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ごはんがすきです、日本語授業と和食恋しいイタリア生活

 わたしは ごはんが すきです。 パンは すきじゃありません。

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 「すきです / すきじゃありません」という表現を、日本語の授業で復習するのに、教科書の例文やでっちあげた文よりも、わたし自身や生徒さんも知っている人について述べた方がよかろう、教科書の同じ課に出てくる語彙を使った方がよかろうと、まずは自分について、こういう文を書いてみました。

 「パンは好きじゃありません。」とは、あくまでそういう学習効果をねらう意図から書いた言葉ではあるのですが、イタリアに長く暮らすうち、自分はごはんの方がずっと好きであって、パンはできれば避けたいという気持ちになってきました。バールで食べるクロワッサンやシュークリーム、日本のパン屋でよく売られている卵などが入った調理パンは好きなのですが、ウンブリア州の人で、pane(パン)という言葉を聞いて、そういうものを思い浮かべる人は少ないと思います。

 夫が生地をこねて、窯で焼いたパンはおいしいし、義母が作る復活祭用のパンも、そうしてブルスケッタもおいしいのではありますが、「ごはんの方がずっと好きだ」とは、他人との食事や外食では、パンしか選べぬことが多い生活が長くなって、初めて気づけたような気がします。

 実際、小麦を挽いて粉にして、さらにその粉で作った生地を熱して作るパンやパスタに比べると、収穫された米を炊きさえすれば食べられて、加工が少ないごはんの方が、栽培・収穫・加工方法にもよりますが、健康にいいし、消化によいとは、イタリアでもよく読んだり聞いたりしてきました。さらに遺伝から、わたしたち日本人の体には小麦よりも米の方が合っているようだ、ということも。

 イタリアで留学生活を始めたばかりの頃は、「郷に入れば郷に従え」、文化や慣習も受け容れようとばかりに、数年ほど、たとえばホームステイ先で、食事を共にするにしてもしないにしても、ずっとイタリア料理を食べていました。日本では炊飯器でしか米を炊いたことがなかったために、イタリアで鍋で炊こうとは、初めは思いもよらなかったということもあるのですが、友人や知人が鍋で手早くごはんを炊くのを目にしたり、人に頼まれて日本食を作ったりするうち、やはり自分は日本の味に飢えているのだ、和食が恋しいし、体にも合っているのだと気づき、よくごはんも炊くようになりました。

 うちの夫は、週に何度かは昼食を食べにうちに帰ります。そういうときは、主にパスタを食べるのですが、わたし一人で食べるときは、近年では、ごはんを食べるようにしています。夕方も、肉や魚、豆腐、野菜料理にポタージュやみそ汁など、おかずを準備して、夫はパンと、わたしはごはんと食べるようにしています。

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 「AはBが好きです。」という文の構造が、日本語とイタリア語ではかなり違うため、まずは例文や聴き取り練習・会話練習を通して、意味や使い方を把握してもらおうと思うのですが、その後で、理解できたかどうかを確認し、また、さっと復習できるように、こんな表も作ってみました。

 大学生が相手の授業のときは、日本のアニメや漫画に興味がある学生が多いので、「あなたが好きです。」と、「好きです」という言葉は、恋の告白によく使われるんですよなどと言うのですが、明日の授業は2時間で時間があまりない上に、生徒さんがわたしとほぼ同じ年の社会人ということもあって、今回は割愛するつもりでいます。

 義弟の奥さんはエクアドル人です。義弟と共に明朝早くに帰国する彼女に、祖国の家族へのおみやげをと夫と出かけたほか、今日はあれこれと外で済ませなければならない用事が多かったため、明日の授業の準備が終わるのがすっかり遅くなりました。明日は朝8時から肩のリハビリで、そのあと帰宅して着替え、授業が終わるのが午後2時と遅いため、昼食のしたくをしてから、学校に授業をしに出かけます。インスタグラムへの写真の毎日一投稿は今日はあきらめますが、明日からはもう少し時間配分を考え、一つひとつノルマを果たし、早寝早起きできるよう努めたいと思います。

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すきです(sukidesu)
è un'espressione che si insegna a scuola in questi giorni. Come esempio per lezione di oggi ho scritto: "Mi piace il riso. Non mi piace il pane. A ... piace il pane." Non è che non mi piaccia veramente il pane, anche se preferisco senz'altro il riso, ma volevo usare solo le parole che si trovano nei manuali da noi adottati. Invece, in realtà trovo buono il pane che fa mio marito al forno a legna, buona la torta di Pasqua fatta da mia suocera e mi piace molto la bruschetta.
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Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2017-04-06 23:59 | Insegnare Giapponese | Comments(6)

明日の授業の準備中、イタリア語・日本語それぞれの難しさ

 つい先ほど、明日の朝の日本語の授業用のプリントができあがって、印刷したところです。

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 「すんでいます」という文法的に細かく見れば、難度の高い表現が、教科書の最初の方にぽんと出てくるのは、日本語でコミュニケーションを取れることを重視した『まるごと』の教科書ならではだと思います。

 イタリア語のVorrei…「…したいのですが。」と控えめに希望を述べる表現が、入門者でも知っておくと便利で、会話のいい潤滑油になるけれども、文法的に考えると、イタリア語学習がかなり進んでから学ぶべき条件法現在が使われているのに、よく似ています。イタリア語教育では、それでも、イタリアで暮らしたり旅をしたりするのに、知っておく必要があるこうした表現は、文法には触れずに、そのままの形で、こんなときにこんなふうに使いますと扱うべきとされているのですが、日本語で活用・接続のややこしい「て形」を含む「すんでいます」も、文法には触れず、自分や人の住んでいるところについて話すのに便利な表現として、扱うことにしています。

 教科書には、「…は…にすんでいます。」というパターン文しか書かれていないのに、わたしがあえて、主語を4通りに変えて文を並べているのには、理由があります。イタリア語では、「どこそこに住んでいる、暮らしている」と言う場合に、動詞は、abitare、あるいはvivereの直説法現在を用いるのですが、この動詞の形が、主語の人称と数によって、変わってくるからです。

 同じ直説法現在でも、主語がわたしたち(noi)であれば、abitiamo(viviamo)、わたし(io)であれば、abito(vivo)、「たけしさん」のように三人称単数であれば、abita(vive)、「レーモさんたち」のように三人称複数であれば、abitano(vivono)といったふうに、イタリア語では、主語によって、動詞の形が変化します。

 ですから、たとえ教科書の例文に「わたしたちは おおさかに すんでいます。」とあっても、生徒さんが、主語が変わったら、動詞の形も変わるのではないかという心配をするかもしれないと考え、日本語では主語の人称や数が変わっても、動詞の形が不変であることに、例文を通して気づいてもらおうと考えたのです。

 ああ、イタリア語はなんとめんどうくさい、難しいと思われた方がおいででしょうか。

 けれども、かぞくを学ぶこの課では、日本語ならではの難しさも頻出します。たとえば、課の題名からして、「かぞくは 3にんです」なのですが、イタリアでは、人であろうと本であろうと、車であろうと、3であればtreという数字を覚えさえすればいいのに、日本語では、人なら「3人」、本なら「3冊」、車であれば「3台」と表現が変わる上、人の場合はさらに、「ひとり」「ふたり」の読みが独特です。

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 そして、家族を指す表現も、イタリア語では、そもそも兄弟姉妹は、年齢の上下は気にせず、男性ならfratello、女性ならsorellaですむのですが、日本語ではまず、年齢が上か下かで兄・弟、姉・妹と呼称が変わります。しかも、イタリア語であれば、自分の兄弟であろうと人の兄弟であろうと、fratelloですむのですが、日本語では他人の兄弟に言及するときは、「お兄さん・お兄さま・兄君・弟さん」などと、呼称が変わります。

 日本語ではこんなふうに、話し相手や話す場、話者の聞き手との関係によって、使う語彙が変わるのに対して、イタリア語では、たいていの場合、主語の人称や数によって動詞の形が変わります。名詞も単数か複数かによって形が変わるため、たとえば、兄弟を意味するfratelloも、一人ならfratelloと単数形でいいのですが、二人以上になると複数形にして、fratelliとする必要があります。

 日本語とイタリア語のどちらがどう難しいかという問題ではなく、日本語が中国語と並んで、類型的に見てイタリア語から最も隔たった言語とされている上に、日本文化がイタリア文化とはさまざまな点で異なり、そうした文化や伝統の違いが、言語に反映されているということなのです。あまり苦手意識を持たずに身につけてもらえるように、プリントでは、生徒さんもわたしも実際に知っている人を、例としてあげるなど、工夫をしてみました。

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In italiano il verbo si coniuga a seconda della persona e del numero del soggetto (es. io abito/tu abiti/lui abita/noi abitiamo/voi abitate/loro abitano), mentre in giapponese la forma del verbo 'すんでいます' (pronuncia: 'sundeimasu', significato: 'abitare') rimane invariata per qualsiasi soggetto. Tuttavia, mentre gli italiani usano lo stesso termine, 'fratello' sia per riferirsi ai propri fratelli che a quelli altrui, in giapponese si usano diversi termini e inoltre esiste un vocabolo che indica 'fratello maggiore' e quello che indica 'fratello minore'.
Secondo i linguisti il giapponese e il cinese sono le due lingue tipologicamente più distanti dall'italiano e per questo per gli apprendenti giapponesi è difficile imparare l'italiano e per gli allievi italiani è difficile studiare il giapponese, ma con sforzi e passione ci si riesce :-)
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Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2017-04-04 23:59 | Insegnare Giapponese | Comments(2)

何が出るやらお楽しみ、春の畑とイタリア在住15年・ブログ7年記念日

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 うちの裏庭には、花壇が三つあり、その一つは、一番奥に見える白い石の向こうで、つい最近まで、ヒヤシンスがきれいに咲いていた花壇です。もう一つは、写真後方に見える、つい最近耕して、種をまいたばかりのところです。

 そうして、三つ目の花壇は、手前のヒナゲシ(papavero)が咲いているところです。今日は1日中北風が吹いていて、小さいヒナゲシの花びらは飛び散ってしまったのですが、大きいヒナゲシは、今朝二つ目の花が咲きました。

 こうしてヒナゲシが育っていることを、わたしが感じたのは、つぼみがたくさんできているのを目にしてからなのですが、植物に詳しい夫は、まだつぼみができるずっと前から、葉の形を見て、「ヒナゲシが育っているよ。でも、咲くのは4月になってからだろうね。」と言っていました。

 手入れをせぬままに、春を迎えてしまったこの花壇の草花を、そのままにしているのは、大小のヒナゲシがあちこちに育っている上に、キンセンカ(calendula)の花も咲き、数年前に種をまいた、青い染料が取れる黄色い花が育ってつぼみができ、コスモスらしき植物や、古代小麦らしく植物も、混在しているからです。

 「まかぬ種は生えぬ」と言いますが、この数年の間に、いつかまいた種や小麦から育った植物が、1年経って、あるいは数年経って突然に、再び顔を見せたのが興味深いです。地面を耕したり、雑草かと抜いてしまったりしたために、去年までは育つはずだったコスモスが育たなかった、そういう可能性もあるかもしれません。種はまいたら育つのだと、そんな気がしてきました。

 日本語の授業に英語の授業、通訳の仕事と、最近は慌ただしくて、方向軸が定まらぬまま、今するべきことに追われている、そんな感じです。学校で話をしていて、そう言えば今日で、わたしがイタリアに来てから、15年になるのだと気づきました。土曜日は通訳の仕事中に、お客さんから、実は、フィレンツェの二人の日本の方が、「直接面識はないけれど、この人なら」と、それぞれわたしを紹介してくださったので、わたしに声がかかったのだと知りました。お二方とも、ブログを通してわたしのことを知られたようです。この場を借りて、その方たちにお礼を申し上げます。

 そう言えば、ブログを始めたのもやはり4月でした。イタリア語学習メルマガには文章しか載せられないけれども、語学学習をより楽しくし、文化も知ってもらうためには、写真などの視覚教材が必要だと考え、最初は、メルマガの副教材のつもりで、ブログを書こうと決めたのです。奇しくも、初めての記事を書いたのは、2010年のやはり4月3日です。当初の目的とは、少々方向が違うものの、こつこつ書き続けてきたブログの、その種から、こうして何かが育っているのだな、ありがたいなと思いました。

 以前にイタリア語を個人授業で教えた生徒さんにしても、土曜日の通訳のお客さんにしても、大きな熱い夢の実現に向けてのその一歩を、お手伝いできるのは、うれしいことだなと思いました。学ぶことが好きで、イタリアに興味があるからと、イタリアに来てみて、結局気づいたのは、わたしが一番好きなこと、していると生きていると実感できるのは、日本語であれイタリア語であれ、何かを教えているときなのだと、実感しました。書くこと自体が楽しいし、暗いニュースが多い日々の中、イタリアと言えば書かれるニュースや記事が偏りがちな中で、いろいろな側面をお伝えしていきたいというのも、わたしの願いの一つなのですが、ブログの方向や焦点を当てるべきことも、これからはもっと考えていかなければと思います。ディーパクの本に書いてあるように、収穫を得るには、好転させていくためには、注意を向けること、時間や心、手をかけることが大切だと考えるからです。

 放置していた花壇に、この春は、思いがけずきれいな花が育っているのですが、これからの人生、本当に自分が望むこと、してみたいことを考えながら、どんなふうに仕上げたいのかを念頭に置いて、手と心、時間をかけていきたいと考えています。

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by milletti_naoko | 2017-04-03 23:54 | Fiori Piante Animali | Comments(4)

うれしい一言と京都清水寺の桜

 授業や教材は、時間をかけて準備するようにしていて、日本語であれ英語であれイタリア語であれ、その授業が個人授業である場合が最近は多いのですが、今朝はカードを見た生徒さんが、「昨日の晩、ぼくのためだけに作ってくれたんですか。」と、心の底からそう言ってくれたので、何だか感動しました。実は、カード作りよりも、プリント作りの方に時間も手間もかかっていたのですが、手書き・手作りであるために、今日の授業のためにわざわざという印象が大きかったのかもしれません。

 10日間では、ひらがなやカタカナの定着に加えて、さらに国名や職業名を覚えるのは難しいので、ロールプレイの前に、授業の初めに、準備体操のつもりで、昨晩作ったカードを、国名・職業名・言語名の三つのグループに分けるように言ったら、まずその作業にかなり時間がかかりました。ただ、そういう作業を通じて、まだ覚えていないカタカナや自信がないひらがな、意味が分からない言葉や読めない言葉がどれかということが、生徒さん自身にもわたし自身にも分かりやすく、カードなので、そういう苦手な仮名を含む言葉や記憶が危うい言葉のカードだけを集めておいて、定着を図るべく、いろいろな形で練習することもできました。

 国名のカードは、「お国は」と出身国を尋ねるロールプレイに使ったほか、カードを1枚引かせておいて、わたしの方から、「…さんは、ドイツ人ですか。」と問いかけ、「いいえ、ドイツじんじゃありません。かんこくじんです。」と答えさせて、「出身国+じん(人)」の表現や、疑問文・否定文の練習もしました。アメリカやイギリス、オーストラリアなど、欧米の国のカードも多かったのに、どういうわけか生徒さんが、「エジプト・ちゅうごく・かんこく」と、欧米ではない国のカードばかり引いていたのですが、おかげで、「ひらがなで書かれているけれども国の名前」であるこういう国の名前と、どの国を指すのかを覚える役に立ったのではないかと信じたいところです。

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Fiori di ciliegio, Tempio Kiyomizu-dera, Kyoto 8/4/2009

 今日の写真は、8年前の京都で見た、桜の花に彩られて美しい清水寺です。

 今朝は朝8時から3時間の授業のあと、午後7時まで、成人への外国語教育についての研修会があり、講義は明日も早朝から午後7時まで続きます。昨晩は遅かったので、今日は真夜中前に就寝することにします。おやすみなさいませ。




Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2017-03-29 23:46 | Giappone | Comments(2)

明日は自己紹介ごっこ、イタリアで日本語教育

 『まるごと A1』の教科書では、第1課・第2課でひらがな・カタカナを終え、第3課に入ると、国名や職業名など、学ぶ語彙が一気に増えて、まだひらがなやカタカナの習得がおぼつかない段階で、生徒さんが精神的に慌ててしまう可能性が大いにあります。

 教科書の練習問題を再度解いたり、何度も書いたりするのではなく、楽しみながら、実際に自己紹介をするようなつもりで、勉強してもらおうと、教科書に出てきた新しい語彙を中心に、国名や職業名などのカードを作りました。

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 名前も、「リー」、「アリ」など、「イタリア」など既習の国名に使われているカタカナだけ、あるいは、そういうカタカナが多い名前をいろいろ考えて、カードにしました。

 明日はまずは、ひらがなやカタカナ、そして、「~は何ですか。」の復習を兼ねて、「お名前は何ですか。」と聞いて、引いた名前カードの名の人になったつもりで、答えてもらい、生徒さんからもわたしに質問をしてもらい、わたしもカードにある名前を答えるという形で、名前を尋ね、答える練習をしたいと思います。

 同様に、カードを使いながら、職業や出身国を、カードに書かれたとおりであるつもりで答えてもらい、まだ覚えきれていない仮名や語彙があれば、その定着を図ります。そうして、まとめとして、わたしも生徒さんも、名前・国名・職業名が書かれたカードを1枚ずつ引いて、「はじめまして」と、自己紹介の練習をしようと考えています。

 カードを使い、なりきったつもりで会話練習をすることで、あまり文法などにとらわれすぎずに、とにかくさっと問われたことを言ってみる訓練ができるのではないかと期待しています。習得が今ひとつだと思われる言葉を書いたカードを繰り返し使えば、苦手な単語が覚えやすくなるはずですから、いろんな意味でカードが活躍してくれるはずです。

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Domattina facciamo role-play utilizzando queste carte su cui sono scritti i nomi di persone, Paesi e occupazioni in giapponese :-)
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by milletti_naoko | 2017-03-28 23:59 | Insegnare Giapponese | Comments(4)

ひらがな板書と授業計画

 今日の日本語の授業では、ひらがなをア行からサ行まで勉強し、『春が来た』をいっしょに歌おうという下心もあったので、「が」の習得のため、「かきくけこ」の復習にもなるからと、カ行に続いてガ行、サ行に続いて、ザ行のひらがなも学習しました。

 学んだひらがなが読める勉強をしようと、プリントにあった語彙だけでは、練習が足りないので、「覚えなくてもいいですよ。読み方の練習をするだけですから。」と言いつつ、すでにみっちり練習したひらがなだけ使った、入門・初級レベルの言葉を思い浮かべてはホワイトボードに書き、生徒さんに読んでもらいました。

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 「かじ」と書いたのは、「かぜ」と書いたら、生徒さんが「かじ」と読んだので、「かじはこう書いて、こういう意味なので、かぜとはまったく違うんですよ。」と説明するためです。

 社会人の生徒は、「ぼくは歌は歌わない」という人と、「歌ですか、いいですね。」と積極的に喜んで歌う人とに分かれる傾向があるのですが、今回の生徒さんは、「いいですね。カラオケですね。」と、カラオケではないのですが、『春が来た』をうれしそうにいっしょに歌ってくれたので、わたしもうれしかったです。数年前、パリの語学学校で、わたしも大好きなZazの歌を、とてもすてきなフランス語の先生が授業で取り上げて、内容を教えてくれたあと、いっしょに歌おうと言ってくれたのに、他の生徒がだれも歌わなかったからと言って、声を出して歌えなかったことを、今もこういう機会のたびに、反省しています。熱心ないい先生だったのに、申しわけなかったな、と。

 授業開始前から、同僚の先生方と密に連絡を交わしていたのですが、今日の夕方は電話でも長く話をして、ようやく授業の進め方についてめどがついたので、すでにお二人には提案して了承を得たことと、前回の授業計画表を参考に、いつ教科書のどの課を勉強するかという詳細な学習指導計画表を、パソコンやプリント、カレンダーとにらめっこして、先ほどようやく完成させました。

 日本の高校で教えていた頃は、『山月記』は何時間、『項王の最期』は何時間などと、教材ごとに詳しく時間数を記し、何月何日から何日まで学習するという詳しい指導計画を書くのが苦痛でした。その学期だけではなく、学年度の最初に書く年間計画なので、予定外の学校行事などが入ってしまったりして、予定どおりには進まないことが多く、現実の授業の実施とはずれてしまいがちで、単に形式的な業務のように思えていたのです。

 それが今は、かつてと違って、教科主任や教務課の先生にせかされたり、締め切りがあったり、どうしても計画表を作る義務があったりするわけではないのですが、おおざっぱに、この期間にここまで教科書を終えようでは、結局間に合わずに最後に急ぎ足になったり、時間配分がおかしくなり、ついだらだら授業をしてしまったりしそうで、詳しい学習指導計画表を作る習慣がつきました。作っておくと、毎週、そして毎日の授業のノルマや、生徒さんがこの時間、この日、今週に何を習得しなければいけないかということが把握しやすいので、かつて高校で、計画表を作る習慣をたたきこんでくださった先生方と学校に感謝しています。

 この指導計画をもとに、生徒さんが、いつ各課でどんなことを勉強するかがを一覧できるような、生徒用の授業の予定表も作成するつもりなのですが、今夜はもう遅く、目もひどく疲れたので、明日にするつもりでいます。

 先日ののび太君の夏休み前の嘆きではありませんが、授業でも片づけでも、フリーランスとして取り組まなければいけない仕事でも、同じように予定が概観できるように、メモや手帳の記入の仕方を、もっと工夫しなければと反省しています。イタリア語学習メルマガの作成や、フランス語再学習、再請求をしなければいけない、まだ振り込みがない昨年の翻訳の仕事の報酬の催促など、ずるずる先延ばしにしてしまうのは、大切で急がなければいけない用件であるというのに、それが分かったようで分かっていないからです。学校の授業だけではなく、もっと自分がしなければいけないさまざまなことを、うまく統括し、概観して、計画的に行っていけるような工夫をしなければいけないと、考えるだけではなく、実行に移さなくてはいけません。

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A scuola continua l'insegnamento/l'apprendimento di hiragana, alfabeti sillabici giapponesi.
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Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2017-03-22 23:59 | Fiori Piante Animali | Comments(8)

国境も世代も超えるドラえもん

 今日から教える、新しい生徒さんの息子さんが、日本のアニメはどれも知っていて大好きだという話になり、その例として、「頭の上に何か取りつけて空を飛ぶアニメも……」という説明がありました。わたしが暮らすのはイタリアで、この生徒さんも息子さんもイタリア人です。

 さっと頭にひらめいて、「ひょっとしたら、このアニメではありませんか。」と、

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ホワイトボードにさっと描いたら、「そうそう、それです。本物そっくりですね。」と、ほめてくれました。「え」を赤い丸で囲んでいるのは、ひらがなの「う」と「え」を、初めのうち混同していたからです。

 今から約40年も前の話ですが、当時小学生だったわたしや弟が、時々親に買ってもらっていた『小学四年生』、『小学一年生』などの雑誌に、ドラえもんの漫画が連載されていて、わたしも弟も楽しみにしていたように覚えています。幼い頃、夏休みには、毎年、母方の祖母が叔父と共に暮らす兵庫県の家に、母と弟・妹といっしょに、長い間滞在したのですが、ある年弟が、確か伯父が1巻からずらりとそろえていた『ドラえもん』の漫画を見つけて大喜びし、二人で夢中で読んだ、そんな記憶があります。弟自身がドラえもんの漫画をそろえ始めたのは、中学生だった頃でしょうか。

 わたしたちはドラえもんに、長い間そんなふうに漫画を通して親しんでいたため、アニメーション化はうれしかったのですが、ドラえもんの声を初めて聞いたとき、びっくりしました。わたしが漫画を読んで想像していた声とは、まったく違う声だったからです。そういうことは、小説の映画化やドラマ化でもあって、初めてシャーロック・ホームズのドラマをNHKで見たときも、わたしが本を読んで想像していたホームズとは、容貌も雰囲気もまったく違うので、驚きました。こんなふうに驚くたびに、本を読むとき、どれだけわたしたちが、文章や表現から自分なりに、主人公の風姿や町や自然の描写を、自分の経験や知識から、自分なりに想像して作り上げているかということを思うのです。

 閑話休題。ドラえもんに人気があることは、イタリアでもしばしばアニメが放映されることから知っていましたし、ドラえもんは、教科書の『みんなの日本語』にも取り上げられています。今日の授業で、生徒さんの息子さんがドラえもんのファンと知り、わたしたちの叔父の世代もドラえもんが好きだったことを思い、ドラえもんには、世代も国境も超える魅力があるのだとつくづく思いました。ドラえもんと言うと、わたしがすぐ思い浮かべるのは、「夏休みが終わるのに、宿題に手をつけてない」と、ドラえもんに泣きつくのび太の姿です。しなければいけないことを、ついついぎりぎりまで先延ばしにしてしまう。そういうことは、国を問わず、往々にしてあることなのでしょう。そういうとき、だれか助けてくれる人がいればと願う気持ちは万国共通で、でも、そういう小手先の他人・文明の利器に頼った手段では、結局本当の解決にはならないという教えは、世界のどんな国の子供にも役に立つことでしょう。けれど、役に立つとか教えがあるとか、そんなこととは関係なく、はらはらしながら読んで楽しめる。それがドラえもんのいいところかと思います。

 アニメも日本が誇る大切な文化です。こういうさまざまな文化的側面も、これからの授業でいろいろ紹介していけたらと思っています。いまだにのび太君と同様、締め切りが近づいて慌てることがわたしも少なくないので、ドラえもんから学んだことも、きちんと生活と人生に生かしていくべく頑張ります。

Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2017-03-20 22:15 | Giappone - Italia | Comments(6)

祝い、夕日うっかりと新たな始まり

 カトリック教の聖人は多いので、カレンダーを見ると、毎日たいてい、記念して祝うべき聖人が数人います。3月19日の今日は、聖母マリアの夫、聖ヨセフを記念して祝う日です。イタリアでは聖ジュゼッペ(San Giuseppe)と呼ばれる聖ヨセフが、イエスの養父であることから、イタリアでは、この3月19日を父の日(Festa del Papà)として祝います。我が家では、義母の名もこのジュゼッペの女性名であるため、今年も3月19日には、義父は父の日、義母は聖名の祝日(onomastico)と、二人ともにささやかな贈り物を用意して、祝いました。

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Tramonto al Lago Trasimeno, Torricella, Magione (PG) 19/3/2017

 今日も夕方、日が沈む頃にトラジメーノ湖畔の村に出向いたのですが、わたしとしたことが、カメラをうっかりうちに忘れてしまいました。今日はさらに雲が多く、太陽が雲の中へと沈んでいったのですが、湖面に映る空がそれはきれいでした。スマートフォンで撮った写真で、少しでもその独特の美しさが伝わればいいのですが。

 明日から、今年度の学校の授業が始まります。先ほど、最初の授業の準備を済ませたところで、新しい生徒さんとの出会いが楽しみです。わたしが授業を担当するのは9時からなのですが、8時から会があるので、早起きをして、7時半には学校に着いておきたいと思います。と言うのも、教員向けには6台分しかない駐車場に車を置けるのは早い者がちで、置けないとなると授業時間が長いので、駐車料金がひどく高くなってしまい、かと言ってバスで行くと、午後帰って昼食を準備し食べてから、夕方の英語の授業に生徒さんのうちに行くのに、バスの待ち時間にひどく時間を取られて、昼食の時間がなくなってしまうからです。

 万一駐車場が見つからなかった場合は、ミニメトロ終着駅の無料駐車場まで車で引き返し、近くのバス停から、バスで学校に戻る予定です。明日は早起きして、駐車場に空きがある早いうちに、学校に到着できますように。

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Anche oggi molto nuvoloso il cielo
ma bellissimo il riflesso sul lago.
Purtroppo ho dimenticato la macchina fotografica a casa
e mi sono arrangiata con lo smartphone.
- Torricella, Magione (PG) 19/3/2017
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Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2017-03-19 23:16 | Umbria | Comments(8)

一件落着、うっかりと夕焼け

 年末から取りかかっていた、MacBookを要する大きな仕事が、ようやく終わりました。よくよく見直しをして、訂正を加えてから、今日の午後、学校に提出しに行きました。締め切りは今週末、金曜日ですが、提出をしない限り、いつまでも校正を続けてしまいそうな気もしたので、提出してしまうことにしました。

 提出して、はい終わりのつもりが、担当の方が一つひとつかなりていねいに、わたしといっしょに内容を再確認してくださったので、ありがたかったです。あと5分で、駐車料金が1.5ユーロから3.4ユーロになるというときに作業が終わったので、大急ぎで駐車場に向かいました。途中、公園の前で、公園に放し飼いの犬が数匹いて、しかもうち1匹は道の中央にはだかって吠えていたので、公園に入るのをためらっていたら、親切な方が、「大丈夫、あんたたちなんて気にしないという態度で歩いて行けばいいのよ」と、いっしょに歩いて行って、犬の相手をしてくださいました。公園の前で立ちすくんだせいもあって、駐車料金を払うのは、料金が増える1分前とぎりぎりになりましたが、料金が1.5ユーロで済んで助かりました。

 ただひどく慌てていたため、料金を払い、釣り銭を受け取り、駐車していた車に向かい始めたのですが、ふとどこに駐車カードがあるのか分からなくなり、ひどく焦りました。自動精算機に5ユーロ紙幣を挿入したときに、カードより先に釣り銭を取り出すようにという指示があったのは覚えているのですが、慌てていたために、駐車カードを取った記憶としまった記憶がないのです。急いで精算機の前に戻ったもののカードが見当たらず、バッグの中やコートのポケットをよくよく確認したら、財布のさまざまなカード類に交じって、かなり探したあとで、ようやく駐車カードが見つかったので、ほっとしました。

 慌てて注意が散漫になり、行動が記憶に残らないということは、どうしても起こりがちなので、今回は仕方ない点もあるのですが、これから気をつけなければいけないなと思いました。慌てて記憶に残らず困ると言えば、外国や見知らぬ店でトイレに入るとき、入るときは急いでいて、無意識に扉を閉めてしまい、後からどう閉めたかが思い出せず、そのために開け方が分からず、ひどく困る場合がたまにあるので、これも用心が必要です。作る業者が妙にデザインにこだわるからでしょう、どう開けていいか分からない扉や、どうやって水を出していいか分からない蛇口やシャワーに、出会うことが時々あるからです。

 閑話休題。今日提出した仕事が終わってからと、先延ばしにしていたことが、仕事も私事も含めていろいろありますので、明日からはそうしたことに取りかかりたいと思います。まずは、去年の通訳の報酬を、まだ払ってくれていない業者が二つあるので、その催促をしなければなりません。 

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 写真は、日曜の夕方、サンタ・マリーア・デッリ・アンジェリ教会の境内から見た夕焼けです。今にも沈もうとする日の光と、その光に色づく雲がそれはきれいでした。この後、教会から出たときには、空が昨日の記事でご紹介したように、深い青色になっていたのです。

Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2017-03-07 23:59 | Insegnare Giapponese | Comments(4)

美しい月と花粉症その後

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1/3/2017

 昨夕は、うちの窓から、夕焼け色がまだほんのり残るたそがれの空にかかる、

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それは美しい月が見えました。

 よろい窓を閉めた頃には、さらに西に傾いた月の近くに、金星が輝いていて、それはきれいでした。紺碧の空にきらめく月と金星があまりにも美しいので、写真に撮ろうとしたのですが、わたしの腕とカメラでは、ほっそりとした月が太ってしまい、金星のきらめきも、その放つ細やかな光の筋がとらえられないので、あきらめて、目と心に収めました。

 昨晩の記事で、今年は花粉症の症状が軽いようだなどと書いたら、今日は朝から目がかゆく、くしゃみ・鼻水などの症状もさらに悪化して大変でした。例年に比べると、それでもまだ軽いのですが、今日はうちと学校で過ごし、外にいたのはその往復の間だけで、この状況です。しばらくまじめに食事療養と薬草療法を続けるつもりでいます。

 幸いというか何と言うか、他の先生方も先月末の期限にはとても間に合わない状況の人が多かったおかげで、学校側が締め切りを来週の末まで延期してくれました。わたしも、早めに提出できるようにと、日々のノルマを決めて取り組んではいたのですが、プリンターの故障に、家庭の事情、先週は友人たちがミジャーナに遊びに来て、せめて週末くらいはといっしょに過ごし、この数日は、睡眠時間を削り、時に食事の時間も後ろにずれ込み、瞑想講座も聞かずに、仕事に集中したのですが、2月末には間に合いませんでした。

 まあ、締め切りの延長を、学校側が早くから教えてくれていたおかげで、週末はミジャーナに行くことに決め、ブログの記事やインスタグラムの写真1日一つのノルマは何とかこなし、洗濯や掃除も必要に駆られてしているのではあります。ただ、昨年分の翻訳の報酬をまだ払ってくれていない企業などに、また請求のためにメールを書かなければならず、すっかり発行が滞っているイタリア語学習メルマガやさぼっているフランス語学習に着手しなければいけないのに、年明けから、この学校の大仕事の片がついてからと、先延ばしにしている状態ですので、学校が延長してくれた締め切りを待たず、遅くとも来週火曜日には提出できるように、頑張るつもりでいます。今晩も11時半過ぎまでは、新しいMacBookで仕事をしていたのですが、ようやくMacBookやiBook Authorにも慣れ、ペースが上がってきました。

Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2017-03-02 23:59 | Altro | Comments(2)