2012年 01月 13日
ペルージャ中心街 名所めぐり1
モルラッキ広場のバス停で降りて、奥ゆかしい中世のアーチに飾られた坂道を上り、
大噴水とプリオーリ宮殿の眺めを楽しみながら、ペルージャの目抜き通り、ヴァンヌッチ通り(Corso Vannucci)を歩いて、
中心街にあるホテル、La Rosettaに向かいました。ブログ友だちの杏さんにお会いするためです。
短い日照時間を有効に活用して観光ができるようにと、ランチメニューがいろいろあるレストラン、Ristorante il Bacioで昼食。二人とも最近食べ過ぎたからということで、おなかと体重に優しい野菜スープとブルスケッタのランチセットを頼みました。なぜかスープがひどく塩辛かったのですが、野菜がたっぷり入っていて、飲み物までついて一人7.5ユーロと、値段がとてもお得でした。
ヴァンヌッチ通りから、趣のある路地に入り、少し下ったところにあるこの店には、こんな一角もあり、ひょっとしたら、昔はワイン貯蔵庫(cantina)として使われていたのかもしれないなと思いました。
昼食後は、まず、イタリア広場近くから、エスカレータで下りて、パオリーナ城塞(Rocca Paolina)(1540-1543)を訪ねました。ペルージャの領主であったバッリョーニ家(Famiglia Baglioni)が、16世紀に教皇軍に敗れ、勝利を収めたパウルス三世(Paolo III)が、バッリョーニ家の家や塔があった場所を破壊し、その町の一角の上に築いた城塞で、そのため、城塞の中には、当時の町並みや通りがそのまま残っています。
今でこそ、パオリーナ城塞は、中世の歴史や建築を偲べる観光名所、あるいは、坂の上の中心街に楽にたどり着けるエスカレータ(scala mobile)のある場所として知られていますが、1861年のイタリア統一までは、ペルージャにおける教皇権力の象徴であったようです。
中心街からエスカレータを一つ下りて、道をそのまままっすぐ歩いて行くと、ここから城塞の外に出ます。
この出入り口の上部を飾るマルツィア門(Porta Marzia)は、紀元前3世紀にエトルリア人によって建造されたものです。マルツィア門は、本来、ペルージャの町を取り囲むエトルリア壁(mura etrusche)の門として築かれ、ここから約4m離れた場所にあったのですが、パオリーナ城塞の設計・建造を手がけた建築家、Antonio da Sangalloが、1542年に、本来あった場所から門を取りはずし、城塞の東の稜歩(bastione orientale)に、はめ込みました。
マルツィア門の上部では、ペルージャの守護神とされていたGiove(ゼウス)とディオスクロイ(Dioscuri)(下注参照)の彫像が、馬の上半身像と共に、欄干に並んでいます。
城塞を出たあとは、坂を登って、再びイタリア広場周辺に戻り、ペルージャの町、そして、遠くの山々の美しい眺めを楽しみました。中央には修復中のサン・ドメーニコ教会(Basilica di San Domenico)が、右手の奥には、サン・ピエートロ教会(Chiesa di San Pietro)の鐘楼の尖塔が見えています。
左奥に広がる細長い台形の山は、スバージオ山(Monte Subasio)で、
その中腹に広がるアッシジ(Assisi)の町並みも、よく見えます。そして、スバージオ山の右手後方に長く連なる白い連峰は、
そう、雪に覆われたシビッリーニ山脈(Monti Siblillini)です。
展望台の絵を見ながら、杏さんと二人で、遠くに見える山々や教会の名前を確認します。
そのあと、展望台からしばらく道を下って、古い町並みを上から見晴らせる場所までやって来ました。初夏には、花に覆われ、アマツバメがたくさん飛び交う場所です。
⇒ 記事、「ペルージャ中心街 名所めぐり2」につづく(リンクはこちら)
下注
・ディオスクロイ - 《ギリシャ神話》 ゼウスとレダの間に生まれた双子、カストールとポルクス (以上、小学館、『伊和中辞典』のDioscuriの項から引用)
中世の町並みは重厚でどこから見ても感激しますね。
雪をいただいた山も神々しい眺めです~
次はどちらに行かれたのでしょう~
日曜日に訪ねたばかりのシビッリーニ山脈の白い峰が、よく見えてうれしかったです♪
ヨーロッパなので当たり前なんでしょうけどヨーロピアンな町なみの風景が良いですね。
日本だとどんどん近代家屋やビルディングになっていってしまいますけど、こういう町並みと景色は残していってほしいですね。
青空の下の真っ白な雪山も綺麗です☆
凸d(^ー^)pochi!
この間、歩いたばかりの雪山が、中心街からよく見えて、うれしかったです♪