2011年 01月 24日
『ベファーナ物語』後編
― 「『ベファーナ物語』前編」(リンクはこちら)からのつづきです。 ―
けれども、おばあさんは、ためらいました。王さまたちに、エルサレムへの行き方を教えたものの、「急いでかたづけなければいけないことが、たくさんあるものですから。」と言って、いっしょには行きませんでした。……本当は、おばあさんも、王さまたちといっしょに、王の中の王をうやまいに行きたくて、しかたがなかったのです。でも、自分はこんなにも貧しいし、服はつぎはぎだらけで、何にもおくることができないのに、王の中の王にお目にかかるだなんて、とんでもない、と心の中で、そう思いました。3人のかしこい王さまは、おばあさんがいっしょに来られないことを残念に思いながらも、たくさんの祝福で、おばあさんを満たしました。そうして、旅をつづけました。
小さなおばあさんは、まる1日かけて、小さな家を、元のようにきちんと片づけました。食べるものは何ひとつなく、火をおこすこともできないというのに、幸せな気持ちでいました。
それから、何日もたちました。そうして、ある静かな、空のすみわたった夜、羊飼いたちの歌声が四方にひびき、羊たちが、そこかしこで、メエメエと鳴いている、そんな夜に、3人のかしこい王さまは、ようやく星が示していたその場所に、たどり着きました。岩かべにできたほら穴が、牛とロバ用の小屋として、使われておりました。そうして、その岩屋のかいばおけの中に、生まれたばかりの幼子が、ねむっていました。イエスと名づけられた、その幼子が、すべての王の王であることが、3人にはすぐ分かりました。両親のヨセフとマリア、そして、女たちや羊飼いたちが、すぐ近くで、幼子を見守っていました。3人は、数日間を、ヨセフ、マリアと共に、過ごしました。そうして、幼子に、いろんな話をたくさんしました。王さまたちは、あきもせず、いつまでもじっと幼子を見つめていました。このとき、この場所にいられることが、どんなに幸運であるかを、よく知っていたのです。3人は、幼子イエスに、これまでの長い旅や旅のとちゅうで出会った人々についても、語りました。みすぼらしい小さな家に暮らす、小さなおばあさん、そして、そのおばあさんが、どんなに幸せそうに、自分たちをもてなしてくれたかも、話をしました。幼子は、3人のかしこい王さまたちを、じっと見つめていました。もちろん、まだ話すことはできませんでしたが、まぶしくかがやくひとみを見れば、王さまたちの話を、おとぎばなしのように、楽しんでいることが、分かりました。
まさに、このときのことでした。明け方に、目をさましたおばあさんは、だんろに赤々と燃えさかる火のぬくもりを感じました。見ると、だんろ近くには、山のようにまきが積まれ、食べものを置く部屋は、食べるものでいっぱいになっています。インゲンマメにヒラマメ、チーズに小麦粉、そして、卵や、おかし、ありとあらゆるくだものがあります!! かしこい王さまたちの祝福のおかげ、そして、一行を喜んでもてなしたおかげで、このきせきが起こったのだと、おばあさんには、すぐ分かりました。そのとたんに、ぜひ幼子にお会いして、よき神がとりなされたように、誕生のお祝いに参加したいという気持ちで、いっぱいになりました。そこで、おばあさんは、大きなふくろを、部屋で見つけた食べもので、いっぱいにしました。ビスケットやあまいパン、あめやくだものを、つめこみました。そうして、3人のかしこい王さまたちに追いつこうと、家を後にしました。雲一つない、よく晴れた日でしたが、それまで毎晩ふりつもった雪のために、王さまたちが歩いて行った先は、見えませんでした。幼子がお生まれになった場所も、分かりませんでした……1日が終わり、そして、空が星でいっぱいの夜が明けましたが、歩いても歩いても、かしこい王さまたちが通ったあとを、見つけることは、できません。おばあさんは、立ち止まって、しばらく考えこみました。ふくろはおくりものでいっぱいで、おばあさんの心は、相も変わらず、喜びに満ちています。そのとき、いい考えがうかびました。「中身がいっぱいのふくろをかかえたまま、家にもどるなんて、とんでもない。どれもこれも、みな、すべての子供たちに、おくることにしましょう。そうすれば、お目にかかれなかった、王である幼子に、おくりものをささげるのと同じことになるでしょう。」
こういうわけで、遠いむかしから、今のいままで、おばあさんの家では、火のついただんろのまきが絶えることがなく、いつも、おいしい食べものでいっぱいなのです。そうして、小さいおばあさんは、クリスマスの夜から数えて、12日目の晩になると、ふくろをいっぱいに満たして、世界じゅうの子供たちに出会うために、まほうで空を飛ぶのです。そして、1年間絶えることのない喜びと安らぎを、心にむかえいれたいと願う、すべての人々に贈っていくのです。
訳者あとがき
2010年1月4日から6日にかけて、わたしたちは、ダム湖である、リドラーコリ湖近くの山荘で、友人たちと過ごしました。
1月6日の主顕節は、子供たちにとっては、ベファーナが靴下いっぱいのお菓子を贈ってくれる楽しみな日です。そこで、友人のマヌエーラとシルヴィアの発案で、主顕節前の晩に、子供たちのために、ベファーナを主人公とした劇を上演することになりました。何かいい物語がないか、と二人に頼まれた夫のルイージは、インターネットでいろいろ資料を探したものの、なかなかいい物語を見つけることができません。そこで夫が、2009年の末に、いろいろな資料を参考に、苦労しながら、そして、楽しみながら、書き上げたのが、こちらの作品です。
ダム湖周辺にはちょうど雪が降りつもり、行きも帰りも、山荘へ、山荘からの坂道を、車で通るのに苦労しました。けれども、一面に白くつもった雪の美しさは格別で、劇は、銀世界となった戸外で、夜に登場人物たちを明かりで照らして、行うことになりました。旅をする王さまたちに従って、観客もまた雪の中を歩いて行きます。マヌエーラが少しずつ物語を読み上げるに従って、星や王さまたちが動きを示して、劇が進んでいきました。
こちらは、上演前に、ベファーナと東方の三博士役の人々を、撮影したものです。記事に添えた写真は、暗い中で撮ったビデオ映像から保存したものなので、見づらいのですが、この写真では、赤いターバンを頭に巻いた三博士の一人が、夫のルイージであることが、よくお分かりかと思います。
夫はさらに、前編(リンクはこちら)の写真に見える、王さまたちが追い続けた星づくりにも、心血を注ぎました。はりきって、いろんな材料を買おうとする夫に、クリスマスの贈物の金色の包み紙と、破れた白いカーテンが使えると、わたしが提案したのですが、流れ星を支え、持つところになる木の棒だけは、買いに行きました。ちなみに、この劇では、わたしはシルヴィアたちと共に、演出を担当し、我が家では、みんなで食べる初日の夕食として、巻き寿司をたくさん作りました。
もともと演劇が好きなサブリーナが演じたベファーナは傑作で、おばあさんの喜びを、コミカルに表現して、皆を楽しませていました。劇の翌朝、やはり王さまの一人を演じたルーカが、ベファーナ用のつけ鼻をつけたまま、コーヒーを飲もうと苦労しています。すぐに、芥川龍之介の小説、『鼻』を思い出しました。
残念ながら、この小旅行の際、わたしたち自身は、カメラを持参しませんでした。というわけで、この記事および前編の記事の写真は、1月2日に星を作成中の夫を撮影した写真を除いては、友人のロベルト、ロージー、ルチャーノとルーカから借用したものです。
こうしてお生まれになったのですね。
改めて感激しましたわぁ。
そして、劇の衣装や持ち物まで作られるのですね。
赤いターバンがお似合いです~
劇を上演されるなんて素晴らしいですわ~
素敵なのをありがとうございます。
ルイージさんもすごいけど、訳せてしまうなおこさんも更にすごい。
私も相手の言葉を学ぼうかなあと最近思ったりしています。
つけ鼻をつけた男性と笑っているお二人の写真いいですね!
私事ですが、ブログ引っ越しましたのでそちらにも遊びに来てくださいね!
新しいブログにもなおこさんブログのリンクを貼らせてください^^
物語を読んで、ルイージさんは、とても優しくて気持ちの豊かな方なのだろうなと改めて思いました。なおこさんの訳も、漢字を多用せず、意識して物語風にやさしく翻訳されてる感じがします。これはもう、お二人の合作ですね^^
素晴らしいなあ・・・
赤いターバンがよくお似合いです。
夫の物語は、とても詩情や優しさに満ちていて、子供たちもうれしそうに、話を聞いていました。リミニに住む友人たちは、マヌエーラが何かを思いついて、全体を指揮し、幼稚園の先生であるシルヴィアが副参謀となり、そうして、友人たちみなの間に、任務(?)をふりわける、という形で、よく子供たちのための楽しい催しが、あれよあれよという間に計画され、形となっていきます。衣装は、布や紙を使ってあっという間に、できていったので、わたしもびっくりしました。
ありがとうございます。やっぱり住んでいる国の言葉を使って会話することになりがちだと思うのですが、夫にも、「いってらっしゃい」とか「行ってきます」などのあいさつは、教えています。ちょっとした言葉でも、自分の国の言葉を、相手が話してくれると、とてもうれしいものですよ。リンクはぜひどうぞ!
ありがとうございます。実は、もうルイージが物語を書いて1年以上が過ぎていて、今年、1月6日の主顕節の前に、と思っていたのですが、ばたばたしていて過ぎ去ってしまい、少々季節はずれの投稿になってしまいました。
ルイージの文章自体が、子供にも分かりやすく書かれているので、漢字は、できるだけ小学校4年生までに習うものだけ使い、子供が読んで、楽しめるように訳そうと、努めてはみました。
遠いむかしに、夫はフランコ、マヌエーたちと一緒に、インドを長く旅したことがあり、火に焼けた夫は、現地の人とすっかり同化していた、と時々同行した友人たちから聞くことがあります。写真を見ると、確かに当時はやせていたこともあり、ヒゲまで生やしていて、本当にインドの人のように見えるのでした。
わぁ〜、こういうストーリーだったのですねぇ!
心がほかほかとあたたまる、大人も子どもにも楽しめるお話でした。ありがとうございます。
おばあさん、よかったね! そして、みんな幸せだね! と、心から思いました。(なんだか、私まで童心にかえり、子どもみたいな感想になっていてすみません...笑)
日本の「かさ地蔵」(覚えていらっしゃいますか?)を彷彿とさせるような...いいお話ですね。
それから、なおこさんの「訳者あとがき」が、またよかったです。こんな裏話があったなんて! そして、なおこさんの周りには、子どもたちのために、ここまで一生懸命に考え、工夫して、楽しませようとする、素敵な大人がたくさんいるということに、感激しました。ご主人の執筆にはじまり、衣装や小道具にいたるまで...、すみずみまで思いが込められています。子どもたちには、きっと、生涯忘れることのない、よい思い出となったに違いありません!
...ところで、体調のほうはいかがですか?ご無理をされたのではないか...と心配です。子どもたちどころか、私たちまで楽しませていただき、本当にありがとうございます。どうか、ゆっくり休養をとられてくださいね。お大事に!
こちらこそ、読んでくださって、ありがとうございます。1月6日に何となくお菓子を受け取って喜んでいた子供たちも、この劇を通して、ベファーナをよりよく知り、幼子イエスへの敬いの気持ちやもてなしの心の大切さが、よく分かったのではないかと思います。「かさ地蔵」、覚えています。やっぱりそういう素朴な人々の優しさが、幸せを運んでくれる物語って、いいですよね。寒い雪の降る夜のできごとである点でも、主人公が貧しくとも優しい、もてなしの心に満ちた人たちであるということでも、確かによく似ていますね。
ご心配ありがとうございます。そろそろ、昼食も消化できたのではないかと思いますので、再び床に入って、ゆっくり養生するつもりです。