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「日本がアジアの覇者に」 ~イタリアのニュース記事から

 日頃はサッカーの試合を見ないわたしも、しばらく前から日本チームのアジア杯での健闘ぶりを知り、試合は見られないものの、ツイッターのタイムラインに流れる、緊張感あふれるつぶやきやゴールの瞬間の大歓声を通して、試合状況を間接的につかみ、応援していました。なかなか得点が入らないときには、ため息と緊張感いっぱいのつぶやきが、ゴールが入ったときには、喜びいっぱいの叫びが、いっせいにタイムライン上に並び、ツイッターを通して、試合を日本で観戦中の方と共有できることに、何だか不思議な驚きと喜びを感じました。

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La fioritura dei ciliegi – Kyoto Gyoen (Kyoto Imperial palace park) 27/3/09


 大健闘した選手の皆さん、そして、言葉も習慣も異なる遠い異国で、新しいチームを育てるのに、苦労も多かったであろうザッケローニ監督。そして、このチームを支えてきたすべての人々、おめでとうございます! そして、この感動をありがとうございます。

 日本の皆さんには、今回のサッカーアジア杯における日本優勝を、ザッケローニ監督の母国、イタリアで、どう報道しているかに、興味がある方も多いことと思います。昨夜の30分のテレビニュースは、自国および近隣の国の政治状況でもちきりで、午後8時半からのテレビニュース、TG2では、唯一のスポーツの話題が、リュージュの世界選手権の男子一人乗りで、イタリア人選手が優勝したことでした。

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 けれども、イタリア時間で昨夜のうち、つまりアジア杯終了の数時間後には、さまざまなイタリアのオンラインニュースが、すでに、ザッケローニ監督率いる日本チームの優勝を伝える記事を続々と発表していました。その中から今回は、イタリア有力紙のオンライン記事を、一つご紹介します。試合内容はすでに皆さんもご存じと思うので、ここでは割愛します。イタリア語を学習中のサッカーファンの方には、うってつけの学習教材になると思います。

”La Vittoria di Zaccheroni. Giappone campione d’Asia” -  Republica.it, 29/1/2011

「ザッケローニの勝利、日本がアジアの覇者に」(「 」内は石井訳。以下も同様。)

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 記事の最後に、日本の新聞からの引用として、監督の言葉が紹介されています。

 「最高のチームが成し遂げた優勝でした。全員が一丸となり、非常に強い代表チームを打ち負かしました。全員が疲れ切っていましたが、最後の最後まで、果敢にもちこたえるこができました。」

(前田に代わって李を起用したことについて)
 「代用は生易しいものではありませんでした。しかし、このチームがすばらしいのは、控えの選手でさえ活躍を見せてくれるところです。日本国民は、この代表チームを誇りに思うべきです。」

*最後の「べきです」はイタリア語本文ではdeveと書かれています。この補助動詞dovereには「…はずである」という「推定」と「…しなければならない」 という「当然」の、両方の働きがあるため、「この代表チームを誇りに思っているはずです」と訳すこともできます。ここでは、個人的に、「こんなにすばらしいチームなのですから、皆さん、ぜひ誇りに思ってください」と捉えて、上のように訳しました。

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 ザッケローニ監督については、こう描写されています。

 「ユヴェントゥスでの過去シーズンにおける監督業が期待はずれの結果に終わったあと、昨年8月に日本サッカー協会からの申し出を受け、新監督に就任したアルベルト・ザッケローニにとっても、大変喜ばしいことに違いない。自らの手に委ねられた代表チームが前途有望であることを、ザックは、対パラグアイ、グアテマラ戦との親善試合における勝利を、スタンドから観戦したとき、すでに悟っていた。そして、10月8日、メッシ率いるアルゼンチンの試合におけるデビューは、望みうる最高の、輝かしいものであった。」

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 日本の皆さんがすでにご存じのことが多いとは思いますが、イタリアでの報道に興味のある方が多いのではないかと思い、今回はまず、Repubblica.itの記事からお届けしました。

 実は今朝、イタリアでベテランのスポーツ解説者が書いた、非常に興味深い記事も見かけたのですが、無理をしたためか、少し風邪をぶり返しましたので、そちらはまた、後日ご紹介したいと思います。

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 桜の写真はすべて、一昨年3月27日に、京都御苑で撮影したものです。

Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2011-01-30 19:10 | Giappone | Trackback | Comments(6)

ツナとポテトのあっさりグラタン

 しつこかったインフルエンザ(記事はこちら)も、幸い、普通の風邪程度の症状に収まってきました。体調が悪いので、買い物にも行っておらず、お義母さんが、「ビタミンCの補給に」とオレンジをたくさん買って来てくださったものの、家にある食材が尽きてきました。

 昨日の夕食のおかずにできそうな材料は、じゃがいも、ニンジン、玉ネギ、そして、ツナ缶。冷凍してあった肉や魚は、すべて食べてしまいました。こういうとき、ツナ缶は、強い味方です。インターネットで調べてみて、肉じゃがの代わりにツナを使ってもおいしいと分かり、では、と料理を始めようとするとしかし、夫から要望が出ました。

 「汁気のあるものではなく、オーブン(forno)で焼いた料理が食べたい!」

 二人ともインフルエンザを患っていたため、最近の夕食は、確かに具だくさんの温かいスープが多かったのです。と言われても、ロースト・ポテトはおなかにもたれるし、この寒い中ローズマリーを取りに行くのは、風邪引きの身には避けたい。

 というわけで、再度インターネットに向かい、料理の本を見比べて、お義母さんが作るsformato di patateのレシピも思い浮かべながら、ありあわせの材料を使って、「ええい、これならどうだ。」と、作ってみたのが、ツナとポテトのグラタンでした。勘と第六感に頼りきって作ったため、一体どういう仕上がりになるか、自分でも見当がつかなかったのですが、なかなかおいしく簡単にできたので、覚え書きも兼ねて、レシピをご紹介します。

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 夫も何を食べさせられることだろうと不安そうでしたが、オーブンで焼き上がったところを見ると、ほんのり焼き目がついて、おいしそう。食べたら、なかなかおいしいので、とても喜んでくれました。味が分からなかったので、写真は撮っていないのが残念。今は、昨夜食べ切れなかった小さな小さな一片(上の写真)が、冷蔵庫に眠るばかりです。

     ツナとポテトのあっさりグラタン

材料   じゃがいも    中2個
     玉ネギ      1/2~1個 
     ニンジン     1/2本
     ツナ        110g(総重量が80gのツナ缶、二つ分のツナ)
     牛乳        200ml
     パルミジャーノ    適量
     塩・こしょう      適量

*材料を見れば分かるのですが、バター・小麦粉・生クリームのたぐいは使用していない、きわめてあっさりした仕上がりになりますので、こってりしたものが好きな方は、他のレシピをお探しください。お義母さんから、sformatoを作るとき、カリフラワーならホワイトソースが必要だけれど、じゃがいもの場合は、牛乳だけでいいと聞いたので、じゃがいもがあれば、あえてホワイトソースは必要ではないと考えました。それに、病み上がりの身には、バターは重たいと考えたので使いませんでした。

1.玉ネギは千切りにし、じゃがいもとニンジンはタテに二つ割り(大きければ四つ割り)にしてから、細切りにする。

2.1をひたひたの水と火にかけ、沸騰してから、灰汁を取りながら、10~15分煮立てる。

3.ゆで汁を切った1を、オーブンの深皿に入れて、じゃがいもをつぶしたあと、同じ野菜だけが1箇所に固まらないように、よく混ぜ合わせる。

4.油を切ったツナを3と合わせ、よく混ぜ合わせる。

5.4の上に、さらに牛乳200mlを注ぎ、塩・コショウで味を調え、さらに、よく混ぜ合わせる。

6.牛乳がゆでたじゃがいもに十分吸収されるまでかき混ぜたら、パルミジャーノを上から、すりおろし、ふりかける。表面全体が薄くパルミジャーノの層で覆われるようにする。

7.6を200度に熱しておいたオーブンに入れて、20分間焼く。こんがりとした焼き色が全体についてきたら、できあがり。

 焼けてこんがりと香ばしいパルミジャーノがおいしいのですが、中身はとてもあっさりとして、ほとんどゆでたジャガイモかポテトサラダのような感じです。材料を見てもお分かりのように、ツナと牛乳の中に、油分・脂肪分が若干含まれているくらいで、それ以外の油脂は加えていません。

 いつもと同じ材料、あるいは家に常備してある食材で、少し変わったものを食べてみようというときに、ぜひお試しください。

Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2011-01-30 11:52 | Gastronomia | Trackback | Comments(8)

カレンダーと言えば

 夫も自分の分の畑を持ち、手伝いはするのですが、我が家の野菜畑の主な働き手は、何と言っても、お義父さん。退職までも、ペルージャ市の職員として働きながら、かつ家にいる間は畑仕事に追われていたそうで、元気な限り、そして、雨が降ったり、地面がぬかるんだりしない限り、平日は、朝から日暮れまで、畑仕事に忙しそうです。お義母さんも、そして、リミニのフランコのお義母さんもなのですが、若い頃からの習慣で、常に働くことに慣れていて、皆、忙しく体を動かし続けるのが、空気を吸うように、当たり前のようで、頭が下がります。

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 先週は夫が体調を崩したものの、わたしはまだ元気だったとき、お義父さんから、「今日は畑を耕したよ。」と、会うたびに、仕事の進捗状況を聞いていました。この数日は、窓の中から、お義父さんが、オリーブやブドウの木を次々に剪定していく様子が見えます。(ただし、写真は昨年1月22日に撮影したものです。)

 1年の間にどう農作業を進めていくといいか、という暦は、夫が購入するいろんな本や雑誌にも書いてあるのですが、お義父さんが、畑仕事をする上で、参考にしているのは、どうも長年の勘とカレンダー、Calendario di Frate Indovinoのようです。

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 このカレンダー、とても便利にできていて、毎月の要となる日の天気の予想から、今月するべき畑仕事、笑い話、レシピ、おもしろ豆知識などなどが、小さい文字で、ところ狭しと、びっしり書き込まれています。

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 読み物としてもおもしろいので、わたしも夫も、あと少しでスープが煮えるけれども、まだ少し待たなければというときなどに、カレンダーのその月のページに書いてあることを、一人で黙って読んだり、どちらかが声を出して読んで、内容を二人で共有したりしています。

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 たとえば、最近読んで、わたしがうなったのが、赤で記したこちらの言葉。2月のページに書かれているのですが、わたしの方で日本語に訳すと、「民主主義をさらに信じ続けましょう。ただ、民は羊の群れと同じで、指導者についていく傾向があります。それも、しばしば間違った方向に向かって。」

 最近のイタリア首相のふるまいを思うと、そんなことには、なりませんようにと祈るばかりです。自分の非を指摘されると、相手を暴言でののしる、恐ろしい自己中心主義。テレビ出演者どころか、議員も大臣も、女性をまずは外見で選んでいるのではないかと思われるこういう在り方を、イタリア国民、特に若い人たちが真似ることが、決してありませんように。

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 こちらは、1月のページから抜粋しました。「ご存じでしたか?」(Lo Sapevate?)という言葉に続いて、暮らしに役立つ豆知識が書かれています。後半の、赤で印した部分に注目。「ガソリンスタンドで給油をするときには、携帯電話を消すのが、賢明です。可能性はごくわずかですが、万一ガソリンが流出した瞬間に、電話が鳴り出すと、ガソリンが炎上するかもしれないからです。」(石井訳) わたしは、これは知りませんでした。皆さんは、ご存じでしたか?

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 一方、日にちや曜日(頭文字で記載)が書いてあるところを見ると、月の満ち欠けと、その日がどの聖人を記念する日であるかが記され、さらに聖人の名前の下に小さく、ことわざや天気予報などが書かれています。たとえば、今日(イタリア時間)は、1月28日です。28という数字の横には、Vと、Venerdì「金曜日」の頭文字を使って曜日が記され、横にはこの日が記念日となる聖人の名前が並んでいます。

 下に書かれたことわざは、”Chi più ne ha… più ne vorrebbe”。訳すと、「人は持てば持つほど、よりほしくなるものである。」要するに、人間の欲望には際限がない、ということです。お互い、「足ることを知る」ように努めたいものです。

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 一方、こちらが各月に、必要な農作業などを説明してある部分です。お義父さんが、畑仕事や木々の剪定の参考にしているのは、こちらの「耕作者」(Coltivatori)と題された部分、そして、天気予報です。天気予報と言っても、1年が始まる前に出されるカレンダーに、天気予報が載せられるはずがない……と思われる方がおいでかもしれません。

 もちろん、毎日に詳しい天気が書かれているわけではないのですが、毎月、数日を選んで、天気予報が記されています。たとえば、2月11日の項には、「一時的に、気温が上がり、晴天が続く」と書かれています。農作業を準備し、進めなければいけない農民のために、17世紀の研究に倣って、気象観測を行い、目安となる年間天気予報を提供しているのです。このカレンダーを発案したFrate Indovinoに先見の明があったのは、気象衛星など存在しなかった1945年に、この年間の天気予報を提供することを思いついたことです。Frate Indovinoは日本語に訳しにくいので、それぞれの言葉を説明すると、Frateは「修道士、そして、修道士への呼びかけの言葉」。indovinoは「占い師、予言者」、何らかの方法で、将来を予測することができる人のことです。ペルージャ近郊の小さな村に生まれた修道士、Padre Mariangeloが、このニックネームを持つようになったのは、そのカレンダーの中で、みごとに年間の天気を言い当てていたからだということです。

 最初は定期刊行物の付録として発行されたこのカレンダーは、大成功を収め、以来毎年発行され、内容は年々充実し、今では、ペルージャだけではなく、イタリア全国、そして、海外にも、毎年のカレンダーの発行を楽しみに待つ人々がいるそうです。カレンダーを考案したFrate Indovinoは、すでに亡き人となっています。神父であった夫の亡き伯父と親交があったそうで、義父母は、故人と何度か出会ったことがあるそうです。けれども、Calendario di Frate Indovinoは、今も志を継ぐ人々が、毎年、カレンダーを発行し続けている上に、暮らしに役立つ情報をいろいろまとめた書籍も販売しています。

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 上の写真にある本は、題を訳すと、「もし~したら、どうすればいいか。うらない修道士の秘訣、忠告、解決法」となります。去年、本屋で見つけて、化学薬品を使わない、伝統的な染み抜きの仕方や掃除の秘訣などが書かれているのを見て、購入しました。外にもいろんな毎日役立つ実用的な知恵が書かれているのですが、こういうことは、実はカレンダーにも、毎月少しずつ説明があります。

 イタリア語を学習中の皆さんは、ぜひ、一度機会があれば、このカレンダーを購入してみてください。毎月時々、興味を引く言葉や文章を、辞書を調べながら、勉強するだけでも、力がつくこと間違いなしです。さらに、昔からの生活の知恵や人生の知恵を学び、笑って楽しむこともできますよ。

参考にした資料・リンク
・Calendario, ” 2011 - Nostra Signora della Fortuna di Frate Indovino”
Frate Indovino – La nostra storia
・"Come fare se… Segreti, consigli, rimedi di Frate Indovino”

Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2011-01-28 23:23 | Notizie & Curiosita | Trackback | Comments(6)

生きるに値しない命

 発想は、昔話の『姥捨て山』。戦時中、経済的困難に陥った国の統治者の頭に浮かんだ恐ろしい政策。働かず生産しない人間のために費用を費やし、働く人々に回る金銭が少なくなるのを防ごう。そして、近代科学の曲解と悪用。遺伝病を負う人に不妊手術を強制し、また子供は抹殺することによって、国家が膨大な費用を、「無用な人間」のために浪費することをなくそう。

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 近代科学における遺伝学の発達。アメリカでは電話を発明したベルがまた、聾唖者に不妊手術を施して、耳の聞こえない子供が生まれないようにしようと提案。遠い遠いドイツで、ニュースを耳にしたヒトラーが、それを日記に書きとめ、やがて、遺伝学が進んだはずの、また精神病患者に対する療法も、世界的にみて発達したはずのドイツで、精神病患者や身体の不自由な人々、遺伝病を持つ子供たちが次々に、国家によって殺されてゆく。1939年から、戦後の1946年まで続いたこのT4作戦によって、数は統計によって異なるものの、30万人もの人々が殺されたことになります。

 ユダヤ人大量虐殺については、だれもが知っていると思うのですが、昨夜、イタリアのLA7、『AUSMERZEN. Vite indegne di essere vissute』(訳すと、『根絶する ~生きるに値しない命』)で、マルコ・パオリーニが一般には知られていない恐ろしい事実を、聴衆の前で、語っていました。(番組の紹介と予告の映像はこちら )。

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 子供の親たちは、自分たちのかかりつけの医師から、「危険性は高いものの、これまで治療不可能とされていた病気の治療法が見つかったので、もしお子さんに治療を施そうと望まれるなら。」との言葉を聞き、その言葉に希望を託して、子供を引き渡します。ところが、まずは近くの病院に運ばれた子供は、やがては遠方の病院に移され、そこで死を迎えることになるのです。

 これが遠い国に起こった過去の話だと思って耳を傾けないように、と、語りの途中、どこかでパオリーニが言いました。

 人間を人種・国籍などで差別する風潮がある限り、だれかが声高に叫ぶ声に、知らず知らずに、自らの判断力を失い、周囲に同調してしまう傾向がある限り、そうでなくても、人間、いつの時代にも、こうした恐ろしい大量虐殺の加害者に、そして、被害者になってしまう可能性があるのだということが、話を聞き進めるうちに、分かってきます。

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 500人の医師が、命を救うはずの、良識あるべき人々が、罪もない人々や子供、弱い立場にある人々を、次々と死に追いやり、それをただ「使命」だと感じる…… 

 だれの命も尊いのだということを、人が人を差別するのがいかにおろかなことかを、わたしたち一人ひとりが胸に刻み、子供たちに教えていかなければいけないと、つくづく思いました。

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 今日、1月27日は、イタリアでは、Giornata della Memoria。ユダヤ人の大虐殺・迫害、強制収容所に送られたイタリア人、そして、自らの命を顧みず、ユダヤ人を助けたイタリア人を、記憶に呼び起こす日です。1月27日が選ばれたのは、ソビエト軍がアウシュヴィッツの強制収容所を発見し、残り少ない生存者を解放した日だからです。

 人がいかに残酷なことをなしえるか、を心に刻み、二度とこうしたことが起こらないようにするためにも、大切な記念日だと思います。昨夜の、『AUSMERZEN. Vite indegne di essere vissute』も、この「追悼の日」を前に、実施され、放映されたのですが、RAI1で放映されたナポリ対インテルのサッカーの試合と重なる日時に、170万人の以上の視聴者が、こうした番組を視聴したという事実、こういう歴史を深く掘り下げ、社会に強く訴えるような深刻な作品を評価するイタリア人が大勢いるという事実を、とても心強く思いました。国営放送RAIには確かにすばらしい番組もたまにあるのですが、RAIや首相のMediasetで、娯楽的なあるいは、殺人を扱った番組がいたずらに多い中で、こういう良質の番組を創り上げ、視聴者に提供したLA7にも、拍手を送りたいと思います。

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 そういう理由で今日は、ユダヤ人迫害やホロコーストをテーマにした催し物が、イタリア各地で開かれ、テレビでもさまざまな関連の番組や映画が放映されています。午後は、同じくLA7で、『Train de vie – Un treno per vivere』という美しく、楽しくも哀しい映画が放映されました。イタリア語での予告編はこちらです。ちなみに、同じ監督の作品、『オーケストラ!』(リンクはこちら)も、すばらしい名画で、映画館で美しい音楽と共に繰り広げられる人間の悲喜劇に、一昨年だったかイタリアの映画館で見たとき、夫と二人で、映画を見てこんなに感動したのは久しぶりというくらい感動しました。

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 二度と悲劇を繰り返さないために、こうやって日を設けるのは大切なことだと思います。ただ、その一方で、ある特定の国・宗教の人、ヨーロッパ連合圏外の人が「犯罪者を犯しやすい」ような印象を抱かせるようなニュース報道、そうした人への差別を煽るような政治家の発言があることや、アフリカからイタリアを目指す人の中には、祖国では命に危険がある亡命者も多いのに、亡命の権利を認めずに、やみくもに国境で追い返そうとしていることが気になります。

 社会的に一番弱い立場にある人が、幸せに生きていける社会こそが、だれにとっても、本当に暮らしていきやすい世の中であるとすれば、イタリアにはまだまだ、課題が多いというのが現状です。

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 最後に、ユダヤ人迫害に関連するイタリアの名画を、二つご紹介します。『ライフ・イズ・ビューティフル』と『向かいの窓』。イタリア語の学習にも役立ちますので、興味のある方はぜひご覧ください。興味のある方は、こちらのイタリア映画の紹介ページを参考にしてください。

 昨夜、『AUSMERZEN. Vite indegne di essere vissute』を見逃したイタリア在住の方に。今日夜8時からのLA7のニュースで、「好評を博したので、見逃した人のために、土曜日の夜に再放送の予定」だと言っていました。ぜひ、ご家族でご覧ください。

 写真は、いずれも、夕焼けのラヴェルナ(La Verna)です。(記事はこちら

参考にした資料・リンク
LA7 - MarcoPaolini – Aspettando, AUSMERZEN. Vite indegne di essere vissute 
Wikipedia イタリア語版 – Giorno della Memoria
Corriere della Sera.it - «Ausmerzen»: 1,7 milioni di spettatori
per l'eugenetica nazista di Paolini


Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2011-01-27 22:35 | Feste & eventi | Trackback | Comments(8)

雪のペルージャ

 ペルージャでは、冬に雪が降ることはまれにあるものの、めったに雪が積もりません。この冬も気温が氷点下という日は何日もあり、雪がちらつくのは何度か見かけたのですが、地面に積もった雪はまだ見ていません。

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 というわけで、雪が降ったり積もったりすると、「これは珍しい」ということで、すぐにカメラを片手に、雪が降る様子や雪景色を撮影します。こちらは、2009年12月19日に家の窓から撮影した写真です。

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 この日は、中庭もすっかり白い雪に覆われていました。左手前に見える、青々とした葉に覆われている植物は、ジャスミンです。

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 午後にもさらに、雪が降りました。風が強いので、吹雪のような様相を呈しています。正面左手に見えるブドウの木、そして、右手に見えるオリーブの木も、舞い散る雪に覆われています。

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 この年は、3月21日にも、季節はずれの雪が降りました。

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 右手のミモザの花は満開で、すでに美しい黄色い花をたくさん咲かせていました。春の足音が聞こえ始め、暖かくなりかけた頃に雪が降ったので、驚きました。

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 こちらの写真でも、雪が降りつもったオリーブの木の向こうに、ピンクの花がいっぱいに咲いているアーモンドの木が見えています。

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 最後に、2007年12月16日に、雪の積もるテッツィオ山(記事はこちら)を散歩したときの写真を、ご紹介します。野山の草木の間に降りつもった雪には、独特の風情があります。

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 赤や緑の木の葉と、真っ白な雪が、お互いの色を鮮やかに引き立てています。

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 雪に落ちた葉もまた、趣があります。

Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2011-01-26 18:02 | Umbria | Trackback | Comments(2)

インフルエンザ

 イタリア中部では、先週半ばから急に気温が下がり、寒い日が続いています。今朝も、庭に霜が降りていました。(ただし、写真12月29日に撮影したものです。)

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 ペルージャ周辺では、風邪やインフルエンザがはやっています。我が家でも、先週末に夫が、そして、わたしもこの2、3日、インフルエンザにかかってしまいました。

 イタリア語で、インフルエンザinfluenzaと言います。ただし、最後のzaは「ツァ」と発音します。ちなみに、英語ではinfluenceという、「影響」を意味する単語も、イタリア語では同じinfluenzaです。一方、風邪のことは、raffreddoreと言います。ただ、わたしの身の回りにいる人たちの話を聞いていると、こちらでは、風邪を少しこじらせた場合、それほど熱が高くない場合でも、わりと簡単に、influenzaという言葉を使うような気がします。

 今回の場合は、熱が高く、本格的なインフルエンザ。イタリアで、風邪や熱の症状があるときに、よく服用される薬は、タキピリーナ(Tachipirina)です。この解熱・鎮痛剤は、家庭に常備してあって、ちょっと風邪をこじらせたというときに、よく使われます。

 それが、今回は、タキピリーナを服用しても、熱は下がらず、咳やのどの痛みもひどいので、昨日、かかりつけのお医者さんに、自宅に来て、診療をしてもらいました。イタリアの国民保険に加入していると、風邪など一般医の診療だけですむ場合には、ふつうは、患者が、決められた診療時間中に、診療所を訪れて、無料で診療を受けることができます。(記事はこちら)昨日の往診も無料で、診療のあとで、薬も処方してもらい、その薬は義父母が買いに行ってくださいました。

 タキピリーナには、解熱・鎮痛作用はあっても、炎症を抑える力がないということで、のどのはれなどを抑えるために、タキピリーナと共に、オーキ(Oki)という消炎剤を服用することになりました。のどがひどく苦しくて、ひどい病気になったのではないかと、二人で妙な心配をしていたのですが、お医者さんのおかげで、とりあえずは、ふつうのインフルエンザだと分かって安心しました。

 というわけで、できるだけ床の中でゆっくり休むようにして、養生をしています。皆さんも、風邪とインフルエンザには十分お気をつけて。やっぱり、うがいと手洗いをこつこつすることが、とても大切ではないかと思います。

Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2011-01-25 15:02 | Sistemi & procedure | Trackback | Comments(9)

『ベファーナ物語』後編

ルイージ・ミッレッティ作、石井直子訳 ~原文は、こちらです~

― 「『ベファーナ物語』前編」(リンクはこちら)からのつづきです。 ―

 けれども、おばあさんは、ためらいました。王さまたちに、エルサレムへの行き方を教えたものの、「急いでかたづけなければいけないことが、たくさんあるものですから。」と言って、いっしょには行きませんでした。……本当は、おばあさんも、王さまたちといっしょに、王の中の王をうやまいに行きたくて、しかたがなかったのです。でも、自分はこんなにも貧しいし、服はつぎはぎだらけで、何にもおくることができないのに、王の中の王にお目にかかるだなんて、とんでもない、と心の中で、そう思いました。3人のかしこい王さまは、おばあさんがいっしょに来られないことを残念に思いながらも、たくさんの祝福で、おばあさんを満たしました。そうして、旅をつづけました。

 小さなおばあさんは、まる1日かけて、小さな家を、元のようにきちんと片づけました。食べるものは何ひとつなく、火をおこすこともできないというのに、幸せな気持ちでいました。

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 それから、何日もたちました。そうして、ある静かな、空のすみわたった夜、羊飼いたちの歌声が四方にひびき、羊たちが、そこかしこで、メエメエと鳴いている、そんな夜に、3人のかしこい王さまは、ようやく星が示していたその場所に、たどり着きました。岩かべにできたほら穴が、牛とロバ用の小屋として、使われておりました。そうして、その岩屋のかいばおけの中に、生まれたばかりの幼子が、ねむっていました。イエスと名づけられた、その幼子が、すべての王の王であることが、3人にはすぐ分かりました。両親のヨセフとマリア、そして、女たちや羊飼いたちが、すぐ近くで、幼子を見守っていました。3人は、数日間を、ヨセフ、マリアと共に、過ごしました。そうして、幼子に、いろんな話をたくさんしました。王さまたちは、あきもせず、いつまでもじっと幼子を見つめていました。このとき、この場所にいられることが、どんなに幸運であるかを、よく知っていたのです。3人は、幼子イエスに、これまでの長い旅や旅のとちゅうで出会った人々についても、語りました。みすぼらしい小さな家に暮らす、小さなおばあさん、そして、そのおばあさんが、どんなに幸せそうに、自分たちをもてなしてくれたかも、話をしました。幼子は、3人のかしこい王さまたちを、じっと見つめていました。もちろん、まだ話すことはできませんでしたが、まぶしくかがやくひとみを見れば、王さまたちの話を、おとぎばなしのように、楽しんでいることが、分かりました。

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 まさに、このときのことでした。明け方に、目をさましたおばあさんは、だんろに赤々と燃えさかる火のぬくもりを感じました。見ると、だんろ近くには、山のようにまきが積まれ、食べものを置く部屋は、食べるものでいっぱいになっています。インゲンマメにヒラマメ、チーズに小麦粉、そして、卵や、おかし、ありとあらゆるくだものがあります!! かしこい王さまたちの祝福のおかげ、そして、一行を喜んでもてなしたおかげで、このきせきが起こったのだと、おばあさんには、すぐ分かりました。そのとたんに、ぜひ幼子にお会いして、よき神がとりなされたように、誕生のお祝いに参加したいという気持ちで、いっぱいになりました。そこで、おばあさんは、大きなふくろを、部屋で見つけた食べもので、いっぱいにしました。ビスケットやあまいパン、あめやくだものを、つめこみました。そうして、3人のかしこい王さまたちに追いつこうと、家を後にしました。雲一つない、よく晴れた日でしたが、それまで毎晩ふりつもった雪のために、王さまたちが歩いて行った先は、見えませんでした。幼子がお生まれになった場所も、分かりませんでした……1日が終わり、そして、空が星でいっぱいの夜が明けましたが、歩いても歩いても、かしこい王さまたちが通ったあとを、見つけることは、できません。おばあさんは、立ち止まって、しばらく考えこみました。ふくろはおくりものでいっぱいで、おばあさんの心は、相も変わらず、喜びに満ちています。そのとき、いい考えがうかびました。「中身がいっぱいのふくろをかかえたまま、家にもどるなんて、とんでもない。どれもこれも、みな、すべての子供たちに、おくることにしましょう。そうすれば、お目にかかれなかった、王である幼子に、おくりものをささげるのと同じことになるでしょう。」

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 こういうわけで、遠いむかしから、今のいままで、おばあさんの家では、火のついただんろのまきが絶えることがなく、いつも、おいしい食べものでいっぱいなのです。そうして、小さいおばあさんは、クリスマスの夜から数えて、12日目の晩になると、ふくろをいっぱいに満たして、世界じゅうの子供たちに出会うために、まほうで空を飛ぶのです。そして、1年間絶えることのない喜びと安らぎを、心にむかえいれたいと願う、すべての人々に贈っていくのです。

                                        
 訳者あとがき

 2010年1月4日から6日にかけて、わたしたちは、ダム湖である、リドラーコリ湖近くの山荘で、友人たちと過ごしました。

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 1月6日の主顕節は、子供たちにとっては、ベファーナが靴下いっぱいのお菓子を贈ってくれる楽しみな日です。そこで、友人のマヌエーラとシルヴィアの発案で、主顕節前の晩に、子供たちのために、ベファーナを主人公とした劇を上演することになりました。何かいい物語がないか、と二人に頼まれた夫のルイージは、インターネットでいろいろ資料を探したものの、なかなかいい物語を見つけることができません。そこで夫が、2009年の末に、いろいろな資料を参考に、苦労しながら、そして、楽しみながら、書き上げたのが、こちらの作品です。

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 ダム湖周辺にはちょうど雪が降りつもり、行きも帰りも、山荘へ、山荘からの坂道を、車で通るのに苦労しました。けれども、一面に白くつもった雪の美しさは格別で、劇は、銀世界となった戸外で、夜に登場人物たちを明かりで照らして、行うことになりました。旅をする王さまたちに従って、観客もまた雪の中を歩いて行きます。マヌエーラが少しずつ物語を読み上げるに従って、星や王さまたちが動きを示して、劇が進んでいきました。

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 こちらは、上演前に、ベファーナと東方の三博士役の人々を、撮影したものです。記事に添えた写真は、暗い中で撮ったビデオ映像から保存したものなので、見づらいのですが、この写真では、赤いターバンを頭に巻いた三博士の一人が、夫のルイージであることが、よくお分かりかと思います。

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 夫はさらに、前編(リンクはこちら)の写真に見える、王さまたちが追い続けた星づくりにも、心血を注ぎました。はりきって、いろんな材料を買おうとする夫に、クリスマスの贈物の金色の包み紙と、破れた白いカーテンが使えると、わたしが提案したのですが、流れ星を支え、持つところになる木の棒だけは、買いに行きました。ちなみに、この劇では、わたしはシルヴィアたちと共に、演出を担当し、我が家では、みんなで食べる初日の夕食として、巻き寿司をたくさん作りました。

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 もともと演劇が好きなサブリーナが演じたベファーナは傑作で、おばあさんの喜びを、コミカルに表現して、皆を楽しませていました。劇の翌朝、やはり王さまの一人を演じたルーカが、ベファーナ用のつけ鼻をつけたまま、コーヒーを飲もうと苦労しています。すぐに、芥川龍之介の小説、『鼻』を思い出しました。

 残念ながら、この小旅行の際、わたしたち自身は、カメラを持参しませんでした。というわけで、この記事および前編の記事の写真は、1月2日に星を作成中の夫を撮影した写真を除いては、友人のロベルト、ロージー、ルチャーノとルーカから借用したものです。

Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2011-01-24 23:44 | Feste & eventi | Trackback | Comments(9)

『ベファーナ物語』 前編

ルイージ・ミッレッティ作、石井直子訳 ~原文は、こちらです~

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(アッシジのプレゼーペの中で、東方の三博士のらくだが、小屋の近くにいた羊飼いに、こっそりうちあけた話を、そのとき、運よくプレゼーペの前にいて、聞くことができたわたしが、一言ももらさず、ここに書きうつしたものです。)

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 遠いむかし、今から2000年以上も前に、かしこい3人の王さま、メルキオッレ、バルダッサッレ、そして、ガスパッレが、はるかに遠い国から、旅に出かけました。3人は、それぞれ、なぞの多い土地、ヌビア、豊かな地いき、バビロニア、そして、伝説の国、タルシスから、出発しました。

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 3人のかしこい王さまは、星の言葉を知っていました。3人は、星たちから、偉大な王さまがガリラヤの地にお生まれになることを知り、そこで、この偉大な王さまをうやまい、おくりものをささげるために、旅に出ることにしたのです。おくりものは、王の黄金、神々におくられる乳香、そして、人々の苦しみをいやす、にがい没薬でした。3人の王さまは、星にみちびかれて、たくさんの国々をわたりました。どの土地をたずねても、人々は、王さまたちを見て、興味を引かれて、かけよってきました。そうして、そのうち何人かは、王さまの旅の道連れとなりました。

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 おかしなことだと思われるかもしれませんが、3人の王さまたちは、おたがいのことを、まったく知りませんでした。どの王さまも、ほかの二人のことを何ひとつ知らなかったのです。けれども、3人のゆく道は、やがてひとつに交わることになっていました。3人のかしこい王さまが、おたがいに出会ったとき、聖なる町、エルサレムはまだ遠く、何日もなんにちも、歩いた先にありました。出会った3人は、おたがいにあいさつをしました。そうして、ちがう言葉を話していたのにもかかわらず、おたがいの言うことが分かり、同じ星にみちびかれて、同じ行き先に向かっていることに、気づきました。こうして、3人のかしこい王さまは、いっしょに旅をつづけました。

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 もはや年も終わりに近づいていました。旅は何か月もつづき、だれにとっても、たいへん苦しい旅になっていました。突きささるような寒さのために、三博士の体は弱ってきました。3人の進む荒れ野原には、木が1本もありません。一面が草におおわれ、ごくまれに、しげみがあるばかりです。ある夜、冷たい風が、雪を王さまたちの顔に吹きつけていたとき、降りしきる雪の中で、遠くの方に、かすかな明かりが見えました。3人はその明かりに向かって進み、ぽつりと1けん建った、みすぼらしい小さな家の近くまで、たどりつきました。そうして、一晩とめてくださいとたのむために、戸をたたきました。

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 ぎしぎしと音を立てながら、戸が開くと、その後ろには、小さなおばあさんがおりました。おばあさんは、みごとな衣しょうを身にまとった王さまたちを前にして、少しおそれ多い気持ちになりました。そうして、「こんなにりっぱな方たちを、おもてなしできるような家ではありませんが。」と言いながらも、家にまねきいれ、わずかながら、大切にとっておいたものを、すべて使って、できるだけ十分に、おもてなしをしようと努めました。のこっていた最後のまきで、だんろに火をおこし、ありったけの野菜を使って、とてもおいしいスープを作りました。この家で、こんなにりっぱな人たちをもてなしたことは、これまで一度もありませんでした。小さなおばあさんは、これまでも、いつも心おだやかに暮らしていました。次の日にはもう何も食べるものがありません。けれども、このとき、おばあさんは、幸せでいっぱいでした!

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 東方の三博士も、いっしょに旅をつづける人々も、ようやく温かい中で夜を過ごすことができました。次の朝、再び力をとりもどした王さまたちは、小さいおばあさんにお礼を言い、エルサレムへの道をたずねました。なぜ旅をしているかも説明し、ぜひいっしょに王の中の王をたずねに行きましょうと、おばあさんを、さそいました。

⇒「『ベファーナ物語』後編」につづく(リンクはこちら

Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2011-01-23 23:58 | Feste & eventi | Trackback | Comments(2)

LA VERA STORIA DELLA BEFANA

di Luigi Milletti
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(raccontata in tutta confidenza dal cammello dei Re Magi del presepio di Assisi al pastore vicino alla capanna, e qui scritta, parola per parola, da colui che, trovandosi davanti al presepio in quel momento, per fortuna poté ascoltarla)

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In un tempo lontano, più di duemila anni fa, avvenne che tre re sapienti, i cui nomi erano Melchiorre, Baldassarre e Gaspare, si misero in viaggio da paesi molto lontani, uno dalla misteriosa terra di Nubia, un altro dalla fertile Babilonia e uno dalla favolosa Tharsis.

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Questi, conoscevano il linguaggio delle stelle e da loro seppero che un grande Re stava per nascere nella terra di galilea, decisero di andare a porgergli il loro onore e rispetto e offrire i loro doni: l’oro dei re, l’incenso degli Dei, e la amara mirra per la sofferenza degli uomini. Attraversarono molti paesi guidati da una stella, e in ogni luogo in cui passavano, gli abitanti vedendoli, accorrevano curiosi e alcuni si unirono a loro nel cammino.

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Può sembrare strano, ma i tre re non si conoscevano fra loro e non sapevano niente l’uno dell’altro, le loro strade però erano destinate ad incrociarsi; si incontrarono quando ancora mancavano molti giorni di cammino per arrivare alla Santa città di Gerusalemme, si salutarono e, pur parlando lingue diverse, si compresero e si accorsero di seguire la stessa stella e di andare verso la stessa meta; così proseguirono il viaggio insieme.

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Ormai l’anno volgeva al termine, il viaggio durava da mesi ed era stato molto faticoso per tutti loro, il freddo pungente cominciava a indebolire i tre sapienti; procedevano per una landa senza alberi, solo erba e qualche raro cespuglio la ricopriva e quando una sera la neve portata da un freddo vento sferzava i loro volti, videro, lontano tra i fiocchi di neve, un lumicino, si avvicinarono e giunsero nei pressi di una solitaria e misera casetta, decisero di chiedere ospitalità per la notte, bussarono,           
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e dietro la porta che si apriva cigolando, comparve una vecchina che al cospetto di quella gente vestita di abiti così preziosi, provò un po' di timore e disse che la sua casa non era degna di ospitarli, ma li fece entrare e utilizzò tutte le sue poche provviste per accoglierli il meglio possibile: ravvivò il fuoco del camino con l’ultima legna rimasta, e fece una buonissima zuppa con tutte le verdure che aveva: mai quella casa aveva ospitato gente così importante e la vecchina anche se viveva da sempre con serenità, seppure l’indomani non avrebbe avuto più niente da mangiare, adesso era addirittura felice!

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I tre Re Magi con tutto il seguito, passarono la notte finalmente al caldo e il mattino dopo, di nuovo pieni di forze, ringraziarono la vecchina, si fecero da lei indicare la via per Gerusalemme, le spiegarono la ragione del loro viaggio e la esortarono ad andare con loro a far visita al Re dei Re, ma la vecchina esitò, indicò loro il cammino ma non andò, poiché, disse ‘aveva troppe faccende da sbrigare’…in realtà avrebbe avuto tanta voglia di andare, ma così povera e col vestito pieno di pezze e senza niente da regalare, come avrebbe potuto presentarsi davanti a un Re? i tre sapienti, seppure dispiaciuti del rifiuto, la colmarono di mille e mille benedizioni, e partirono.

La vecchina passò tutta la giornata a rimettere la sua casetta in ordine, e sebbene non avesse niente da mangiare e non poteva accendere il fuoco, era felice.

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I giorni passarono e i Magi, in una sera calma e limpida piena di canti dei pastori e belati di pecore che si sentivano vicini e lontani, finalmente arrivarono alla meta indicata dalla stella: una grotta che serviva da stalla per un bue e un asino, nella mangiatoia dormiva un Banbino appena nato chiamato Gesù, che riconobbero come il Re di tutti i re; vicino lo vegliavano i suoi genitori Maria e Giuseppe, qualche donna e alcuni pastori; stettero alcuni giorni in compagnia di Giuseppe e Maria e parlarono molto a quel Bambino che non si stancavano mai di guardare, consapevoli della loro grandissima fortuna nell’essere lì in quel momento, gli raccontarono anche del loro lungo viaggio e delle persone incontrate, e della vecchina nella casetta povera e della sua felicità nell’ospitarli; il Bambino li osservava, non parlava ancora naturalmente ma con quegli occhi luminosi dimostrava di gustare il loro racconto, come una fiaba.

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E fu proprio in quel momento, all’alba, che la vecchina, svegliandosi, sentì il calore di un grande fuoco che ardeva nel camino e vide un grande mucchio di legna lì vicino e la dispensa piena di tante cose da mangiare: fagioli, lenticchie, formaggi, farina, uova, dolci e frutti di ogni genere!! Capì che erano state le benedizioni dei Re Magi e la sua felicità nell’accoglierli a far si che quel prodigio avvenisse, allora ebbe un gran desiderio di vedere quel Bambino e partecipare a quell'evento che il Buon Dio le aveva dato l’opportunità di cogliere: riempì un grosso sacco con le cose della dispensa: biscotti, pani dolci, caramelle e frutti, e uscì di casa per raggiungere i Re Magi, il giorno era limpido ma la neve caduta durante le notti precedenti, non le permetteva di vedere la direzione presa dai Magi e non sapeva in che luogo era nato il Bambino...dopo un giorno e una notte piena di stelle passati a camminare senza trovare nessun segno del passaggio dei Re Magi, si fermò, stette per un po' pensierosa, il sacco di doni era colmo e lei continuava ad avere il cuore pieno di gioia, allora le venne un’idea: “non tornerò a casa col sacco pieno, offrirò tutte queste cose ad ogni bambino, e sarà come se le offrissi a quel Re Bambino che non ho potuto vedere”.

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E fu così che da quel tempo lontano fino ad oggi, nella casina non manca mai la legna per il camino acceso e la dispensa è sempre piena di buone cose, e la vecchina, nella dodicesima notte che viene dopo la notte di Natale, riempie il suo sacco, e per magia, vola ad incontrare tutti i bambini del mondo, portando gioia e serenità che durano un anno intero, a tutti quelli che le vogliono accogliere nel loro cuore!


COPYRIGHT © 2009 Luigi Milletti All rights reserved

Scritto da Luigi Milletti, mio marito nel dicembre del 2009
per un teatrino rappresentato con gli amici per i loro bambini
il 5 gennaio 2010 vicino alla Diga di Ridracoli.

Immagini prese da Roberto, Rosy e Luciano durante lo spettacolo.


*追記(2013年1月5日)
 この物語の日本語訳は、以下のリンクから読むことができます。
↓↓ Link alla traduzione in giapponese della storia
- 『ベファーナ物語』前編
- 『ベファーナ物語』後編

Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2011-01-21 22:31 | Feste & eventi | Trackback | Comments(2)

贈り主いまむかし

 年末年始には、日本はお正月でお年玉が贈られ、日本も含めた世界各地で、クリスマス、12月25日に、子供たちが贈り物を受け取ることを楽しみにしています。イタリアでも、近年はすっかりサンタクロース(Babbo Natale)が定着し、幼稚園・学校や各家庭に、サンタクロースがやって来て、直接子供たちに贈り物を手渡すこともあれば、テレビ広告や家々のクリスマス飾りにも、サンタクロースが登場しています。

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スペッロ(記事はこちら)で見かけたサンタクロース  2011/01/09


 歴史的にカトリック教の影響が強く、信者も多いイタリアでは、もちろん古くから、クリスマス(Natale)を祝い、プレゼントを贈る習慣もありました。けれども、イタリアの子供たちが、贈り主がサンタクロースだと信じるようになってきたのは、それほど遠い昔ではありません。

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クリスマスツリーの下には贈り物の山 2010/12/25


 たとえば、ウンブリア州で生まれ育った義父母は、自分たちが幼い頃に両親から教わったように、息子たちに、クリスマスに贈り物を運んでくれるのは、幼子イエス(Gesù bambino)だと、言っていました。今年のクリスマスには、わたしたちがミサから帰ったときに、自宅のクリスマスツリーの下に、義弟たちからのプレゼントが置かれていたのですが、それを目にした夫が、とっさに言った一言は、「幼子イエスが来られたよ。」(E’ arrivato Gesù bambino!)でした。

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アッシジ、 サンタ・マリーア・デッリ・アンジェリ教会のプレゼーペ 2010/12/25


 姪たちが保育園に通い始めるまで、義父母は、「幼子イエスからの贈り物」と姪たちに言っていたのですが、入園してからは、先生からも、そしてテレビでも、「贈り物を運ぶのは、サンタクロース」と教えられ、今では、姪たちはそう信じています。姉娘のアレッシアの方は、どうやら本当は親や親戚が贈ってくれるのだと気づいてきたようだ、と義弟は言います。それはさておき、お義父さんもお義母さんも、クリスマスの本来の主役であり、かつウンブリアでは、伝統的にクリスマスに贈り物を運ぶと言われてきた幼子イエスが、その役割の一部を、サンタクロースに取って代わられたことを、とても残念に思っています。やはりペルージャ出身のルーカにとっても、幼い頃の贈り主は、サンタクロースではなく、幼子イエスだったそうです。

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アッシジ、S.M.A.教会 世界のプレゼーペ展、イタリアのプレゼーペ 2010/12/25


 ところが、数年前、このことをリッチョーネ出身のマヌエーラに話したところ、彼女が幼い頃には、贈り物を運んでくれたのは、クリスマスのときも、やはりベファーナ(Befana)だったというのです。

 そこで、以前から、イタリア各地域で、クリスマスに贈り物をするとされていたのが、だれだったかに、興味があったわたしは、今回、新年の訪れを共に祝った、30歳から50歳の友人たちに、インタビューをしてみました。質問は、「子供の頃、だれがクリスマスにプレゼントを贈ってくれると信じていましたか。」です。

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今年の主顕節に姪が受け取った、ベファーナのお菓子入り靴下を拡大


 すると、リッチョーネとイジェア・マリーナのようなアドリア海岸、リミニ県出身の友人たちだけではなく、マルケ州の山中に生まれ育った友人も、やはり、子供の頃は、「クリスマスにも、主顕節にも、贈り物を運んでくれるのは、ベファーナだ」と信じていたということが、分かりました。

 ただし、当時はまだ貧しかったので、クリスマスの贈り物も、お菓子のような、ささやかなものだったと、スピーディが語ってくれました。

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アドリア海沿岸ミニクルーズ(記事はこちら)   2010/06/19


 さらに、リミニと同じエミリア・ロマーニャ州でも、フェッラーラ出身の友人は、「主顕節のベファーナとは別に、1月15日に、 ベファノーネ(Befanone)が、贈り物を運んでいた。」と言います。

 そして、北部のブレーシャ出身の友人は、クリスマスの贈り物は、12月13日に、聖ルチーア(Santa Lucia)が運んでくれると信じていたし、ヴェローナを中心に、今でも子供が12月13日に贈り物を受け取る慣習があると言います。そう言えば、わたしもそういうニュースを、昨年テレビで見た記憶があります。

 イタリア各地で料理や慣習、人々の気質、そして方言が異なるのは、476年の西ローマ帝国滅亡から1861年のイタリア統一まで、イタリアが政治的・行政的に分断されていたからなのですが、こうした地域による違いが、クリスマスのプレゼントの贈り主にも見られるということに、驚くと同時に、イタリア国内における文化の多様性を、改めて感じました。

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 それが最近は、アメリカ文化、そして、地球規模化(globalizzazione)の影響を受けて、幼子イエスも聖ルチーアも、サンタクロースに取って代わられつつあります。たとえば、元旦に演じたお芝居(上の写真、記事はこちら)では、まだ「贈り物をするのが幼子イエスである」ことを前提として、物語が進行していましたが、たとえば現代の大学生の世代には、「贈り主はサンタクロース」と聞いて育った若者が多いようです。

 聖ルチーアやベファーナの贈り物も、12月13日、1月6日と、それぞれ、クリスマスとは別の日に行われる催しとして、残っていくこととは思いますが、それにしても、クリスマスのように、人々の信じる宗教にとって大切な祝祭日に関わる慣習が、他国の、そして商業主義の影響を受けて、変わりつつあること、そして、変わってしまったことが、義父母同様、わたしにも、残念に思われるのでした。

Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2011-01-20 23:19 | Feste & eventi | Trackback | Comments(6)


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Naoko Ishii
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