2010年 06月 15日
ワールドカップ開幕 ~思い出いろいろ
イタリアに来たばかりの2002年に、ちょうど日韓共催のサッカー・ワールドカップがあり、イタリアが、対韓国戦で、審判の判定に涙をのみながら敗れた翌日、町を歩いていて、呼び止められ、「Sei coreana?」(君は韓国人かい)と聞かれたとき、その声に殺気を感じたのを覚えています。その時は、日本人でよかったとつくづく思いました。

当時通っていた語学学校のクラスメートには、クロアチアの女学生がいました。彼女も、イタリアがクロアチアとの試合に敗れた翌日の授業中に、「昨日、バールで会ったイタリア人男性に、出身国を聞かれたとき、(相手の反応が怖くて)クロアチア人だと言えなかった」と、言っていました。
8年前のこのワールドカップの時は、マルケ州のとある小さな町に暮らしていたのですが、テレビや新聞、人々のおしゃべりにも、至るところで、サッカーの試合への熱狂ぶりが感じられました。4月から通い始めた語学学校でも、休み時間に、学校で事務を担当する若者が、黒板に選手名を書いたりして、外国人学生に、イタリアチームの説明をしていました。そして、授業のない午後、イタリア・チームの試合があると、学校の一室が、試合観戦用となり、外国人学生も、先生方や学校職員一同と共に、テレビの前で、試合中継を見守ったのでありました。
若い女の先生方の口から、次々にあまり品のよくない言葉(parolaccia)が聞こえてきて、ふだんは聞けないイタリア語の学習にもなりました。イタリアに対する審判があまりにもひどい、と新聞やニュースを始め、街頭でも話はそれで持ち切りでした。
あれから8年、今年もワールドカップが開催されます。昨日、イタリア初戦当日の夜8時、RAI1のニュースで、深刻な社会・政治ニュースも多いというのに、冒頭から、サッカーの話題が続いたことに驚きました。日頃からのサッカーファンやスポーツ番組がサッカーについて熱く語って盛り上がっていたのはもとより、たとえばRAI3の『Che tempo che fa』のように、普段は文化や社会問題を多く扱う番組までが、数週間前に、ワールドカップ特集を組んでいました。「ファンのわたしたちが、応援や放映の前に、注意して避けた方がいいことは何か」という司会者ファッツィオの質問に、チーム代表が、「Auguri(「幸運を祈ります」)と、口にしないこと」と答え、それを聞いた司会者が、「ぼくも放映中ずっとその言葉を、不運を呼ぶからと避けていたのに、言ってしまったね。大丈夫かい?」と、冗談半分に答えていたのを、思い出します。
普段は、サッカー観戦にはまったく興味のない夫も、ワールドカップには関心があると言っています。わたしたち夫婦のサッカーへの無関心ぶりはというと、5月のエルバ島への旅行中に、島に住むバルバラといつ会うかを決めるために話し合っていて、彼女から、「5月22日は残念だけど、無理。晩に、欧州チャンピオンズリーグの決勝戦があるから。」と言われて、初めてそれを知ったということからも、想像がおつきかと思います。「好きなチームが決勝に出てるの?」と聞くわたしに、バルバラは、「インテルもバイエルンも、虫は好かないけど、それでも、この試合は、わたしとアンドレーアにとっては、partita sacra(「聖戦」!)なの。」と答えました。当日インテルがみごと優勝を果たしたあとは、日頃は静かきわまりないエルバ島のキエッシの村の道路を、深夜クラクションや爆音を漂わせながら、通り過ぎるバイクや自動車の騒音が、しばらく続きました。翌朝、ホテルでの夕食の間、前夜、大勢の客が夜通し祝杯を上げていたことも、知りました。
さて、イタリアチームの初戦だった昨日は、夫の同僚かつ旧友の誕生日会がありました。ワールドカップ観戦も兼ねて行うということで、夫は夕方、一人で会場に向かいました。ふつうは夫婦・恋人同伴の場合が多いのですが、今回は会場も小さいので、伴侶抜きで友人だけを招待したとのことです。「やっぱりイタリア人、ワールドカップは皆が注目していて、一緒に応援して盛り上がろうというところかな」と思っていたら、昨夜帰ってきた夫によると、テレビはついていたものの、皆たまに点数を見るだけで、誕生会やおしゃべりがメインだったとのことです。
マルケ州の小さな町に暮らしていたときは、サッカーファンの若い年代と話すことが多かった一方、今ペルージャでつきあっている友人には、あまりサッカーやスポーツ観戦に興味のない人が多いので、こういう違いが出てくるのかと思います。
イタリア人男性、イタリア人というと、誰もかれもが皆、サッカーの熱狂的ファンではない、ということをお伝えしたくて、書いてみました。
愛国心は一応あるので、サッカーにそれほど関心はなくても、わたしは昨日日本チームが勝ったのがうれしいし、夫も、イタリアチームの引き分けを残念に思いつつ、次回に期待しています。競技そのものに関心はなくとも、昔、高校で教えていた頃、自分のクラスや高校のサッカー部の試合は、真剣に見ていました。大切な教え子の一人ひとりの活躍ぶりや意外な面を発見するのが、興味深かったのを覚えています。
ある年には、受け持ったクラスの男子生徒の半数がサッカー部に属していました。当時中田がペルージャで活躍していたため、彼らの間ではイタリア熱が非常に高く、わたしが買ったばかりのフィアット・プントに乗りたがる男子生徒が大勢いました。いえ、生徒だけではなく、当時住んでいた愛媛県の山に囲まれた村には、ドイツ車やアメリカ車は時々見かけても、それまでイタリア車に乗る人がいなかったため、「石井先生、今度お宅に、車を見に行ってもいい?」と、同僚に聞かれたこともよくあります。これは、住んでいた教員住宅が学校から近いので、徒歩で通勤していたためです。
少し話がそれてしまいましたが、これからも熱しすぎず、冷めすぎずに、夫と二人で、日本とイタリアのチームを応援していきたいと思っています。

