2010年 04月 24日
ペルージャ外国人大学 日本語の授業風景

「赤上げて、白上げて、赤上げないで、白上げて」というゲームがありますが、それを「右上げて、左上げて」として、右手や左手を上げさせてみました。
「~して(ください)」、「~しないで(ください)」という表現も先週学習したので、その復習も兼ねていたのですが、皆しっかり正しい手をすばやく上げることができていたので感心しました。
「だいたいできたようですね。」と練習を終えようとすると、「先生、今度は足を上げて練習しましょう。」と提案するお茶目な学生もいました。右や左という言葉の定着を図るため、「右手」、「右足」を教えて、「では、la mano sinistraとla gamba sinistraはそれぞれ何と言うでしょう。」と問いかけて、クイズ形式で学習したばかりだったからです。(ちなみに答えは、「左手」、「左足」です。)

「インターネットに授業風景の写真を載せたいので、プライバシーのために後方から写真を撮ってもいいですか。」と尋ねたら、優しい学生たちは口をそろえて、「ぜひ正面から撮ってください。」と言ってくれました。
これが、わたしのクラスの学生たちです。皆、日本文化に対する関心が高く、日本語の勉強にも授業にもやる気満々です。
今回は、この2年生たちが1年生の頃に「わたしの国・わたしの町」について書いた作文から、イタリアやイタリアの町について述べたものを、引用してみます。こちらも、すでに昨年、名前を伏せると言うことで、掲載許可を得ています。
「わたしの国は、イタリアです。イタリアはとてもいい国です。それに、おもしろいです。イタリアはのりものがべんりです。それにゆうめいです。でも、あまりあんぜんじゃありません。イタリアはたべものが高いです。でも、きれいです。イタリアは大学がとてもいいです。それに先生がしんせつです。」

「わたしの国はイタリアです。イタリアはとても楽しい国です。そして、料理が美味しいです。それに、イタリアの食べ物と飲み物は安いです。そして、景色がとても綺麗です。
イタリアは建物が面白くて古いです。でも、イタリアは乗り物が汚ないです。それに、駅は時々安全じゃありません。」
どちらの作文も、誤字や文法的に問題のある箇所はわたしがすでに訂正したものです。句読点や漢字・仮名については、特に問題がない限り、学生本人が書いたままにしてあります。二人目の学生は、日本の漫画の原書やインターネットで、習っていない漢字(や習う必要のない漢字)をこつこつ独学で勉強していました。この学生は、ただいま日本に留学中です。
同じウンブリア州出身でも、それぞれの経験や主観によって、意見の違うところがあります。

~写真はいずれも、過去に撮影した中から、作文の内容に合うものを選んでみました~
「今、ペルージャにすんでいます。ペルージャはきれいな町です。それにあまりうるさくないです。静かなところです。ペルージャは空気がとてもきれいです。人が少ないです。でも交通がちょっと不便です。ペルージャは人がおもしろくて親切です。ペルージャが大好きです。でも、わたしのアパートは古くてちょっと小さいです。わたしの部屋はきれいです。」

「わたしのまちはコルチャーノです。コルチャーノはとても古いまちです。それに、きれいな、いいまちです。そして、おもしろいです。それから、小さいです。でも、ゆうめいじゃありません。コルチャーノは広くありません。コルチャーノは人がしんせつです。」

コルチャーノ(Corciano)は、ペルージャの北方にあります。石造りの家や石畳の道が美しく、毎年クリスマスには実物大のpresepe(キリスト誕生の場面の模型)が町の中心のあちこちの通りや家、庭の中に分散して置かれ、町を散策しながらキリスト誕生に思いを馳せることができます。

夫がコルチャーノの合唱団の一員であり、年に二度は定例の合唱のコンサートがコルチャーノの町で行われるため、わたしも訪れる機会がしばしばあります。上の写真で歌っているのが、夫の所属する合唱団、Corale Tetiumです。合唱団の後方に見えるのは、ルネサンスの画家、ペルジーノの手になるものです。
日本語の授業では、4月17日の記事でご紹介した教科書を、1課ごとに約12時間かけて進めていきます。一つの課が終わるごとに、教科書にあるEsercitazione scritta(作文演習)の問題を、学生たちに宿題として課しています。
実は、ここでご紹介した作文の指示は、「Descrivi in giapponese il luogo in cui vivi」だったのです。「自分が住んでいる場所について日本語で述べなさい」であって、教科書にある読み物は、二人の学生の住む寮とアパートの説明ですから、わたしが予期していたのは「学生たちの住居について」の作文であり、実際、彼らより前に教えた学生たちは、自分のアパートや親と住む家について、作文を書いていました。
授業で形容詞を学習して、お互いの町や国について尋ね合うコミュニケーション活動をしたので、「住む場所」として思いついたのが「住居」ではなく、「町」や「国」になったのでしょうが、思いがけず、自分の国や住む町についての文を読むことができて興味深かったです。
こうして学生が書いた作文は、わたしの方で、学生たちの力や、彼らにとって難しいのが何かを把握するのに役立ちます。わたしが赤で校正し、間違いの理由も説明して本人に返すことで、本人も自分の弱点を知ることができます。

さらに、授業通信、「日本語新聞」に、校正済みの作文の一部、または全文を載せて、授業中に配布します。自分が書いた日本語の文章が印刷されたものを見ると意欲も増し、また、友人たちが書いた文から新たに学んだり、刺激を受けたりもしているようです。学生たちが、毎回必死で、習った知識を総動員して書いてくる作文を読むのが、わたしも楽しみです。

