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若鳥の大冒険

 4月22日木曜日の夕方に、居間でアイロンがけをしていたら、開け放した窓から小鳥が入ってきて、部屋の床の上を歩き始めました。急いでカメラを取りに行き、帰ってくると、もう姿が見えません。あきらめて、アイロンがけを続けていると、しばらくしてから、テラスの方から、バタバタとにぎやかな羽音のようなものが聞こえてきました。
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これが、その小鳥。最後にテラスから飛び去る直前に至近距離から撮った写真です。


 では、時間を追って、この小鳥の動きを見ていきましょう。
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 傾きつつある太陽の光がさんさんと降り注ぐテラスで、陽だまりで暖をとっているのか、それと景色を眺めているのか。とにかくとても真剣にしていることに没頭している様子です。
 そうして、しばらくたたずんだあと、テラスから庭の大木に向かって羽ばたいて行きました。
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 イタリアの家庭では、日本人がおかずに合わせてごはんを食べるように、おかずと共にパンを食べます。パンくずが散らからないように、毎回食事のたびに、食卓に布製のテーブルクロス(tovaglia)を広げ、食事が終わるとパンくず(briciole、複数形で使います)を室内に落とさないように庭や庭に面した窓まで運んで、パンくずをテーブルクロスから庭の上に払い落とします。こうして、近所を飛び回る小鳥たちにパンくずをごちそうするわけです。

 我が家の庭にも、パンくずをふるまうことも多く、またサクランボや西洋ナシなどおいしい果物の木もあるため、さまざまな種類の小鳥たちがたくさんいます。毎朝早く、そして今こうして書いている瞬間もにぎやかな小鳥たちの歌声が聞こえてきます。

 けれども、部屋の中やテラスの中を小鳥が歩くのはこれまで見たことがなかったので、しかもそれが2階の部屋・テラスのことですから、この小鳥がのんびりと歩き回ったりたたずんだりしているのを見てびっくりしました。
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 しかも、この小鳥さん、よっぽど日の当たるテラスが気に入ったのか、もうしばらくしてから、再びバタバタとにぎやかな羽音を立てて、テラスに戻ってきました。わたしも再びアイロンがけを中断して、カメラ片手に小鳥を観察します。よっぽどこの位置が気に入ったのか、今回も何やら一心に外の景色を眺めています。

 が、そのうち、トコトコとテラスの中を歩き回り始めました。「あれ! なんて不思議な場所なんだろう。こんな地面や木(壁です)、見たことがない。」とでも言うところでしょうか。好奇心いっぱいにあちこち歩き回り、飛ぼうとして壁にぶち当たってしまったりしています。
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 自分から壁にぶつかっていったのに、壁を巨大な恐ろしい怪物だとでも思ったのでしょうか、今度はスタスタと小走りをして、再びお気に入りの場所まで戻っていきます。このあと、もう一度長い間じっと外の風景を眺めていました。わたしがカメラ片手に近づくと、「あなた、何してるの」とでも言いたげな風情で振り向いたのですが、その瞬間をとらえたのが一番上の写真です。
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 あとに夫に話し、写真を見せると、まだ生まれたばかり、飛び始めたばかりのムクドリ(storno)だろうとのこと。くちばしの形や敵(nemico)と味方(amico)の区別がつかない様子から、幼い小鳥だと分かるそうです。

 わたしは、夫が持っている鳥の図鑑(下の写真)で、この小鳥の名前を確かめることにしました。
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 まずは夫のいうstorno(ムクドリ)がどんな鳥かを図で確認してから、すべてのページをめくって、他の鳥ではないことを確かめたのですが、小鳥の色や、くちばしと体の形などから、間違いなくムクドリだということが分かりました。
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 上の写真で、storno「ムクドリ」のgiovane「若鳥」と説明されている小鳥は、わたしたちのテラスで日向ぼっこをしながら景色を楽しんでいた小鳥にそっくりです。

 我が家の庭には、猫がたくさんいます。猫が増えすぎた近所の家に頼まれて、応援のために、またネズミ対策のために、猫に残飯をやることが多いので、隣人の飼い猫や野良猫でしばしばうちの庭で闊歩したりのんびりしたりする猫もいるし、そうした猫から生まれた子猫も何匹かいます。

 お義母さんは、「猫のおかげでネズミがいない」と喜んでいますが、田舎には多いトカゲ(lucertola、イタリアで見かけるものは薄緑色で日本のものに比べると小ぶりで愛嬌があります)が緑の多い我が家にまったくいないのは、猫が食べるからだと夫は残念がっています。

 夫が庭仕事の最中に、小鳥の巣をねらう猫を遠ざけることもよくあり、「草刈りの最中に、猫が襲って食べ小鳥の頭が、食べ残されて庭に転がっていた。」と夫が憤ることも何度かありました。

 というわけで、我が家の庭や1階のテラスには天敵が多いので、夫は、「まだ、幼いし、右も左も分からず、うまく飛べない小鳥だから、2階のテラスはかえって安全だ。」と安堵するのでありました。

 あんなに真剣にムクドリの子供が眺めていたのは、一体何なのだろう。そう思って、今朝テラスでムクドリの目の位置から、その目がじっと見つめていた方角に向かって撮影したのが、次の写真です。
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 すでに花の散り終わった桜の左側にある大木。実は、小鳥はテラスを去ったときに、2度ともこの大木に向かって飛んで行き、その葉陰に隠れてしまいました。「たぶん、この木のどこかに親鳥が作った巣(nido)があるのだろう。」と夫は言います。

 初めて自分の翼で飛び始めたばかりのムクドリさん。自分の家がある大木や巣を少し離れたところから見てみたかったのでしょうか。それとも、木の上の巣と同じ高さに不思議な平地があることを疑問に思って、思索にふけっていたのでしょうか。単に、のんびり日光浴ができる眺めのいい場所を見つけて、無心にくつろいでいただけかもしれません。

 また帰って来てくれたらいいな、と期待して、わたしも時々テラスを眺めに行くようになりました。

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by milletti_naoko | 2010-05-01 12:00 | Fiori Piante Animali | Comments(0)

筍とさくら ~ 京都の春

 4月になってイタリア人が野山にアスパラガスを探しに行き、新鮮な春の味が食卓に上る頃、京都の洛西では、人々が、竹林にタケノコ狩りに出かけるようです。

 イタリア語では、タケノコはgermogli di bambù(直訳は「竹の芽」)、もやしは germogli di soia(直訳は「大豆の芽」)と言います。イタリアには従来食べる習慣や文化がなかったために、独自の一語を考え出して与えることなく、いずれ生長していく植物の若芽の状態、ととらえているのでしょう。

 実は、野生のアスパラガスもタケノコと性質が似ていて、タケノコが春になって、竹やぶの下の方から生えてくるように、野生のアスパラガスも親の木(と言っても、小さくて幹も枝もか細い植物です)の根元辺りから、春になるとすくすくと伸びてくるのです。違いは、タケノコが一面の竹林の中に生えているのに対し、野生のアスパラガスの方は、親の木が森林の中や道端に、他の草木に紛れて生えているために、アスパラガス探しはまずこの隠れた親の木を目ざとく見つけることから始まることです。親の木が見つかったら、その根元周辺の高い緑の草むらの中に、アスパラガスも生えているはず。誰かがすでに摘んでしまったあとだったり、育ちすぎていたりしたりしてがっかりすることもありますが、春の間は、「雨後の筍」のように、摘まれても摘まれても、新たな芽がまたどこからかすくすくと伸びていきます。

 今回は、イタリアの野生のアスパラガスに対応するものとして、日本の古都、京都の洛西にあるタケノコの里についてお話したいと思います。
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 父の転勤で、幼い頃から日本各地を転々としていたわたしは、通っていた横浜の幼稚園の近くの竹林でタケノコを見かけたようなうっすらとした記憶があるのを除いては、じかに自分の目で食用になるタケノコが育っているのを見た覚えがありませんでした。

 札幌や東京といった場所で中学生時代までを過ごしたこともあり、タケノコと言えば、どういうものかは知っていても、スーパーで皮をむき切り分けて袋詰めにして売っているものか、料理店で調理されて出てくるものしか知らなかったので、上の写真のように、京都の向日市や長岡京市で、店先や道端で、堀り立ての新鮮なタケノコが山積みされて売られているのを見て、とてもびっくりし、また感銘も受けました。

 妹の家が近いこともあり、花見を兼ねた京都旅行中に立ち寄ったのですが、この二つの町が「タケノコの里」だということは、訪ねてみて初めて知ったのです。いずれも「そんなことはよくご存じ」の読者の方も多いとは思いますが、もしかしたらわたしと同じように、「それは知らなかった」という方もいらっしゃるかもしれないと考え、今回は、このタケノコの里の訪問についてお話しします。

 昨年春にアリタリア航空で、オンライン予約によるイタリア・日本往復大割引の期間がありました。最も安い便は、すべて込みで、なんと往復396.04ユーロ(当時円高で、クレジットカードの利用代金明細書では、50,595円と換算されています)。日本の桜の開花をもう何年も見ていなかったわたしは(実はちょうど授業が多くて忙しい時期なのです)、かなり無理をして授業を移動して、これを好機として帰国を決め、夫も「日本の桜が見てみたい」ということで同行することになりました。妹と落ち合うために、長岡京市と向日市を訪れたのは、その旅行中で、2009年4月4日(土)から4月6日(月)にかけてのことです。

 4月4日土曜日の昼前に長岡天神駅に到着。駅近くにあった宿泊予定のホテルに荷物を預けて、駅前に戻り、まずは長岡市の観光センターで、絵と写真入りの詳しい観光地図をいただきました。観光センターを出てすぐ、目に飛び込んできた看板。
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 昼食はここと迷わず決めて、小さいお店の中に入りました。
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 今を盛りと咲く花を思わせる、桜シューマイの彩の美しさ。どの料理も目に美しく、味も一品で、夫もわたしもお手頃な値段のこの昼食を目にしたときから、室内にいても、春の風情を十分に味わうことができました。地元名物のタケノコは、色鮮やかなうどんの中だけでなく、桜シューマイの中にも入っていて、それぞれに風味を添えていました。

 昼食後やはり長岡天神駅前で、妹と甥っ子と落ち合い、電車に乗って、桜まつりの最中の向日神社を訪ねました。
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 残念ながら雨が降っていたのですが、久しぶりに出会った妹や甥っ子と話がはずみ、夫も桜並木の下に立ち並ぶ色とりどりの露店を興味深く眺めながら、甥の手を取って仲良く歩いていました。
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 幸い、美しい着物の女性たちによる琴の演奏も鑑賞することができました。
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 奈良時代創建と伝えられる歴史ある神社を後にしてからは、デパートで甥っ子の初めての傘購入に立ち会い、ホテルでゆっくり休んだ後、近くの居酒屋で仲良くおいしいお酒と料理を楽しみながら過ごしました。
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 言葉が通じないはずなのに、なぜか出会った瞬間から和気あいあいの二人。仲良く紙飛行機作りに興じていました。おかげで久しぶりに妹とゆっくり話をすることができました。

 翌日、4月5日(日)も、引き続き洛西、長岡京周辺で、桜の名所を訪ねることにしました。長岡天神駅前にあるホテルから歩いて、光明寺に到着。
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 西山浄土宗の総本山である光明寺の広い境内は、晩秋には紅葉が美しいとのことですが、春もたくさんの桜が境内のここかしこで一斉に色とりどりの花を咲かせていて、美しい景観を楽しませてくれました。
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 枯山水の庭も風情があり、心を穏やかにしてくれます。
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 光明寺のすぐ手前にあるお店で、目に美しく食べてもおいしい昼食を取りながら、歩き疲れた体をしっかり休めます。
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 昼食後、観光地図を片手に、寺社を探しながら歩いていると、子供たちが地元の熟練者と共にタケノコ掘り体験ができるという竹林に行き当たりました。
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 探していた寺社が見つからず、地図を片手に、美しい竹林の中に迷い込んで行きました。道を尋ねた方が、たまたまボランティアで竹林やタケノコ文化の継承に努めている親切な老紳士で、分かりやすい図を使って、孟宗竹の歴史やタケノコの掘り方などを詳しく説明してくださいました。
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 自然や農耕を愛するルイージは時々質問しながら、熱心に耳を傾けています。老紳士は、わたしが通訳している間も、ゆっくりと待ち、ていねいに質問に答えてくださいました。

 結局探していた寺社は見つからなかったものの、思いがけない竹とタケノコの授業に喜びながら、わたしたちは帰途につき、駅前のホテルへと向いました。

 帰りがけに、菅原道真に縁の深い長岡天満宮を訪れました。わたしがイタリアで教える日本文学の授業では、藤原氏の台頭や政敵の排斥と共に、道真の人となりや漢詩文集、左遷の悲劇にも触れて、漢詩「九月十日」や『拾遺集』所収の和歌、「東風吹かば」なども紹介しています。

 理解が難しいのは知りつつ、まずは原文で読み上げてから、イタリア語で意味を説明します。

 「東風(こち)吹かばかばにほひおこせよ梅の花主なしとて春を忘るな」

Fiori di susino, quando tira il vento primaverile, sbocciate e mandatemi la vostra fraranza. Anche se non avrete il vostro padrone con voi, non dimenticherete la primavera.(石井訳)

 授業中には、道真が学問の神様とみなされていることや大学受験についても話をして、日本の学校教育や風習についても学生たちに伝えています。

 長岡天満宮では、八条ケ池の岸辺に、満開となった桜並木が列をなして並んでいます。深い桃色に淡い白色、幾重にもなった花に一重の花、さまざまな桜が美しさを競い合い、その木の下を、老若男女が感嘆してささやきあいながら歩いて行きます。
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 水上橋からは、池の中を泳ぐ色とりどりの鯉も見えます。
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 好天に恵まれた日曜日なので、家族そろって花見に来ている人々もたくさんいました。

 こうして、昨年は京都各地や周辺のあでやかな桜を堪能することができました。日本を発つ前に住んでいた愛媛県では、よく川沿いに桜並木が、つつましい淡い桃色の花を一斉に咲かせ、そうした満開の桜が水面に姿を映しているのもそれは美しい眺めで、大好きだったのですが、昨春はそれとはまた趣の違う美しさを持つさまざまな桜を見ることができました。

 4月9日の記事で、今年の春は、イタリアのテレビニュースや園芸専門誌『Giardini』4月号が、日本の桜を特集していたことをお伝えしました。

 その後、別の園芸専門誌『Gardenia』も、やはり4月号で、日本の桜の特集を組んでいたことが分かりました。
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 記事の題は、表紙の左端、下から二つ目に見えます。写真では見にくいと思うのですが、 題は「CILIEGI In Giappone quelli più rari」となっています。
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 5ページにわたる記事は、こんなふうに数多くの美しい桜や花見風景の写真と共に、日本の花見文化をイタリアの読者に説明しています。

 実は、『Giardini』も『Gardenia』も、花や園芸を愛する夫がもう十年以上も欠かさず購読している雑誌です。けれども、夫の覚えている限りでは、こうした雑誌が日本の桜について記事を書いたのは初めてではないかということで、しかも、今年はこの2誌がこぞって日本の桜を記事にしたわけです。さらに、今年はテレビニュースでも日本の花見に触れていました。

 何がきっかけかは分かりませんが、こんな形で、今後も、ハイテク産業や捕鯨、アニメ・漫画や芸者、空手や柔道、合気道だけではない、日本文化の様々な側面をイタリアの人々に知ってもらい、興味を喚起する機会が増えていくことを祈っています。

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by milletti_naoko | 2010-04-23 06:30 | Giappone | Comments(0)

春山のトレッキング ~ブナの巨木を目指して

 「山がオレを呼んでいる」

 夫のお気に入りのトレッキングコースは、アッペンニーニ山脈のAlpe della luna、Badia Tedalda周辺の山登り、あるいは川沿いに上流や源を目指して歩いて行くというものです。最近は長い間、わたしの体調が優れなかったり、天気がぐずついたりしたために、本格的な山歩きをしていませんでした。そのため、先週土曜日は、夫の「せっかくの休日を家で過ごすのに耐えられない病」が悪化。

 わたしも久しぶりに自然の中を野の花を眺めながら歩いてみたいと思っていたため、土曜日は天気が悪かったので、4月18日の日曜日に、遠出をして山歩きを楽しむことにしました。
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 ペルージャから車で北へ向かい、サンセポルクロ(Sansepolcro)で無料高速道路(superstrada)から下りて、アッペンニーニ山脈へと山道を登って行きます。出発から1時間余りで、Viamaggioの教会(上の写真)に到着。851mの高みにあるこの教会脇に駐車して、登山靴(scarponi、複数形)にはきかえ、リュック(zaino)を背負い、杖(bastone)を片手に、いざ出発。目指すは、巨大なブナの木(faggione)。
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 これが目的地であるブナの巨木です。どれだけこの木が大きいかは、青いセーターを来て、幹に背を持たせかけている夫やその向かって右側にある水色のリュックサックの大きさと比べるとご想像がつくかと思います。ブナの木はイタリア語でfaggioと言い、アッペンニーニ山脈の森林にはブナの林がたくさんあるのですが、この木を「faggione」と呼ぶのは、この木が桁外れに大きいため、語末につけて、並みのものに比べて大きいことを表す拡大辞、‐oneを使っているからです。
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 まずは、斜面をどんどん下っていき、川を渡ってから、再びひたすら登らなければいけないという、久しぶりにしてはずいぶん体力的に厳しいコースです。上の写真で、右上の山の中腹に見える鮮やかな緑色の部分は、森林に囲まれた広い草原(prato)なのですが、この草原を後にして、さらにぐんぐん山道を登りつめたあとでようやく現れる新たな草原に、この巨大なブナの木があります。

 写真では分かりにくいのですが、右手の草原には野の花が一面に咲き、道の左手にある草むらの間を水が流れています。
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 そして、この水の流れの両側には、そこかしこに、ツクシが頭をもたげています。わたしは、イタリアでもツクシがあることにびっくり。夫は、わたしから「日本ではツクシを食べる」と聞いてびっくり。夏の登山中、スギナ(coda cavallina)が水辺にたくさん生えているのを見かけることは多く、夫が「乾燥させると、骨を鍛える薬になる」と言いながら収獲するところも何度も見ていたのですが、ツクシがそのスギナの胞子茎だとは思いもかけませんでした。そもそも、夫がcoda cavallinaと呼んでいるこの植物を日本で見たことがなく、恥ずかしながら、日本にあるとも和名があるとも知らなかったのです。
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 ずんずん坂道を下って、渓流にさしかかりました。春先は水が多いので、川水を石に投げ込んだりして、足を濡らさずに川を渡れるように工夫する必要があります。

 最初の難関であるこの小川を渡ったあとは、いよいよ本格的な登山の始まり。ひたすら山道を登って行きます。

 わたしは登り道は苦手です。特に、いつまでも果てしなく続く登り道では、苦しいので息を切らし、しばしば立ち止まって休みながら歩いていきます。
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 そんなとき、目を楽しませ、心を励ましてくれるのが、美しい野の花です。今回の散歩では、プリムラ(primula)が道の両脇や草原のここかしこに咲いていました。そして、スミレ(violetta)も野山に美しい彩を添えていました。
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 家は朝9時過ぎに出発。途中でカップッチーノ休憩も取りながら、車でトレッキングの出発地点に到着し、歩き始めたのが10時半。長い長い登り道を歩き続け、12時半過ぎに、見晴らしのいい場所で、昼食休憩を取ることにしました。
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 上の写真で夫が立っているのが、わたしたちが昼食を取った場所です。前方に大きな長い屋根が幾つか並んでいるのが見えるのですが、その並んだ屋根の右上に見える赤い屋根の家よりもさらに上の方に、わたしたちの散歩の出発地点である教会があります。が、残念ながら、木々に隠れていて見えません。

 教会を出発してから、まずはこの赤屋根の家まで坂道を下り、さらに大きな長い屋根の並ぶ家畜の飼育場の脇を歩き続けてから、白い屋根の左側に細く見える小道を川まで下り、その後ひたすら坂道を登り続けてここまでたどり着いたのでした。

 夫曰く、「まだ半分も歩いていないのに、もう休憩?」

 「ここで休まないと、もう先に進めない」と、わたしも開き直って強く主張し、ゆっくり休みながら、まだまだ続く登り道を見やります。
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 昼食後は、夫がカメラを担当。ゆっくりゆっくり登るわたしを待つ時間も活用して、花や木々、苔むした岩などをパチリと撮影。
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 目指すブナの巨木が立ちそびえているのは、アッペンニーニ山脈の高みに広がる草原です。その草原が近づいてくると、目に入る愛らしいクロッカスの花(croco、複数形はcrochi)がどんどん増えていきます。
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 10時半から歩き続けて4時間ほど、14時半近くにようやく巨大なブナの木までたどり着くことができました。クロッカスやプリムラ、スミレの花咲く広い草原に、孤高を守り、何百年も昔から立ちそびえるFaggione。たくましい根は、美しい緑色の苔に覆われ、隆々たる枝は、四方に長く、そして空に向かって高く伸びています。どっしりとした揺るがぬ幹を、この森林の間に潜む草原の上に据えて、もう何世紀もの間、山や獣たち、山歩きをする人々を見守り、はるか彼方の下方に見える人間たちの築き上げた町を遠くに眺めてきた、威厳あふれる山の主。

 感嘆の思いで、さまざまな角度からFaggioneを見上げ、眺め、それから、すっかり疲れ果てた体を休めつつ、遠くに見える山々や自分たちが歩いてきた道を眺めていると、はるか上の方から夫の声がします。

 「ここまで登ってくれば、ぼくたちが出発した地点も見えるよ!」

 そこで、最後の力をふりしぼって、Faggioneの立ちそびえる広い草原をさらに上へ、上へと登って行きました。
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 夫の言うとおり、わたしたちの出発地点の教会の鐘楼や、歩いて脇を通った畜舎の屋根の連なりが遠くにですが、はっきりと見えます。少し空が曇ってきたのですが、それでも遠くの山々まで見渡すことができます。

 荘厳なFaggioneと美しい景色や花々に感謝しながら、Faggioneに別れを告げ、帰途につきました。

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by milletti_naoko | 2010-04-20 23:09 | Viaggi in Toscana | Comments(7)

野菜畑の散歩

 野菜畑(orto)に、食事用の野菜を収獲しに行くときの必需品は、ナイフ、収獲した野菜を入れるかご、そして、泥で汚れても構わない靴です。わたしがかごを片手に野菜畑に向かうのを見かけると、お義母さんはふざけて「買い物しに行くの?」(Vai a fare la spesa?)と尋ねます。八百屋や市場に行く代わりに、仕入れに行く先が野菜畑なので、ユーモアを込めて、こんなふうに言うわけです。

 さて、昨日4月15日の夕方も、わたしは野菜畑へ、夕食の材料を調達しに出かけました。翌日の授業準備やブログの執筆のために、机に向かう時間が長いので、外の空気を吸い、緑の中を歩くのはいい気分転換にもなります。
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 満開になった大きな桜の木の下を、桜に見とれながら歩いて、野菜畑に向かいます。
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 向こうでお義父さんが草を刈る姿が見え、また草刈り機の立てるにぎやかな音が聞こえてきます(写真中央やや左手)。春の天気は変わりやすいので、天気のいい日にできるだけの農作業を済ませておく必要があります。

 わたしは、何か目ぼしい野菜はないかと物色します。
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 上の写真の中央あたりに並んでいるキャベツ(cavolo)は、ちょうどいい食べごろですが、この濃い緑色のキャベツはとても苦いのでわたしも夫もあまり好きではありません。ちなみに、キャベツの後方、右手に見えるネギのようなものは、ニンニク(aglio)です。また、見にくいかと思いますが、写真の中央、ずっと奥に見えるのは、ローズマリー(rosmarino)の茂みです。ちょうど花盛りで、薄紫色の小さな花が皆満開になっています。
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 サラダ菜(insalata)は、野菜畑のあちこちに植わっています。夫もわたしも大好きなサニーレタス(insalata canasta)も、上の写真の中央から後方にかけて並んでいるのが見えるのですが、まだお義父さんが買ってきた若菜を植えたばかりで、もっと育ってからでないと収獲できません。このサラダ菜は寒さに弱いため、暖かくなってきた今、ようやく畑に植えることができたわけです。

 さて、どうしよう?

 こういうときに役に立つ野菜があります。それは、フダンソウ(bietola)。ここで、直前の2枚の写真をよくよく見ていただくと、脈絡もなく、あちこちに生えている緑色の野菜があるのがお分かりかと思います。サニーレタスが列をなして並んでいるその直前に、大きく二株見える、緑色の鮮やかなこの野菜が、フダンソウです。同じ野菜が、キャベツとニンニクの写真の中にも、無秩序にあちこちに生えているのが見えます。目立つのは、最前列の右隅。そして、写真の左側の方にも、2列並んだキャベツの後ろに2、3株あるのが分かります。

 もともとは数年前に食用に植えたものが、植物自体の生命力が強く、我が家が風の強い場所にあるために、種があちこちに散らばって、毎年毎年、てんで勝手に自然に生えて、ぐんぐん育つようになったそうです。

 けれども、いろんな料理に使える上に、癖がなくておいしいので、冬から春先の、まだまだ畑の野菜の種類が限られているときに、とても重宝する野菜です。というわけで、今回はフダンソウを収獲することにしました。料理の仕方などについては、またいずれの機会にお伝えするつもりです。
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 キャベツの手前の方には、4月11日の記事で、お義父さんが植えていたイチゴが、白い可憐な花を咲かせています。

 帰り道、ふと脇に目をやると、リンゴの木(木はmelo、実はmela)が、濃い桃色のつぼみでいっぱいで、小さな白い花が少しずつ咲き始めているところです。
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 そして、下の写真に見える愛らしい白い花が、野菜畑のあちこちに、自然に生えてきて、野にさわやかな彩りを添えています。
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 今回、この花をよくよく観察していて、非常におもしろい習性があることを発見しました。この興味深い咲き方を、写真に収めましたので、これもまたいつか機会を見て、お話しするつもりです。ただいま、この花の名前を、夫が山ほど持っている植物・花の図鑑や事典を見ながら調べているところです。どなたかご存じの方がいらっしゃいましたら、お教えください。

 夏時間になったおかげもあって、日が長くなり(日が暮れる時間が遅くなり)、夜7時から8時になっても、まだこれだけ明るいようになりました。

 というわけで、わたしの夫も、お役所仕事から帰って来てから、一休みしたあと、すぐ外に出て、庭仕事に取りかかりました。
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 まずは、4月11日の記事で、水で十分に洗った水槽代わりの樽が、数日経って水も乾いたので、今度は、中に入れる水が漏れるのを防ぐために、ニス(vernice)を樽の内側にも外側にも塗りつけました。それから、雨が降っても水がかからないように、上からビニールをかぶせました。
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 そのあとは、野菜を畑に植えるための下準備。といっても、夫は義父と違って、若菜ではなく、サニーレタスの種を購入しました。野菜を均等に畑に植えるためにも、寒さから守るためにも、まずは温室の中の鉢に種を植えて、芽が出て少し育ち出してから、そこで初めて畑に植え替えるということです。写真は夫が、種を植える鉢に入れるための土壌を準備しているところです。この作業のあとで、小タマネギ(cipollina)の種も鉢に植えたとのことです。

 「最近、何でもかんでも写真を撮る癖がついたね。」と、カメラを向けるわたしに、あきれがちに苦笑いする夫なのでありました。しかし、彼はわたしを秘書代わりにして、「~に行ったのはいつだったけ?」、「ぼくがトマトの種を植えたのはいつだったっけ?」と聞いてくることがよくあるのです。わたし自身も夫と一緒に行動りしたことなら、覚えてもいるでしょうが、夫だけがしたことについては、記憶もあいまいになるので(なのに、なぜかわたしに聞いてくるのです。本人さえ覚えていないのに、なぜわたしが覚えていると思うのか不思議です)、このブログがちょうどいい覚書になることでしょう。

 野菜畑やその周辺を、うれしそうにカメラ片手に歩き回り、フダンソウを収獲したり、草木を眺めたり、写真を撮ったりしていたら、すっかり遅くなってしまいました。

 フダンソウは、土を洗い落としたり、湯がいたりと、料理をするのに結構時間がかかるのです。まだ、ルイージの作業が終わっていないのを幸いに、慌てて台所へと向かったのでありました。

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by milletti_naoko | 2010-04-16 18:45 | Fiori Piante Animali | Comments(2)

イタリア、里の春

 ペルージャ外国人大学では、例年Corso di Laurea PLIM(Promozione della Lingua e della cultura Italiana nel Mondo「イタリア語とイタリア文化の世界における振興を図る学士取得課程」)の1、2年生の授業を担当していました。

 「していました」というのは、「大学卒業」の記事でも触れた大学改革のために、上記の課程の名称やカリキュラムが変更となり、これまでは、1・2年生と2年間にわたって行われた日本語の授業が、最終学年の3年時にのみ行われることになったからです。昨年度から新課程への移行が始まったため、PLIM1年生の授業は今年はもう存在しません。というわけで、現在わたしが担当しているのは、このPLIM2年生の授業だけなのです。

 もし、今年も1年生(日本語の入門者)を教えていたら、ちょど今の時期に、例年のように「春が来た」の歌を学生たちと合唱したことでしょう。歌の指導は、まずわたしが歌詞を黒板に書き、学生たちに1文ずつ読ませていくことから始まります。3月に「日本語」の授業が始まり、ちょうど学生たちが平仮名と片仮名の学習を終え、季節の名前や「山」、動詞「行く・来る」などをを学習したばかり。学生たちは、自分たちに日本語が読めることや理解できること、歌が歌えことをたいへん喜んでいました。

「はるが 来た  はるが 来た  どこに 来た
 山に来た    さとに 来た  のにも 来た」

"E' arrivata la primavera. E' arrivata la primavera.
Dov'è arrivata? E' arrivata in montagna. E' arrivata in campagna.
E' arrivata anche sulla pianura."

 だいたいこんなふうにイタリア語で意味を説明しています。というよりは、繰り返される言葉が多いので、後半の歌詞の意味は、学生たちに推測させます。

 自分で苦労して思いついたほうが、記憶に残りやすいし、知らない表現に出会ったときに、頭をどうひねればいいかも分かっていくからです。また、音楽に乗せ、自分で声を出して歌っていくと、表現も身につきやすいし、学ぶのが楽しくなります。(メルマガで、読者の皆さんに「イタリア語学習」のためにおすすめしていることを、わたしは自分が日本語を教えたり、外国語を学んだりするのに活用しています。)

 何だか前置きが長くなりましたが、わたしたちが住んでいるペルージャ郊外の「里」でも、最近、ようやく「春が来た」と実感できるようになってきました。

 というわけで、今回は「イタリアの里の春」を我が家からお伝えします。
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 庭から野菜畑へと下る階段の手前にあるのが、このリラ(lillà)の花です。ほとんどがまだつぼみで、ようやく小さな花がいくつか開き始めたばかり。さて、階段を下りていくと、夫のルイージが下の方から、手を振って呼びかけています。好天気で、畑仕事にはうってつけの1日。
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 ウンブリア州の州庁で長年働いているルイージは、自然に囲まれて育ったためもあり、自然や植物を育てるのが大好きです。机に縛られがちな役所仕事を放棄し、いずれ農業に携わる仕事をしたいというのが彼の夢です。最近は、さかんに、養蜂や樹木の剪定を学ぶための講習に参加して、少しずつ自分の夢へと一歩を踏み出しています。「今の仕事を嘆き、週末を映画やテレビ、パソコンの前で過ごすより、まずは週末から、自分の本当にしたいことに時間を捧げていくように」という言葉を最近読んで、かなり啓発もされたようです。
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 上の土地が、今日(イタリアではまだ4月10日です)ルイージが精魂込めて鋤で耕したところです。オリーブ畑に囲まれ、向こうに鶏たちの闊歩するのが見えるこの場所は、昨年も彼がさまざまな種類のイタリアの伝統種のトマト(pomodoro)を植え、育てたところです。昨年収獲したこの伝統のトマトには独特の甘み、旨みがあり、生でサラダにして食べても、パスタのトマトソース作りに使っても、本当においしかったのを覚えています。

 このところルイージも頑張っていますが、我が家の野菜畑で一番の働き手は、何と言っても彼のお父さんです。農家の末っ子として生まれた義父は、幼い頃から朝5時に起きて兄弟たちと家の農作業を手伝って働き始め、それでも夜は疲れを知らず、隣村の村祭りまで、何kmも歩いて行っては、会話や伝統的なダンスを楽しみ、深夜に歩いて帰宅して睡眠し、それでも翌朝は必ず5時に起きて働いていたそうです。根っからの働き者で、成人してペルージャ市の職員となってからも、仕事が終わって帰宅してから、そして週末にも、ブドウ畑、オリーブ園や野菜畑のために働き、そして家畜の面倒を見、さらに庭木の剪定、ワイン作りと忙しく働き続けたそうです。退職してからもう何年にもなり、数年前にブドウ畑は手放しましたが、今でも毎日忙しく、オリーブや野菜、庭木の手入れに飛び回っています。「イタリア人が働かない」なんて言っているのは、どこのだれでしょう。
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 写真の左端に見えるお義父さんは、イチゴ(fragola)を植えているところです。写真の右手、手前にはネギが、そしてその後方にはまだ小さい植えたばかりのサラダ菜が並んでいます。昼食のしたくをしていたとき、ネギの場所が分からなくて戸惑っていたわたしに、義父は辛抱強く、どこに何を植えてあるかを説明してくれました。

 義父にあいさつをして、帰りがけに桜の木を見上げると、緑の若葉がかなり大きくなってきています。風のために、美しい白い花弁が花吹雪となって宙を舞っていることもしばしばです。
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 一方、下の写真は、やはり我が家にあるセイヨウスモモ(prugno, susino)の花を今日(くどいようですが、イタリアではまだ4月10日です)撮影したものです。花弁が白いところも桜と同じで、わたしにはなかなか区別がつけられないのですが、実がなり始めると、当然ながら、それぞれが何の木かがすぐ分かります。
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 さて、畑を耕し終えたルイージは、今度はふだん金魚たちの棲む水槽代わりになっている樽を洗い始めました。写真左手には、ローズマリー(rosmarino)の茂みも見えます。
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 ただいま、19時43分。1日外で働いて、ぐったり疲れて帰ってきたルイージはしばらく前からソファーで一休み。

 わたしはというと、実は今週の木曜日までは、復活祭休暇や卒業試験のために授業がなく、昨日は本当なら授業を再開すべきところ、「まだ里帰りしているので授業があっても出席できません」という学生が、わたしの授業に通っている学生の半数以上であったために、休講としました。月曜に卒業した学生の卒論の指導・校正に追われ、1週間以上寝る時間を削って無理をしたのがたたって、最近は風邪を引き込んでいました。

 実はブログを書き始めたのは、体調が悪くて外出はできないし、授業の準備をするにはまだ早いので、いろいろな方のブログを読ませていただいていたら、「わたしも自分の毎日を記念に綴っていきたい」と思うようになったからです。人生まったく何が原因で何が起こるか分からないものです。中島敦、『山月記』の主人公、李徴の言葉を思い出します。

 おととい、昨日は少し体調がよくなったので、掃除・洗濯もすませました。今日は実はアイロンがけをしなければいけなかったのですが、写真撮影や執筆に夢中になってサボってしまいました。

 「ブログなら根をつめずに、気楽にかけるだろう。体調が悪くても大丈夫。」と思って始めたのに、書き始めると結局生真面目に書くので、根気も時間も必要とし、長くなってしまうのでありました。

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by milletti_naoko | 2010-04-11 03:20 | Fiori Piante Animali | Comments(0)

「花よりだんご」のイタリア人?

 純白の花をいっぱいに咲かせた写真の木が何の木か、お分かりになりますか。
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 答えは「桜」です。

 イタリアの桜は、こんなふうに真っ白い花を咲かせ、また小さな若葉が花の間に見え隠れしている場合が多いようです。

 写真は、イタリアの我が家の桜を、昨日4月8日(木)に撮影したものです。ところで、この木が家のどこに生えているかお分かりになりますか。周囲にあるのは何の木でしょう。

 前には、オリーブの枝葉が、背後には一列に並んだオリーブの木々が見えます。
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 上の写真では、さらに桜の位置が分かりやすいかと思います。実は、この桜の木、庭から野菜畑(orto)へと階段を下りたところに、列をなした野菜やオリーブの木々の真ん中に立っています。この写真では、家が木々に隠れてよく見えないのですが、同様に、桜もまた、家や庭からは隠れたところにひっそりと立っています。写真では分かりにくいかと思いますが、桜の右横にはローズマリーの茂みがあります。わたしも今年は、野菜畑にキャベツやローズマリーを取りに行って初めて、桜が花盛りであるのに気がつきました。

 日本であれば、桜の木は、庭の主要な位置に、美しい花を観賞するために植えるでしょうに、なぜこんな隠れた位置に桜の木があるのでしょうか。

 一つは、「春に桜の花を愛でる」文化が日本独特のものであること。実は、今年はイタリアの国営放送RAI2のテレビニュースで、日本の花見文化が紹介されていました。イタリアのニュースの中で取り上げる日本の話題は、日頃は、経済や地震、ハイテク産業を除くと、捕鯨や雅子妃の抑うつ症など、マイナスイメージの放送が多いのです。ですから、桜の美しさを愛で、春の訪れを祝う日本の姿がこうして放映されたことはうれしかったのですが、途中から放映内容に「日本についてのステレオタイプ」が入っていました。
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          日本庭園の桜(京都、渉成園。撮影は、昨年3月29日。)

 ニュースは途中から、花見客の中の舞妓さんふうの女性数人の映像を流し、「日本といえば、やはり芸者。花見にも芸者は欠かせません。」と解説が入り、最後は「伝統の芸者おどりも各地で催されていました。」と都おどりの舞台風景を流して締めくくっていました。舞妓さん風の女性は、一般人が舞妓体験を楽しんでいた様子でしたし、花見と芸者を短絡に結びつける日本人はまずいないだろうし、「都おどり」に毎回足を運ぶ日本人も限られているとは思うのですが…… イタリアでは、「日本といえば芸者」という偏見がまだまだ根強いようです。

 大学で「日本語・日本文学」の授業や毎日のさまざまな人との関わりの中で、少しでも現実に近い日本の姿をイタリアや世界各国の方に知ってもらい、また、一方でメルマガやブログを通じて、より現実に近いイタリアの姿を日本の皆さんに知っていただきたいというのが私の夢であり、また感じている使命でもあります。

 話が逸れましたが、我が家の桜の木が隠れた位置にある理由としては、他にも、イタリアでは、桜を観賞用として特にひいきすることがないことが挙げられると思います。白い花を咲かせる木々は多く、たとえばセイヨウスモモ(susino)やリンゴの花も真っ白な花を同じように一斉に咲かせます。というわけで、我が家や他の家の庭を見ても、同じ庭木の中でも、観賞用としては、ミモザやアーモンドのように、レモン色、桃色の色の鮮やかな花を咲かせる木がよく目に入る位置に植えられているようです。

f0234936_23595637.jpg もう一つの理由は、桜を植えたのが、何よりもサクランボ目当てであったから。花ではなく果実を楽しむのが目的で植えたために、桜の木が、庭ではなく、野菜畑の中央・オリーブの木々のただ中にあるのだと思います。

 そうです。イタリアの桜の木は、単なる観賞用ではなく、花のあとには赤々としたおいしいサクランボをたくさん実らせ、目だけでなく、舌も楽しませてくれるのです。真っ白な花を咲かせた木が、やがて真っ赤な実をいっぱいにまとう不思議。


f0234936_032750.jpg さて、どういうわけか、今年のイタリアでは、春に「日本
の桜」に触れることが多く、園芸専門誌の『Giardini』
(この題はgiardino「庭」の複数形)も、4月号で
「花を観賞するための日本の桜」(CILIEGI DA
FIORE GIAPPONESI)を特集していました。

 いずれ記事をじっくり読み、興味深いことがあれば、
皆さんにもブログないしはメルマガでご紹介したいと
思っています。

 このイタリアの桜は、秋にはそれは美しい紅葉で目
を楽しませてくれます。秋になると、木の頂から順に木
の葉が緑から黄色へ、黄色からオレンジへ、そしてオレンジから真紅へと次第に色を変えていくため、一本の桜の木の葉の色が上から下へ行くたびに、赤・オレンジ・黄・黄緑、そして緑へと色が変わっていて、まさに虹(arcobaleno)のようです。というわけで、秋に山道を散歩したり、ドライブしたりするとき、わたしはこうした色とりどりに紅葉した桜の木を見かけるたびに「Albero arcobaleno!」(「虹の木!」文法的には問題がありますが、最も端的にわたしの気持ちを表す気がしますので、こう呼んでいます。)と歓声を上げます。
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 上の写真で左手に、赤屋根の前に写っているのが、紅葉した桜の木です。場所は、テッツィオ山(Monte Tezio)の中腹にある町、Migiana di Monte Tezioの町はずれ。ペルージャから車で15分ほど北へ進み、山道を登ったところにあるこの町は、わたしの夫ルイージが生まれ育ったところです。桜の紅葉は小さくて見づらいのですが、ペルージャ郊外の美しい秋景色をお楽しみください。

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by milletti_naoko | 2010-04-09 18:43 | Fiori Piante Animali | Comments(0)