2011年 01月 20日
贈り主いまむかし
歴史的にカトリック教の影響が強く、信者も多いイタリアでは、もちろん古くから、クリスマス(Natale)を祝い、プレゼントを贈る習慣もありました。けれども、イタリアの子供たちが、贈り主がサンタクロースだと信じるようになってきたのは、それほど遠い昔ではありません。
たとえば、ウンブリア州で生まれ育った義父母は、自分たちが幼い頃に両親から教わったように、息子たちに、クリスマスに贈り物を運んでくれるのは、幼子イエス(Gesù bambino)だと、言っていました。今年のクリスマスには、わたしたちがミサから帰ったときに、自宅のクリスマスツリーの下に、義弟たちからのプレゼントが置かれていたのですが、それを目にした夫が、とっさに言った一言は、「幼子イエスが来られたよ。」(E’ arrivato Gesù bambino!)でした。
姪たちが保育園に通い始めるまで、義父母は、「幼子イエスからの贈り物」と姪たちに言っていたのですが、入園してからは、先生からも、そしてテレビでも、「贈り物を運ぶのは、サンタクロース」と教えられ、今では、姪たちはそう信じています。姉娘のアレッシアの方は、どうやら本当は親や親戚が贈ってくれるのだと気づいてきたようだ、と義弟は言います。それはさておき、お義父さんもお義母さんも、クリスマスの本来の主役であり、かつウンブリアでは、伝統的にクリスマスに贈り物を運ぶと言われてきた幼子イエスが、その役割の一部を、サンタクロースに取って代わられたことを、とても残念に思っています。やはりペルージャ出身のルーカにとっても、幼い頃の贈り主は、サンタクロースではなく、幼子イエスだったそうです。
ところが、数年前、このことをリッチョーネ出身のマヌエーラに話したところ、彼女が幼い頃には、贈り物を運んでくれたのは、クリスマスのときも、やはりベファーナ(Befana)だったというのです。
そこで、以前から、イタリア各地域で、クリスマスに贈り物をするとされていたのが、だれだったかに、興味があったわたしは、今回、新年の訪れを共に祝った、30歳から50歳の友人たちに、インタビューをしてみました。質問は、「子供の頃、だれがクリスマスにプレゼントを贈ってくれると信じていましたか。」です。
すると、リッチョーネとイジェア・マリーナのようなアドリア海岸、リミニ県出身の友人たちだけではなく、マルケ州の山中に生まれ育った友人も、やはり、子供の頃は、「クリスマスにも、主顕節にも、贈り物を運んでくれるのは、ベファーナだ」と信じていたということが、分かりました。
ただし、当時はまだ貧しかったので、クリスマスの贈り物も、お菓子のような、ささやかなものだったと、スピーディが語ってくれました。
さらに、リミニと同じエミリア・ロマーニャ州でも、フェッラーラ出身の友人は、「主顕節のベファーナとは別に、1月15日に、 ベファノーネ(Befanone)が、贈り物を運んでいた。」と言います。
そして、北部のブレーシャ出身の友人は、クリスマスの贈り物は、12月13日に、聖ルチーア(Santa Lucia)が運んでくれると信じていたし、ヴェローナを中心に、今でも子供が12月13日に贈り物を受け取る慣習があると言います。そう言えば、わたしもそういうニュースを、昨年テレビで見た記憶があります。
イタリア各地で料理や慣習、人々の気質、そして方言が異なるのは、476年の西ローマ帝国滅亡から1861年のイタリア統一まで、イタリアが政治的・行政的に分断されていたからなのですが、こうした地域による違いが、クリスマスのプレゼントの贈り主にも見られるということに、驚くと同時に、イタリア国内における文化の多様性を、改めて感じました。
それが最近は、アメリカ文化、そして、地球規模化(globalizzazione)の影響を受けて、幼子イエスも聖ルチーアも、サンタクロースに取って代わられつつあります。たとえば、元旦に演じたお芝居(上の写真)では、まだ「贈り物をするのが幼子イエスである」ことを前提として、物語が進行していましたが、たとえば現代の大学生の世代には、「贈り主はサンタクロース」と聞いて育った若者が多いようです。
聖ルチーアやベファーナの贈り物も、12月13日、1月6日と、それぞれ、クリスマスとは別の日に行われる催しとして、残っていくこととは思いますが、それにしても、クリスマスのように、人々の信じる宗教にとって大切な祝祭日に関わる慣習が、他国の、そして商業主義の影響を受けて、変わりつつあること、そして、変わってしまったことが、義父母同様、わたしにも、残念に思われるのでした。
この季節に行くと、お店でよく見るお人形さんでしょうか?
怖い顔をしているのにね.
面白いお話ですね。
ご主人様の「幼子イエスが来られたよ。」の言葉に、とても敬虔なクリスチャンなのですね。と感じ入りました。
魔女か、と言われると、そうであるような、ないような。1月6日、主顕節の日に、いい子にしていた子供たちには靴下いっぱいのお菓子を、悪い子だったら木炭を贈って歩く、みすぼらしい衣装に身を包んだおばあさんです。ホウキに乗って、空を飛ぶというところは、魔女のような、でも、もともとベファーナが子供たちに贈り物をするようになった理由を考えれば、魔女ではないような。
夫は、亡き伯父が神父で、幼い頃から両親と共に、伯父が勤める教会の傍らの家に住み、教会や教区の活動を助けてきたという経緯もあり、とても敬虔な信者です。
子供の立場ではサンタさんを楽しみにしているわけで・・・。
親としては夢を壊したくはなく・・・。
でも、欲しいモノをお願い?する子供の立場もあって・・・。
自分の小さい時はケーキくらいでプレゼントなんてありませんでしたけど・・・。そんな親世代の転換期かな?
どこの国でもソコにある昔からの良きモノはのこしていきたいですね。
ウチはおばあさんも健在なので昔からのならわしは、いくつかあります。忘れている自分がソコにはいますが・・・。
日本の場合は、本来なかったお祭りが、従来のお正月やお年玉と共存する形で入り込んだのですが、イタリアの場合は、外国の文化が、長い伝統に基づく慣習を変容させ、時には、消し去っていくというところに、問題を感じます。言葉でも、文化でも、結局は新しいものに移り変わってゆくわけで、古いものを守りたいと思うのは、年を取った証拠かなとも思いつつ。
日本にいた頃、アメリカの宣教師の方が開催される、とても敬虔なクリスマス会に参加したこともあります。一方、「クリスマスには子供に贈り物をする」というお坊さんがいらしたのも、覚えています。クリスマスは、日本に新しい文化として定着したものの、幸い、年末、そしてお正月には、すぐにお店の模様替えがされ、旧来の慣習が大切にされているようで、うれしいです。日本では、クリスマス・カードではなく、年賀状をやりとりする、というのもその一つ。
わたしもいいものは残していきたいと思います。というわけで、できるうちに、いろんなことを、お義母さんから教わっておかなければ!
クリスマスの贈り物もサンタさんと思う人達も居られるのですね。
子供達も枕元に靴下をおいて寝てました。
意味もわからずプレゼントが欲しいと言う思いからでしょうかぁ。
京都に暮らしていながら、風習や慣習を余りにも知らないと
思います、もっと姑さんから習えば良かったです。
なおこさん、プレゼントがおかれたお部屋、素敵ですねぇ~
日本各地にまだ知らない風習やすてきな場所が、わたしにもたくさんあります。
プレゼントは、去年までは昼食が終わるまでは隠しておいたんです。姪っ子たちが贈り物を見たとたんに、食事の前に、すぐ包み紙を開けたがるのではないかと、心配していたものですから。今年は、もう二人とも十分成長したから、ということで、こうしてクリスマスツリーの下に置いてみました。案の定、昼食の後半から、姪たちはそわそわ。でも、デザートとコーヒーが終わるまで、ちゃんと待つことができました!