2010年 11月 21日
滞在許可証3 仕事の現状と抱負
まずは、2003年の夏。わたしは語学留学で、イタリアに滞在していました。それまでの法律では、イタリアの大学に入学したければ、一度日本に帰って、ビザを申請する必要があったのに、法改正のおかげで、帰国せずに入学できるようになったのです。おかげで、イタリアに滞在したまま、同年秋に大学に入学し、クリスマス休暇に帰国して、日本で、大学通学用のビザを申請することができました。
わたしが夫に出会ったのは、2003年の12月(詳しくはこちら)、外国人大学の学士課程に入学してまもない頃です。ですから、夫に出会えたのも、この法改正のおかげだと言えます。冬にまだペルージャに残っていたのも、夫も参加していたスライド上映会に出向いたのも、日本に帰国せずに、大学に入学できたおかげだからです。
ただし、ビザなしの入学をどの大学も許可しているわけではなく、希望していたペルージャ大学(Università degli Studi)では駄目だと言われ、結局、語学講座に通ったペルージャ外国人大学に入学することになりました。でも、そのおかげで、のちに外国人大学で、「日本語・日本文化」の講師の口を得ることができたのだと思います。幸い、日本の大学で受講した科目の単位などが認められたおかげで、2年生に編入し、3年のところを2年で卒業することができました。
イタリアでは原則として、従来は4年制であった大学教育が、卒業できない若者が多かったこともあり、3年+2年の5年制に切り替わりました。3年でも大学卒業をして職につけるようにして、モラトリアムを短くしようと考えていたようですが、実際には、最初の3年制の課程を終えても、大学卒業とみなされないことが多いので、結局は、4年から5年と、大学に通う年数が長くなった感があります。わたしもイタリアの大学で教えているのは、日本の4年制大学卒業資格のおかげです。
法改正の恩恵を再び受けたのは、2005年の秋です。10月10日に大学を無事卒業し、同時に、幸い、2005・2006年度の「日本語・日本文化」の講師としての採用も決まりました。それまでは、就学目的で滞在していた場合、イタリアで就職するには、一度帰国して就労用のビザを取得する必要がありました。それが、法改正のおかげで、イタリアの大学を卒業し、そのときに就職先が見つかれば、一定以上の収入があることを条件に、帰国しなくても、就学用の滞在許可証を、就労用に変更できるようになったのです。その申請の手続きで、ペルージャ県警察本部に赴いた際には、担当官から、わたしが、「ペルージャで二人目の、新しい法を利用した、就労目的の滞在許可証への変更申請者」だと聞きました。
2005年10月から5年間、ペルージャ外国人大学で、「日本語・日本文化」の講師として教えてきましたが、実は、毎年講師の公募に応じ、履歴書や大学の卒業・成績証明書などを提出しては、1年契約で採用される、ということを繰り返してきました。
今度は、「改正がマイナスに働いた例」をお話します。一昨年度から、ペルージャ外国人大学の学士課程が、新課程に移行しつつあります。これまで教えていたPLIMの課程では、日本語・日本文化の授業は、1・2年時にありました。ところが、新課程では、この授業が3年時にあります。おかげで、今年はちょうど、わたしが授業を教える科目が存在しない、空白の1年間となりました。今年の9月まで教えていた課程では、3年生向けの授業しか行われていないし、新課程では、まだ1・2年生の授業しか行われていないからです。
イタリアの大学では、各授業の担当者が年に数回(外国人大学の場合は現在5回)の試験日を決め、学生は、自分がいつ受験したいかをこの中から自由に選ぶことができます。わたしは外国人大学で、今年の1月と2月に、前学年度の授業の試験を実施しなければいけないのですが、そういうわけで、この1年間は(1年だけであることを祈ります)、大学では日本語を教えません。
時々、通訳と翻訳の仕事はあるので、「主婦」というわけではありません。また、実は、今年の夏以来、日本語を教えてほしいという学校から二つ依頼があったのですが、断ってしまいました。一つは、とあるペルージャの語学学校からの依頼で、これはちょうど夕食の時間帯(6時から9時半)という非常に都合の悪い時間帯であるのに、時給10ユーロと、給料が極端に低かったからです。通訳では原則として、時給25ユーロで働き、かつ税は企業側に支払ってもらっているし、授業の場合には準備にもかなり時間がかかります。日本語やイタリア語の個人授業でも、20~25ユーロ払おうという人はいます。
もう一件は、時給40ユーロ(ただし、税はわたし負担なので純収入は32ユーロ)を提示してきたとある南部の私立大学。日本語だけではなく、日本語の通訳・翻訳の授業も教えてほしいという興味深い話ではあったのですが、片道10時間以上かかる距離で、往復の旅費や宿泊費を考えると残るものが少なく、かつ、数か月も夫と別居してまでしたい仕事かどうかも考えて、お断りしました。
幸い、夫の収入もあるので、無理までして働く必要がないおかげもあって、今は充電をしているところです。と言っても、通訳などの仕事がないときでも、家事、そして今はオリーブの収穫まであって、かなり慌しくしています。
ペルージャ外国人大学で、「外国人へのイタリア語・イタリア文化教育」学士取得課程を卒業しただけでなく、シエナ外国人大学の大学院を卒業して、「外国人へのイタリア語教育専門家」の資格も得ましたので、いずれ日本の方向けのイタリア語の学習書やイタリア文学・イタリア文化の本を書いてみたいと思う気持ちがあります。一方で、イタリアで日本語を教えているし、日本でも高校で長い間国語を教えてきたのだから、イタリアの人に、もっと日本語や日本文学・文化を知ってもらうための学習書や本を書いてみたいという気持ちもあります。どちらの言語・文化も教える資格があり、またどちらについても教授法を学び、熟知している人は少ないと思うのです。
というわけで、「いつか、こうした夢を実現させる」ために、まずはイタリア語学習メルマガとこのブログの記事を、こつこつと書いているところです。どちらもかなり時間もエネルギーも要するために、今のところはまったく収入に結びついていませんが、毎日忙しく過ごしているのでした。
海外でお仕事を見つけるのは大変だと思います。
でも、お仕事も縁であり、きっとなおこさんにとって
いいお仕事などの出会いがあると思いますので
頑張ってくださいね♪
出会いってそれは不思議なものですね、組み込まれてもいたでしょうし、周りがそれとなくお膳立てをしてくれたりするのですねぇ。
これからのお仕事や豊富などをお聞きして、とっても素晴らしい
方なんだと再確認いたしました。
鹿ちゃんに出会ってほっこりしました、可愛いです~
コツコツと努力を重ねた結果、今では請われる立場になられ、素晴らしいです。
いつか日本語やイタリア語でなおこさんの著作が出版されるのも夢ではないと思います。
応援してます!
それにしてもイタリアの大学制度は何度伺ってもややこしてくて???です(笑)
なおこさんの日記を読んで、つくづく、人生は偶然の(必然か?)タイミングの連続なのだと思わずにいられませんでした。
普段は何気なく日々を過ごしていても、振り返ってみると、あのときの、あの出来事がなかったら、現在のこの状況はあり得なかった...などと驚くことって、たくさんありますよね。
そのときは、一見、悪い事のように思えることさえも、実は神様のイタズラのようなもので、いい方向に転ぶためのきっかけだったり。おもしろいものですね!
なおこさんの、ご主人との出会いは、まさに神様からの素敵なギフトですね。ご結婚前のおふたりのお写真を拝見し、なんだか、込み上げるものがありました。
お仕事についても、何かと条件があわないときは、無理に動くべき時ではないのかもしれませんよね。この、今のなおこさんの時間が、実は後々、とても大きな意味を持つ日がくるのだと思います。誰に頼まれたわけでもなく、ただ、自分の意志で続けていることって、ものすごくパワーがあると思います。著作を書きたいという夢も、近い将来必ず実現するはず...と、信じています。
応援しています。がんばってくださいね。
頑張ります! 時々、日本の高校で教えた最後の生徒たちが、離任の日に花束と共に贈ってくれたメッセージにも励まされながら。
「できるかできないかじゃない やるかやらないかだ!!」
「あきらめたら そこで 試合終了だよ」
「成功した者はみなすべからく努力している者です!!!」
「イタリアでもそのガッツを見せて下さい。」
「一生懸命生きてください」
↑ みんな、男子生徒からのメッセージです。女子生徒には個人的な思い出や励まし、感謝の言葉を書いてくれたものが多く、男子にもそういう生徒は数人いたのですが、こういう一言メッセージが多く、それも、おそらくは自分たちが支えにしていた言葉だろうと思うと、励みになります。「イタリアへ行っても先生らしくがんばって下さい。私もがんばります!!」と書いてくれた女子生徒もいるので、離れていても、同じ空の下で、一緒に頑張っている気がして。
わたしたちの結婚式を挙げてくれた神父さんが、「遠い国に生まれたもの同士がこうして出会って結婚するのは、決して偶然の積み重ねではなく、神の摂理(disegno divino)であって、ずっと前から決まっていたんですよ。」とおっしゃって、その言葉が、心に残っています。生まれる前からすべてが決まっているとは思わないし、人生はきっと自分の意志や選択や努力で描いていけるとは思うものの、何かそうあるべきものがそうなったという運命の不思議を感じて。いやいや、すばらしい方なんてお恥ずかしい…… 自分の道をいろいろ模索している最中です。
奈良公園の鹿って、ほんとにかわいいですね。生まれたときから人に慣れているか人をまったく怖がらない。イタリアの山を散歩していて、出会う野性の鹿たちは、遠くから見かけたり、人間の声を少し聞いたりしただけでも、すばやく逃げてしまうので、よけいにそう感じます。
恥ずかしながら、イタリア文学は、「薔薇の名前」くらいしか読んだ記憶がありません。面白い小説が、もっとあるのでしょうね。私達日本人が、イタリアの小説を手軽に楽しめる環境があると良いですね。
偶然と必然、人生は不思議なものだとつくづく思います。ブログを始めて、こうしてお会いしたこともない日本の皆さんと、しばしばお話ができるのも、すてきです。
日本で教えていたときは、勉強に打ち込んでみたいと思っていたのに、イタリアでまだ語学講座に通っていた頃に、日本文学について大勢の前で講演をする機会があり、そのときに、「自分が教えることが実はとても好きなんだ」ということに、改めて気づきました。久しぶりに教壇に立って、教えている間、その間は「自分が本当の意味で生きている」という実感があったからです。というわけで、やはり教える機会を持てるのはありがたいです。
応援ありがとうございます! イタリアの大学制度は、制度自体もややこしい上に、日本とかなり違う上、最近教育改革が(改悪という声が高い)頻繁に行われるので、もともととてもややこしいのです。それも話のついでに何となく触れて、関連のあることだけ説明をするので、よけいにややこしくなるのかもしれません。
人生って不思議だとつくづく思います。9月に、足を骨折したお義父さんを励ますために、漢文の授業でよく教えた「塞翁が馬」の故事の話をしたのですが(老人の息子が落馬して、ももを骨折したのですが、おかげで戦に行くことなく、戦死を免れたというくだりがあります)、そのときに、かつて教えていたこの話の結末が本当に真実だと、実感しました。一つひとつ起こる出来事が長い人生の中でその後どんな意味を持つのか、本当にその摂理は奥深くて、人間には計り知れない、と。高校で教えていて最も辛かったできごとの一つは、初めてHR担任を持って、1年生、2年生と精一杯に教えてきた生徒たちを、3年生に持ち上がれなかったことです。春休みは毎日泣いて過ごしました。そういう辛い思いを二度としたくないというのも、実は退職して、イタリアで自分の可能性を試してみようと思うようになった動機の一つです。ですから、やはり小さなことに一喜一憂しないで…喜ぶのはいいけれど、くよくよしないで、そのときそのときに、自分にできる精一杯のことを、自分で考えて判断しながらしていくのが一番かと思います。(つづく)
応援ありがとうございます。心からの温かい言葉が、とても励みになります。ダイエットや英語の再勉強のように、始めては中断してしまうものもあるのですが、ブログやメルマガを続けていけるのは、こうしてブログ記事にコメントをしてくださる皆さんや、メルマガの感想・お礼のメールをくださる方がいるからでもあります。大学院の卒業論文では、「日本人にとってのイタリアとイタリア語」をテーマにしたのですが、こうしていろいろ記事を書いて、コメントやアクセス数・ポイント数の変遷を見ると、単にインターネットや他の方の研究論文の調査結果で見たよりも、より具体的に、日本の方がイタリアのどういうことに興味を持ち、またどういうことについては知らず、誤解をしているかということも見えてきて、おもしろいです。遠く離れていても、お会いしたことはなくても、仕事や夢はそれぞれ違っても、皆それぞれの道で、それぞれの毎日を精一杯に生きている皆さんと、ブログを通してお話できるのもありがたいです。これからもよろしくお願いします。お互いに頑張りましょう!
『薔薇の名前』を読まれたんですね!わたしは昨年末頃から、就寝前に少しずつ読もうと枕元に置いているのですが、冒頭からフランス語が入り混じって非常に読みにくいので、つい読みやすいもう1冊(日本語の随想です)に手が伸びてしまって、序章から先へ進んでいません。手に取り直さなければ……!!
古典文学にも近現代文学にも、興味深い作品がたくさんあるので、そういう作品も少しずつ、たぶんメルマガの方でご紹介していきたいと思っています。たとえば、数年前に上映された感動の名作、『海の上のピアニスト』も、イタリアの現代作家、アレッサンドロ・バリッコの作品を原作としているんですよ。
名前をあげていらっしゃる人に、知らない方が多くて、インターネットで検索してみました。どの方も、それぞれの分野で活躍していらっしゃるすてきな方のようですね。いつか本を読んだり、演奏を聴いたりしてみたいと思いました。新しい外国語を学ぶことは、その言葉が話される土地の文化を学ぶことにつながり、そうした言葉や文化を通じて、母国語や自分の文化をふりかえる機会にもなって、そういう意味でもおもしろいなと思います。スカイプを通しての国際交流、すてきですね。用意って、大切ですよね。温かいコメントをありがとうございました。