2011年 03月 07日
夏のリミニ2

ティベリウスの橋は、紀元21年の建造以来、2千年の歳月の間に、地震やマレッキア川の洪水や戦争によって、何度も破壊の危機にさらされました。五つのアーチのうち、最もボルゴ・サン・ジュリアーノに近いアーチ(上の写真の手前)には、ゴート族と東ローマ帝国の戦いの爪跡が残されています。第二次世界大戦中には、撤退中のドイツ軍が、地雷をしかけようと試みたそうです。

こうした説明は、リミニ市の観光案内看板に、イタリア語と英語の2か国語で書かれています。(上の写真)看板の地図には、古代ローマ時代の遺跡や建造物を訪ねて歩く散歩コースが、赤い線で記されています。

こちらは、カヴール広場(Piazza Cavour)です。写真の右手には、アレンゴ宮殿(Palazzo dell’Arengo)、執政長官の館(Palazzo del Podestà)などの歴史的建造物が並んでいます。

カヴール広場には、レオナルド・ダ・ヴィンチもたたえたという美しい噴水があります。ペルージャの大噴水と違って、周囲に柵がなく、水を飲むこともできます。

広場の反対側には、1747年に落成した魚市場(Pescheria)があります。

かつて多くの魚が並び、売買が行われていた台は、大理石で作られています。いかに漁業が、リミニの産業で重要な位置を占めるかが、このみごとな魚市場からよく分かります。

商店の並ぶ通りを歩いて行きます。ペルージャ出身の女性企業家、ルイーザ・スパニョーリ(Luisa Spagnoli)が興したファッションブランドの店が、ここリミニにもあります。ルイーザ・スパニョーリは、ぺルジーナのバーチ・チョコレートを考案したり、アンゴラうさぎの毛をニット製品に利用することを思いついたりと、進取の気象に富んだ女性でした。

こちらの広場は、Piazza Tre Martiri。16世紀に建てられた時計塔(Torre dell’Orologio)が、独特の雰囲気を醸し出しています。

このマラテスタ家の寺院(Tempio Malestiano)は、ここに建っていた13世紀の教会を、15世紀のリミニの領主、シジズモンド・ロドルフォ・マラテスタ公の意向で改修したものです。

教会を覆う大理石には、細やかな彫刻が施されています。

途中、シモーナが勤める工房にも立ち寄って、ロマーニャ伝統のデザインを布に施して、製品を作り上げる過程を、見せてもらいました。

こうして、リミニの町で、友人たちと散歩を楽しんだあと、わたしたちは、温泉のある海辺の町、リッチョーネ(Riccione)に向かいました。実は、今回リミニを訪れたのは、湯治客として、リッチョーネに滞在していた義父母を迎えに行く必要があったからなのです。近くで開催されていたオートバイ世界選手権がちょうど終わった頃に帰途に着いたため、リッチョーネ周辺では、しばらく渋滞に巻き込まれました。
そのときは、帰宅するまで、このレースで日本の富沢選手が重傷を負い、しかも、リッチョーネの病院に運ばれて、亡くなったとは、思いもよりませんでした。

車がマルケ州に差しかかった頃は、どしゃぶりの雨が降っていて、車の窓から、二重の虹が見えました。

ウンブリア州に入ると、雨もやみ、グッビオ(Gubbio)の町を通りかかった頃には、美しい夕焼け空を、見ることができました。

