2010年 11月 13日
イタリアの方言と日本語特訓の成果その1
イタリア人で母語がイタリア語ですから、旅行先で必要だった外国語は、フランス語とスペイン語です。ちなみに、フランコの母語はイタリア語ですが、彼の兄、ロベルトの母語はイタリア語ではありません。生まれ育ったリミニ県、イジェア・マリーナの方言です。フランコの両親は、家ではいつも方言で話していたのですが、ロベルトがイタリア語で行われる小学校の授業についていけず問題になり、以来、まだ幼かったフランコたちには、家庭でもイタリア語で話すようになったそうです。フランコによると、今でも彼のお母さんは、同じ食卓に彼と兄のロベルトが二人いると、ロベルトには方言、フランコにはイタリア語で話しかけ、使い分けをしているそうです。大人になった今、ロベルトは、もちろんイタリア語も話します。
これはとても珍しい例だと思います。ただ、「イタリア人は皆2か国語を話す」と語る言語学者はたくさんいます。この「2か国語」は、原則的には「イタリア語」と「方言」のことです。実は、イタリア国内には、歴史的な経緯などから、イタリア語以外の言語も、イタリア語と共に併用されている自治体がいくつかあり、こういう地域は除いての話です。こうして公用語に採用された言語の例には、たとえば、Alto Adigeのドイツ語、Val d’Aostaのフランス語などがあります。
「2か国語? なぜ単なる方言を言語とみなすのか」と言う方がいらっしゃるかもしれません。実は、日本語の方言とイタリア語の方言では、かなり歴史と性質が異なります。
日本という国は、北海道や沖縄などの一部を除いては、途中政権が変わったことこそたびたびあれ、もう十何世紀もの間、統一政権のもとにあります。長い間、日本語と共に、中国語が公用文書でも、詩文でも用いられてきたという事実はありますが、これはあくまで書き言葉としての話であり、話し言葉は、原則として、日本語だけでした。日本各地にあるさまざまな方言は、この同じ日本語がそれぞれの土地で変化を遂げて、生まれたものです。
一方、イタリアに存在するナポリ、ローマを始めとする各地の方言は、こうした日本語の方言とはかなり性質が異なります。詳しくは、メルマガ第20号の記事(リンクはこちら)にすでに書きましたが、イタリアという国は、476年の西ローマ帝国崩壊以来、ずっと行政的に、さまざまな地方に分断されていました。小国が林立し、あるいは、そのうちいくつかの地方が大国の支配下にあり、そういう政治的に分断された状態が、1861年のイタリア統一まで続きました。このイタリア統一まで、ナポリやローマ、ミラノなど、イタリアの各地域で話されていた言葉は、古代ローマ帝国時代の話し言葉であった俗ラテン語から、それぞれの地で異なる発展・変容を遂げて生まれた言語です。
現代イタリア語は、フィレンツェ語(フィレンツェ方言)から方言的要素を取り除いて作られたものですが、このフィレンツェ語もやはり、同じ俗ラテン語から発展してできた言語です。ですから、ナポリ方言、ローマ方言など、現在イタリア各地で「方言」と呼ばれるものは、同じ祖語から、フィレンツェ語とは平行に発展して生まれた、れっきとした言語だったのです。ちょうど、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、ルーマニア語などのロマンス諸言語が、同じく俗ラテン語から、それぞれの地域で、独自の変容・発展を遂げて生まれた言語であるように。
イタリア統一までは、それぞれが独立した国、あるいは強大な外国の統治下にあった地域であり、ナポリ語もミラノ語も、それぞれの国、地方のれっきとした一言語だったのです。1861年にイタリア統一、ついで、フィレンツェ語を基盤とするイタリア語が公用語と決定。そのときになって、それまでは「言語」であったものが、姉妹言語であるフィレンツェ語を基盤とする「イタリア語に従属する方言」に、言わば「格下げ」されてしまったわけです。イタリア語の基盤として、フィレンツェ語が選ばれたのは、現在の「イタリア」にあたる地域では、16世紀以降、「14世紀のフィレンツェ語」が、共通の書き言葉として用いられていたからです。(詳しくはメルマガ第20号をご覧ください。)
「イタリア語」という言語自体が、イタリアという国の誕生と共に生まれた言語であるため、イタリア統一の時点では、イタリア語を使用できたのは、国民のごく一部でした。新しい言語の基盤となる言葉を話していたフィレンツェおよび周辺の国民、そして、当時のイタリア国内で書き言葉を使用できた一握りの階級の人々、それだけだったのです。統一当時のイタリア語使用人口は、2.5~2.6パーセントとも、約10パーセントとも言われていています。
一方、現在では、逆に、方言しか用いないイタリア人は、6~7パーセント、イタリア語だけを用いる人は40パーセント(戦後は8パーセント)。ですから、残り半数のイタリア人は、イタリア語と方言を、話し相手や場によって、使い分けているという勘定になります。統一から150年の間に、兵役や南部から北部への移住、そして、ラジオ・テレビ放送などのおかげで、イタリア語がイタリア全土に普及し、現在では、イタリア語使用人口が、国民の90パーセント以上を占めるようになりました。
フランコが生まれたのは、ちょうどイタリアの一般家庭にテレビが普及し始めて、地域でも「イタリア語」を耳にすることが多くなり始めた過渡期です。イタリア国内でのイタリア語の普及に、テレビ放送が大きな役割を持っていたことは、よく言われます。逆に、お兄さんのロベルトが生まれた頃は、まだイタリア語を耳にする機会も少なく、ご両親も、方言だけで暮らしていたわけです。イタリア国内でのイタリア語の普及の状況を、フランコの一家が象徴しているような気がして、なんだか興味深く、フランコの「我が家ではぼくと兄さんへに使う言葉を、母さんが使い分ける。」という話を聞きました。
というわけで、フランコは、イタリア語が母語であり、自分の地域の方言は聞いて分かるけれど、方言を自分で話すことはできない、と言っていました。1960~1970年代は、ちょうど各地で方言が弾圧されていた時代でもあります。各地の方言を見直そう、大切にしようという動きが出てきたのは、ごく最近のことです。
⇒「イタリアの方言と日本語特訓の成果その2」につづく(リンクはこちら)
イタリア語の歴史、興味深く読みました。
今のイタリア語が当時のフィレンツェ語から発生していることは、きいていたのですが・・・
確かに今習っているイタリア語、最初の先生はレッジョ・カラブリアの人で、今の先生はトリノの人。
発音とか言い回しが微妙に違います。
今の先生は、「これが今の正しいイタリア語、だけど地方によっては違う」と説明してくれます。
日本の方言も、津軽弁は聞いていてさっぱりわかりませんし、沖縄のウチナーグチも???ですが、イタリアはもっとなのですね。
言語の歴史、とってもためになりました。
ありがとうございます♪
↓の記事の巡礼。
カソリックのみなさまには生涯で一度は!と思われる旅なのでしょうね。
naokoさんもいつか行けますように!!!
実は、各地のイタリア人たちが話しているイタリア語は、italiano regionale(地方イタリア語)と呼ばれるもので、それぞれの地で話されるイタリア語は、元来の方言(伝統的な言語)の影響を強く受けていて、これは語彙・文法・音声などすべてにわたるのですが、一番各地で差が大きいのは「発音」。単語の発音から、イントネーションにわたるまで、かなり差があります。フィレンツェの人にでさえ、gorgia toscanaという標準イタリア語からのズレがあって、たとえば、気をつけないと、la casaを「ラ・ハーサ」と発音してしまいます。ですから、イタリア語教材のCDも一人だけが音声を吹き込んだものを聞いていると、耳にするイタリア語が偏ります。これはイタリア語の先生も同じで、インプットがそれだけだとその地方の特色の強いイタリア語を学ぶことになります。ちなみに、言語学者の多くは、現代「標準イタリア語」を話せるのは、dizioneを学び訓練した俳優を中心とするごく一部だと考えています。
こちらこそ、うれしいコメントをありがとうございます。一人でも、興味を持って読んでくださる方がいて、本当によかった!
確かに「くみこ」さんと言う名前はフィレンツェ近くの人には、発音が難しいかも!:-) でも、シエナではお年寄りが自分たちだけでおしゃべりしている内容がすべて分かってびっくりしました。マルケやウンブリアでは方言が入って理解しづらいことも多々あります。andiamo、sentiamoと、一人称複数形が-iamoなのも、フィレンツェ語の特色で、他の地方では、ウンブリアも含めて、方言ではandamo、 sentimoとなるところが圧倒的に多いのです。ベニーニの講演も方言色が強い箇所は、聞き取るのに苦労してしまいますが…… 母国語の方言を知る人は、外国語の習得がしやすく、方言になじみやすいような気がします。私は15歳までいわゆる標準語圏で育ったのですが、その後長いこと愛媛県の各地で様々な方言と接しながら暮らすことになり、おかげで一度、関西出身の社長さんの同行通訳をしたときに、「社長の話す日本語がよく分かりましたね。ぼくらでも分からないときがあるのに。」と、妙なところでほめられたこともあります。同じ愛媛県でも4箇所に住み、それぞれ異なる方言が話されていたので、方言への応用力が鍛えられたというところでしょうか。コメントありがとうございます!
確かに-iamoという時は言いますが、行こうか、という意味のandiamoはsi va、またねのCi sentiamoはCi si senteになるんですよ・・・非人称を1人称複数に多様するのは超普通で、語学学校の中級程度に通ってたこと、ダンナにSi va?って言われたときは・・・誰が!?と聞きなおましたし、もう1つのフィレンツェ語でよくあること:3人称複数がいつも接続詞になるので、当時接続詩を習ったばかりで苦労していた私は、その時も、なんで接続詞を使ったの!?と聞くと、ダンナも・・・あ、文法的には間違ってるけどこう言うの!と開き直ってました。
うちのノンナはアミアータ山の村にいるのですが、最初は全く理解不能でしたよ~でも田舎ほど方言が強いのはきっと日本もどこも一緒でしょうね。
今回の記事は、「イタリア語の歴史」について、多くの大学教授から教わったこと、あるいは本で読んだことを、一般の方向けに分かりやすく説明しようとしたものです。イタリア語の基盤となったのがフィレンツェ語である証の一つとして、一人称直説法現在-iamoを挙げる学者や本は多いのですが、最も権威のある本から該当箇所を引用しておきます。
Carlo Tagliavini, "Le Origini delle Lingue Neolatine", Pàtron Editore, Bologna, 1949 (7 ediz.-1972), pp. 412-413.
"Per dimostrare che alla base dell'Italiano letterario sta il Fiorentino, basterebbero pochissime considerazioni di carattere fonetico e morforogico [...] e precisamente: [...] 3. La desinenza -iamo della prima persona plurale nel presente indicativo di tutte le coniugazioni. (つづく)
(前のコメントからつづく)[...] Nel XIII secolo è frequente in Toscana l'uso di -amo nella prima coniugazione, ed ancora più frequente di quello di -emo nella seconda (e terza) e di -imo nella quarta (comunemente detta terza in Italiano). Ma pian piano l'innovazione -iamo, che livella tutte le coniugazioni, si fa strada e finisce col prendere il sopravvento. Questa innovazione, che parte da Firenze e forse dai dintorni di Firenze, prende le mosse probabilmente dalla forma siamo, che risale a un lat. volg. siamus per simus, [...] "
人を誘うときに、非人称のsiを使うのはトスカーナ州特有の表現で、方言というよりは「トスカーナではこういう独特の用法がある」ということが辞書にもありますし、シエナの先生からも授業で教わりました。授業のプリントの例文が、"Oggi si ha una lezione noiosa."で、この文について先生に質問しようと、読み上げたら、一瞬「なおこは『今日の授業が退屈だ』」と爆弾発言をしようとしているのか」と、他の学生と先生が、誤解して驚いていたので、よく覚えています。:-)
>ぼくと兄さんへに使う言葉を、母さんが使い分ける。
って素晴らしいですねぇ。
ひとくくりに出来ない言葉って大切な文化ですね。
方言って好きなんですけど、弾圧なんてあったのですね。
関西なのでイントネーションが違いますがなおりませんわぁ。
うちの夫も、わたしとはほぼイタリア語100パーセントで話しますが、話す相手によって、混ざる方言色の度合いが異なるので、はたから聞いていて興味深いです。イタリア語のandiamoも方言のandamoになったりgimoになったり。でもこういう言い方の方が、元となった俗ラテン語に近い歴史あるものだったりします。
方言は地方の特色やふるさとの温かさが感じられるすてきなものだと思います。「弾圧」というと書きすぎた気もしますが、学校の先生が子供たちが方言で話したり書いたりするのを、イタリア各地で厳しく矯正した時期が長くあったそうです。地方地方で、皆さんがそれぞれのイントネーションで話す、その味がすてきだと思います。
娘が小学2年生の時 郊外の"村”から来る友人は 1年生の時は方言で話して
小学2年生から イタリア語が話せるようになるっていってました。
夫も娘も方言大好きです。 わざと使ってます。 方言でお芝居する劇団ありますよね。
年1回 コンクールがあり 面白いです。 ミラノ近郊ですが。
ちなみに 家の方言だと ANDIAMO が NAMO 或いは NAN となります。
イタリアって タダ者じゃ ないですね。 ほんとに。
姪っ子がときどき方言が入って"A me piace"を"Ta me piace"と言うと、両親が厳しい口調で訂正するのを、状況で使い分けられたらいいのではないかなと思いながら、見ています。地域の方言、温かみのある言葉を家庭で大切にするのは、とてもすてきなことだと思います。