2011年 10月 31日
ローマ目指して2、ファルファ修道院へ
800年には、カール大帝自らが、教皇から西ローマ帝国交帝の称号を受けるために、ローマに赴いた際、ファルファ修道院を訪ね、宿泊しています。
さて、2日目の巡礼路として、提案されている道は、二通りあります。Poggio Moianoを通ったあとで、Ponticelli in Scandrigliaまで歩く(18km)か、それとも、ファルファ修道院(Abbazia di Farfa、図に紫色で記した部分) を訪ねるために、Toffiaを通り、修道院を訪ねたあと、Cannetoを通って、二通りの巡礼路が再び合流する地点まで歩く(26km)か。
わたしたちは、結局、提案されたいずれとも違う道を歩きました。前日、ポッジョ・サン・ロレンツォから、宿へ向かうために、巡礼路からはずれて、1時間ほど下り坂の多い道を歩いたので、この4kmほどの道を再び、しかも登りながら歩くことは、避けたかったからです。そこで、遠回りせずに、巡礼路に再び合流できる道を尋ねようと、近くのバールを訪ねました。さて、巡礼仲間の中には、ファルファ修道院へと向かう巡礼路の近くに、仏教施設があると聞いて、ぜひ訪ねたいと考えている人がいました。
そこで、皆で話し合った末、バールで教えてもらった近道を通って、仏教施設を訪ね、Osteria Nuova(図に緑色で記した部分)から、再び巡礼路を歩いて、ファルファ修道院に向かうことにしました。上の図に、ピンクの矢印で記しているのが、この日わたしたちが進んだ道のりです。
この近道、最初の数分は、高速道路を歩かなければいかなかったので、どうなることかと思ったら、やがて右手にある、森の中を行く砂利道を登ることになりました。さらに登ると、道路はアスファルトになりましたが、見晴らしを楽しみながら、歩くことができました。
途中で通りかかった村の食料品店で、パニーノを買ったついでに、仏教施設の場所を尋ねると、1km先とのことでした。そのあとも道は長く、ようやくこちらの仏教の僧院、Santacittaramaに到着したのは、午前11時半頃のことでした。僧たちは不在でしたが、「昨晩集会があったので、食事や果物が残っているから、よかったらどうぞ。」と勧められ、皆、バナナなどを少しずついただきました。
果物を食べたり、僧院の人の話を聞いたりしてから、ゆっくり休んだあと、再び出発。ここから最も近い、巡礼路の地点は、Osteria NuovaのGrotta dei Massacciだと思われたので、途中で見かけた住民に、道を尋ねました。尋ねた人は、親切に、「洞窟(grotta)はパゴダを通り過ぎてすぐにあります。でも、トッフィアに向かっているなら、やはりパゴダを通り過ぎてすぐに、トッフィアへの近道がありますよ。」と、教えてくれました。
後になってから、この方が教えてくれた近道こそ、実は巡礼路だったことが分かったのですが、最初こう聞いたときは、「交通量の多い車道が巡礼路のはずはない」という先入観があり、「近道よりも、記された巡礼路を歩こう」ということになりました。さらに、巡礼路の目印であったGrotta dei Massacciは、 紀元2世紀の墓であるものの、一見普通に見える家屋の中に隠れていました。それで、夫がこの家屋を指しながら、「これが洞窟だ。」とは言ったのですが、わたしたちには洞窟には見えない上に、付近に、これが洞窟だという標示が何もなかったため、耳を貸さずに、洞窟を求めて歩き続けました。実はこのとき、夫は、巡礼ガイドの写真を見ながら、「これだ」と言っていたのですが、洞窟を有する家屋が、一見普通の家にしか見えなかった上、夫が実物の写真を見て、こう言っているとは、思わなかったからです。ここには、遺跡の説明もなければ、巡礼路の道しるべとなる標示も、まったく見当たりませんでした。
そんなこんなで、さらにまっすぐ道を歩いていくと、こんな遺跡が見つかりました。これこそ洞窟かと何人かで近づいて、案内標示を探したのですが、何もありません。そこで、「洞窟は結局見当たらなかったけれど、とにかくこのあたりで、西に向かって進まなければ。」ということになり、大きな道路が交差する場所を歩きながら、それぞれが、だれかに道を尋ねました。
巡礼路に戻れる道がようやく見つかり、道路脇のバールで、朝買っておいたパニーノを、昼食として食べたのは、午後1時半頃のことでした。
このあとは、トッフィアの町まで、かなり長い間、車道を歩き続けました。住宅の間を通ったり、紅葉や遠くの山の見晴らしが美しかったりと、道には変化がありました。途中、とある家のブドウの実を摘んで、分けてくれようとした友人がいました。わたしは気が引けて断ったのですが、他の人は、夫も含めて、みんな食べていました。
こうして、ようやくトッフィア(Toffia)に着いたのは、午後3時半を過ぎた頃でした。城門の前の給水場で、飲み水を調達し、
町役場で、巡礼者証に判を押してもらい、それから、中世に築かれた石造りの町を散歩しました。
ところどころに、町の歴史や風物を描いた壁画が、描かれていました。
町を散歩したあと、バールで、温かい飲み物を飲んで、一息つきました。わたしが頼んだのは、ホット・チョコレート(cioccolata calda)。ここまでくれば、ファルファ修道院は、すぐそこです。このあと、道は、坂を下り、森や田畑の間を通って進んで行きます。時々後ろを振り返ると、美しいトッフィアの町並みが、少しずつ遠ざかっていきます。
修道院やわたしたちの宿のあるファルファ(Farfa)は、丘の上にあるため、最後に、長い登り道が待ち受けていました。目的地はすぐそこだと、自分を励ましながら登って行きます。
この晩、わたしたちが宿泊する予定だったのは、ファルファ修道院の傍らで、修道女たちが経営する宿です。坂を登り切ったわたしたちは、宿の入り口がどこか分からずに、15分近く、あたりをさまよい歩きました。というのは、坂道の両側に、ファルファ修道院への私用出入り口や、宿を経営する修道女たちの家(Casa Suore di S. Brigida、上の写真)があり、さらに、この家の前には、看板の何もない大きな建物があって、いったいどこが宿泊施設かが分からなかったからです。
こうして、重い荷物を抱えたまま、しばらくあちこち訪ねた末、ようやく入ることができた宿は、施設も歓待もホテル並みでした。ベッドが二つある広い部屋は、バス・トイレつきで、テレビのある部屋もあり、朝食・夕食込みで、一人45ユーロ。夕食は、皆がずっと食べたいと願っていた、野菜たっぷりのミネストローネでした。食事中に、修道女たちが食べているであろう隣室から、笑い声がしばしば響いてきて、友人たちが驚いていました。
夕食のあとは、ひっそりと静まった夜のファルファを、皆でしばらく散歩しました。明かりの少ない村では、夜空の星がひときわ輝いて見えました。
>、遺跡の説明もなければ、巡礼路の道しるべとなる標示も、まったくない
これは困りますね、ご主人様はわかって居られたのですねぇ
石造りの町が美しいですね~
野菜たっぷりのミネストローネ美味しかったでしょう~
私もいただいたような気分です~♪
夜空の星を眺めながらの散策も癒されますね。
レポを拝見して、昔よくやったテレビゲームの「ドラクエ」を思いだしてしまいました。(*^_^*)
1日の行程は発見の旅でもありますね。
草原に立つ遺跡がますます興味深い風景です。(^^)/
ミネストローネ、実は、修道女が迎えに出てくれたとき、友人たちが「今夜の夕食は何ですか。ひょっとしてミネストローネ?」と尋ねた(というかお願いした)ため、まだメニューが決まっていなかった宿で、夕食のプリモはミネストローネと決まったそうです。何事も言ってみるものだなと思いました。野菜たっぷりで、温かくて、とてもおいしかったです。
そう、この草原に立つ遺跡、いったい何だったのか、わたしもとても気になります。
なんといっても私にとって一番印象的なのは、夕食の後に散歩した、という最後の一言!さんざん歩いて疲れ切っているはずなのに、なんというタフさ!仲間がいることも手伝って、パワーが湧いてくるのでしょうね。私も早く元気になりた~い!!
「なりた~い!!」の響きに、『妖怪人間ベム』の主題歌中の叫び、「早く人間になりた~い!!」を思い出してしまいました。早くお元気になられますように! わたしも寒さに負けずに頑張ります。