2011年 03月 28日
悲しみの聖母

会場は、アッシジ郊外のサンタ・マリーア・デッリ・アンジェリ教会(Basilica di Santa Maria degli Angeli)です。

教会内は、撮影禁止ですので、聖劇(sacra rappresentazione)の行われた様子は、文章でご説明します。

こちらが、コラーレ・テティウムが、今回歌った歌です。『Stabat Mater』(悲しみの聖母)などの聖母の心痛を歌い上げる歌、イエス・キリストの受難を語る歌が、並んでいます。

歌の合間に、朗読者が、最後の晩餐から、イエスの裁判、十字架上での死まで、聖母マリアの苦しみや心の叫びに重点を置いて語った文章を、読み上げていきます。朗読者は男女二人。登場人物の発する言葉については、読むというより、むしろ声高に演じる形で、聴衆を引き込んでいきます。

朗読はやがて、イエスが復活を前に、アダムたちと出会い、自らの死を通じての神による人類の救済、神の愛を説く場面で終わりました。この場面に続いて、合唱団が、神の愛をたたえた『Ubi Caritas』を歌い、聖劇をしめくくりました。
合唱団は、このあと続いたミサの間も、教会付属の合唱団と共に、聖歌を歌いました。ミサの説教の中では、「のどの渇きをうるおす普通の水、飲んでもやがてのどが渇けば再び必要となる水」と「魂の渇きをうるおし、もう水が必要ではなくなる水」が対比されていました。後者は、本来はキリストの教えや神の愛のたとえなのでしょうが、カトリック教徒ではないわたしは、この対比に、「いつまでも飽くことのない物への欲望」と、「心の充足、物がない中でも満足できる心の在り方」との対比を、重ね合わせながら聞きました。今、震災や経済危機で、日本の物質的豊かさが揺らぎつつあるときに、真に大切な豊かさ、心の豊かさが、日本の皆さんの中に息づいていることが、すばらしいと思います。艱難にあっても、強く、前向きに生きる被災地の方々、そして、それを支える日本の皆さんの在り方。
冬のあとに春が訪れるように、受難と死のあとにキリストが復活するように、そして、イエスと聖母の苦しみの大きさの分だけ、復活の際の喜びがいっそう大きいように、今回の大地震を経ても、日本は、国民どうしが苦難を通じてより団結し、お互いを思いやる国として、新たな成長、復興を遂げるはずだと、聖劇やミサに耳を傾けながら、心の中で、確信しました。

