2010年 09月 16日
色づく秋山とブナの巨木


今回は、4月に訪ねたとき(記事はこちら)には木の葉がまったくなかったブナの木が、緑の葉に覆われ、秋の山は、野バラやブラックベリーの実と秋の花に彩られていました。

ブナを目指して、歩いて行くと、道端や野原に、ブラックベリー(mora、複数形はmore) が生い茂っています。

ブラックベリーと呼ばれるように、十分に熟した実は、黒々としています。「鮮やかに黒く、触ってみて柔らかい実が、食べ頃だ」と、サブリーナが教えてくれました。よく熟れた実を口に入れると、少し酸味のある独特の甘さ、おいしさが、口の中に広がっていきます。

人間にも早熟、晩熟があるように、同じ枝、同じ野原に生えているブラックベリーにも、よく熟した実と、まだ熟している途中の赤い実、そして緑色の実が、混在しています。

こんなふうに、同じ枝にありながら、実の色がかなり異なるブラックベリーもありました。色の変化や取り合わせが、美しいので、思わず目が留まりました。

一方、こちらの枝では、緑の実が一斉に、少しずつ赤みを帯びていっています。

さらに色づくと、ルビーのように、透明感のある美しい赤色になります。

山道を取り囲むブナ(faggio)の木々も、今は緑の葉に覆われ、優しい影を落として、わたしたちを、照りつける日ざしから守ってくれます。

クロッカスに似た、けれども猛毒のイヌサフラン(colchico)の花も咲いています。

2時間ほど歩いたあとで、巨大なブナの木に到着しました。

巨大な幹、どっしりと地面に下ろされた根、そして骨太の枝を四方に広げる様子に、いつ訪れても、畏敬の念を覚えます。

今回は、幹から伸びる無数の枝がすべて鮮やかな緑の葉に覆われているため、大木の生命力が、一層強く感じられます。

ブナの巨木の下で、昼食のパニーノをほおばります。

周囲をまわって、幹・枝・根に触れ、その偉大さに改めて感嘆したあとで、木に別れを告げて、山を下りました。

秋は、キノコの季節でもあります。この巨大なキノコは、ブナの巨木から少し離れたところに生えていました。

帰り道、ルイージとマヌエーラは黙々と歩き続け、サブリーナは熟れたブラックベリーの実を見つけては摘み取ってほおばります。わたしは立ち止まっては写真を撮りながら、山を下っていきます。

道沿いには、こんな愛らしい花も咲いていました。

雲の向こうに見える空の、抜けるような青さが美しいので、思わず撮影しました。

山道をかなり下って、見晴らしのいい場所にたどり着きました。写真の左手奥に、白く長い屋根が二つ並んでいます。この畜舎のあるところまで、戻らなければいけません。

野バラの実も、少しずつ赤みを帯びていっています。真っ赤に熟れた野バラの実は、ビタミンCがいっぱいなので、食べると美容にいいのだと、何年か前にマヌエーラに教えてもらったことがあります。ただし、実がすっかり熟すまでには、まだまだ時間がかかります。
山を下ってから再び少し登り、駐車してあった車にたどり着いたのは午後5時頃です。秋の山の恵みを、目でも口でも十分に味わい、ブナの巨木にあいさつもできて、歩くのは大変でしたが、思い出深い散歩になりました。


素晴らしい自然を満喫しながらのお散歩、とても羨ましく拝見いたしました。
途中でブルーベリーをつまみながら歩けるなんて、最高ですね^^
ブナの巨大な姿は堂々としていて年輪を感じます。
キノコもずいぶんと大きいのですね。これは食べられるのでしょうか。
イタリアはローマしか行ったことがないのですが、トスカーナ地方は憧れの場所です。
下の記事にある、トマトの炒り卵がとても美味しそうなので、この週末に作ってみようと思います。
トスカーナに限らず、イタリアには自然の美しいところがたくさんあります。日本の自然や町並み、寺社も美しいと、夫と日本を旅していると、つくづくと感じます。
このキノコ、イタリア語では俗名をMazza di Tamburoというのですが、生では若干毒を持つものの、調理すれば食べることができます。日本語では、カラカサダケというそうです。(日本語名については、Wikipediaを参照しました)