2010年 09月 06日
富沢選手事故死、サンマリノGP
イタリアの新聞各紙も、富沢選手の事故死を悼む記事を載せています。当たり前のことですが、レース結果にはほとんど触れていませんし、他の選手たちも、「こういう事故が起こったときは、それ以外のことは重要でなくなる」と語っています。
今回は、日本の報道には今のところ見られず、イタリアの報道のみに見受けられる内容について、お知らせします。同じレースを走った選手の多くが、富沢選手の死を悼んでいることが分かれば、悲しみは尽きないものの、わずかでも気持ちが慰められるのではないかと思うからです。同じレースを走っていた選手の数々が、レース後に初めて、富沢選手の死を知り、「選手の死が惜しく痛ましい。悲しみに言葉もない。」と語っています。
転倒した富沢選手を避け切れなかったデ・アンジェリスは、「ちょうど全員がフルスピードで走っていたときで、富沢が転倒したとき、彼自身ではなくバイクをはねようと全力を尽くした。僕自身は無傷。信じられない。」と語っています。「祥也に起こった事故については、本当に打ち砕かれたような気持ちでいっぱいです。彼の家族と彼を大切に思っていたすべての人々に、心からお悔やみを申し上げます。」

la Repubblica.itの記事は、富沢選手が重傷を負ったのがすぐにも明らかであったのに、レースが続行されたことに憤慨。記事本文が、「恥じるべきオートバイ世界選手権」(Vergogna motomondiale)という言葉で始まり、同じくレースは中断されるべきであったと語るヴァレンティーノ・ロッシの言葉を引用しています。
情報源としたイタリア語のオンライン記事は、以下の三つです。リンクと共に、見出しと副見出しの訳を「 」内に添えておきます。(わたし自身が、見出しらしい訳を心がけて、訳したものです。)
・CORRIERE DELLA SERA.it(記事へのリンクはこちら)
「サンマリノGP、モト2クラス決勝の悲惨な事故のあと、富沢選手死亡
日本人レーサーはバイクを制御しきれず、レディングにはねられた。デ・アンジェリスも事故に関与。」
・la Repubblica.it(記事へのリンクはこちら)
「モト2クラス決勝で、富沢選手が事故死
それでも勝利を祝うオートバイ世界選手権
モト2クラス決勝で、悲劇的な事故。シューター・チームのレーサーが後続の二人にはねられた。大変な重傷であることがすぐに見てとれたのに、レースは中断されなかった。オートバイ世界選手権は、まるで何事もなかったかのように行われ、レース後には表彰台上で、祝杯さえあげた。ヴァレンティーノ・ロッシ自身こう語っている。『モト2クラス決勝は中断されるべきだった。赤旗が必要だった。なぜ(石井註:レースを中断するために)赤旗が上がらなかったのか理解できない。』」
・La Gazzetta dello Sport.it(記事へのリンクはこちら)
「ミサノ、富沢選手死亡 ― モト2クラス決勝における悲劇
日本人レーサーは、エリアスがのち勝利を飾ったグランプリ中に起こった恐ろしい事故で生き延びることができなかった。19歳のレーサーは、後続のデ・アンジェリスとレディングにもろにひかれた。蘇生術もリッチョーネの病院への搬送も無駄に終わった。」
富沢選手の活躍や事故の詳細については、以下の日本語の記事を参考にしてください。
・F1-Gate.com(記事へのリンクはこちら)
「富沢祥也、レース中に事故死 (Moto2)」

