2011年 12月 21日
たそがれのタワーブリッジ、ロンドン旅行思い出と読書考


店を出たのは、午後3時半頃。タワーブリッジで夕焼けを見ようと、ロンドン橋を渡ると、空はすでに茜色に染まり始めていました。

目的地であるタワーブリッジが、写真の中央、奥の方に見えています。

地図を頼りに、テムズ川と平行に走る道路を、東に向かって歩くと、ロンドン塔が見えてきました。

右に曲がって、ロンドン塔の入り口の前を通り過ぎ、さらに歩くと、

ようやくテムズ川と、目指すタワーブリッジが見えてきました。テムズ川を周遊する観光船の発着場には、大勢の観光客が並び、わたしがこの写真を撮影した場所のすぐ近くには、周遊船の切符販売所もありました。

右にはテムズ川、左にはロンドン塔の眺めを楽しみながら、歩いて行きます。

夕焼けには間に合いませんでしたが、黄昏の中、夜明かりに浮かび上がるタワーブリッジ(Tower Bridge)が美しいので、感動しました。

中世を偲ばせるロンドン塔が荘厳にそびえ立つその対岸には、こんなふうに、現代の高層建築が立ち並んでます。テムズ川(River Themes)をはさんで、両岸の風景が風景がまったく異なり、そんなところにも、不思議な情趣を感じました。

このあとは、タワーブリッジを歩いて渡り、

橋そのものや、橋からの眺めを、十分に楽しみました。

映画、『シャーロック・ホームズ』で、建設中のタワーブリッジ上で、主人公たちが格闘する場面(下記リンク参照)を見て以来、この橋を見たくてたまらなかったので、うれしかったです。
わたしは、小学5年生の頃から、シャーロック・ホームズにはまり、最初は学校の図書館で借りて、全作を読み、その後、新潮文庫で一つひとつホームズ作品をそろえては、読み返しました。中学生の頃は、アルセーヌ・ルパン派の友人と論争を繰り広げたこともあります。NHKで放映されたテレビドラマのホームズを見て、自分の描いていたイメージと違うとがっかりながらも、番組を見ていました。このアメリカ映画では、登場人物や時代の設定は、確かに原作から借りているものの、筋や登場人物の性格、作品全体の雰囲気がまったく異なるアクション映画になってしまっています。それはそうなのですが、時折ユーモアも交えた、息をつかせぬアクション映画として、十分に楽しむことができました。

イタリアでは、12月16日に公開された続編も、さっそく見に行きました。アクション映画としては楽しめたのですが、前作にも増して、さらにアクションシーンに走りすぎのような気がしました。
余談ですが、かつて日本の高校で国語を教えていた頃、数年間続けて、高校入試作文の採点を担当したことがあります。ある年、そのテーマが「読書の大切さ」だったのですが、中学生が書いた文章を採点していて、ひどく悲しくなりました。「読書をすると、主人公と共に、現実にはできない体験ができる、感動が味わえる」といった、読書本来の醍醐味を書いた作文はごくわずかで、大部分の中学生が、「本を読むと、漢字や言葉をたくさん覚えることができる(国語の偏差値や成績が上がる)ので、読書は大切だ」と、書いていたからです。この生徒たちは、おそらく両親や中学校の先生から、「国語の力がつくから、本を読みなさい。」と言われ続け、「本は役に立つけれど、おもしろくないものだろう」という考えを持つに至り、それで本を読む習慣のないまま、育ってきたのでしょう。
逆に、ある高校に勤めたときには、山中の学校だったこともあり、図書館の本の貸出数が非常に多く、学校が、文部省指定の図書館教育研究の指定校になりました。学校で調べて分かったことは、「幼い頃から親が本の読み聞かせをしていた家庭に、本好きの子供が育つ」ということです。
わたしたちが実際に目にできる物事や風景、出会える人の数はごく限られています。読書は、わたしたちが接することのできる世界を広げてくれ、おとぎの世界や歴史の世界を垣間見ることも可能にしてくれるのですが、子供が小さいときには、読書を通して、言葉を学ぶ以外に、感受性を育て、想像力を養うこともできます。子供にはぜひ良書をたくさん読んで、本好きの若者、大人に育ってほしいものだと、わたしも思うのですが、そのためには、「国語の力がつくから、読書をしなさい。」と言うのではなくて、「こんな本を読んで、感動した」という体験を、子供に伝えてほしいものだと思います。子供が興味を持つような本を贈るのも、そういうきっかけを作るいい機会で、たとえば、上の映画は、先も述べたように、原作とはかなり話が違うのですが、それでも、中高生の子供が、この映画を見て気に入ったなら、短編集である『シャーロック・ホームズの冒険』を贈れば、映画をきっかけに、短編の一つでも読んでみようかという気になり、やがては、ホームズの全作を読んでみようと思うかもしれません。
わたし自身、小学校高学年で、アニメの『赤毛のアン』に夢中になっていた頃に、父が、書店でまずは『赤毛のアン』を、それから角川文庫の続編の5冊を買ってくれて、とてもうれしくて、すぐに読み始めたことを覚えています。
Amazon.itなどで、イタリア人向けの映画、『シャーロック・ホームズ』のDVD
LINK
- YouTube - Sherlock Holmes Climax Scene
↑建設中のロンドンブリッジで生死を賭けて戦う主人公たちの映像 / Scene d’azione sul Tower Bridge in costruzione nel film, “Sherlock Holmes” (2009)



偶然本の話で盛り上がるととても嬉しいです。過日「どこへ行きたいですか」「トリエステ」と答えたら「須賀敦子さん読まれたのですか」から始まり、最後は共通の友人がいたのです。それもモンブランのロープウエイの立話で。
本の出会いは必要です。あれが月と指差してやれますが、見るのは本人です。スポーツも芸術も似たような存在ではないでしょうか。
わたしが国語を教えたのは12年間で、その間三つの高校に勤めたのですが、年々、生徒たちの国語力が、ひどく下がっていくのを痛感しました。文の組み立て方が分からない、言葉や接続詞の使い方が不適切、副詞の呼応ができていない、などなど、挙げていたらきりがなくて、やはり、文章を読む習慣がないと、自分が発信する際にも、どう書いていいのか、見当がつかないのだろうと思いました。就職志望の作文を書くにも、なぜその仕事を希望するかが心の中に漠然とはあっても、それを言葉にすることが本当に難しい生徒もたくさんいました。これは、小中高を通して、また大学教育においても、日本では自分で論理的に考えたり、まとめたりして発表するよりも、暗記が重んじられるからでもあるでしょうが、国語力の低下、引いては、思考能力や発信能力の低下を食い止めるためにも、読書は大切だと思います。
須賀敦子さんの随筆はわたしも日本でよく読みました。懐かしいです。
同じ夕暮れ時でも場所が変わればこんな風になるのですね。
やはり規模が違いますね、美しい流れの橋、素敵!!
私も赤毛のアンを読んでときめきました。
今の教育はやはり違いますね、成績を重んじる余りに
知識を得る手立てが違いますね、感性も軽んじられているようです。
綺麗な写真をありがとうございます~


ムームーさんも赤毛のアンがお好きなんですね!うれしいです。

子供には子供の目線に立って話すことが大切ですよね。ドナルド・キーンさんの著作を最後に読んだのは、もうかなり前なのですが、繊細な感性と深い洞察、美しい日本語の文章に感銘を受けました。文章の題は覚えていませんが、藤原俊成の「またや見む交野のみ野の桜狩…」という歌の鑑賞が、奥深い人生の洞察と重なるその一節だけは、今も心に残っています。