2011年 03月 13日
祈りを日本に
まずは、ミサの最初に、司祭が、「地震の被害に苦しむ日本国民、艱難の中で互いに助け合うこのすばらしい国の人々と苦しみ・悲しみを分かち合い、共に日本のために祈りましょう。」と、おっしゃいました。
さらに、ミサの途中、信者の祈り(preghiera dei fedeli)の際に、ふだんは、冊子に印刷されたいくつかの祈りを司祭が読み上げるのですが、今回は、印刷された祈りのあとに、被災に遭った日本の人々に対する祈りも、司祭の方から、温かい言葉と共に、述べられました。一同がその後に続いて、祈りを唱えたあと、司祭はさらに、内戦に苦しむ地中海の国の人々にも、同様に、祈りの言葉を捧げました。
今日のミサは、四旬節(Quaresima)に入ってから、最初のミサです。『創世記』から、神が人間を土の塵からつくられたというくだりが、また、福音書からは、イエスが砂漠で悪魔の誘惑を退ける一節が読まれました。
そして、ミサの終わりには、司祭の前に並び、一人ひとりが灰を頭に受ける灰の式がありました。夫や義母によると、昔は、司祭は灰をふりかけながら、「塵であるおまえは、塵に戻ることを覚えておきなさい。」(Ricordati che sei polvere e in polvere ritornerai!)と言っていたそうです。第2バチカン公会議(1962-1965)までは、ミサはラテン語で行われていたため、義母はこの言葉を、今もラテン語で覚えています。本来は、四旬節の初日である灰の水曜日(Mercoledì delle Ceneri)にミサに行って、灰をいただくべきところなのですが、水曜は平日でもあるため、今日の日曜日に灰を受けている人が、他にも大勢いました。司祭の言葉は、かつてとは異なり、「回心して福音を信じなさい」(Convertiti e credi al Vangelo)でした。
今日からしばらくは、ペルージャでは雨が降り、気温が上がっていくという予報が出ています。椿のつぼみもいっそうふくらんで色づき、咲いた花が雨を浴びて、心なしか色鮮やかに見えます。
地震によって、大切な人を失った方、多くを失われた方も、また、今まだ家族の安否が分からず、あるいは、放射能汚染の可能性に、不安なときを生きていられる方が、今も、大勢いらっしゃることでしょう。今回の地震や津波による被害や犠牲はあまりにも大きく、そうした痛みを思うと、言葉もありません。
でも、日本は、苦しいときにも、きっと互いに支え合い、明日を信じて、復興に向かって歩んでいける国だと、信じています。長く厳しい冬を経て、梅や桜が美しい花を咲かせるように。近年は物が豊かになったものの、心の豊かさが失われてきたと、言われていましたが、こういう災害で自分自身が苦しいとき、助けが必要なときに、皆が互いのこと、地域のことを考えて、行動できる和の精神は、今もしっかり生きているのだと、海外から被災地の様子を見守りながら、つくづくと思いました。
地震発生以来、ここイタリアで、多くの方々から、日本の家族の安否を尋ね、日本や被災地の方々を思う温かい言葉を、たくさんいただきました。イタリアで、そして世界中で、皆が、日本を思って祈り、被災地の方々を応援しています。がんばれ、日本!
僕の住んでいる所は直接的な被災地ではありませんが、隣県での原発異常事態に不安が広がっています。事態の一刻も早い終息を願っています。
外国の皆さんの温かな言葉をニュースで見るたびに勇気づけられています。
みんなで力を合わせてこの危機を乗り切りましょう!
世界中で、原子力発電なんていう神域をおかす発電方法はやめて、太陽光などの自然エネルギーで、みんなが安心して暮らせる世界がきっと来ますよね!
原発のニュースや被災地のニュースをこちらからもテレビニュースで見守っています。イタリアでは現政府が原発建設の再開を決めたばかりで、これを機に国民の間には反対が高まっています。
世界中の哀悼と賞賛を力に、復興に向けて頑張っているわが国、
わたしも落ち着いたら出来ることを考えたいと思っています。
かや@栃木県さんの意見のように、私も、これから太陽光などの研究が進み、それを背に経済も含めて上昇してくれることを心から期待しています。
地震の被害に心を痛めつつも、落ち着いた日常生活を送っているのは、わたしの家族も同じです。今夜の『Ballarò』でもCrozzaが言っていましたが、ゴミの廃棄処理ができないイタリアが原子力発電に踏み切っては恐ろしいことになる可能性が高いので、ぜひ踏みとどまってほしいと思う上に、多くの人に犠牲を強いる可能性のある原子力発電をしてまで、電気をこれまでのように消費していく必要があるのかどうか、世界各国でこれをきっかけに考え直し、自然を利用した発電が続いてくれるように、祈りたいと思います。