体的特徴を書き込む書類の作成に取りかかります。

 わたしの顔をつくづくと眺めながら、「naso rialzato」と言って、紙に書き込もうとするので、思わず、「隆起した鼻!?」と聞き返し、即座に友人が、「Naoko, che dici!」(なんてこと言うのよ。警官に向かって!)と介入しました。この警官は、髪の長い、若くのんびりした男性でした。

 そんなこんなで、滞在許可証の延長申請は無事終わりました。ただし、この件について、後からペルージャの警官に尋ねたところ、期限が切れたまま10日後にペルージャで申請しても、まったく問題がなかったそうです。

 その後、ペルージャで、滞在許可証を申請して、受け取ったことは何度もあるのですが、一度だけ、受け取った許可証に、とんでもない間違いがありました。

 申請書類を必死にそろえたり、まだ暗い早朝から、警察署の前に並んだりと、さんざん苦労して、申請をした滞在許可証ですから、受け取るときは、やはり安心感と喜びがあります。

 それが、そのときに受け取った新しい滞在許可証には、わたしの名前や写真はあったのですが、

「国籍  ブラジル人」

と印刷されていたのです。

 半ば信じられずに、警官に指摘すると、向こうもさすがに驚いたのですが、すぐに

「いや、だって君、ブラジル人みたいに見えるから。」

と、冗談を言って切り返したところは、イタリア人ならではでしょうか。

「許可証に添付されたわたしの写真を見れば、ブラジル人とは間違え難いし、同じ書面に、出身地はKAWASAKI、パスポートの発行者は日本政府と書かれているのに。」

と抗議すると、今度はまじめに、

「いや、申しわけないけど、うちで申請する外国人は何千人もいるから、間違いも……」

と謝りました。そして、わたしは「国籍を訂正すれば済む話ではないか」と思っていたのですが、新しい滞在許可証をもう一度作り直すので、顔写真を提出し直してくれと頼まれました。

 数少ない事例かとは思いますが、こういう間違いもあり得ます。

 というわけで、イタリアで滞在許可証を申請された皆さんは、ようやく受け取れた喜びを抑え、少し冷静になって、間違いがないかどうか、受領の際に、よくよく許可証を点検してください。

Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2010-09-19 00:23 | Sistemi & procedure | Trackback | Comments(0)

イタリアの歯医者と保険その2

 まずは以前の記事、「歯医者でびっくり、日伊の違い」(リンクはこちら)の訂正、補足です。

 千穂さんのコメントを受けて、インターネットの記事を読んだり、夫や知人に話を聞いたりして調べていたのですが、その結果、「ペルージャにも、普通の虫歯に保険の利く私立歯科医院が存在する」ことが分かりました。

 ただし、この場合の保険は、留学保険や海外旅行傷害・疾病保険の保険ではなく、イタリアの国民健康保険のことです。留学保険については、契約した保険会社にもよると思いますが、わたしがかつて契約していた保険会社では、歯科治療・通院は保険の対象外でした。

 長くイタリアに在住、あるいはイタリア人の伴侶がいて、イタリアの国民保険、つまり、国民保健サービス機構(SSN、Servizio Sanitario Nazionale)に加入されている方は、十分ご存じだと思うのですが、SSN加入者であれば、原則的に、地域保健所(ASL、Azienda Sanitaria Locale)の専門科の受診や治療は、無料あるいは小額の事故負担金(ticket)を払うだけです。また、各地域に保健所と提携を結んだ専門科の私立病院があり、そこでは診療・治療代が割安になります。

 SSNに加入すると、まずは自分のかかりつけの一般医(medico di base)を選び、専門科にすぐ行くのではなく、まずはこの医者に診療を受けて、どの専門科に行けばいいかを指示してもらいます。保険が利くようであれば、この一般医から、ASLの診療(投薬・治療・入院)許可証(impegnativa)を受け取って、この許可証とSSNのカードを中央統一予約センター(CUP、Centro Unico Prenotazione)に提出し、診療の予約を入れてもらいます。このCUPは、ペルージャではASL内にもある上、薬局の窓口でCUPの出張所となっているところもあります。風邪など一般医の診療だけで済む場合には、診療は無料で、これも医師の処方箋と発行してもらった投薬許可証(impegnativa)を薬局に持っていけば、病気や薬にもよりますが、基本的に割安で薬を購入できます。

 よくよく話を聞き、調べてみると、歯科治療やその料金の扱いも、ASLでは他の専門科と同じ、つまりSSN加入者であれば、ASL内の歯科医に、どんな虫歯も無料あるいは格安料金で治してもらうことができるし、ASLと保険契約を結んだ私立病院では、お得な料金で歯科治療が受けられるということです。

 実は、ペルージャでも、ASL(地域保健所)内に歯科医がいて、以前、義弟が無料で歯科治療を受けていたそうです。ただし、かぶせ物が何度も取れてしまうような腕の悪い医者であったため、夫の家族はその後、二度とASLの歯科治療は受けなくなってしまったということです。

 また、夫自身も何年も前に、ASLと提携しているペルージャの私立歯科医院で割安の治療を受けたことがあるそうです。が、今となっては覚えていない理由で、以後は私立歯科医院を利用しているようです。

 前回、そして今日わたしが歯科治療を受けた私立歯科医院の場合は、ASLと保険契約を結んでいないために、ごく一部の治療を除いては、保険が利かないということなのでしょう。

 ちなみに、この「イタリア国民健康保険と歯科治療」については、medicina-benessere.comの記事(リンクはこちら)に詳しく書かれています。

 安く歯科治療が受けられるにも関わらず、「イタリア人の8パーセントだけが、公の歯科治療サービスを利用し、あとの92パーセントは、私立病院を選ぶ」理由を、記事では、私立病院の方がすぐに予約を入れることができるから、としています。

 実際、地域にもよるでしょうが、専門科によっては、予約がいっぱいで、2か月先でないと診療が受けられないということがまれではなく、そのために、すぐに予約が取れる私立病院に駆け込む場合もあります。

 さて、訂正・補足が長くなりましたが、今日は、イタリアで2度目の歯科治療に行って参りました。

 なんと前回は、まだ虫歯をすべて削り終わっていないことが、今日の午後になって分かりました。前回歯に薬を詰め込んだのは、患部が治療中痛まないように麻痺させるためだそうです。

 虫歯はかなり深かったようで、麻酔注射を打たれ、治療が始まりました。

 事の真偽は今から調べなければいけないのですが、夫がどこからか「水銀を含む合金の詰め物をすると、体内に少しずつ蓄積されて、健康に害を及ぼす」と聞いてきて、わたしにも、合金ではなく白い詰め物を頼むように、強く言っていたので、今回は白い詰め物をお願いしました。

 実は先週の治療の後に、夫は、「歯科医が自分に聞きもせずに、希望に反して、水銀入りの合金の詰め物をして。」と言って、ひどく立腹していたのです。

 どういう詰め物にするかは、わたし自身も、日本の歯科医からも治療前に選択を迫られたことがなく、歯医者によって、白かったり合金だったりしたので、わたしは、歯科医が最適と思うものを選んだろうくらいに軽く考えていました。

 この歯科医に言わせると、「保健省が認めているくらいだから、健康に支障はないはずです。どちらでも値段は変わりませんが、白い歯は美容上いいけれども耐久性がなく、合金の方が2倍長持ちするから、合金を使ったんですよ。」ということです。

 恥ずかしながら、わたしは歯並びが悪いだけではなく、かつて治した虫歯も多いのです。今回の虫歯は、すでに治療した2本の虫歯に挟まれていて、しかもこの日本での治療が合金でされていたため、妙に責任感の強い、あるいは美的感覚にうるさい歯医者さんは、「銀の詰め物をした2本の歯の間に、一本白い詰め物の歯が入ること」が、美的に(?)に許せなかったようで、わたしが何も知らずに口を開けている間に、今回の虫歯を削り取ったあと、この両側の2本の合金の詰め物もすべて取り除いて、この三つの穴に、すべて白い詰め物を詰めてくれたのです。

 ずいぶん長い間いつまでも口を開けていなければならず、しかも何だか日本でよりもその口の開け方がひどく大きくて、つらくて仕方がありませんでした。でも、イタリアでは、治療時間がこうも長いものなのかと思っていました。幸い歯そのものは、麻酔注射以後は痛みませんでした。

 初めに聞いてくれていたら、他の2本の合金は放ってくれておいてよかったのに。善意のお医者さんを恨んでいいのか、白い詰め物にこだわった夫を恨んでいいのかよく分からないまま、記事を書いています。

 午後4時10分頃から始まり、治療が終わって病院を出たのが、午後5時10分ですから、実に長い間治療が続いたことになります。あ、でも、こんなに長い治療はあくまで例外だと思います。最後の10分くらいは、夫と歯科医が「歯の詰め物論議」を尽くしていましたし……(治療後の話です)

 前回、夫の虫歯1本の治療は80ユーロ。わたしの今回の治療も、本来の虫歯は1本だからか、とにかく2回にわたった虫歯の治療が、80ユーロですみました。歯石の除去(la pulizia del tartaro)が必要だと聞いたので、さっそく来週木曜日に予約をしました。こちらは60ユーロだそうです。「代金は来週でいいから」ということで、まだわたしは一銭も払っていません。本当は、「夫の代金も一緒に来週払ったのでいい」と言われたのですが、各自自分の治療費を払いますということで、夫は本日支払いを済ませました。

 ちなみに、同じ歯医者で夫が抜歯をしたときには、100ユーロかかったということです。

 虫歯1本の治療が、夫の父や弟がかかるエルチェ(Elce)の歯科医院では100ユーロ、以前に夫が通っていたウンベルティデ(Umbertide)の歯科医では60ユーロと、値段にかなりばらつきがあります。

 というわけで、わたしの歯医者の冒険はまだまだ続くのでありました。

 最後になりますが、SSNには、学生さんでも自営業の方でも、residenzaさえあれば、それほど高い金額を払わずに加入することができます。長期の滞在をされる場合は、保険料も日本で入る留学保険に比べて格段に安く、滞在先の火災保険や盗難などにこそ対応していませんが、病気にかかったときには、心強いと思いますよ。ちょっとした風邪や怪我のとき、気軽にかかりつけの一般医に診てもらって、薬も安く手に入れることができます。特に南部には、公立病院で問題が起こることが多くはあるのですが……、いろいろ情報収集をしたて、検討してみてください。

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by milletti_naoko | 2010-09-18 00:31 | Sistemi & procedure | Trackback | Comments(0)