2011年 04月 27日
アッシジを歩く1 ~ポルツィウンコラ
La mattina dopo la lunga camminata ad Assisi, dalla finestra si vedevano bene la Basilica di San Francesco e la città natale del santo.
朝食のあと、宿から歩いて、郊外にあるサンタ・マリーア・デッリ・アンジェリ教会へと向かいました。教会のクーポラが奥の方に小さく見えています。鮮やかなピンクの花を咲かせているのは、セイヨウハナズオウ。イタリア語では、この木をalbero di Giudaと呼びます。直訳すると「ユダの木」で、これは、キリストを裏切ったユダ(Giuda)が自らの非を悔いて、この木の下で首をつったという俗信があるからです。
Dopo colazione abbiamo camminato fino alla Basilica di Santa Maria degli Angeli. Lontano si vedeva la cupola della basilica. Era bellissimo un albero di Giuda con i fiori di colore rosa; secondo la credenza popolare Giuda Iscariota si impiccò a quest’albero.
45分ほど歩いて、ようやく教会の脇にある泉が見えてきました。
Dopo la passeggiata di 45 minuti, siamo arrivati alle Fonti Medicee che si trovano al lato sinistro della basilica.
こちらが、サンタ・マリーア・デッリ・アンジェリ教会です。
Ecco la Basilica di Santa Maria degli Angeli.
この日、4月17日日曜日は、ちょうど枝の主日であったため、教会の入り口で、祝別されたオリーブの枝を受け取りました。
Era il 17 aprile, Domenica delle Palme; abbiamo ricevuto i rami di olivo benedetti.
教会でのミサに参列したあと、夫の友人で、合唱団コラーレ・テティウムでも時々歌っている修道士、アレッサンドロが、小さな礼拝堂の中で、聖フランチェスコの人生と、聖人にとってどれだけこの場所が大切なものだったかなどを、わたしたちに語ってくれました。
Dopo la Messa, Frate Alessandro ci ha dato una bellissima lezione sulla vita di San Francesco, l’importanza della Porziuncola per il santo ecc.
感動的で心に残るいいお話をうかがったのは、こちらの小さな礼拝堂の中でです。何も持たず、すべてを神にゆだねて初めて、神からの恵みが与えられるのだということ、何においても一番になりたかった聖フランチェスコが、いつしか自分自身ではなく、「神が自分に何をお望みか」と尋ねるまでに成長していったこと。そして、最後に、毎日の生活の中で、家族の中で、少しでも聖人に近づけるように、心がけるべきことは何かを教えてくれました。「子供には簡単にできるのに、大人には難しいんですよ。」という前置きと共に。それは、「ありがとう」と「ごめんなさい」を言うことですよ、と。
Questa è la cappellina in cui Fra Alessandro ci ha commosso con diversi aneddoti curiosi e insegnamenti bellissimi. Ci ha insegnato anche ciò che possiamo fare nella famiglia, nella vita quotidiana per avvicinarci allo spirito di San Francesco; cose facili per i bambini, ma difficili per gli adulti. Dire ‘grazie’ e ‘scusa’.
教会の敷地内には、聖フランチェスコにまつわる逸話の残る場所がいくつかあります。こちらの聖フランチェスコ像が抱えるかごの中には、いつ来ても生きたキジバトがいます。この像が建てられたのは、かつてある若者が多くのキジバトをしとめて、売りに歩いていたとき、鳥を哀れに思った聖人が、若者に頼んでキジバトを譲り受けたという逸話からです。鳥たちは、その後、聖人のそばに住みつき、聖フランチェスコが旅立ちを祝福するまで、いつまでも修道士たちのもとにい続けたということです。
Nel cestino tra le mani della statua del santo c’è una tortora – un giorno San Francesco chiese a un giovane che vendeva le tortore di dargli ‘uccelli così innocenti’. Il giovane le diede tutte al santo e le tortore rimasero con lui e gli altri frati fino a quando San Francesco diede loro la benedizione e la licenza per partire.
こちらは、境内に咲くとげのないバラの咲くバラ園です。聖フランチェスコが、修道生活を放棄する誘惑にかられて、自らを戒めようといばらの茂みに飛び込んだときに、いばらからとげが消え、今でも、このバラ園のバラには、とげがないということです。
In questo roseto crescono le rose senza spine. Secondo la tradizione, per vincere la tentazione di abbandonare la vita di penitenza e di preghiera, San Francesco si spogliò e si gettò in un roveto presso la sua cella; al suo contatto le spine scomparvero e fiorì un giardino di rose che è ancora oggi senza spina.
かつて聖フランチェスコが暮らした庵のあった場所に、後にこちらのバラの礼拝堂(Cappella delle rose)が建てられました。
Il luogo dove c’era la cella che ospitava San Francesco venne trasformato in questa cappella.
夫がしゃがみ込んでのぞいている格子の向こうには、こうして十字架と祈りにふける聖フランチェスコの像が見えます。左横には、「ここに聖フランチェスコが住んでいました」と書かれています。
教会内部では写真を撮ることができないので、内部の様子が分かるポスターの写真を載せておきます。教会の内部に見える、小さな礼拝堂は、ポルツィウンコラ礼拝堂(Cappella della Porziuncola)。聖人の愛した場所やゆかりの深い場所は他にもありますが、このポルツィウンコラこそ、聖フランチェスコが暮らし、修道会を設立し、贖宥状を与える許可を得、聖フランチェスコが亡くなった場所であり、聖人が最も愛した場所なのです。
Nella maestosa basilica è inglobata la piccola chiesa della Porziuncola ricostruita con le mani di San Francesco. Alla Porziuncola il santo stabilì la suoa dimora, accolse i primi compagni e fondò l’ordine dei frati minori. Qui San Francesco consacrò Chiara di Assisi al Signore proprio 800 cento anni fa, nella domenica delle Palme del 1211. Qui ottenne la promessa dell’indulgenza: il Perdono di Assisi e infine accolse la morte il 3 ottobre 1226.
聖フランチェスコの手助けを得て、聖キアーラが信仰生活に入りったのも、このポルツィウンコラであり、しかもそれが、ちょうど800年前、1211年の枝の主日の夜であったと知って驚きました。
サンタ・マリーア・デッリ・アンジェリ教会を後にして、再び歩いて、車を駐車してある宿に戻ります。
Verso le 11.35 siamo partiti dalla basilica a piedi.
緑の中を歩みながら、目に映るアッシジの町並みが、それは美しくて感動しました。
Godendo del panorama della città di Assisi, abbiamo camminato tra il verde dei campi e dei prati.
ここに実際にフランチェスコがいたのかと考えるだけで歴史を感じます。
お賽銭を入れて願い事をしているだけではダメですね。
信仰心が失われつつあるのはイタリアも同じですが、日本の高野山やアッシジには、やはり歴史と共に受け継がれていく信仰を感じます。以前から、弘法大師と聖フランチェスコには、共通点が多いと思っていたら、数年前に高野山とアッシジが姉妹都市になりました。四国では八十八箇所をめぐるお遍路さんに出会うことも多く、それぞれの土地に、それぞれの信仰の形があるなと思います。
歴史と信仰を感じる興味深い場所ですね。
日本人は何故かスムーズに「ありがとう」の言葉が出ないです。
私もようやく「ありがとう」と「ごめんなさい」がスムーズに出るように成長しました。(^<^)
相手を気遣うとっても良い言葉です。(^^)/
長い時間の歴史があちらこちらで感じられる
って素晴らしいですね。
感じるのも自分自身なんですが、そういう場所に敬意を払い
敬虔な気持ちになるって素敵ですね。
ようやくこの年令になって京都の神社に気持ちを寄せながら見ることができます。
美しい新緑の季節ですね^^
私は真冬にしかイタリアへ足を運んだことがないので
良い季節にいつか行ってみたいです。
↓お義母様の作る復活祭のケーキに感動しました。
シンプルなものに見えますが、とても手が込んでいるのですね。
お義母様のこねる早業にも、写真を撮るなおこさんの腕にも拍手です^^
豊かな食生活ですね。
カソリックに特に親近感はありませんが、San FrancsecoとPapa Wojtylaは別です 笑
Assisiも大好きな町で、私的には、やっぱロSan Francesco大聖堂より、PorziuncolaのあるSanta Maria Degli angeli教会が好きです
それでも、下から眺めるAssisi superioreの景色は見事ですよね
Assisi似はやっぱりfrancescoの精神が生きてるのか,いつ行っても心が平和で満たされます
「ありがとう」と「すみません」の大切さは、日本で訪れた禅寺でも壁にはりだされていて、大事な言葉でありながら、どこの国でもつい口に出にくくなっているのかなと思いました。わたしも、もっと素直に「ありがとう」と「ごめんなさい」が言えるように、心がけたいと思います。
歴史があり自然の美しい場所には、何かこちらの心を落ち着かせて、大きなものに目を向け、深く考えさせる力がある気がします。京都の寺社でも、イタリアの聖人ゆかりの地でも……
ムームーさんは美しい夕日や湖を眺めることを通して、きっとずっと前から、寺社を訪れる訪れないに関わらず、敬虔な気持ちを感じていらっしゃったのではないかと、若輩ながら思います。
イタリアでも、世界のどの国でも、冬には冬の…季節ごとの魅力がありますよね。義弟の奥さんの国、エクアドルでは、パタリロの国じゃありませんが、年中ほとんど季節が変わらないそうなのですが…… だんなさまのお仕事の都合で、春にいらっしゃるのは難しいと思いますが、春のイタリアは町も野山も花と緑にあふれていて、歩いるだけで、うれしくなることも多いんですよ。
復活祭のパン、わたしもふだん食べるだけで、実際に作られるところを見たことがなかったので、手間と愛情がたっぷりこもっているんだなと驚きました。いつかわたしも、おいしいものが作れたらなと思っています。写真を撮る腕だなんて、ありがとうございます!
わたしも登山の好きな夫や友人たちに誘われてというかかり出されて、長いこと歩くことは多いのですが、1日に25kmも歩いたのは、生まれて初めてです! わたしも自分を「すごいぞ、えらいぞ!」とほめました。最近あまり歩いていないのに、急に歩いた上、前日体調がよくなかったので、夫は反対していたのですが、一緒に歩けて本当にいい経験ができたと思っています。ふだん車で通り過ぎている道路の近くに、こんなすてきな景色が潜んでいたなんて……
秋と言わずに、ぜひまたウンブリアにお越しください! わたしもブログを拝見して、またAlto Adigeを訪ねたくなりました。わたしたちが行ったのは夏だったんですが、春の花いっぱいのリンゴ園、さぞかし美しかったことでしょう!!
同感です。わたしも、教会や教皇の姿勢には、「これは…」と思うことが多いのですが、聖フランチェスコの生き方や人柄には、本当に魅かれます。聖フランチェスコゆかりの場所はよく知られているアッシジやS.M.A.、ラヴェルナのほかに、たとえばトラジメーノ湖のマッジョーレ島にもあったりして、心静かに祈りに没頭できる場所を求めた、聖人の足跡をしのべる場所が、ウンブリアやトスカーナには多いのがうれしいです。