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日本特集! 雑誌、『Meridiani』 2月号

 新聞の広告で、日本特集号が発売中と知り、今日さっそく雑誌を購入して来ました。

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 『Meridiani』は、毎号、休暇で訪れたい場所、国や島、町などを一つ絞り込んで、特集して取り上げ、その土地について、観光名所や旅の情報だけではなく、文化や歴史なども、深く取り下げ、美しい写真と共に、紹介している雑誌です。

 雑誌名の下に「Giappone」と書かれているように、今月、2月号は日本特集

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 買ったばかりで、まずは巻頭言とローマ日本大使、安藤氏のあいさつの言葉を読み、ざっと雑誌をめくり、目次に目を通しただけなのですが、とにかく写真の美しさと記事の多様さに目をみはりました。

 20年以上におよぶ雑誌の歴史の中で、日本を取り上げるのは今回が初めてということで、日本の姿をくまなく伝えようとすれば、複数冊必要であろうところを、1冊でできるだけさまざまな日本を紹介しようと工夫をした、と巻頭言に書かれています。

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 目次を見ても、Tradizioni (伝統)、Tokyo(東京)、Fuji (富士)、L’imperatore (天皇)、Giardini(庭園)、Cultura pop (ポップカルチャー)、Tecnologie (技術)、Animali(動物)、Kyoto(京都)、Robot(ロボット)、Architetture(建築)などと、記事の内容が多彩であることが分かります。

 ただ本や映画の紹介に関しては、イタリアでも人気のある吉本ばななや村上春樹、北野武の作品が中心になっているのが、残念です。日本文学を教えている身としても、『枕草子』や『徒然草』、『伊勢物語』、『源氏物語』、そして松尾芭蕉などの俳句作品ももっと取り上げてほしいと思いました。こうした作品の底を流れる自然を愛する心や感性の細やかさ、豊かな叙情性は、日本の文化の他の側面とも、切っても切れないものだと思うからです。

 Quanto all’introduzione alla letteratura giapponese, mi dispiace molto perché la rivista presenta soprattutto le opere degli scrittori contemporanei già assai conosciuti in Italia, mentre tralascia diverse opere classiche che, oltre ad offrire una lettura piacevole, vennero scritte con l’amore per la natura, una sensibilità raffinata e un ricco lirismo i quali sono osservabili anche negli altri aspetti della cultura giappones come i giardini giapponesi, la filosofia e i costumi nella vita quotidiana ecc. Forse di questo dovrei scrivere io stessa sul blog o sul sito, cercando di trovare il tempo.

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 鶴や温泉を楽しむ猿など、日本独特の動物たちを紹介している記事もあります。ちなみに日本の鶴については、つい先日RAI3の『Geo & Geo』という番組でも、求愛の踊りや絶滅の危機について、説明されていました。

 “I Samurai del Tonno”(マグロの侍たち)と題する、築地魚市場を語っているらしい記事もあります。記事の最初に掲げられた写真は、大きな冷凍のマグロがびっしりと並ぶ中を、卸売り業者が点検しているところを撮影したものです。マグロについては、わたしの夫は時々、「イタリアの最も質のいいマグロは、皆日本に行ってしまう」と、恨めしげに言っています。また、漁業については、イタリアのテレビでは、時々、「また日本が野蛮な捕鯨を……」といった具合で、偏見を助長するような口調で、ニュースに取り上げられることがあるので、この記事がどう書かれているのか、かなり気になります。

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 わたしが教えてきた日本人学生の中には、アニメ・漫画の大ファンで、日本語を勉強したくなったという学生が、大勢います。中には自分で、インターネット上の漫画を読んだりして、次々と漢字を独学で学んで、日本人でも平仮名で書くだろうという漢字を、必死で覚えている学生までいました。ある日授業をしようと教室に入ったら、黒板が二人の学生たちが書く漢字や文字でびっしり埋まっていて、びっくりしたこともあります。というわけで、もちろんこの雑誌にも、アニメと漫画についての記事があります。

 イタリアのテレビや新聞を見ていると、ニュースで日本が登場する機会は非常に少なく、大きな地震が起こったときや経済、科学技術の最先端の話題に加えて、捕鯨問題や雅子妃のうつ病が報道される程度のような気がします。一方、世界の文化を伝えるような番組では、日本の文化のさまざまな側面が紹介されています。

 イタリア人の友人には空手・合気道など、日本の武道をたしなむ人も多く、わたしの夫も、柔道の教室に通ったことがあるそうです。最近のニュースでは、日本料理がイタリア中で人気を集めていると語られており、確かにペルージャにも、得てして中国人経営であることが多いものの、日本料理が食べられる店が増えているようです。日本人向けの求人情報を見ても、寿司や日本料理が作れる人を、イタリア中でしばしば募集しています。アニメから、武道から、日本料理からと、さまざまな動機で日本に興味を持つイタリア人が多い一方で、ただし、中国と日本の違いがあまり分からないような人がたまにいることも事実です。

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 そんなふうに、イタリアで報道される、そして、知られている日本文化の側面が偏りがちであることを考えると、この『Meridiani』の日本特集号は、少ない誌面をうまく活用して、イタリア人が関心を持つ話題を数多く提供しつつも、既成の枠にとらわれない、さまざまな日本の姿を伝えていると言えると思います。イタリアでは「日本と言えば地震」と思う人も多く、もちろん、地震(terremoto)についての記事もあり、耐震建築や学校での避難訓練の写真が添えてあります。

 巻末には、交通機関や年中行事、宿やレストランの紹介など、旅をするのに役立つ便利な情報(La guida - Notizie e consigli)も添えられています。

 というわけで、イタリア人の配偶者や家族がいて、ぜひ日本をよりよく知ってもらいたいという場合にも、イタリアで日本がどう紹介されているかを知りたいという場合にも、とてもいい雑誌だと思います。値段は6.20ユーロ。日本語と日本文化を教えているので、イタリアで日本文化を紹介する本は、自分でも何冊か持っていますし、書店でも気にしながら見ているのですが、これだけ安い値段で、豊富な写真を使って、的確に日本のいくつかの側面を紹介する雑誌を購入できるのは、めったにない機会だと思います。まだ具体的に記事を読み込んでいないのではありますが、美しい写真を眺めているだけでも、日本人としてうれしくなり、誇らしい気持ちがわいてくるものと思います。よかったら、ぜひ一冊購入してみてください。

LINK
- Amazon.it - Rivista monografica di viaggi, "Meridiani - Giappone" (Domus)
- アマゾンイタリアの活用法とおすすめのイタリア語CD・DVD&本

Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2011-02-07 19:15 | Giappone | Comments(18)

食後は歌とScarabeo

 大家族での昼食(記事はこちら)後は、夫とわたしが中心になって、食器などを片づけました。「早く遊ぼう。」とかけよる姪っ子たちに、片づけが終わってからね、と言いつつ、作業を続けながら、雨が降っているからと、「あめあめふれふれ 母さんが…」の歌を、少しずつわたしが歌って、姪たちに繰り返させます。先週も雨で、やはりこの歌を一緒に歌ったので、自分たちだけでも歌える箇所もあるくらいです。二人とも、特に「ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」の部分が気に入って、ふりをつけながら、楽しそうに歌っていました。

 マッダレーナが歌の意味を知りたがるので、説明すると、夫曰く、「ただでさえ毎日雨が降っているのに」。確かにもっともな意見で、歌に雨乞い効果がないことを願います。「お義父さんとお義母さんの前で、一緒に傘を手に、歌って踊りましょう。」と提案すると、「室内で傘を開くのは縁起が悪い。」と却下されてしまいました。イタリアの迷信では、室内で傘を開くと不運を招く、とされているからです。

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 夕方は、お義母さんの兄君で、同じ二世代住宅に住むディーノ伯父さんの台所で、姪っ子たちと遊びました。最初に、姪たちと「あめあめふれふれ」を一緒に歌うと、伯父さんも思わず顔がほころびます。

 この歌は、日本語の授業(記事はこちら)でも、雨の日に、学生たちと一緒に歌います。イタリアでは、天気が悪いと気分まで落ち込む人が多いので、歌うことで気分を明るくすることができるし、日本語の復習・練習にもなります。まずは歌詞を黒板に書き、一行ずつ読ませて、平仮名と片仮名がきちんと読めるかどうかを確認し、それから、まずは一行ずつわたしの後について歌わせ、それから皆で一緒に声を合わせて歌います。学生たちも、やはり、最後の擬音語の部分がお気に入りのようです。

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 この日のゲームは、わたしが大好きなScarabeo(読みは「スカラベーオ」)。袋の中から各人8字ずつアルファベットの文字を取り、すでに盤上にある単語にうまくつなげながら、手持ちの文字を使って、単語を並べていくゲームです。

 学校でイタリア語のさまざまな言葉を習っている最中の姪っ子たちも、興味津々。マッダレーナの提案で、二人ずつチームを組み、アレッシア・ルイージ対マッダレーナ・なおこで、勝負に挑みました。

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今、ZOO「動物園」のOがなくなっていることに、気づきました!頭字語LMのMも位置がずれています。

 本当は点数もあるし、駒がすべてなくなるまで勝負するべきなのですが、姪たちにとっては初めてでもあり、まずは点数はつけずにゲームをしました。そろそろ家に帰ろうと、義弟夫妻が迎えに来たので、途中で(上の写真)ゲーム終了。

 姪たちが自分で考え出して置いた単語もあり、二人ともなかなか楽しんでいたので、うれしく頼もしく思いました。ドレミファソの「ソ」が、イタリアではsoではなく、solだということも初めて知りました。ちなみに上のゲーム版では、夫たちが並べたSOLの上下に、わたしたちが後からIとAを付け足したので、SOLはISOLA(意味は「島」)という単語の中に隠れています。

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 こちらが、このゲーム、Scarabeoの箱です。Scarabeoは、単語を並べていく英語のゲーム、Scrabble(読みは「スクラブル」)のイタリア語版です。日本での英語学習中に、すっかりスクラブルのファンになったわたしは、英語を教える友人や弟妹、英語の学習仲間と勝負を重ねました。

 というわけで、イタリアでイタリア語版のScarabeoを見つけて、すぐに購入してから数年になります。姪たちが、二人とも学校に通って、イタリア語を学び始めたので、いつか一緒に遊べる日を、実は心待ちにしていたのです。エルバ島に住む友人は、幼い頃からよく家族でこのゲームをして育ったそうですし、時々こうしてScarabeoを一緒に楽しむつもりです。姪たちが日本語も学んでいたら、一緒に百人一首で遊べるのに、と少し残念です。

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by milletti_naoko | 2010-11-30 16:37 | Famiglia | Comments(14)

滞在許可証3+仕事の現状と抱負

 イタリアで、移民や滞在許可証をめぐる法律は、この数年めまぐるしく変わっています。わたしの場合は、運命か偶然の幸運か、この法改正のおかげで助かったことが2回あります。

 まずは、2003年の夏。わたしは語学留学で、イタリアに滞在していました。それまでの法律では、イタリアの大学に入学したければ、一度日本に帰って、ビザを申請する必要があったのに、法改正のおかげで、帰国せずに入学できるようになったのです。おかげで、イタリアに滞在したまま、同年秋に大学に入学し、クリスマス休暇に帰国して、日本で、大学通学用のビザを申請することができました。

 わたしが夫に出会ったのは、2003年の12月(詳しくはこちら)、外国人大学の学士課程に入学してまもない頃です。ですから、夫に出会えたのも、この法改正のおかげだと言えます。冬にまだペルージャに残っていたのも、夫も参加していたスライド上映会に出向いたのも、日本に帰国せずに、大学に入学できたおかげだからです。

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ペルージャ外国人大学、ガッレンガ校舎。(屋内の写真はこちら

 ただし、ビザなしの入学をどの大学も許可しているわけではなく、希望していたペルージャ大学(Università degli Studi)では駄目だと言われ、結局、語学講座に通ったペルージャ外国人大学に入学することになりました。でも、そのおかげで、のちに外国人大学で、「日本語・日本文化」の講師の口を得ることができたのだと思います。幸い、日本の大学で受講した科目の単位などが認められたおかげで、2年生に編入し、3年のところを2年で卒業することができました。

 イタリアでは原則として、従来は4年制であった大学教育が、卒業できない若者が多かったこともあり、3年+2年の5年制に切り替わりました。3年でも大学卒業をして職につけるようにして、モラトリアムを短くしようと考えていたようですが、実際には、最初の3年制の課程を終えても、大学卒業とみなされないことが多いので、結局は、4年から5年と、大学に通う年数が長くなった感があります。わたしもイタリアの大学で教えているのは、日本の4年制大学卒業資格のおかげです。

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卒業試験に無事合格し、卒業した直後、のちに夫となる人と   2005/10/10

 法改正の恩恵を再び受けたのは、2005年の秋です。10月10日に大学を無事卒業し、同時に、幸い、2005・2006年度の「日本語・日本文化」の講師としての採用も決まりました。それまでは、就学目的で滞在していた場合、イタリアで就職するには、一度帰国して就労用のビザを取得する必要がありました。それが、法改正のおかげで、イタリアの大学を卒業し、そのときに就職先が見つかれば、一定以上の収入があることを条件に、帰国しなくても、就学用の滞在許可証を、就労用に変更できるようになったのです。その申請の手続きで、ペルージャ県警察本部に赴いた際には、担当官から、わたしが、「ペルージャで二人目の、新しい法を利用した、就労目的の滞在許可証への変更申請者」だと聞きました。

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日本語の授業を受ける学生たち  この日の授業の様子はこちら

 2005年10月から5年間、ペルージャ外国人大学で、「日本語・日本文化」の講師として教えてきましたが、実は、毎年講師の公募に応じ、履歴書や大学の卒業・成績証明書などを提出しては、1年契約で採用される、ということを繰り返してきました。

 今度は、「改正がマイナスに働いた例」をお話します。一昨年度から、ペルージャ外国人大学の学士課程が、新課程に移行しつつあります。これまで教えていたPLIMの課程では、日本語・日本文化の授業は、1・2年時にありました。ところが、新課程では、この授業が3年時にあります。おかげで、今年はちょうど、わたしが授業を教える科目が存在しない、空白の1年間となりました。今年の9月まで教えていた課程では、3年生向けの授業しか行われていないし、新課程では、まだ1・2年生の授業しか行われていないからです。

 イタリアの大学では、各授業の担当者が年に数回(外国人大学の場合は現在5回)の試験日を決め、学生は、自分がいつ受験したいかをこの中から自由に選ぶことができます。わたしは外国人大学で、今年の1月と2月に、前学年度の授業の試験を実施しなければいけないのですが、そういうわけで、この1年間は(1年だけであることを祈ります)、大学では日本語を教えません。

 時々、通訳と翻訳の仕事はあるので、「主婦」というわけではありません。また、実は、今年の夏以来、日本語を教えてほしいという学校から二つ依頼があったのですが、断ってしまいました。一つは、とあるペルージャの語学学校からの依頼で、これはちょうど夕食の時間帯(6時から9時半)という非常に都合の悪い時間帯であるのに、時給10ユーロと、給料が極端に低かったからです。通訳では原則として、時給25ユーロで働き、かつ税は企業側に支払ってもらっているし、授業の場合には準備にもかなり時間がかかります。日本語やイタリア語の個人授業でも、20~25ユーロ払おうという人はいます。

 もう一件は、時給40ユーロ(ただし、税はわたし負担なので純収入は32ユーロ)を提示してきたとある南部の私立大学。日本語だけではなく、日本語の通訳・翻訳の授業も教えてほしいという興味深い話ではあったのですが、片道10時間以上かかる距離で、往復の旅費や宿泊費を考えると残るものが少なく、かつ、数か月も夫と別居してまでしたい仕事かどうかも考えて、お断りしました。

 幸い、夫の収入もあるので、無理までして働く必要がないおかげもあって、今は充電をしているところです。と言っても、通訳などの仕事がないときでも、家事、そして今はオリーブの収穫まであって、かなり慌しくしています。

 ペルージャ外国人大学で、「外国人へのイタリア語・イタリア文化教育」学士取得課程を卒業しただけでなく、シエナ外国人大学の大学院を卒業して、「外国人へのイタリア語教育専門家」の資格も得ましたので、いずれ日本の方向けのイタリア語の学習書やイタリア文学・イタリア文化の本を書いてみたいと思う気持ちがあります。一方で、イタリアで日本語を教えているし、日本でも高校で長い間国語を教えてきたのだから、イタリアの人に、もっと日本語や日本文学・文化を知ってもらうための学習書や本を書いてみたいという気持ちもあります。どちらの言語・文化も教える資格があり、またどちらについても教授法を学び、熟知している人は少ないと思うのです。

 というわけで、「いつか、こうした夢を実現させる」ために、まずはイタリア語学習メルマガ(バックナンバーはこちら)とこのブログの記事を、こつこつと書いているところです。どちらもかなり時間もエネルギーも要するために、今のところはまったく収入に結びついていませんが、毎日忙しく過ごしているのでした。

Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2010-11-21 23:58 | Altro | Comments(14)

イタリアの方言と日本語特訓の成果その2

 巡礼中にフランスとスペインを横断したフランコは、スペイン語は流暢ですが、フランス語はまったく知りませんでした。ですから、常識で考えると、彼が巡礼中に学ぶべき言葉は「フランス語」だったわけです。ところが、巡礼前のフランコには、「フランス人はイタリア人を見下すような、冷たい態度を取る」という偏見があり、フランス語を勉強する気持ちがまったくありませんでした。

 それがどうでしょう。フランコが、フランスを1か月かけて徒歩で縦断している間に出会ったフランス人は、誰もかれも心の温かい、優しい人ばかりであったということです。大きなリュックを背に歩く彼を見て、興味を持って話しかける人、見返りを期待せずに助けようとしてくれる人。フランスのプロヴァンス地方も風景が美しく、ぜひもう一度帰りたいとのことです。ステレオタイプの限界と恐ろしさ。出会いが突き崩してくれる偏見の壁。ちなみに、ゼロから出発したフランス語も、初めはまったく言葉が通じずに苦労したものの、1か月かけてフランスを縦断するうち、簡単な会話なら交わせるようになったとのことです。それでも流暢に話せるスペイン語圏に入ったときは、「ようやく言葉が通じる場所に来た!」と、ほっとしたとか。

 巡礼前、こう考えていたフランコは、「3か月歩き続ける時間を利用して、日本語を勉強しよう。」と考えたのでした。そして、出発前から何度もわたしに、「巡礼中に、繰り返し聞いて日本語を覚えたいから、iPodに会話表現を吹き込んでくれ。」と、頼んでいました。

 わたしは最初、まったく本気にしていませんでした。その理由は、
1.巡礼中に必要なのは、日本語ではなくフランス語であり、
2.繰り返し聞いて丸暗記するという学習方法に、わたしは懐疑的であり、
さらに、
3.フランコが読んで録音してほしいという本に、非常に問題があったからです。

 3はイタリア人向けの、Lonely Planetの日本語旅行会話ポケットブック。この本は手元にありませんが、ギリシャ語旅行会話用ならわたしも持っているので、こちらの写真を載せておきます。

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 旅行に行って、自分が言いたい文章を探すという「辞書的」使い方をするだけなら、非常に役立ちます。実際、ギリシャ語版は、ギリシャ旅行中に重宝しました。けれども、この日本語版は、入門者が日本語学習に使おうには、非常に問題がある本なのです。

 まず、簡単に言えばすむことを、わざと難しい表現を並べ立ててあるという印象を受けました。文章自体ははっきり覚えていませんが、たとえば、「映画に行きませんか。」と言えばいいのに、「映画に行きたいと思いますが、どうですか」と書き、「駅はどこですか。」と言えばすむところを「駅にどう行けばいいか、教えていただけませんか。」と書いてあるといった具合なのです。構文も語彙も、入門者には複雑すぎるし、例文の並び方も、学習効率がひどく悪いものとなっています。

 余談ですが、Lonely Planetのイタリア人向け旅行会話集に共通して言える、「おい、これは何だ」という特徴があります。これは日本語版でもギリシャ語版でも同じで、わたしはどなたか他の国の人を対象にした会話集をお持ちの方に、その本ではどう扱われているかをお聞きしたいと思います。「言葉もよく知らぬ国を旅行する」ための旅行会話集に、なぜか「amore e sesso」という章があって、「以前にもどこかで会ったような気がします」というせりふはまだいいとして、実際に床を共にすることになった際の、具体的な相手への要求やその最中や後に言うべき表現まで、いろいろと書き並べてあるのです。

 日本人向けの旅行会話集は、こういう表現・場面は扱わないだろうと思うのです。これが、この会話集を作ったLonely Planet社の旅行会話集の編集基本方針なのか、それとも、イタリア人相手のイタリア語版にだけ、こういう章立てがあるのか、疑問です。さらに、もし後者だとしたら、それがイタリア人利用者の希望によるものか、それとも、Lonely Planet社側のイタリア人に対する偏見から生まれたものか、それを知りたい気がします。もしお手元に、イタリア語以外で書かれたこのポケットブックをお持ちの方がいたら、その本にもこうした項目があるかどうか教えていただけると幸いです。

⇒「その3」につづく(リンクはこちら

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by milletti_naoko | 2010-11-15 21:25 | Altro | Comments(2)

あるイタリア人学生の質問

 9月1日水曜日は、わたしの担当する「日本語と日本文化」の試験日だったので、朝早くバスを乗り継いで、試験会場に赴きました。

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 会場で、いつもお世話になっている語学助手の先生にごあいさつ。

 もともと今回は受験登録している学生がいない上に、まだ帰省している学生も多いため、「おそらくは誰も来ないだろう。」と二人とも思いはしたのですが、念のため、30分間だけ、来るかもしれない学生を待つことにしました。

 イタリアの大学では、各教科について、担当教員が、年に数回の試験日を設けています。ですから、学生は、自分が都合のいいとき、自分に受ける準備ができたときを選んで、試験を受けることができます。

 わたしが教える日本語の場合には、授業が終わってすぐの方が、筆記試験にせよ、口頭試験にせよ、頭によく残り、練習もできているために、大半の学生が、授業が終わって最初の試験(今年の場合は、6月1日)に挑戦します。ほとんどの学生が合格するのですが、受からなくても、あと4回、他の試験日があるので、その日までに勉強をしっかりすればいいわけです。

 ペルージャ外国人大学の学士取得課程(Corso di laurea)は、少なくともわたしが教える学部については、ほとんどがイタリア人学生で、外国人学生も数人います。

 イタリア人学生には南部を中心に、遠くからペルージャに来て、下宿をしている学生がおり、そういう学生は、夏休み中はまずは自宅の父母のもとに帰省。外国人学生も、特に近くのヨーロッパ圏から来ている学生については長期休暇にはよく帰省します。ペルージャやウンブリア近辺の学生についても、夏休みは旅行をしたり、バイトをしたり……

 というわけですから、試験がまったくない8月が終わったばかりの9月の初日には、来る学生が少なかろうと、予想はしていました。

 受験登録もせず来る学生や、試験時間に遅れて来る学生がいても、それは、受験の対象外、と考えるのは、日本の常識を適用しての話です。

 イタリアのことだから、「ひょっとしてオンラインの受験登録システムに不備があって、受験登録できなかった学生がいるかもしれない」、「バスや電車が遅れて、少し遅れてくる学生がいるかもしれない」と、柔軟に対応をする必要があります。

 甘いと言えば、甘いし、実際の規則としては、「試験開始時刻に、試験官の点呼に答えない学生は、受験の資格がない」はずであり、かつ、「試験4日前の締め切りまでに、受験登録をしていなければ、受験資格がない」はずなのですが、

にも関わらず、大学側に、

「誰も受験登録者がいない場合には、試験会場に行かなくてもいいですか。」

と尋ねて、

「いいえ、誰か学生がいるかもしれないので、必ず会場に行ってください。」

と言われたことがあります。

 ということは、裏を返すと、受験登録をしていなくても、試験を受けに来た学生に受験資格を与えなさいということかと思うのです。

 ただし、「何度も試みたのに、オンライン登録できませんでした」と言う学生はともかく、「……先生は、登録をしなくても受けさせてくれたのに」とか、「うっかりしていて受験登録の締め切りが過ぎてしまいました。」という学生には、みっちり言い聞かせて、規則をしっかり守るように言い聞かせます。

 こうやって、遅れや不備を大目に見ていることが、結局、今後のイタリア社会で、さまざまなサービスの遅延や不足につながるのではないかというを危惧を抱きつつも、とにかく、9月1日は、30分だけ、誰か来ないかと待ってみました。

 待っている間、語学助手の先生とおしゃべり。前回の7月の試験では、筆記試験中に、ひそひそ声ではあるけれども、長い間雑談をしてしまい、気が引けたのですが、今回は誰も学生がいないので、気兼ねなくおしゃべりをします。

 ペルージャで日本料理の調味料はどこで買うかとか、ズッキーニの花を衣で揚げるには、衣を作るのに、水道水の代わりに炭酸水かビールを使うと、泡のおかげで、ふんわりとかつカラッと仕上がって、とてもおいしいとか、いろいろ教えていただいて、とてもいい情報交換ができました。

 授業でお世話になっているので、ふだんから話す機会は多いのですが、授業や試験のあるときは、どうしても学生や授業、仕事の話で持ち切りになってしまいます。

 それが、こんな機会のおかげで、たくさんとりとめもないおしゃべりを日本語ですることができて、お互いにイタリアで暮らしていて思うことや、生活上の工夫などを言い合うことができて、何だかとてもうれしかったです。

 イチジクが好きだと言うので、ぜひもう一人の助手の先生と一緒に、イチジクの季節の間に我が家に来てください、とご招待。

 30分のはずが話が弾んで、結局は2時間以上、受験会場の教室でおしゃべりを続けてから、あいさつをして別れました。そう、誰一人学生が、受験に訪れなかったのです。

 帰宅途中のバスに乗った途端、向こうから大声であいさつして、近づいてくる若者がいます。

 誰かなと思ったら、昨年、一昨年と教えた男子学生でした。

 「先生、ぼく、もうすぐ日本に留学するんですけど、何を持って行けばいいんでしょうか。」

と、あいさつのあと、勢い込んで学生が尋ねます。ちなみに、学生との会話はイタリア語です。

  日本にお土産に持って行くものや勉強に必要なものについて、聞きたいのかな、と思ったら、

 「オリーブ・オイル、持って行くべきでしょうか。」

 確かに日本は食料品が高い上、オリーブ・オイルは何倍も値が張るけれども、

 「でも、日本で毎日イタリア料理を作って食べるつもりですか。」
 
 「日本は確かに食料品は高いけれど、外食すると、イタリアよりもかえって安くつく場合が多いから……」

 と言うと、

 「そうですよね。毎日自炊をするわけでもないし……」

 わたしはそのとき、窓の外を見やって、自分が乗り換えるべきバス停が近いことに気づきました。

 「あ、わたし、ここで降りなきゃ。」

 学生がすぐにブザーを押してくれて、あいさつを交わしたあと、そのバス停で降りることができました。

 それにしても、オリーブオイルとは!

 確かに、イタリア人は、特に年のいった人ほど、イタリア料理へのこだわりが多い人が増えるし、イタリア南部出身で、ペルージャに住む学生や社会人には、故郷に帰るたびに、自宅から、自家製のオリーブ・オイル、瓶詰めのトマト、母の手作りのお菓子や保存食の数々を大量に運び込んでくる人も多いのですが……

 まだ二十歳を超えたばかりの若者が、日本に持って行くべきものとして真っ先に、オリーブ・オイルを思い浮かべるとは、思いもしなかったので、びっくりしました。

 
 びっくりと言えば、その昔。日本文学の授業中に、『古今和歌集』を教えていたときの話です。秋の歌を教える前に、導入として、学生たちにこう尋ねました。

「皆さんは、何をきっかけに秋を感じますか。」

 わたしとしては、「赤とんぼはたぶん日本特有なので出ないだろう」とは思ったものの、紅葉など、何か季節の移り変わりを告げる自然の風物が、学生の口から出てくると思っていたのです。

 すると、学生たちの答えは、口々に、

 「TRISTEZZA(悲しさ)」

と答えます。

 「夏が終わってしまうのが悲しくて、その悲しさで秋の訪れに気がつく」

ということでした。

 照りつける太陽を愛し、夏を謳歌する国民だからでもあるでしょう。もちろん夏休みが終わるのが悲しく寂しいのは、日本でも同じだと思いますが、日本の方で、「秋の訪れを何を通して感じるか」と聞かれて、「悲しさ」と口に出る方は、こんなに多くないと思うのです。

 もちろん、秋と悲しみを歌った和歌は昔から数多くありますが、秋の訪れを「悲しさ」で感じたわけではありません。

 ちなみに、紅葉はイタリアにもあり、秋の風物ですが、虫の声は、イタリアでは夏の風物です。

 夏に黄金色に実った麦畑の間や茂った青い草の間から、にぎやかな虫の声が聞こえるので、わたしは、はたと、なぜ日本では虫が秋に鳴くのだろうと考えました。

 仮説

 日本では、夏には田んぼに水が張られていて、いるのはむしろたくさんの蛙。たとえコオロギなどの虫がたくさんいて鳴いても、蛙の大合唱にかき消されて聞こえないのではないか。愛媛県の田園地方で暮らしていた頃、夏は毎晩蛙の大合唱が聞こえていました。

 イタリアで麦が実るのは夏だけれど、日本で稲が実るのは秋だからというのも、あるかもしれない。

 と、なんとなく頭を絞って考えたのですが、夫に言わせると、わたしの思考回路は「文学的、詩的方向」に偏っていて、科学性に欠けるそうなので、もし、どなたか真相をご存じの方がいたら、どうか教えてください。

Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2010-09-04 00:06 | Insegnare Giapponese | Comments(6)

バーチとアンゴラの意外な関係

 ペルジーナ(Perugina)の工場で生産されるバーチのチョコレートは、日本でもご存じの方が多いのではないかと思います。商品名のバーチ(baci)は、「キス・口づけ」を意味するbacioの複数形です。
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 銀色の包み紙を開けると、ブラックチョコレートとヘーゼルナッツでできたチョコレートと共に、小さな紙片が入っていて、この紙片には、愛や恋に関するしゃれた文句が、5か国語で書かれています。

 たとえば今手元にある紙片を見ると、こうあります。

Il rumore di un bacio non è forte come quello di un cannone, ma il suo eco dura molto più lungo. (O.W.Holmes)

 「口づけの音は大砲の音ほど激しくとどろきわたることはないが、その反響は、はるかに長く続くものだ。(O・W・ホームズ)」 (「  」内は石井訳。以下も同様。)

Amare è scegliere, baciare è la sigilla della scelta. (Anonimo)

「愛することは選ぶことであり、口づけはその選択の封印である。(作者不明)」

(石井注:実は紙にはsiglaとあるのですが、英語版にsealとあるため、sigillaの間違いだと思います。)

 商品名にちなんで、特に「口づけ」(bacio, baci)という言葉が含まれたものを選んでご紹介しましたが、他にも、こんな言葉があります。

Il cuore è una ricchezza che non si vende, non si compra, ma si regala. (Proverbio)

「心は、売ることも買うこともできず、贈ることだけができる富である。(ことわざ)」

 L’amore non fa ruotare il mondo, ma rende la rotazione piacevole. (F.P. Jones)

「愛が世界を動かすわけではないが、愛のおかげで世の営みは心地よいものとなる。(F・P・ジョーンズ)」

 というわけで、バーチのチョコレートを食べるときには、この中に入っている言葉を読むのも、楽しみの一つです。今回は、わたしの集めたバーチの紙片の中から、特に気に入っている言葉のいくつかをご紹介しました。

 ブラックチョコレートとヘーゼルナッツを使って、バーチを作ろうと思いついたのは、ペルージャの女性企業家、故ルイーザ・スパニョーリLuisa Spagnoli、1877‐1935)です。もともと、他の菓子を生産する過程で余ってしまうヘーゼルナッツを有効利用しようという発想から生まれた商品であること、そして、最初は形が不規則で、商品名がcazzotti「げんこつ」であったことは、すでにメルマガ第14号(記事はこちら)でも詳しくご紹介しました。

 ペルジーナは、かつてペルージャの駅周辺にあった工場が郊外に移転され、もう何年もの間スイスの多国籍企業、ネスレの傘下に入っています。

 けれども、その創立者の一人であるルイーザ・スパニョーリの名前は、今でも、女性服飾業界、ファッションの世界で周知のブランド名として、通用しています。ルイーザ・スパニョーリの最新のコレクションに興味のある方は、こちらの同社のウェブページで、その数々をご覧になることができます。

 ただ、今回ルイーザ・スパニョーリを取り上げたのは、彼女の発明家精神について、お話ししたかったからです。余ったヘーゼルナッツの利用からバーチを考案したというのも、もちろんその一つ。ただし、このことは、日本でもご存じの方がいらっしゃるかもしれません。

 一方、意外に知られていないのが、アンゴラウサギの毛を、ニット製品に使うことを初めて考えたのも、このルイーザ・スパニョーリだということです。さらに、彼女は、毛を刈り込むのではなく、櫛で梳かして採るという方法を思いつきました。

 ルイーザ・スパニョーリ社の本部や工場は、長い間、ペルージャ郊外のサンタ・ルチーアという地域にありました。実は、この地域は、我が家とミニメトロ終着駅であるピアン・ディ・マッシアーノ駅(記事はこちら)のすぐ近くにあります。
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ミニメトロ終着駅の駐車場から、サンタ・ルチーア地域を撮影。写真中央の、大きくSPAGNOLIの文字が掲げてある辺りに、ルイーザ・スパニョーリ社本部があります。

 義父母によると、数十年前には、サンタ・ルチーア地域に住む農民は、ルイーザ・スパニョーリに提供するために、皆アンゴラウサギを飼っていたということです。

 現在では、機械化および工場の海外移転が進み、サンタ・ルチーアには、ルイーザ・スパニョーリ社の本部と企画・研究開発部だけが残っています。

 昨年、通訳の仕事で、日本企業の社長さんのスパニョーリ社訪問に同行した際に、社の歴史博物館を訪れ、そこで、こうした話を伺ったのですが、この博物館内には、初期のバーチ製造工場の写真や、何列にも並ぶ椅子に座った女性たちが、一斉にアンゴラウサギの毛を梳いている写真など、興味深い写真が、たくさん展示されていました。

 「アンゴラウサギの毛の利用は、ルイーザ・スパニョーリが考案したもので、さらに特許も取ったために、Angoraを商標として使えるのは、我が社だけなんですよ。」と、同社代表の方が、誇らしげに説明されていたのを思い出します。

 ルイーザ・スパニョーリ社および同社に歴史的に関連のあるペルジーナは、現在もペルージャの主要な企業であり、どちらも機械化などによって、かなりの人員削減が進んだものの、今でも多くの人が働いています。

 わたしたちの周囲にいる人だけみても、たとえば、夫の弟がペルジーナに勤めていたり、友人のルーカのお母さんがかつてルイーザ・スパニョーリ社で製品の品質管理を担当していたりします。実は、通訳でスパニョーリ社を訪れたあとで、夫の従姉から「この間、うちの工場に来てたでしょう。上司と一緒だったから、声がかけられなかっんだけど。」と言われて初めて、彼女も同社で働いていることを知りました。

 ルイーザ・スパニョーリ、そして彼女の関わった企業が、長年にわたって、地域産業の発展に貢献してきたために、ペルージャの多くの人々が、その歴史に関わっているわけです。
Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2010-07-21 16:50 | Notizie & Curiosita | Comments(2)

アイとコイを口にするイタリア人?

 「こいください」

と、ある日、日本語の授業中に、イタリア人の男子学生が言いました。

 コイにも、「鯉」と「恋」があって、日本の錦鯉のことは、イタリア語でもcarpa koiと言うのですが、彼が「ください」と言いたかったのは、そのどちらでもありません。

 「コーヒー」なのです。

 「ください」という表現を学習したので、すでに学習ずみの「飲み物」(bevanda, da bere)に関する語彙のおさらいも兼ねて、「喫茶店にいるつもりで、自分がほしい飲み物を注文してみましょう。」というコミュニケーション練習をしたときの話です。

 わたしたち日本人の頭で考えると、「こい」と「コーヒー」とは、まったく発音が違って、はっきり区別できるのですが、この区別がイタリア人学生にとっては、それほど明らかではありません。

 なぜかというと、一つは、イタリア語には、hという子音が存在しない上に、書くときにhがあってもなくても発音が変わらず、hは発音しない音だからです。

 たとえば、イタリア語の次のような単語の組み合わせを見てみましょう。

1.anno、 hanno  発音「アンノ」 
 (annoは「年」、hannoは動詞avereの直説法現在、主語が三人称複数の際の活用形)
2.a、 ha    発音「ア」  
 (aは前置詞、haは動詞avereの直説法現在、主語が三人称単数の際の活用形)
3.ai、 hai    発音「アイ」
 (aiは前置詞aと定冠詞iの融合形、haiはavereの直説法現在、主語がtuの際の活用形)

 それぞれ、つづりも意味・用法も異なる単語ですが、hがあっても発音しませんので、発音が同じです。

 中には、映画『マイ・フェア・レディ』のイライザを思い出された方がいるかもしれません。ロンドン下町の下層階級、花売り娘のイライザが話すのは、コクニー訛りの英語。hが発音できず、[ei]が発音できず[ai]となるために、クイーンズ・イングリッシュを話す淑女に育て上げようとする言語学者ヒギンズ教授に、猛特訓を受けるのですが、何度練習しても、hが発音できず、Spainも「スパイン」と発音してしまう始末......

 特訓のかいあって、ようやくこの壁を乗り越えたイライザの歌もすばらしいし、外国語学習のヒントになるだけでなく、ミュージカルやハッピーエンドの恋愛映画が好きなわたしのお気に入りの映画の一つです。英語、特にイギリス英語を学びたい人には、おすすめです。興味のある方は、こちらのDVDの案内を参考にして、ぜひご覧ください。

 イタリア人学生の中には、けれども、hの音がまったく発音できない人がいるわけではなく、注意していないと抜かしてしまって、出欠を取るときに、「はい」と言うつもりが「あい」と言ってしまったり、試験中に緊張したり慌てたりしていて、「はち」を「あち」と書いてしまったりするのです。音の聞き分けができないために、つまり、hがある場合とない場合の識別が耳でできないために、書くときにも記憶があやふやになって、間違ってしまうのです。

 それで、わたしの方も、意識づけをするという意図もあって、冗談交じりに、

「ただでさえ、日本人の中には、イタリア人というと異性をくどきたがるという偏見を持つ人がいるので、むやみに『あい』や『こい』を口にすると、誤解されるので注意しましょう。」

と、言ったりもしました。

 そして、おもしろいのは、いわゆるipercorrettismoという現象です。「正しくきちんと書こう、発音しようという姿勢」(correttismo)がいきすぎて、必要のないときまで、hを入れてしまうことが、イタリア人学生にはよくあります。

 日本語の授業中にも時々ありますが、一番驚いたのは、学生時代の同級生で、英語がペラペラだったイタリア人学生。オーストラリア人の英語の先生が、「留学の経験があるんですか」と聞くくらい、流暢な英語を話す彼が、夢中になって話すと、"Have you ever...?" が "Ave you hever...?"となってしまっていて、つまりhのあるところではhを落として、hのないところにhを入れてしまっていました。先生も、「イタリア人学生にはよくある間違い」だと注意を促していました。

 これで、「コーヒー」が「コーイー」になるのは、お分かりだと思うのですが、では、なぜこれがさらに、「コイ」になってしまうのでしょうか。
 
 (ちなみに、厳密には日本語の「ひ」の子音は「h」とは異なる子音なのですが、この点について話すと長くなる上に、学生の間違いは、最初にローマ字表記で「ひ=hi」と覚えたことにも起因していますので、今回は、こう説明しています。)

 それは、イタリア語では、単語の意味の識別を、母音の長さでは区別しないからです。

 日本語では、たとえば「作家」と「サッカー」、「鳥」と「通り」という語のように、「母音の長さが短いか長いか」によって、言葉の意味が違ってきます。

 一方、イタリア語では、「母音の長さ」が「単語の識別」には無関係なのです。

 ここで、「でも、たとえばcasaはカーサで、cassaはカッサだから、母音の長さの違いがイタリア語にも存在する」と考えた方は、鋭い方です。

 ただ、イタリア人は、この2語の識別を、母音の長さではなく、「子音のsの長さ」で行っています。

 というわけで、授業中にうっかりしていたり、夢中で話していたりすると、「長母音が短母音になる」間違いがよくあります。また、かつて教えた勉強熱心な女学生が、ほぼ完璧な100点に近い答案を筆記試験で提出していたのですが、唯一の間違いが、この「母音の長さ」に関するものでした。

 わたしたちからすると、明らかに異なる「こい」と「コーヒー」、「はな」と「あな」の区別がなぜイタリア人には難しいかというと、それは、イタリア語では必要のない点に注意しなければいけないからです。

 たとえばわたしたちが信号を渡るときに、信号の色が赤か青か(イタリア語ではverde「緑」と言います)には注意しても、信号機がタテ長かヨコ長か、高さや色がどうか、ということは意識をしもしないし、覚えてもいません。これは、必要のない情報を意識しても無駄だからです。

 人間が母語を習得する過程も同じで、自分の母語を理解し、聞き分けるための識別力は発達しても、母語が必要としない「識別力」は育たないのです。

 これが、わたしたち日本人が、rとl、bとvの音が区別できず、単語を覚えるときにも混同したり、書くときにも間違ってしまったりする理由です。

 もともと日本語のラ行の子音は、前後に来る音や地方、個人の癖によって、rに近くなったり、lに近くなったり、ときにはdに近くなったりするようで、いずれにせよ、日本ではrとlの違いによって、単語が違い、識別が必要とはならないために、わたしたちの耳は、「必要もないことを覚えるという無駄なこと」を成長期にしなかったので、聞いて区別をすることが難しいのです。

 それでもきちんと文字から正しい単語を覚えて、音の違いに意識していれば、間違いなく言葉を覚えたり、話したりできるようになります。ただ、英語学習のアメリカの研究論文でも、日本人の移民で長く在住している人で、「きちんと区別して発音できるようになる」人は多いけれども、聞き分けが完璧にできるようになったという人はおらず、識別はできないけれども、発音はできるように、努力してなったようです。

 わたしも、今でも知らない単語や地名が出てくると、夫にRかLか確認します。わたしの予想通りのこともあれば、予想はずれの場合もあるので、まだまだ発音の識別はきちんとできていませんが、読み書きし、辞書で調べる機会が多いので、混同せずにきちんと言葉を覚えることができ、また発音も、ケンカしたり慌てたりして注意力が散漫でなければ、きちんと発音しわけることができています。

 というわけで、イタリア語を学習中の方は、「こういう子音の区別がつかないこと」に落ち込んだり、くじけたりしないで、どっしりと構えてください。

 これは発音に限った話ではなく、たとえば冠詞や単数・複数、名詞の性別についても、日本語には存在しないために、日本人には習得が非常に難しいのです。

 よくイタリア人の学生に笑って話すのですが、日本語では、親に、「今夜は、友達の家に遊びに行く。」と言えばすむところを、イタリア語では、この「友達」が男性か、女性か、あるいはその両方か、そして一人か複数かを明らかにしなければ、こんな単純なことも言うことができないのです。

 わたしたち日本人の母語である日本語には、冠詞が存在せず、主語が単数であろうと複数であろうと述語の形が変わりません。犬がかわいい、というその犬が1匹でも101匹でも、形容詞の形は「かわいい」であり、不変化です。こういう自分の国の言葉では必要のない識別を、イタリア語では行わなければならないために、イタリア語の学習が、ひどく難しくなるのです。

 これが、フランス語やポルトガル語など、元来同じ俗ラテン語から発展・変容してできた言語を母語に持つ学生の場合には、自分の母語とイタリア語のしくみ、語彙に類似点が多いので、学習が非常にしやすいのです。

 英語にしても、大昔にはインド・ヨーロッパ語というイタリア語と共通の始祖を持っていただけあって、イタリア語と違って、名詞に性別こそないけれども、名詞の単数・複数はあるし、文字も同じアルファベットだし、日本語よりも類型学的にも語族的にも、よっぽどイタリア語に近いのです。

 というわけで、わたしたち日本人がイタリア語を学ぶ場合には、ヨーロッパや南アメリカでスペイン語やポルトガル語を母語とする人に比べて、難度が非常に大きいのです。

 ですから、どんどん上達していく同級生にあせったり、落ち込んだりすることなく、「わたしは、より努力をしなければいけないし、時間もずっとかけなければいけないけれども、それでも、頑張れば、いつか必ずものにできるはずだ」と思って頑張ってください。

 千里の道も一歩から

 石の上にも三年

 念ずれば花開く

 「好きな気持ち」を大切に、じっくり取り組んでいけば、少しずつでも、着実に力はついていきます。

 がんばりましょう!
Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2010-06-13 23:55 | Insegnare Giapponese | Comments(0)

「大学はきらいです」?

 5月末に大学後期の授業が終わり、昨日、6月1日火曜日には、今年度2年生の授業を受けた学生にとっての、初めての日本語の試験がありました。

 ペルージャ外国人大学の日本語の授業に興味のある方は、こちらの記事をご覧ください。

 筆記試験も無事に終わり、口頭試験に入って、数人目。日本語で、イタリア人学生に、

「大学はどうですか。」

と尋ねたら、返ってきたのが、「大学はきらいです。」という答えでした。

 さすがに慌てた様子は表に出しませんでしたが、内心とても驚きました。そして、悲しく思いました。とても熱心で、大学生活を楽しんでいるように見える学生だったからです。

 わたし自身、実は「外国人大学が大好きだ」と言い切れるかというと、そうではない面もあって、たとえば今回の映画、『JAPAN MANGA』の上映に関しても、決まったはずの日時が二転三転したり(5月14日⇒5月28日⇒6月4日)、5月28日金曜日には、最後の授業をしていたら、同じ教室に他の授業も振り当てられて、途中で追い出されたり、......

 まあ、これは、イタリアの組織ではありがちな前準備のつめの甘さと相談・連絡の欠如からくるハプニングであって、外国人大学に限った話ではありません。

 経済改革での教育費削減のしわ寄せが真っ先に来たのが、たとえばわたしたち契約講師の給料削減で、おととしと去年は同じ授業時間を担当したにも関わらず、4分の1手当てが少なかったり、「イタリアの大学とは異なる日本の大学の成績は評価できない」と罵倒して、ひどい評価をする先生がいたり、...... (ただ、この罵倒がひどく悲しかったのは、真剣に勉強し仕事をしていれば、国籍に関わらず、頑張りを認めて、励ましてくださる先生の方が、圧倒的に多いからでもあります。)

 とは言え、イタリア語や大学の課程の授業を担当する先生の中に、とても熱心で学識豊かな方も多く、世界各国から来た学生と交流できる上に、とても素直な、やる気のある学生が多いので、学生としても、教員としても、とてもお世話になったし、総合的には、とてもいい学び舎だと思うのです。

 「大学はきらいです。」と言われて初めて、「ああ、自分は何だかんだ言いつつ、この大学に愛着を持っているのだ」と再確認したのでありました。

 続けて、学生は、「留学生がたくさんいます。」と、とてもしっかりした日本語で続けました。

 最後の最後に、本人の家の様子について、尋ねている途中に、

「わたしの家はきらいです。」

という答えが返ってきて、わたしは、そこで初めて、何かおかしいことに気がつきました。

 そうです、学生は、「大学は/私の家はきれいです。」と言いたかったのです。

 どうも、母音のエとアの違いだけなので、混同したようで、イタリア語で意味を言って、「きれい」と「きらい」を答えさせると、きちんと答えられていました。

 そして、「『大学はきれいです。』と言ったつもりなんです。」と一言。

 ほっと胸をなでおろし、一緒に試験を担当してくださった語学助手の先生と二人で、思わず微笑んでしまいました。

 試験中に、思わず皆で笑ってしまった瞬間(より長かったかもしれません)は、他の受験生の口頭試験の際にもありました。

 「食堂はどうですか。」

 「食堂は多いです。」

 「食堂は食べものが多いですか、それとも、学生が多いですか。」

 とても優秀な学生が、わたしたちの助け舟にも関わらず、「食堂は多いです」と繰り返し、わたしたちの質問の意図が分かりかねるようだったので、わたしたちは驚き、学生はすっかり困り果てて、「分かりません。」

 よくよく尋ねてみると、「しょくどう(食堂)」と「しゅくだい(宿題)」を混同していたようです。確かに発音が似ていますし、どちらも大学に関わる言葉です。

 写真の右に見える建物が、外国人大学の食堂(mensa)です。わたしは、あまり利用しないのですが、今回の試験中に、学生たちの口から、

「食堂は、サービスがとてもいいです。それに、おいしいです。」
「食べものがたくさんあります。」
「でも、食事が高くなりました。」

と聞きました。「高くなった」と言っても、普通の店で食べるのに比べればかなり割安の値段で、バランスのいい食事が手軽に取れるはずです。外国人大学に留学中の学生さんは、一度この学食も体験してみてください。

 他に、「ひろい」と「ふるい」を混同してしまった学生もいました。

 実は、わたしもたまに、発音の似た単語を間違って使ってしまって、夫がおもしろがって笑うことがあります。こういう間違いは、外国語を話す場合に限らず、母国語で話すニュースのアナウンサーにも時々あります。

 逆に、イタリア人が[h]の音の有無を認識できず、発音を間違ってしまったり、日本人のわたしたちが、RとL、BとVなどの音の識別やこういう音を含む単語を覚えるのに苦労したりするのは、母国語の影響、転移(transfer)によるものです。

 これについても、イタリア人学生のしがちな楽しい間違い(「コーヒーください」⇒「こいください」)や日本の方がイタリア語を発音する際にしがちな間違いが、いろいろあるのですが、これはイタリア語学習の話題にもなりますので、いずれメルマガの方で、取り上げてみるつもりでいます。

Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2010-06-02 11:30 | Insegnare Giapponese | Comments(2)

授業風景

 今日は雨。学習したのは、「…は…の右にあります」という場所を表す表現です。「右」、「左」という漢字や言葉も初めて出てきたので、漢字の説明と練習をしたあとで、右と左がきちんと分かったかどうかを確認する練習をしてみました。
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今年度のわたしの授業は、この校舎、Palazzina Valituttiで行っています

 「赤上げて、白上げて、赤上げないで、白上げて」というゲームがありますが、それを「右上げて、左上げて」として、右手や左手を上げさせてみました。

 「~して(ください)」、「~しないで(ください)」という表現も先週学習したので、その復習も兼ねていたのですが、皆しっかり正しい手をすばやく上げることができていたので感心しました。

 「だいたいできたようですね。」と練習を終えようとすると、「先生、今度は足を上げて練習しましょう。」と提案するお茶目な学生もいました。右や左という言葉の定着を図るため、「右手」、「右足」を教えて、「では、la mano sinistraとla gamba sinistraはそれぞれ何と言うでしょう。」と問いかけて、クイズ形式で学習したばかりだったからです。(ちなみに答えは、「左手」、「左足」です。)
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 「インターネットに授業風景の写真を載せたいので、プライバシーのために後方から写真を撮ってもいいですか。」と尋ねたら、優しい学生たちは口をそろえて、「ぜひ正面から撮ってください。」と言ってくれました。

 これが、わたしのクラスの学生たちです。皆、日本文化に対する関心が高く、日本語の勉強にも授業にもやる気満々です。

 今回は、この2年生たちが1年生の頃に「わたしの国・わたしの町」について書いた作文から、イタリアやイタリアの町について述べたものを、引用してみます。こちらも、すでに昨年、名前を伏せると言うことで、掲載許可を得ています。
 
わたしの国

 「わたしの国は、イタリアです。イタリアはとてもいい国です。それに、おもしろいです。イタリアはのりものがべんりです。それにゆうめいです。でも、あまりあんぜんじゃありません。イタリアはたべものが高いです。でも、きれいです。イタリアは大学がとてもいいです。それに先生がしんせつです。」
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ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂(ローマ、ヴェネッツィア広場) 2009/10/28


 「わたしの国はイタリアです。イタリアはとても楽しい国です。そして、料理が美味しいです。それに、イタリアの食べ物と飲み物は安いです。そして、景色がとても綺麗です。
 イタリアは建物が面白くて古いです。でも、イタリアは乗り物が汚ないです。それに、駅は時々安全じゃありません。」

 どちらの作文も、誤字や文法的に問題のある箇所はわたしがすでに訂正したものです。句読点や漢字・仮名については、特に問題がない限り、学生本人が書いたままにしてあります。二人目の学生は、日本の漫画の原書やインターネットで、習っていない漢字(や習う必要のない漢字)をこつこつ独学で勉強していました。この学生は、ただいま日本に留学中です。

 同じウンブリア州出身でも、それぞれの経験や主観によって、意見の違うところがあります。
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サルデーニャ島、Porto Istana ~ 白い砂浜と澄み切った青い海に感動  2007/9/6

~写真はいずれも、過去に撮影した中から、作文の内容に合うものを選んでみました~ 


わたしの町
 
 「今、ペルージャにすんでいます。ペルージャはきれいな町です。それにあまりうるさくないです。静かなところです。ペルージャは空気がとてもきれいです。人が少ないです。でも交通がちょっと不便です。ペルージャは人がおもしろくて親切です。ペルージャが大好きです。でも、わたしのアパートは古くてちょっと小さいです。わたしの部屋はきれいです。」
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ペルージャの町の中心、プリオーリ宮殿と大噴水 2010/4/26


 「わたしのまちはコルチャーノです。コルチャーノはとても古いまちです。それに、きれいな、いいまちです。そして、おもしろいです。それから、小さいです。でも、ゆうめいじゃありません。コルチャーノは広くありません。コルチャーノは人がしんせつです。」
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中世の町並みが美しいコルチャーノの町の一角 2009/5/31


 コルチャーノ(Corciano)は、ペルージャの北方にあります。石造りの家や石畳の道が美しく、毎年クリスマスには実物大のpresepe(キリスト誕生の場面の模型)が町の中心のあちこちの通りや家、庭の中に分散して置かれ、町を散策しながらキリスト誕生に思いを馳せることができます。
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 夫がコルチャーノの合唱団の一員であり、年に二度は定例の合唱のコンサートがコルチャーノの町で行われるため、わたしも訪れる機会がしばしばあります。上の写真で歌っているのが、夫の所属する合唱団、Corale Tetiumです。合唱団の後方に見えるのは、ルネサンスの画家、ペルジーノの手になるものです。

 
 日本語の授業では、4月17日の記事でご紹介した教科書を、1課ごとに約12時間かけて進めていきます。一つの課が終わるごとに、教科書にあるEsercitazione scritta(作文演習)の問題を、学生たちに宿題として課しています。

 実は、ここでご紹介した作文の指示は、「Descrivi in giapponese il luogo in cui vivi」だったのです。「自分が住んでいる場所について日本語で述べなさい」であって、教科書にある読み物は、二人の学生の住む寮とアパートの説明ですから、わたしが予期していたのは「学生たちの住居について」の作文であり、実際、彼らより前に教えた学生たちは、自分のアパートや親と住む家について、作文を書いていました。

 授業で形容詞を学習して、お互いの町や国について尋ね合うコミュニケーション活動をしたので、「住む場所」として思いついたのが「住居」ではなく、「町」や「国」になったのでしょうが、思いがけず、自分の国や住む町についての文を読むことができて興味深かったです。
 こうして学生が書いた作文は、わたしの方で、学生たちの力や、彼らにとって難しいのが何かを把握するのに役立ちます。わたしが赤で校正し、間違いの理由も説明して本人に返すことで、本人も自分の弱点を知ることができます。
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 さらに、授業通信、「日本語新聞」に、校正済みの作文の一部、または全文を載せて、授業中に配布します。自分が書いた日本語の文章が印刷されたものを見ると意欲も増し、また、友人たちが書いた文から新たに学んだり、刺激を受けたりもしているようです。学生たちが、毎回必死で、習った知識を総動員して書いてくる作文を読むのが、わたしも楽しみです。

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by milletti_naoko | 2010-04-24 05:56 | Insegnare Giapponese | Comments(0)

久しぶりの授業

 昨日、4月16日(金)は、久しぶりにペルージャ外国人大学で、日本語の授業をしました。復活祭休暇や卒業試験による授業停止のため、3月26日を最後に、授業がなかったのす。「習ったことを忘れていないかしら」と心配だったのですが、皆やる気いっぱい、元気いっぱいで、前日に語学助手の先生の授業があったためもあり、日本語もしっかり覚えていました。
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 こちらが、わたしが授業で採用している日本語の教科書です。会話や文法・漢字の説明がバランスよく配分され、イタリア語で書かれた参考書である上に、練習問題が文法・会話・漢字ともに充実しているので、採用を決めました。英語で書かれたものだと、やはり学生が自分で勉強するのに不便です。

 また、旧式の「文法項目」を順に並べた教科書ではなく、その課その課で「学生ができるようになること」、たとえば、presentarsi (自己紹介をする)、chiedere informazioni su orario e prezzi(時間や値段について尋ねる)を目標として掲げ、そうした基本的なことが日本語でできるために文法を学ぼうという形式を取っており、近年の外国語教育研究の成果を踏まえているところも気に入りました。

 とは言え、この教科書は、どの課も「表現と文法の学習 ⇒ 文法と漢字の練習・コミュニケーション活動」という構成となっていて、「学習するべき表現や文法事項」の導入部分となるべき、その課の学習内容を盛り込んだ会話(dialogo)の教材がまったくありません。そのため、各課ごとにわたしの方で、その課の学習内容の導入となる会話や補足説明などを補った学習プリント(下の写真)を作成して配布しています。
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 イタリア語でも、日本語でも、「命令形はこう作ります。はい、では練習しましょう。」では、学習・教育の効率が悪いからです。自分自身が頭を使って思いついた言葉のメカニズム(文法の仕組み、表現の意味など)の方が、教師から教わったり、教科書で読んだりするよりも、ずっと定着しやすいのです。

 わたしたちが母国語で新しい表現を身につけていくときも、学校の国語の授業や辞書で調べる場合は別にして、まず周囲の状況や前後の言葉を手がかりに、右脳で概要を把握してから、左脳で言語状況などの細かい分析をします。その分析結果をまた右脳で統合して、「ああ、こういうときにはこんなふうに言うのか」と推測し、その推測が当たっているかどうかを確かめるという形で、自分自身で発見しながら学んでいきます。

 ヴェネッツィア大学のPaolo E. Balboni教授が、著書『Le sfide di Babele』(UTET Libreria、2002年)の中で、孔子の言葉らしいとして、次のような言葉を引用しています。

「dimmi... e io dimentico
mostrami... e io ricordo
fammi fare... e io imparo」(p. 81)

 (実は引用の仕方がかなり大胆なのですが、分かりやすい記事にするためです。ご了承のほどを。)

 意図を汲んで、日本語で表現すると、こうなります。

 「言葉でわたしに説明するだけなら、わたしは(習ったことを)忘れてしまうだろう。
  どうしたらいいのかを実際に示してくれたら、記憶することができる。
  わたし自身にさせてくれたら、(それで本当に)学ぶことができる。」

 教師が教える授業ではなく、「学ぶ人自身が主人公として、自分の頭で考え、学ぶべき外国語を実際に使いながら、自分にあった学習方法を模索して、新しい言語を身につけていく学習活動」への転換が、本当に自分のものになる外国語学習のためには不可欠です。

 たとえば、上の教科書の第9課は、「~しましょうか」、「~してください」という表現を学んで、人に何かを申し出たり、頼んだりできるようになることを目標としています。

 教科書は、いきなりこの表現を教えてから、練習問題を解くという形式をとっていますが、わたしは、以下のような導入教材を自分で考えて作り上げて、授業で使っています。

「あ き こ  : コーヒーを入れましょうか。
フランチェスコ: あ、ありがとうございます。
 あ き こ  : さとうを入れましょうか。
フランチェスコ: はい、入れてください。
 あ き こ : ミルクも入れましょうか。
フランチェスコ: いいえ、けっこうです。
 あ き こ : はい、どうぞ。
フランチェスコ: どうもありがとうございます。」

 言語では、まず初めに「話し言葉」があり、次に「書き言葉」が来ます。世界の言語には、まだ話し言葉だけで書き言葉を持たないものも数多くあります。子供が成長していくときも、まずは話し言葉を覚え、それから書き言葉を学びます。「音声面」が言語教育には大切です。

 というわけで、まずは学生にはプリントを裏返しにさせ、「どんな場面での会話かを推測するように」指示してから、わたしの方で会話を読み上げます。(「読む」というよりは声色を使って、人物を演じ分けたラジオ一人芝居に近いです。)

 コーヒー(caffè)、ミルク(latte)などの単語や、「はい、どうぞ」、「ありがとうございます」という表現は、学生たちがすでに知っているものです。知っている言葉が多く、新しく学ぶ「~しましょうか」という表現も3度繰り返されているため、会話全体の内容やまだ知らないはずの「~しましょうか」の使い方が推測しやすくなるように工夫しています。

 学生たちに問いかけて、一度の音読で分かったことを確認したあと、もう一度読んでから、今度はプリントの書き言葉を目で追いながら音読を聞かせて、それから、学生たち自身に、会話の場面と「~しましょうか」の意味を考えさせるようにしています。

 いろいろな機会におすすめしているイタリア語の参考書、『ニューエクスプレス イタリア語』(入江 たまよ著、白水社、2007年)については、日本で発売されているイタリア語学習書の中では画期的な良書なのですが、欲を言うと、各課の導入会話の前に、ヒアリングや概要の理解促進を図る問題がないのが残念です。他にも、読む教材として、まとまった書き言葉の文章がいくつかほしいとか(これは、しかし、文法説明に終始する他の参考書でも、ないものがほとんどです)、練習問題や文法説明がもう少し充実していたらとも思います。すべての理想を満たす参考書はなかなか作るのも難しいでしょうが、いつかわたし自身が、イタリア語の歌や広告、ニュースの見出しなど、日常使われる実際のイタリア語の新鮮な教材や、イタリア文化の興味深い情報をいろいろ盛り込んだ、学習にも役立つし、読んでも楽しいイタリア語の学習書を執筆したいと思っています。そして、同様の、イタリア人向けの日本語・日本文学の学習書も書いてみたいと考えています。

 というわけで、『ニューエクスプレス イタリア語』を学習中の方には、新しい課に進む前に、次のようなヒアリング・読解練習をすることをおすすめします。まずは何も見ずに、次に本文を読みながら、導入会話のCD音声を何度か聞いてみましょう。その際、「会話がどこで行われ、話し手たちが何をしているのか、あるいは何をしようとしているのか」を聞き取るつもりで、耳を傾けてください。そして、そのあとで、ようやく和訳を読み、慣用表現や語句、文法解説を見るようにしてください。

 わたしたちが、難しい日本語の文章を読むときも、また外国で新しい国の言葉を日常生活の中で学んでいくときも、「全体の状況⇒概要把握」(右脳中心)という手続きを踏むと、「一語一語の理解⇒全体の理解」(左脳中心)と文法読解式に理解しようとするよりも、自然な脳のメカニズムを活用するため、理解も定着も早くなります。理想は「全体⇒概要理解」を中心に、並行して「細部の理解⇒全体像」という分析も行うこと。ただし、日本人は、学校の英語教育や古典教育の影響で、「細部⇒全体」という偏ったメカニズムを、外国語を学習するときにも応用してしまいがちです。たとえば、イタリア語で行われているイタリア語の授業中に、一言でも分からない言葉があると、それから先の授業内容が頭に入らない、といった具合に。

 ですから、日本語の新聞の難しい記事を、知らない言葉があっても、まずは文脈から意味を類推するつもりで読み進め、イタリア語学習に際して、全体の流れから言われていることを把握する習慣をつけるようにしておくと、いざ学習中の外国語が話されている国に飛び込んだときに、効率よく理解し学ぶための素地を作っておくことができます。


 前置きがひどくなりましたが、久しぶりの日本語の授業で、主体的に、そして、うれしそうに質問や練習をする学生を見ていて、私もうれしくなりました。

 「~てください」の練習問題の中に、「死ぬ」という動詞があり、「『死んでください』なんて、絶対に使ってほしくないので、これは音読練習はやめておきましょうか。いや、やはりしておきましょう。」とわたしが言うと、「でも、サムライが言いそうなセリフですよね。」と、うれしそうに大声で、そういうセリフが出てきそうな場面を想像して発表する学生がいたりもしました。

 イタリアの学校では、日本の歴史は習っても、第二次世界大戦以後であり、授業がそこまで進まなかったために、日本の歴史をほとんど知らないまま、大学に入ってくる学生もいます。

 4月9日の記事でも書いたように、まだまだイタリアのマスメディアが日本について触れる機会はごくわずかで、またその報道内容も偏りがちな中で、なぜか放映枠がむやみの多いのは、日本のテレビアニメです。「みつばちマーヤ」や「赤毛のアン」のようにひどく古いものから、わたしも知らないようなごく最近の番組まで、さまざまな時間帯に日本のアニメ作品が数多く放映されています。

 ですから、授業中に日本の家屋の造りや生活習慣に触れたときに、「あ、あのアニメに出てきました。こんなことも知っていますよ。」と目を輝かせて話し始める学生がいたりします。

 そして、こうしたアニメがまったくのファンタジー作品やおちゃらけ番組も含めて、不思議と、日本の生活習慣をイタリアの学生たちに伝えていく媒介になっています。

 先日までわたしが卒論の指導をしていた学生が通っていた課程、Comunicazione Internazionale(国際コミュニケーション)では日本語が必修なのですが、わたしが現在教えているPLIMの課程では、日本語は選択必修です。イタリアとはかなり異なる文化を持つ国々の言語であり、かつ言語類型がイタリア語と非常に異なる日本語、中国語、アラビア語の中から、学生は自分に興味のあるものを選択することになります。

 日本語を選択したのは、「アニメや漫画が好きで」日本文化に興味があるからです、という学生が、毎年必ず何人かいます。空手や柔道、合気道などを習っていて、それで日本文化に興味を持った学生もいて、そういう子は、武士道や侍、武士の文化や活躍した時代に興味津津です。

 一方、何となく日本語を選択したのに、そのうちに学ぶのが楽しくなってはまってしまったという学生もいます。実は、今年度わたしが教えている2年生は6人だけです。昨年度、1年生だったときには学生の数が倍だったのですが、その半数が、ペルージャ外国人大学の、日本の大学との交換留学制度を利用して、日本に留学したからです。意欲に満ちた面々がクラスにいないのは寂しいのですが、日本で充実した毎日を送り、たくさんのことを学んでいることでしょう。

 昨日の授業では、「~ないでください」も学習しました。「話す⇒話さないでください」という練習問題のあとで、「どうしてイタリアでは、映画館で映画を見ている最中におしゃべりをするのでしょう。日本では上映中には黙って映画を鑑賞します。おしゃべりしたいなら、映画館ではなく、どこか別のところに行けばいいのに。」とわたしから一言。

 クラスの中には、イタリア人学生だけではなく、ポーランド人や中国人の学生もいます。

「そうそう、映画を見ているときに話をするのはマナーが悪い(maleducato)ですよね。」

「わたしたちイタリア人は、コメントするのが大好きだから、一つ一つコメントをしないと気がすまないんですよ。映画の人間関係から、登場人物のファッションまで……。上映中に一言も話さないイタリア人なんて、わたしは見たことがありません。」

 幸いイタリア人にも、「上映中のおしゃべりはやめてくれ」派もいるのですが、上映中のおしゃべりには、中年のおばさんタイプ(実は自分もそういう年齢なのですが、そのカテゴリーには属していないつもり)や子供、思春期の若者が圧倒的に多いのです。「大学に通っていてさえ、こんなふうに考える学生がいるくらいだから、これからもイタリアの映画館では、おしゃべりがますますやかましくなるかもしれない。」と、いらぬ心配をしてしまいます。

 「早起き」という言葉を教えて、「皆さんは、早起きですか。」と尋ねると、学生たちは互いに顔を見合わせてから、「いいえ、早起きではありません。」と答えます。中で一人だけ手を上げた学生がいたので、「朝何時に起きますか。」と日本語で尋ねると、帰ってきた答えは「8時に起きます。」

 「いや、早起きは確かに相対的な概念かも知れないけれども、朝8時は日本の感覚だと十分に遅いんだけれども。」と言うと、「でも、わたしにとっては、とても早いんです。」

 他の学生もわたしと同感のようでした。ことのついでに、「春眠暁を覚えず」を説明。「古い中国の詩に出てくる言葉です。春の朝はあまりにも床の中にいるのが心地よいので、夜が明けたのにも気づかないくらい。春は特に、朝起きるのがつらいということです。」

 イタリア人学生たちは、「自分は朝起きるのは1年中つらいです」と告白し、幼い頃に家族と共に祖国からイタリアへと移住した中国人学生は「残念ながら、その詩は知りません。」と言い、ポーランドの学生たちは話を聞きながら、にっこりとほほえんだのでありました。

 練習問題。

わたし「autobus」
学生1「バスにのってください。」
わたし「treno」
学生2「でんわにのってください。」

そこで、電話はtelefonoで、trenoは「電車」であることを、漢字の説明もしながら、復習させます。ただ、わたしも一言つけ加えます。

 「心配しないでください。似た言葉を間違えて使うことは、わたしも時々あります。時々、nave(船)とneve(雪)、mezzogiorno(正午)とmezzanotte(真夜中)をうっかり言い間違えて、『Guarda! C'è la nave sul monte Tezio.』なんて言って、うちの夫を楽しませていますから。」と言うと、

 「そうそう、わたしたちもその単語はよく間違えます。」とポーランド人学生。

 そこで、わたしは、「脳内での語彙の記憶は、音声を目印としていて、音の似た言葉どうしは、互いに近い場所に収納されているので、うっかりしたり、慌てていたりするときには、間違って音の似た単語を引き出してしまうことがあるようです。」と、心理言語学(psicolinguistica)の研究成果にも触れて、「単にわたしが抜けているからではないのだ」と示唆して、その話はここまでとします。

 学生数が少ないので、ゆっくり授業を進めても、一人当たり何度も練習したり、発言したりする機会を与えられるのが幸いです。

 次回までの宿題の指示をして、「さようなら」とあいさつ。また、来週の授業が楽しみです。

LINK
- Amazon.it - Corso di lingua giapponese. Volume 1 (Hoepli)
↑↑ Adotto sempre questo manuale come libro di testo sia nei corsi di laurea dell'Università che nei corsi di lingua. E' stato ideato come manuale per lezioni ma è ottimo anche per lo studio da autodidatta. Dà importanza alle situazioni quotidiane frequenti, ogni lezione è incentrata su una situazione comunicativa specifica e in essa si studiano le espressioni, le strutture grammaticali e i kanji (caratteri cinesi) legati a tale situazione. Poi si può ascoltare gratuitamente la registrazione di molte espressioni e dialoghi del libro su Internet.

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by milletti_naoko | 2010-04-17 19:40 | Insegnare Giapponese | Comments(2)