タグ:在りし日&在りたき姿 ( 100 ) タグの人気記事

「直子の訪伊日記Ⅰ 出発編」

 1年間イタリアに語学留学をしようと、退職し、日本を発って、わたしがイタリアで暮らし始めたのは、2002年4月3日。今からちょうど11年前のことです。数か月前、片づけをしていたら、こんな懐かしいものが出てきました。

f0234936_6183539.jpg

 受け持っていたクラスの生徒たちに、「こういう理由でイタリア留学を決めて、こんなふうに1年を過ごそうと考えているんですよ。」と伝えるために書き、

f0234936_6185167.jpg

 離任式の日に皆に贈った、このクラスの思い出集に、綴じ込みました。

 「直子の訪伊日記Ⅰ 出発編」

 1年の予定が、11年経った今も、イタリアに住んでいるため、結局「Ⅰ 出発編」で終わってしまったのですが、今日は、自分自身があの頃を振り返るために、そして、どなたかの参考になればと思って、この訪伊日記に書いてあることをご紹介します。

イタリア
 1999年の夏休みに、アイルランドで共に過ごしたイタリア人のクラスメートたちの温かさと陽気さ、人生を楽しもうとする姿勢に魅かれたのが、イタリア語学習のきっかけです。
言葉や文通、実際の旅を通して、その文化に触れるにつれ、行って学んでみたいというあこがれが、どんどん深くなりました。また、自分が言葉や古い文学、いろんな人との交流に強い関心を持っていることに気づきました。
 生徒や先生方と共に学ぶのも楽しく充実していたのですが、自分の興味と力が最も向いている方向で、精一杯学んでみたい気持ちが、だんだん大きくなりました。

f0234936_6191468.jpg

<今後の予定>
2002年
4月 3日 松山 → 関空 → ミラノ
      4/4、4/5は、「こころ」や「山月記」、「人間失格」の愛読者であるイタリア人
      の友人に、ミラノの町を案内してもらいます。
4月 6日 ミラノ → ウルバニア
4月 8日 ウルバニアの私立語学学校、Centro Studi Italiani
  │   (チェントロ ストゥーディ イタリアーニ)で学ぶ
9月21日
      ホームステイ先
      (プライバシー保護のため省略)

10月1日  ペルージャ外国人大学のイタリア語イタリア文化コースで学ぶ
  │
2003年
3月31日

 就学ビザが最長1年間、2003年4月2日までなので、4月に帰国する予定です。もしイタリアの大学に正規あるいは単科留学したい場合には、東京のイタリア大使館で4月~7月にかけて申請の手続きなどを行わなければなりませんし。

ウルバニア
 Centro Studi Italianiを選んだ理由は、
1.言葉とともに文化に関する授業(イタリア文学、イタリアの経済など)が学べること、
2.人情が温かく治安のよい小さな小さな町にあること、
3.ホームページや英独米の提携校から、先生方が熱心ですばらしいことがわかること……です。

ペルージャ
ペルージャ外国人大学は数千人の外国人が学ぶところです。文化を深く学べることにくわえて、いろんな国から来た人たちと共に学ぶことができるのもとても楽しみです。「イタリア語イタリア文化プロモーション学科」、「国際コミュニケーション学科」などの学位取得課程も気になります。

 1月末に通信教育の「イタリア語上級」を終えたのですが、読み書きはともかく「聞くこと、話すこと」はまだまだなので、まずは向こうで言葉をしっかり身につけモノにしたいと思います。
 1年間を通して、イタリア語イタリア文化のさまざまな側面を学んだあとで、イタリアの大学で、あるいは日本の大学院で学ぶか、仕事をするか考えたいと思います。

これから
 日本の古典の世界(とくに平安時代)を向こうの人に知ってもらい、日本の人には、日本人は知らないけれど、すばらしい伊文学の作品を紹介するようなことができたら…という漠然とした希望はあるのですが。お世話になっているすてきな先生方、それではArrivederci!(またお会いしましょう)

TOSHIBA Dynabook M3/275PRH
 イタリアで日本の情報を手に入れたり、日本の人と日本語でメールをやりとりしたりできるように、世界保証のあるこのノートパソコンを購入しました。メールアドレスがあったら教えてくださいませ。


 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 以上です。

 今、書き写していて、どうやら、クラスの生徒だけではなく、上司・同僚の先生方にも、職員室のレターケースにでも入れて、あいさつに代えていたようだという気がしてきましたが、記憶はさだかではありません。

 旅立つ前の予定はこうだったけれど、実際に留学してみたら、どうだったのか。これまでにも、いろいろな記事に少し触れてはいるのですが、今後は、当時の留学生活やイタリア語・イタリア語文化の講座などについても、意図的に、少しずつ書いておきたいと考えています。

3/4/2013 - Sono passati undici anni da quando ho cominciato a vivere in Italia!

- Qualche mese fa ho trovato una mia lettera. Fino al marzo 2002 ho lavorato come insegnante nella scuola superiore e la lettera era indirizzata agli studenti della mia classe e ai miei colleghi.

- "Mi piacerebbe far conoscere la letteratura classica del Giappone agli italiani e insegnare ai giapponesi le opere letterarie dell'Italia"; alcuni di questi desideri si sono esauditi in qualche modo, ma vorrei provare ancora di più!

f0234936_16355497.jpg

- Un po' per festeggiare questo anniversario, finalmente abbiamo mangiato (e per farlo prima abbiamo spezzato) il bellissimo uovo di Pasqua; è anche molto buono!

関連記事へのリンク / Link agli articoli correlati
- あれから10年 / Dopo 10 anni (4/4/2012)
- 思い出の学校1 / Scuola di Urbania (2/12/2011)
- 滞在許可証3+仕事の現状と抱負 / Università per Stranieri di Perugia (21/11/2010)
- 重要3000語で95% / Lezioni di italiano (3/12/2012)

Articolo scritto da Naoko Ishii

 この記事いいなと思ったら、応援の1クリック(↓↓)をお願いします。
Cliccate sull'icona (↓) se vi piace il blog.
にほんブログ村 海外生活ブログ イタリア情報へ
NihonBlogMura Blog Ranking

こちらのランキングもクリックをお願いします↓↓ ありがとうございます!
Cliccate anche su questa icona. Grazie!

Ninki Blog Ranking

by milletti_naoko | 2013-04-03 23:23 | Ricordi | Trackback | Comments(12)

聖フランチェスコの日に

 「愛されることよりも愛することを、理解されるよりも理解することを、慰められることよりも慰めることを求め」られるようであれたらと思うけれど、それは本当に難しい。「主よどうか、わたしがそういう人になれるようにお力添えください」という、美しい祈りの言葉の作者として、俗に考えられている聖人。(真実は異なるようです。)

f0234936_19541138.jpg

 初めてわたしがアッシジの聖フランチェスコ(San Francesco d'Assisi)を知ったのは、まだ日本に住んでいた頃、渡辺和子さんの著書に引用されていたこの祈りの言葉を通してだったのではないかと思います。

 そのわたしが、聖フランチェスコという人を知り、魅かれるようになったきっかけは、2000年8月のイタリア旅行中に、アッシジで見たこのミュージカルです。



 作品全体を貫く、人生への賛歌と、自然や弱いものを愛し、清貧と愛・信仰に目覚めて生きた、聖フランチェスコの人生に感動しました。

 終了後は、迷わず『Francesco – Il Musical』のCDを購入し、イタリア語の勉強も兼ねて、美しい音楽と歌を何度も何度も聞いて、励まされました。

「太陽が沈んで、すっかり闇に包まれたら、目を空に向けてごらん。
 空には月が昇り、丘は白く照らされている。
 日の光もやがて戻ってくる。
 コオロギが鳴かなくても、雄鶏が鳴き、
 そうして、新しい1日が訪れる。
 花にも枯れるときが来るけれども、
 そのときには、もう新しい芽が生まれているものだ。」
(「 」内は石井訳。この部分のイタリア語原詩は、下記リンク参照。)

f0234936_19543692.jpg

 それから3年後に出会って、やがて結婚することになった夫が、やはり聖フランチェスコをことさら慕っているのも、単なる偶然ではないかもしれません。聖人の出身地のあるアッシジ(Assisi)は、ペルージャから近いこともあり、ウンブリアには、イタリアの守護聖人である聖フランチェスコを敬愛する人は、他州に比べて多いのではないかと思いますが、それでも、義父母のように、結婚式に聖フランチェスコの記念日を選び、長男にはフランチェスコと名づけようと考えるほどの人は、少ないのではないかと思います。母方の祖父が亡くなったため、結局夫は亡き祖父の名を受け継ぐことになりましたが、夫の名前は三つあって、その一つはフランチェスコなのよと、義母が教えてくれました。

f0234936_19545330.jpg

 ひょっとしたら夫が自然を愛し、虫や動物に優しいのも、聖フランチェスコの影響かもしれません。出会った頃から、聖フランチェスコにゆかりの深い場所を訪ねる機会はしばしばあります。ラヴェルナ(La Verna)、アッシジ、サンタ・マリーア・デッリ・アンジェリ、リーヴォトルト…… 聖人の足跡を訪ねて、2009年にはラヴェルナまで、2011年にはリエーティからローマまでの6日間の巡礼にも、夫や友人たちと共に参加しました。

f0234936_19551248.jpg

 今読んでいる伝記をきっかけに、再び訪ねてみたいと思っていたサン・ダミアーノ(San Damiano)の教会も、先日の土曜日に、ようやく訪ねることができました。

 今日、10月4日は、義父母の結婚記念日を祝って、ラヴェルナ旅行を贈り、ついでにわたしも、この聖人の祝祭日に、ラヴェルナを訪ねてみたいと思っていたのですが、義父母は、週末のピオ神父の教会への旅行準備で忙しく、わたしと夫も、改築中の家の床を仕上げる業者を決めるために、今日の午後は、あちこち回ることになりそうです。聖フランチェスコを記念するこの日に、謙虚で、慈愛にあふれる聖人に、少しでも近づけたらと、思うのでありました。

関連記事へのリンク
- 聖金曜日のラヴェルナ / Venerdì Santo alla Verna (22/4/2011)
↑↑ 冒頭に掲げた祈りの言葉のイタリア語全文とその日本語訳を載せています。
- メルマガ第68号 「歌~すべてが闇に包まれても、聖金曜日、復活祭とアッシジ」

参照リンク
- Amazon.co.jp - 渡辺和子著、『愛をこめて生きる – “今”との出逢いをたいせつに』(PHP文庫)
↑↑ 渡辺和子さんの著作は何冊も読んだのですが、最初に読んだのはこの本です。どの本も心に響き、励まされることが多いのですが、この本は他の著作に比べて、文が簡潔で、読書に慣れていない人でも読みやすかったように覚えています。かつて日本の高校で教えていた頃、高校生によく勧めていました。

Articolo scritto da Naoko Ishii

 この記事いいなと思ったら、応援の1クリック(↓↓)をお願いします。
Cliccate sull'icona (↓) se vi piace il blog.
にほんブログ村 海外生活ブログ イタリア情報へ
NihonBlogMura Blog Ranking

こちらのランキングもクリックをお願いします↓↓ ありがとうございます!
Cliccate anche su questa icona. Grazie!

Ninki Blog Ranking

by milletti_naoko | 2012-10-04 13:00 | Film, Libri & Musica | Trackback | Comments(5)

人生にほほえめば

  ほほえみなさい、たとえそのわけが見つからなくとも
  愛しなさい、まるで子供であるかのように
  ほほえみなさい、たとえ誰が何と言おうとも
  世間の言うことに耳を傾けないで
  なぜって、そうあることで、人生はすばらしいものとなるのだから

f0234936_5482518.jpg
Concerto di Noa e la Filarmonica Arturo Toscanini 14/8/2012

 8月14日火曜日の晩、リミニの友人たちと、ミラノ・マリッティマ(Milano Marittima)で催された、イスラエル人女性歌手、ノアのコンサートに行きました。

 ノアの愛する二つの国、イスラエルとイタリアの歌を始め、オーケストラの美しい演奏とみごとに調和した、さまざまな彼女の歌を楽しんだのですが、観客のアンコールに応えて、ノアが最後に歌ったのがこの歌でした。

 コンサートでは英語と、そしてヘブライ語らしき言語の2か国語を交互に使って歌われたのですが、インターネットで英語の歌詞を見つけて、わたしなりに訳してみました。言葉の響きや伝えんとすることの明確さを重視して、意訳になっているところもあります。



 ロベルト・ベニンニの名作で、『ライフ・イズ・ビューティフル』(詳しくはこちら)、イタリア語の原題を『La vita è bella』(リンクはこちら)というこの映画はわたしも大好きで、イタリア語の勉強も兼ねて、何度も見ました。

 コンサートの最後に、この映画の聞き覚えのあるメロディーが流れ、やがてノアが歌い出したその歌詞の美しさに打たれました。つらいときほど、ほほえむ強さが必要で、笑顔がやがて幸せを運んでくると、そういう詩やことわざ、歌は多いのですが、このベニンニの映画のメロディーを通して、どんなに逆境に陥っても、笑顔を忘れず、息子に人生は美しいと伝え続けた主人公の姿が、歌詞の言葉に重なって、歌のメッセージが二重に胸に迫ってきました。歌詞のすべてに、映画の場面が重なって、強く心に響いてきます。ぜひ皆さんも下のリンクの英語の歌詞や上のYouTube映像のイタリア語字幕も頼りにしながら、歌を何度も聴いてみてください。

 歌の初めに、Smile(ほほえみなさい)と語りかけるところが、意識してかどうか、もう一つのわたしがとても好きな歌と共通しています。



 やはり映画に関わりの深いこの歌については、以前のブログ記事(リンクはこちら)で、歌詞へのリンクや歌の映像、和訳をご紹介していますので、興味のある方は、ぜひご覧ください。今この記事を書くにあたって、この過去記事に目をざっと通していたら、この『Smile』の歌も、今回ご紹介した歌、『Life is beautiful that way』と同じで、映画で使われた曲に、あとから歌詞が添えられたものであること、コンサートで聴いて感動したことが分かって、何だかひどく共通点が多いのが興味深かったです。

LINK
- YouTube - Noa – Beautiful That Way – La Vita è Bella (イタリア語字幕つき)
- Leonardo.it – Testo, Beautiful That Way - Noa

Articolo scritto da Naoko Ishii

 この記事いいなと思ったら、応援の1クリック(↓↓)をお願いします。
Cliccate sull'icona (↓) se vi piace il blog.
にほんブログ村 海外生活ブログ イタリア情報へ
NihonBlogMura Blog Ranking

こちらのランキングもクリックをお願いします↓↓ ありがとうございます!
Cliccate anche su questa icona. Grazie!

Ninki Blog Ranking

by milletti_naoko | 2012-08-20 22:50 | Film, Libri & Musica | Trackback | Comments(10)

空を飛ぶには

 人間は翼が一つしかない天使だから、空を飛ぶためには、二人が寄り添う必要がある。

 Voglio ringraziarti, Signore per il dono della vita; ho letto da qualche parte che gli uomini hanno un’ala soltanto: possono volare solo rimanendo abbracciati.
                               Don Tonino Bello


f0234936_6492458.jpg

 一人だけだと、何でも好きなように、早くできるように見えて、実は飛ぶ方向が定まらなくて、何かにぶち当たってしまう。だから互いに支え合い、一緒に生きる必要があるんですよ。何も夫婦に限らず、わたしたち修道士でも、他の修道士と、結婚していなくても、家族や友達と……

f0234936_6494377.jpg
Basilica di Santa Maria degli Angeli, Assisi 13/5/2012

 5月13日日曜日に、アッシジサンタ・マリーア・デッリ・アンジェリ教会のミサに参列したとき、印象に残った説教の言葉です。ちょうどその日、教会にひしめく信者たちの中に、結婚数十年を記念して祝う夫婦がいたようで、説教をした修道士は、その夫婦と、すべての夫婦に考えてもらいたいと言いながら、心に残る祝辞と戒めを贈ってくれました。

 最近は愛が他のものと混同されがちだけれども、単に「好きだ」という思いが高まっているときだけ、「相手に何でもしてあげたい」と思うときだけ、一緒にいたり優しくすることが愛ではなく、そういう気持ちが起こりにくいときでも、相手を思って、自分の時間や手間、愛情を惜しまないことが大切なのだ。「役に立つから、自分に何かが返ってくるから」というだけの理由で一緒にいるのも、それは本当の愛ではないのであって、「何のためにこんなことを」と思うときでも、つらいときでも、相手のために、時間を心を、そして手間を惜しまないこと、それが愛なのだ。

 一つしか翼のない人間同士が空を飛び、上を目指して飛び続けていくには、一人ではなく二人で寄り添う必要があり、教会で式を挙げると、その夫婦のつながりは、二人の存在や社会との関わりを通して、神の愛を伝えていく、実現していく光となり、また、時に一緒にいるのが難しい、そんなときでも、神自身が、二人の絆を支えるかすがいになってくれるのだ。

 人間は翼を一つしか持たない天使だというその言葉を、修道士はドン・トニーノ・ベッロからの引用だと言っていました。

f0234936_6503933.jpg

 この日は天気がよくて、教会の駐車場前には、鮮やかに美しい色のバラがたくさん咲いていました。

LINK
- Santuario di San Geraldo Maiella – Dammi, Signore, un’ala di riserva di don Tonino Bello

Articolo scritto da Naoko Ishii

 この記事いいなと思ったら、応援の1クリック(↓↓)をお願いします。
Cliccate sull'icona (↓) se vi piace il blog.
にほんブログ村 海外生活ブログ イタリア情報へ
NihonBlogMura Blog Ranking

こちらのランキングもクリックをお願いします↓↓ ありがとうございます!
Cliccate anche su questa icona. Grazie!

Ninki Blog Ranking

by milletti_naoko | 2012-05-25 23:51 | Vivere | Trackback | Comments(4)

指輪の行方

 わたしが語学学校の留学生として、初めてイタリアに暮らし始めたのは、2002年4月。その年の復活祭をどう過ごしたか、まったく記憶にないので、今確認したら、2002年のカトリック教の復活祭は3月31日なので、すでに終わっていたのでした。

f0234936_22555136.jpg
Urbania, Marche 27/8/2011

 マルケの小さな村で、最初にホームステイした家は、経済的理由のためだけに、留学生を受け入れているという感じでした。朝食・夕食込みのホームステイだったのに、なぜか夕食は、わたし一人が食卓につき、ステイ先の老夫婦に「食べなさい」(Mangia!)と言われながら、それほどおいしくはない大量の食事を無理して食べることが多かったように覚えています。学校の友達から、ステイ先の一家が「家族のように接してくれる」という話を聞いて、うらやましかったこと、そして、かつてわたしと同じ家に滞在したことのある日本人女性から、「あの家はね」と言われて、「ああ、やはりこの家では留学生の扱いがひどいのだ」と悲しく思ったのも、記憶しています。

f0234936_22561038.jpg
Urbania, Marche 27/8/2011

 ウルバーニアの名誉のために言っておくと、村には、老若男女に関わらず、心の優しい人が大勢います。学校から家に帰るまでの短い距離の間に、いろんな人に話しかけられて、おしゃべりをしていたら、結局帰るのが遅くなったり、独り暮らしのおばあさんや老夫婦から食事に誘われて、そのまま残って夕食をいただいたりすることも、よくありました。

 夕食をよそでいただいたのは、数か月後に、学校に頼んで、他の家での朝食だけのホームステイに変えてもらってからです。新しいホームステイ先の主人からは、わたしがよくお年寄りの家を訪ねたり、食事に誘われたりするので、「新手の高齢者訪問ボランティアかい」とからかわれました。自分より少し年上の女友達もできて、食事や休暇を彼女の家族と共にすることも多く、睡眠時間を除けば、ホームステイ先よりも、長く入り浸っていたような気がします。

f0234936_22563090.jpg
Urbania, Marche 27/8/2011

 閑話休題。留学を始めたばかりの頃の復活祭は覚えていないのに、なぜかその1年前に起こったはずの、復活祭関連のテレビニュースを、わたしはよく覚えているのです。1年経っても、珍しいニュースで、話題性があったので、繰り返し伝えられたのでしょうか。あまりにもよく見聞きしたので、最近でも、その事件のその後が、時々気になっていました。

f0234936_22564747.jpg

 それは次のニュースです。

- Corriere della Sera – Anello di diamanti nell’uovo Ma lei non lo sa e lo cambia (15/4/2001)

 イタリアでは、復活祭の贈り物になる大きなチョコレート卵の中に、びっくりプレゼントが隠れています。2001年4月、とある男性が、恋人に婚約指輪を贈るのに、この復活祭の卵の中に入れて、びっくりさせようと考えました。このとき、受け取った女性が、その卵を開けていれば、うれしい驚きの声を上げたことと思います。それが、彼女は、その卵に使われているチョコレートは、自分の好みに合わないからと、恋人が卵を買った店まで持っていって、他の卵と交換してしまったのです。高価なダイアモンドの指輪は見つからず、激しいケンカになって、男性が手をあげ、彼女は告発すると息巻いて…… (上の写真は、今年わたしが受け取った卵です。)

 結局、その婚約指輪は見つかったのかしら、二人の恋の行方はと、復活祭が来るたびに、思い出しては気になっていました。今日思いついて、この指輪と恋人たちのその後を、インターネットで調べてみました。「指輪が見つかった」という記事は見当たらないので、結局指輪は、誰かが自分の手中に収めてしまったのではないかと思います。二人のその後については、上の記事の翌日に出た、次の記事に書かれていました。

- Quotidiano.net – italianews – Caccia all’uovo di Pasqua: un nuovo anello riporta la pace fra i fidanzati. Non hanno trovato ancora il simbolo milionario del loro amore, smarrito dentro un uovo pasquale del quale si sono perse le tracce. Dopo l’annuncio di querela la coppia di Perugia ha fatto pace e ha deciso di partire per una vacanza (16/4/2001)

f0234936_22572377.jpg
Perugia 11/1/2012

 記事を読んでみて、この恋人たちが、なんとペルージャに住んでいたことが分かりました。指輪の行方は分からないものの、結局、男性は新しい指輪を買って、今度は直接彼女に贈り、無事に仲直りをしたとのことです。

 こちらでは、お金や貴重品が落ちているのを見つけると、「警察に届けよう」と思うより、「運がいい」と考えて懐にしまいこむ人も多いようです。そういうわけで、元の指輪は、幸運が舞い込んだと思う誰かのものに、なってしまったかもしれません。どうも指輪は見つからなかったようだけれども、二人が仲直りしてよかったと、10年以上も前に解決した事件の結末を、今さら知ってほっとしているわたしです。

関連記事へのリンク
- あれから10年 (4/4/2012)
- 薬が効きすぎ (30/11/2011)
- 思い出の学校1 (2/12/2012)
- 殻をやぶれば (8/4/2012、復活祭のチョコレート卵の中には)

Articolo scritto da Naoko Ishii

 この記事いいなと思ったら、応援の1クリック(↓↓)をお願いします。
Cliccate sull'icona (↓) se vi piace il blog.
にほんブログ村 海外生活ブログ イタリア情報へ
NihonBlogMura Blog Ranking

こちらのランキングもクリックをお願いします↓↓ ありがとうございます!
Cliccate anche su questa icona. Grazie!

Ninki Blog Ranking

by milletti_naoko | 2012-04-21 16:04 | Ricordi | Trackback | Comments(8)

イタリア語の化石化

 まずは自分の可能性を信じてみること、そうして、一生懸命に頑張れば、不可能も可能にできる。最近、そういう主旨の記事を、いくつか書きました。今回は、逆に、思い込みがマイナスに働く場合について、お話したいと思います。

f0234936_5361923.jpg

 上の写真は、3月にサッソヴィーヴォ修道院(Abbazia di Sassovivo、下記リンク参照を訪ねたときに、地下聖堂(cripta)の入り口に見つけたアンモナイトの化石です。

 今から約3億5千万年前後に繁栄したというアンモナイトが、今もその当時の姿を偲ばせてくれる、そういう意味で、化石(イタリア語でfossile)は興味深く、かつ貴重なものなのですが、このfossileから派生したイタリア語、fossilizzazioneには、文字通り「化石になること」という意味の他に、「時代遅れの考え方から抜け出せないこと、古い考え方に囚われた状態」という意味もあります。

 日本に長い間住んでいるのに、外国語訛りの強い日本語を話す外人さんや、イタリアに長く住んでいるのに、母国語とまぜこぜのイタリア語を話すスペイン語圏出身の人に会ったことはありませんか? イタリアに住んでいても、住む年数が長いほど、イタリア語が上達していくかというと、そういうわけではありません。学習者が、「生活していく上で、自分のイタリア語の力はこれで十分」と知覚すると、いくらイタリアに住み続けても、イタリア語と接する機会、使う機会が多くても、イタリア語力の発達は、そこで止まってしまいます。外国語教育研究の世界では、これを「化石化」(fossilizzazione)と呼びます。

f0234936_5381745.jpg

 母国語の力でさえ、個人差が著しいのですから、自分の暮らす外国の言葉の力は、どこまで身につけるのが望ましいのか、その上限は設定しがたいのですが、もし内心、「せっかく住んでいる国の言葉なのだから、いろんな人ともっとコミュニケーションが図れるように、身につけたい」と思いながら、心の奥底で、「これだけ話せれば、もう用は足りるから大丈夫」と安心し、そこで、イタリア語力の発達が止まっているとしたら、残念なことです。

f0234936_5383774.jpg

 フィリピンや中国などから、集団でイタリアに移民としてやって来た人々は、自分たちの慣習を重んじ、イタリア人との交流が少ないため、イタリア語の発達も、かなり力が低い段階で、化石化してしまいがちだと、外国人大学の授業でも習い、多くの本でも読みました。また、スペイン語やポルトガル語など、もともとイタリア語に近い言語を母国語に持つ移民は、イタリア語の習得は容易なものの、いつまで経っても母国語の影響の強いイタリア語を話す傾向が多いのですが、この場合の化石化の背景には、「自我、引いては、自分の育った文化を象徴する母国語を、無意識に守ろうとするために、あえてイタリア語を完全に習得しようとせず、母国語の癖を保とう」とする深層心理があるそうです。

f0234936_541175.jpg

 今回、この化石化の話をしたのは、外国語の力に限らず、他のことでも、意識の上では必要を感じていても、心の奥底に、現状に甘える気持ちがあって、結局、実際の努力に結びつかないことが多いようだと、気づいたからです。わたしの場合は、たとえば、化粧・衣類におけるおしゃれ、ダイエット・運動、あるいは、うちのインテリアなどで、「何とかしなければいけない」とは思っているのですが、結局、何とかできないのは、心のどこかで、「今のままでもいいや」という気持ちがあるからではないかと、気づいたのです。仕事にしても、幸い義父母が建ててくれた家に住めるし、子供がいるわけでもないし、経済的に追いつめられた状況ではないために、今ひとつはっぱがかからないような気もします。最近、久しぶりに春らしい装いをして出かけようとしたら、着られる服がなくて、これはダイエットをしなければと思ったのに、もう復活祭のチョコレート卵は平らげた上に、今夜はトンカツを揚げてしまいましたし…… おいしそうな豚肉の安売りがあったんです!

f0234936_5414123.jpg

 昔どこかで読んだ言葉に、「目標は高く持ちすぎると、達成しようという意欲がわかないし、低く持ちすぎると、向上がない。」とありましたが、むやみに高すぎる理想を掲げることなく、かつ現状に甘んじることなく、達成できそうな目標を設定し、小さい締め切りを少しずつ設けていくことが大切だと感じています。

「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も成らぬは人の為さぬなりけり」(上杉鷹山)

f0234936_5522677.jpg

 写真はすべて、今年3月31日に訪ねたサッソヴィーヴォ修道院(Abbazia di Sassovivo)で撮影したものです。3枚目は、最初の写真に案内のある聖マローネの地下聖堂(Cripta di San Marone)なのですが、この聖堂、なんと1997年にウンブリア・マルケ地震が起こって初めて、その存在が明らかになったそうです。

 わたしの好きな言葉の一つは、カトリック関係の書籍を扱う店でもらったしおりに書かれていました。手元にないのでうろ覚えですが、

「わたしはきっと宝物。いつかだれかが見つけてくれる。」

 まずは自分の中に眠っている宝物を、自分自身がきちんと発掘しなければいけないなと思うと同時に、思っているだけではいけないと強く感じている今日この頃です。

関連記事へのリンク
- 信じるこころ(勇気をくれる言葉、サッソヴィーヴォ修道院 / Abbazia di Sassovivo)
- 殻をやぶれば
- やればできる1
- やればできる2

Articolo scritto da Naoko Ishii

 この記事いいなと思ったら、応援の1クリック(↓↓)をお願いします。
Cliccate sull'icona (↓) se vi piace il blog.
にほんブログ村 海外生活ブログ イタリア情報へ
NihonBlogMura Blog Ranking

こちらのランキングもクリックをお願いします↓↓ ありがとうございます!
Cliccate anche su questa icona. Grazie!

Ninki Blog Ranking

by milletti_naoko | 2012-04-12 22:57 | Lingua Italiana | Trackback | Comments(8)

やればできる2

 さて、そうして、松山の中学校に転校して、まだ東京が恋しくて仕方のない頃、新しい担任の先生と、親を交えての三者懇談がありました。

f0234936_0173863.jpg

 すぐに高校入試の話になったのですが、そのときの担任の言葉で、今も忘れられない、そうして、わたしの人生を変えた言葉があります。

「東京の学校は学力が低いですからね。東京でできた子だって、こちらでは大したことは見込めませんよ。」

f0234936_0175875.jpg

 わたし自身の学力については、オール3に毛が生えた程度のものだった上、それまで、ろくに勉強をしたこともなかったのでいいのですが、恋しくて恋しくて仕方のなかった東京について、こんな言い方をされて、わたしは、内心ひどく腹を立てました。このあと、「高校1年時の成績は、卒業した中学に報告される」と聞いて、必死に勉強して、この言葉を撤回させてやると思いました。

f0234936_0182132.jpg

 当時、松山にあった県立普通高校は、松山東高校を始め、校名に「東西南北」を冠していました。歴史が古く、名声があり、有名大学への合格者が最も多いのは松山東で、以後、生徒の平均学力の高い方から順に、南北西と続きました。わたしが高校受験に臨んだ春には、さらに、伊予高校が創立しました。わたしの東京での成績を見た担任は、「松山西なら合格率は五分五分ですが、伊予高ならまず合格に間違いない」と、伊予高校を勧めました。けれど、後から聞いた話なのですが、親は、東京の担任から、「この子は力があるから、あまり目標を落とさないように。」と言われていたようで、受験まであと2か月ではありましたが、志望校は松山西高校と決め、生まれて最初で最後の塾通いも経験して、無事に、志望校に合格しました。

f0234936_0184293.jpg

 高校に入学した頃は、まだ東京が恋しくて、「早く高校生活を終えて、東京の大学に行って、東京に戻るんだ。」と思っていました。東京と言っても、中学生のわたしが暮らしていた町は、23区の外にあり、お隣は埼玉の新座市で、当時、駅前には盆踊りができる大きな広場があり、小学校の近くにも子供が遊べる空き地がある、のんびりとしたところでしたから、都会が恋しかったわけではなく、中学時代の友人や住み慣れた町が恋しかったのです。

 そんなとき父が、「国公立大学だったら、東京の大学に行ってもいい。」と言いました。東京の国公立大学というのは、とにかくかなり一生懸命に必死に勉強して、本当に一握りの人だけが入れる難関だというのは、当時のわたしでも知っていました。

f0234936_019559.jpg

 ただ、その頃のわたしには、始まったばかりの高校生活を楽しもうとか、新しい友達を見つけようという気持ちはなく、ただただ東京へ戻りたい気持ちでいっぱいでした。ちょうど、赤毛のアンが、親友のダイアナと学校以外では会えなくなってしまったとき、ライバルのギルバートに負けまいと必死でただただ勉強に打ち込んだように、わたしも、高校最初の1年間は、「いつか東京に帰れるように、これ以上はできないくらいに勉強して、絶対に東京の国公立大学に受かってみせる。」と思って、毎日何時間も必死で勉強しました。そうして必死になって勉強をしたアンがやがてクラスで、そして、プリンス・エドワード島で1番の成績を収めたということも、わたしの、「必死になって努力をすれば、必ず成果が出るはずだ」という思いの底にありました。

f0234936_0193252.jpg

 小学校高学年の頃、放映されたアニメの『赤毛のアン』に夢中になったわたしは、やがて角川文庫でアンシリーズ5冊を父に買ってもらい、何度も何度も読み返しました。高校1年生の頃、わたしが夢中になって勉強したのは、高貴な目的のためでは決してなく、一つには、「一生懸命勉強して、あの中学の担任の言葉を撤回させてやる」という復讐心というか負けず嫌いの気持ちからでした。もう一つは、「どんなに難しくても、必死で勉強すれば難関大学でも合格できるはずだ、そうして東京に戻るんだ」という思いからでした。このとき、「不可能に思えることも、努力と根性で可能だ」というわたしの確信の根源になったのは、『赤毛のアン』と共に、わたしが中学生の頃、東京で再放送していた『巨人の星』の影響だと思います。だれもが無理だという偉業を、さまざまな困難に打ち勝って成し遂げた星飛雄馬。毎日学校から帰っては、『巨人の星』を見て、次の日学校で友人たちと話し合い、掃除の時間には巨人の星ごっこをしたりもしていた東京の中学時代。

 そうして、「大リーグボール養成ギプス」ならぬ「東京の国公立大学可能な学力養成ギプス」を自分に課して、高校1年生のときは、本当に死に物狂いで勉強をしました。そのとき、何が起こったかというと、後に同じ愛媛県立高校に勤める同僚となった、当時の高校の恩師によると、入学時には、400人ほどいた1年生の、後ろから数えた方が早かったわたしの成績は、あっという間に上昇し、1年の2学期からは、通知表の成績でも、実力テストの成績でも、学年1位を維持するようになったのです。

f0234936_020853.jpg

 ただ、高1も終わりに近づいた頃には、高校で新しい友人もできて、「何が何でも東京に戻る」という思いは薄れた上に、父からは、「女の子は県外には進学させない」と、前言を撤回する発言がありました。けれども、それまでに夢中で勉強する過程で、勉強する楽しさに目覚め、以後も、勉強が楽しいのと、親や先生方の期待に応えようという気持ちから、当初ほど死に物狂いではないものの、その頃にはもう習慣になっていた勉強は続けました。数学の先生を尊敬して、生まれて初めて数学のおもしろさに気づき、高2の進路選択では理系クラスを選び、高3の半ばで、急に文系に転向したというか、本来の自分に合った進路に戻したのに、受験に問題がなかったのも、ずっと学年1位を維持していたからです。

f0234936_0203057.jpg

 わたしが受験して合格し、やがて通った国立愛媛大学教育学部、中学校教員養成課程の国語専攻は、定員が7人。高3の3学期のクラスの授業は、数学や化学の授業は週に10時間かそれ以上あったのに、国語はほとんどないという状況でしたが、それでも、模試の偏差値では、数学専攻から国語に科目を変更しても、志望者中いつも1位。松山市の愛媛県立高校は、東・南・北・西と、創立された順、歴史が古い順に、名声も生徒の平均学力も高く、大学の専攻課程の同級生、6人のうちわけは、確か松山東出身者が2人、松山南と松山北が各1人、松山以外の愛媛県立高校2校から2人だったかと思います。そのうち、松山東出身で、おそらく松山東でもいい成績を収めていたであろう男子学生から、「途中から模試で、愛大の志望者のうち、1位から2位になって、そのまま首位が奪回できなかったけれど、あれは石井ちゃんやったんやね。」と言われました。高校入学時には、逆立ちしたって彼の方が上だったはずの成績を、わたしがどんなに努力しても合格できなかったであろう高校に通った人たちの成績を、松山県立4校のしんがりの高校で、1年生から必死で勉強することによって、追い越してしまうことができたわけです。

f0234936_0204694.jpg

 そうして、そのときの経験から、わたしは、勉強することは楽しいこと、そうして、必死で努力すれば、たいていのことは成し遂げられることを、身をもって学びました。そういう経験があるから、高校で教えていた頃も、こちらで日本語・日本文学を教えるときも、学ぶ楽しさ、努力の大切さを伝えたいという思いが、根底にあります。教員採用試験に向けて、実用英検1級のために、イタリア語の学習に、イタリアの大学や大学院での勉強に、必死で取り組んで、胸を張れる成果を上げることができたのも、「やればできる」という確信が、自分の中にあるからだと思います。ただこれが、こと勉強や教職であると確信できるのに、人間関係や他のことだと、まだまだ、自分の可能性を信じる力に弱いような気がします。まずは信じてみないと努力もできないし、そうでなければ、成果も上がらない。いろんな意味で、自分の土俵を、器を広げてみたい、今はそういう時期を迎えています。

f0234936_021543.jpg

 何だ、自慢話だと思われる方もいらっしゃるかもしれません。わたしが伝えたかったのは、他人が無理と言うことでも、必死で努力すれば、実現は可能だということです。つけ加えて、すべての学力、外国語の学習能力の基盤は、やはり国語だとわたしは確信していますし、幼い頃から本を読む習慣、本を愛する心を育てることが、国語力の育成には欠かせないと思います。早期英語教育より、まずは日本語の力をしっかり培うことの方が、人格形成のためにも、将来の学力のためにも、ずっと大切であり、国語の力さえあれば、英語もイタリア語も、大人になってからでも、きちんとものにすることができると確信しています。ひどく長くなりましたが、とりあえず、今日はここまで。

f0234936_0212493.jpg

*今回は、昨日の散歩で訪れたアンナ渓谷(Valle dell’Anna)かつての水小屋、Mulino di Valentina(Mulino di Buccilli)とその前にある池の写真をご紹介しました。最後の3枚は、帰りに再び、スバージオ山(Monte Subasio)とアッシジ(Assisi)付近を通りかかったときに撮影したものです。寒いものの、日中は天気がよかったので、朝には山頂を覆っていた雪が、午後にはかなり解けてしまっているのが、お分かりかと思います。

関連記事へのリンク
- やればできる1

Articolo scritto da Naoko Ishii

 この記事いいなと思ったら、応援の1クリック(↓↓)をお願いします。
Cliccate sull'icona (↓) se vi piace il blog.
にほんブログ村 海外生活ブログ イタリア情報へ
NihonBlogMura Blog Ranking

こちらのランキングもクリックをお願いします↓↓ ありがとうございます!
Cliccate anche su questa icona. Grazie!

Ninki Blog Ranking

by milletti_naoko | 2012-04-10 17:24 | Umbria | Trackback | Comments(16)

やればできる1

 一昨日の記事に関連して、過去の自分の経験から、「要は信じること、思い込みが大切!」というお話をしたいと思います。

f0234936_1849150.jpg
Assisi 9/4/2012

 東京の公立中学校に通い、仲のいい友人もいて、毎日楽しく過ごしていたある日のこと、両親から、父の松山への転勤が決まり、12月末には、一家で引っ越すことになったと聞きました。わたしは当時中学3年生でした。受験が近いからと言って、特に勉強にはっぱをかけられた記憶もないのですが、3年生になってから、高校受験のための模擬試験が時々あったこと、親や担任の先生と相談して、志望する都立高校を決めていたことを、漠然と覚えています。

f0234936_1849288.jpg
Assisi & Monte Subasio con neve 9/4/2012 10.57

 卒業すれば、友人たちと別れなければいけないことは知っていても、一足先にそのときが訪れ、また、再び会うのが難しい、見知らぬ遠い土地に行くのが悲しくて、ひどくつらい思いをしました。すでに志望校もしぼり始めていて、自分の将来というものを、東京で、友人たちの近くで、具体的に思い描いていた頃でもあり、足元が一気に崩れ落ちるような気がしました。父の転勤による引越しは、このときに始まったことではなく、すでに、幼稚園のときに横浜から札幌へ、小5で札幌から東京への引越しを経験していました。それでも、ようやく新しい土地に慣れて、友達もできて、根を下ろし始めたというときになっての引越し、転校には、いつになっても慣れることができません。因果なもので、自分が大人になってからも、愛媛県立高校教員となって、約4年ごとに、職場と住む町が変わったのですが、引越しのたびに、決まってひどく悲しい思いをしました。

f0234936_18494877.jpg

「大学は東京を選んで、必ず東京に帰ってくるから。」と、友人たちと涙を流しながら別れ、暮らし始めた松山。わたしが東京で通っていた中学校には、制服こそあれ、靴やカバン、髪型やリボンは自由だったのですが、中3の3学期になって通い始めた松山市立中学では、カバンも靴も髪型も規制され、けれど、東京の中学では見かけなかった金髪の男子学生がいて、そうして、授業が高校受験対策ばかりなので、びっくりしました。

f0234936_1850763.jpg

 驚いたのは、それだけではありません。それまで、横浜・札幌・東京と、かなり遠距離にわたって引越しをしたものの、どこもたいていは、ほぼ標準語を話していたのです。札幌でわたしが住んでいた住宅街は、わたしたち一家と同じように、転勤族が多く、千葉や東京から引っ越してきて、やがては、戻っていってしまうという友人もたくさんいました。わたしは、方言というものは、ドラマや時代劇の中だけに存在するもので、今はもうないものだと、思い込んでいました。夏休みに、愛媛や兵庫の祖父母のものて、しばらく過ごすことはあったものの、お年寄りはそういう独特の話し方をするものと、思っていました。それで、松山の中学校で、いきなり方言の存在を知って、びっくりしました。

 掃除の時間に、「机かいて」と言われて、何のことかと思ったら、「机を運んで」の意味だったり、「帰ってこうわい」と聞いて、「戻ってくるのか」と思って待っていたら、「今日はもう帰るから、さようなら。」という意味だったと知ったり……

f0234936_18502762.jpg

 それはさておき、離れた東京の友達や中学校が恋しくて、悲しい思いで過ごし、時々友人たちと交わす電話や手紙を心待ちにして、心の支えにしていた、そんなときの話です。東京の中学校を中3の2学期の終了と共に後にして、松山の学校で3学期を他生徒と共に始め、高校受験が近いため、当然、進路についての話が新しい担任からありました。東京と違って、愛媛県では、歴史や名声を誇る私立高校は少なく、難関大学への進学率の高い某私立高校を希望するのでなければ、皆が県立高校を目指して、受からなければ、やむなく私立高校を選ぶ。わたしが中3のときの愛媛県での高校受験は、そういった感じでした。愛媛県立高校は数多いのですが、松山市から通える範囲の高校は指を折って数えるほどで、基本的には、学校の創立以来の歴史が長いほど、名声が高く、優秀な成績の生徒が多く、いい大学への合格率も高いという傾向がありました。

f0234936_18504297.jpg

 何せ当時中3だった頃のわたしが把握していたことの、さらに遠い記憶なので、あいまいな上に、いい加減な説明があるかもしれません。そうであれば、お許しください。東京では、私立高校を志望する生徒も多かったので、特に勉強しなくても、どこかの公立高校には合格できたのではないかと思います。おそらくはそのため、東京では中3だからと言って、特に家で勉強をした覚えも、家でものんびりと友人と遊んだり、好きなアニメを見たり、本を読んだりしていた記憶があります。(30年近くも昔の話です。)わたしの東京の中学校での成績は、5段階評価でほとんどが3で、少しだけ4があり、国語だけは5というものでした。小さい頃から本を読むのは大好きで、そのためか、クラスの図書委員に選ばれることも多く、それでさらに本を読む機会が増えました。中学校でかるたクラブに入り、小倉百人一首をすべて覚え、古典の魅力に夢中になったものの、受験勉強らしい受験勉強は、東京の中学時代には、一切した覚えがありません。にも関わらず、東京の中学で実施された模試で、国語の偏差値と成績だけが飛び抜けてよかったのは、読書の習慣のおかげだと、今でも確信しています。(つづく)

*記事中の写真は、すべて昨日、散歩をしようと車で移動中に、車の窓から撮影したものです。日曜日に急に気温が下がり、月曜の朝にアッシジ付近を通りかかると、スバージオ山(2枚目の写真)を初め、山々の峰が白雪に覆われているのでびっくりしました。日曜日にミサでアッシジを訪ねたときには、スバージオ山にはまったく雪がなかったのです。1枚目の写真は、2枚目の写真で、スバージオ山の左手に見えるアッシジの町の部分だけを、拡大したものです。天気がいいとこんなふうに、ペルージャから、スペッロ、フォリンニョ、スポレート方面に向かう車内から、アッシジの町がきれいに見えます。先週までは、春どころか夏のような暖かい日が続いたので、菜の花がきれいに咲く場所も多く、真っ赤なヒナゲシ(papavero)の花も、あちこちにたくさん咲いていました。

Articolo scritto da Naoko Ishii

 この記事いいなと思ったら、応援の1クリック(↓↓)をお願いします。
Cliccate sull'icona (↓) se vi piace il blog.
にほんブログ村 海外生活ブログ イタリア情報へ
NihonBlogMura Blog Ranking

こちらのランキングもクリックをお願いします↓↓ ありがとうございます!
Cliccate anche su questa icona. Grazie!

Ninki Blog Ranking

by milletti_naoko | 2012-04-10 11:52 | Umbria | Trackback | Comments(4)

殻をやぶれば

 復活祭(Pasqua)の楽しみの一つは、贈ってくれたチョコレートの大きな卵を割って、中に隠れている
びっくりプレゼント(sorpresa)を、見つけることです。

f0234936_5414851.jpg

 毎年、お義母さんに贈る卵は、特大ブラックチョコレート。中に入っているのは、しゃれたアクセサリー。今年、義母が卵の中に見つけたのは、パステルカラーの腕輪です。大きな大きなチョコレートは、割ってみんなで少しずついただきます。

f0234936_542921.jpg

 わたしたちから、姪っ子たちに贈ったのは、ハローキティのチョコレートの卵です。インターネットで日本語のサイトを見ると、「卵形チョコレート」という表現が多いのですが、我が家ではuovo(意味は「卵」)と一言で呼んでいます。敢えて形容をつけると、uovo di Pasqua(直訳は「復活祭の卵」)。復活祭には、朝食で、教会で祝福を受けたあゆで卵を食べるのですが、このゆで卵は、「祝福された卵」(uovo benedetto)と呼び、「復活祭の卵」と言えば、チョコレートの卵です。

f0234936_5431134.jpg

 義弟夫婦からも贈られたので、姪たちは一人二つずつ卵を受け取りました。昼食の途中から、卵コールをしていた二人は、「待ってました」とばかりに、うれしそうに包みを開いています。

f0234936_5432694.jpg

 今年は夫が、わたしにも卵を贈ってくれました! しかも、わたしの大好きなリンツリンドールの卵です。

f0234936_5434337.jpg

 中には、こちらのかわいらしいペンダントが入っていました。

f0234936_5435854.jpg

 今朝、サンタ・マリーア・デッリ・アンジェリ教会のミサに出かけると、復活祭とあって、これまで見たこともないほど大勢の人で、いっぱいでした。ふだんと違って、ミサの際、祭壇に、十字架を掲げたイエス・キリストの像と聖母マリアの像が並んでいました。そうして、ミサの終了後に、修道士や修道女が大勢列をなして、教会内を行進し、列の中央では、御輿に載ったキリストと聖母マリアの像を、修道士たちが担いでいました。外も行進するのかと思って、わたしたちも後について歩くと、教会の外には出ずに、入り口に一番近い絵の前に、二人の像が置かれて、行進は終わりました。

 復活祭の昼食では、いつもと違って、セコンドは子羊(agnello)の肉です。前菜から始まり、デザートには、鳩の形をしたケーキ、コロンバや卵型チョコレートを食べました。訪ねて来た親戚とおしゃべりしたり、姪たちと遊んでいたりしたら、あっという間に時が流れました。ちなみに、姪たちとは、卵を包んでいた包装に描かれたキャラクターの絵を切り取り、やはり包装の銀紙を使って、ベルトや帽子を作って遊びました。

f0234936_544316.jpg

 姪たちやお客が皆帰宅したのが午後7時前。そのあと、夫と共に、テッツィオ山を歩いて、ミーララーゴまで歩きました。残念ながら、雲が多くて、夕日が落ちるのは見られませんでしたが、雲の多い夕焼けもきれいだなと思いました。

 山を登るのは苦しいけれど、時々立ち止まっても、歩き続ければ、必ず目的地に着くことができます。昔、高校で教えながら、迷ったとき、悩んだときに、いろんな本を読んで励まされました。「人間は、自分が本来持っている能力のほんの一部しか使っていない」、「一生かかっても、脳細胞すべてを使い切ることはできない」、「自分にはできないと思い込み、あるいは人から君には無理だと言われて、自分で勝手に自分の可能性を、能力を決めつけ、かせをつけているために、本当はできるはずのことができないということがある」。自分が自信のなさから、あるいは他人に言われて、自分で自分の可能性や力に、かせや殻を作っているとしたら、とても残念なことですが、そういうことが、往々にしてあると思うのです。昔、尊敬していた先生が、「心の窓はできるだけたくさん開いておくのがいい」というようなことを、訓示としておっしゃっていたのも覚えています。心を開いて接してみれば、意外といい人かもしれない、お互いにいろんなことが学べるかもしれないのに、心を閉ざしてしまうこと、そういう場合もあると思います。そういう自分に対する、そして人に対する殻を、思い切って破ってみると、チョコレート型の卵の中から、すてきなプレゼントが見つかるように、新しい自分や新しい世界が見つかるのではないでしょうか。

f0234936_611378.jpg

 ペルージャとシエナの二つの外国人大学の、それぞれ学士課程、大学院課程で共に学んだ、わたしよりずっと若い友人が、大学や私立学校の仕事・契約の不安定さに耐えかねて、つい最近独立し、自分で語学学校を開きました。実はわたしも、ペルージャ外国人大学で、2005年から日本語・日本文学の授業を担当していたのですが、今年度は、日本語の授業枠自体が激変し、かつては4人いた契約講師は一人となり、大学側は、わたしたち日本人ではなく、日本の大学院で児童文学を専攻したイタリア人女性を採用しました。通訳・翻訳の仕事にしても、日本語やイタリア語を教える仕事にしても、そろそろ待ちの姿勢ではなくて、自分から積極的に動いてみていいのではないかと、若い彼女に教えてもらった気がします。精力的に活動をする彼女は、かつて若い女性への起業講習会にも通っていました。来週土曜日は、スポレートに行って、おしゃべりし、彼女の苦労も聞きながら、いろいろ教えてもらいたいと思います。そろそろ、待つだけではなく自分から動くときが、殻を破ってみるときが来たのではないか、と。

f0234936_5445467.jpg
Duomo di Spoleto 12/1/2012

 前回ご紹介したスポレートの語学学校(下記リンク参照)では、もうエリーザもフィリッポも働いていません。わたしとエリーザが、年齢を超えて友人になったのは、二人とも、外国語学習や教育にとても関心があり、勉強大好き・勉強ざんまいのsecchionaだったからです。エリーザの新しい学校はArtelinguaです。勉強・仕事熱心な彼女の人柄からも、前の学校で彼女の生徒たちが書いた感想からも、いいイタリア語の先生であることを確信しています。また、学校やコースについて、新しく分かったら、記事にするつもりでいます。

関連記事へのリンク
- スポレート食べ歩き1 / Passeggiata a Spoleto – parte1(スポレートのみどころ、レストラン、語学学校)
- スポレート食べ歩き2 / Passeggiata a Spoleto – parte2(スポレートの大聖堂について)
- 新年まで秒読み / Ristorante Taverna dello Spagna di Spoleto(パスタとケーキのおいしい店)
- 年越しはスポレート

Articolo scritto da Naoko Ishii

 この記事いいなと思ったら、応援の1クリック(↓↓)をお願いします。
Cliccate sull'icona (↓) se vi piace il blog.
にほんブログ村 海外生活ブログ イタリア情報へ
NihonBlogMura Blog Ranking

こちらのランキングもクリックをお願いします↓↓ ありがとうございます!
Cliccate anche su questa icona. Grazie!

Ninki Blog Ranking

by milletti_naoko | 2012-04-08 22:46 | Feste & eventi | Trackback | Comments(12)

あれから10年

 2002年4月3日。愛媛県立高校で、12年間国語を教えたわたしは、同年3月31日づけで退職し、4月3日に日本からイタリアへと旅立ちました。

f0234936_0404787.jpg

 3月29日、学校全体の離任式のあとで、担任していたHRの教室に入ると、きれいな花束と共に、教え子たちが、心のこもった言葉と写真でいっぱいの色紙と、

f0234936_0411591.jpg

ルーズリーフに、一人1枚ずつ、温かい言葉でつづった手紙をまとめたファイルを、贈ってくれました。当時の手帳に、こんなふうに書いてあります。

「22R教室では、生徒たちが心づくしのお礼の会を開いてくれて、うれしくて感激した。たくさんの花束に、写真いっぱいの色紙。一人一枚の個性豊かなメッセージまで…… 彼らに出会えたことに心から感謝。」

f0234936_0413075.jpg

 カラーをいっぱいに使い、写真や絵を添えて、小さな字でびっしり書いてくれた女子生徒たち。

f0234936_0415051.jpg

 そして、色紙にも、ファイルにも、主に鉛筆を使って、書き慣れないメッセージを、一生懸命に考えてつづってくれた男子生徒たち。

・僕も先生に負けないように絶対に夢を手に入れます。これからは夢にむかう”ライバル”です。

・イタリアは日本からかなり距離があるけど、国境を越えて、先生のことを応援しています。僕も、自分の夢に向かってがんばっていくので、先生もいろいろと困難にぶつかるかもしれないけど、くじけず、あきらめず、1日1日を大切にして、ガンバッテください。

・イタリアにいくと聞いたときはびっくりたまげました。3年生になってもまた一緒に勉強できるのかとたのしみにしてたんですけどねー。でも人っていうのは、いくつになっても夢をおいかけないとなー。だから先生がイタリアにいくというのなら、まわりの見る目を気にせず自分の正しい道を進んで下さい。

・先生の好きな国、「イタリア」で好きなことに挑戦し、いろいろなことを学んでください。絶対に辛いことの方が多いと思いますが、自分が好きでやることですから後悔だけはしないでください。ですが、「辛いことが多くなると喜びもまた大きい」っていいますけど。

f0234936_0424224.jpg

 男子15名、女子27名と、女子生徒が圧倒的に多い文型クラスでした。当時のことを思い返して、原点を振り返りたいという気持ちもあり、今日はとりあえず、男子生徒からの手紙を、じっくり読み返しました。

 昨日の晩は、ペルージャで、何年も一緒に日本語を教えた同僚でもある友人と、久しぶりに会って、おしゃべりをし、楽しい一時を過ごしました。わたしはイタリアに暮らして10年、彼女は約11年。異国に住む同胞として、いろいろな苦労も喜びも分かち合える友達と、いろいろ話すことができて、うれしかったです。イタリア在住10年を祝って乾杯し、お互いに、これからのことに思いを馳せました。

 お世話になったいろんな人に、十分にお礼も言えないまま、恩返しできないまま、日本を発ってしまった10年前。日本に残る家族と友人、かつての同僚の先生方。そして、高校生活残り1年を控えた皆と別れて、旅立つことを選んだわたしを、たくさんの笑顔と励ましの言葉で送り出してくれた生徒たち。

 今、あの子たちに、胸を張って出会えるような毎日が送れているかしら? これから少しずつ、女子生徒たちの手紙と色紙の言葉も、じっくり読んでいきたいと思っています。今日はようやく、4鉢のうち、一鉢だけですが、椿のつぼみが開き始めています。

Articolo scritto da Naoko Ishii

 この記事いいなと思ったら、応援の1クリック(↓↓)をお願いします。
Cliccate sull'icona (↓) se vi piace il blog.
にほんブログ村 海外生活ブログ イタリア情報へ
NihonBlogMura Blog Ranking

こちらのランキングもクリックをお願いします↓↓ ありがとうございます!
Cliccate anche su questa icona. Grazie!

Ninki Blog Ranking

by milletti_naoko | 2012-04-04 17:45 | Ricordi | Trackback | Comments(17)


日本語教師・通訳・翻訳家。元高校国語教師のイタリア暮らし・旅・語学だより


by なおこ

プロフィールを見る
画像一覧

Chi scrive

Naoko Ishii
Insegnante di
Giapponese & Italiano
Interprete Traduttrice
IT-JP-EN Fotoblogger
Pellegrina @ Perugia
Umbria, Italy

Per Lezioni, Servizi di
Interpretariato,
Traduzioni, contattate
via email.

- CV e contatti
- Twitter
- Facebook
- Instagram

I miei articoli su Japan-Italy Travel On-line↓↓
Perugia Lago Trasimeno Assisi Montefalco Oli d’Oliva & Trevi Gubbio Piediluco Terremoto Centro Italia

Mio articolo su
Huffingtonpost.jp
- Tre settimane dal Terremoto Centro Italia   

*Giù in basso
Categorie in italiano


Copyright©2010-16
Fotoblog da Perugia
All rights reserved

イタリア、ペルージャ在住。
日本語・イタリア語教師、
通訳、翻訳、ライター。

イタリア語・日本語の授業、
産業・会議通訳、観光の
同行通訳、翻訳、イタリア
旅行・文化・イタリア語に
ついての記事執筆など
承ります。メール
お問い合わせください。

- 履歴・連絡先
- ツイッター
- フェイスブック
- インスタグラム
- イタリア語・イタリア文化情報サイト
- イタリア語学習メルマガ
- 多言語オンライン辞典
- イタリア天気予報
JAPAN-ITALY Travel On-lineメルマガに執筆↓↓
- 連載魅力のウンブリア



画像一覧

最新の記事

どんよりペルージャ とほほな..
at 2017-11-19 23:47
紅葉・白雪のラヴェルナ修道院..
at 2017-11-18 23:58
紅葉美しテッツィオ山、イタリ..
at 2017-11-17 23:58
バスで仕事 黄葉きれい、ペル..
at 2017-11-16 22:08
新ワイン栗と飲んだらほろりこ..
at 2017-11-15 22:54

記事ランキング

タグ

(614)
(527)
(336)
(286)
(219)
(189)
(166)
(158)
(147)
(137)
(136)
(120)
(114)
(100)
(92)
(91)
(88)
(68)
(52)
(33)

検索

以前の記事

2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
more...

カテゴリ

Famiglia
Feste & eventi
Film, Libri & Musica
Fiori Piante Animali
Francia & francese
Giappone
Gastronomia
Giappone - Italia
ImparareL2
Insegnare Giapponese
Inteprete Traduzioni
Lingua Italiana
Notizie & Curiosita
Poesia, Letteratura
Regno Unito - UK
Ricordi
Sistemi & procedure
Viaggi
Abruzzo
Emilia-Romagna
Lazio
Liguria
Marche
Piemonte
Puglia
Toscana
Trentino-Alto Adige
Umbria
Valle d'Aosta
Veneto
Via di Roma (RI-RM)
Cammino S.Benedetto
Via degli Dei(BO-FI)
Cammino di Santiago
Vivere
Altro

ブログジャンル

日々の出来事
語学

ブログパーツ

  • このブログに掲載されている写真・画像・イラストを無断で使用することを禁じます。

最新のコメント

アリスさん、ミニメトロの..
by milletti_naoko at 00:27
まさみさん、ペンナ山は標..
by milletti_naoko at 00:21
アリスさん、先週の月曜は..
by milletti_naoko at 00:18
鍵コメントの方へ ..
by milletti_naoko at 00:09
なおこさん、ペルージャの..
by ayayay0003 at 15:50

お気に入りブログ

A piece of P...
フィレンツェ田舎生活便り2
彩風便り 
花が教えてくれたこと
イタリア・絵に描ける珠玉...
Facciamo una...
VINO! VINO! ...
SOL LUCET OM...
文殊の綴り絵
カッラーラ日記 大理石の...
黒い森の白いくまさん
イタリアの風:Chigu...
dezire_photo...
梨の木日記
PASQUARELLIの...
フィレンツェのガイド な...
ローマより愛をこめて
日々是呼吸
田園都市生活
英国発!美は一日にしてならず
Mrs.Piggle-W...
ひっそりと生きる
Osteria TiaL...
リカのPARIS日記♪
イタリアちゅうねん
トンボロレースと日々のこと
コントリ!(コントラバス...
IL PARADISO ...
アリスのトリップ
毎日の楽しいを集めてハッ...
ボローニャとシチリアのあ...
カマクラ ときどき イタリア
Can of Good ...
トスカーナの海より リボルノ編
ととやふくろう
40代の悪あがき日記
ミセス サファイア 静け...
小さな窓から
斗々屋ふくろう

外部リンク