イタリア写真草子 ウンブリア在住、日本語教師のイタリア暮らし・旅・語学だより。

今は安らかに

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 昨日も今日も、ほぼ1日中、ちらちらと降る雪が、北風に吹かれながら、我が家を取り囲むオリーブの木々に、そして、そのまわりにと舞い降りていきます。

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 昨日、2月7日火曜日の朝、わたしたちの住む二世代住宅に暮らす夫の伯父が、安らかに息を引き取りました。わたしが夫とつきあい始めた9年前には、妻であるディーナ伯母さんと弟のドン・アンキーセと、3人で暮らしていたディーノ伯父さん。夫の家族も親戚も皆そうなのですが、遠い国から来たわたしを温かく迎えてくれて、あいさつしに行くたびに、満面の笑みを浮かべてくれていたものです。

 共に暮らす3人の伯父たちの中で、だれが見ても、一番元気いっぱいだったディーナ伯母さん。その伯母が胸の痛みを訴えて、検査の結果肺がんが見つかり、入退院を繰り返して、2006年の末に亡くなるまでわずか2か月。元気なおばさんがみるみる痩せていき、息をするのにさえ苦しむ様子を、心配そうに労わっていたディーノ伯父さん。伯母は最期の数週間は入院し、やがて病院で亡くなったのに、当時から足や体調の悪かった伯父は、付き添いにもお見舞いにも行くことができず、自宅で伯母の死を知ったのです。葬儀が行われる教会で、初めて棺に横たわる伯母を見て、そばから離れられず、悲しみに打ちひしがれていました。

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 自宅で亡くなった場合には、故人の棺は、家の一部屋に置かれ、家族が部屋で故人との別れを惜しみつつ、弔問に訪れる親戚や友人・知人にあいさつをしたり、おしゃべりをしたりします。この近年は、夫の伯父・伯母(義父も義母も末っ子なのです)たちが相次いで亡くなり、葬儀の前日に、親戚宅に安置された故人を訪ねることも多いのですが、そういうとき、おしゃべりの中で、故人がまだ若かった頃のこと、「そう言えば、あんなことがあったっけ……」と、何十年も昔のことを、皆が語ってくれるのが興味深く、悲嘆にくれる家族も、こういうおしゃべりを通じて、昔を懐かしく思い出し、悲しみを昇華させやすくなるのではないかと思います。同時に、思い出も、こうして世代から次の世代へと受け継がれていくのでしょう。

 一方、病院で亡くなると、故人は病院に残らねばならず、病院の一角に、親戚や友人が故人との最後の別れを惜しむ部屋が設けられます。と言っても、他の地域や病院ではどうか分からないのですが、俗にシルヴェストリーニ(Silvestrini)と呼ばれる、ペルージャ郊外にある公立病院では、病棟の1階に、棺に眠る故人が安置され、家族や知人が、訪ねたり、故人と共に過ごしたりできるようになっています。

 話が横に逸れましたが、伯母が病院で亡くなったため、ディーノ伯父さんは伯母さんの死を知っても、会うことができず、葬儀の前夜に、故人のそばでじっくり別れを告げることもできず、葬儀の行われる教会で、初めて、運び込まれた棺に横たわる最愛の妻の顔を見ることができたわけです。病院には遅くまで残ることができないため、葬儀前夜に、親族は我が家に集まったのですが、その席でも、悲嘆を押さえ切れなかった伯父の様子をよく覚えています。今になって、もし自分がそういう立場に置かれたらと思うと、どんなに伯父さんがつらい思いをしていたか、胸にしみて分かる気がします。

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 以後は、伯父二人が共に暮らし、外国人女性が代わるがわる伯父たちの世話を務めるようになりました。伯父の介護にあたった二人目の女性が、やがて義弟と恋に落ちて、結婚したのが2009年7月。義弟夫婦に支えられて毎日を過ごす中、ドン・アンキーセが、長い闘病生活の末に亡くなったのが2010年5月。ディーノ伯父さんの記憶はその頃から、あいまいになり、直前に言ったことやわたしたちがだれかを忘れたり、けれども、ずっと昔のことは覚えていたりしていたのですが、そのおかげで、ひょっとしたら、愛しい妻や弟を亡くしたことも忘れ、そういう悲しみからは救われていたかもしれません。

 そうして最近は、記憶がかすんできた伯父さんでしたが、それでも、時々わたしたちが訪ねに行くと、うれしそうにほほえんでくれました。昨日の朝、義弟の奥さんが伯父を起こしに行くと、すでに息がなく、まだ体は熱かったため、母国、エクアドルでは医師として働いていた彼女は、何度も何度も心臓マッサージを試みたけれど、もうあの世に旅立っていたとのことでした。伯母やドン・アンキーセが、最後の数日間ひどく呼吸に苦しんだのに比べると、体調や記憶に問題はあっても、苦しむことなく、眠りについたまま、安らかに旅立つことができたのではないかとのことです。呼吸は苦しくなくとも、愛する人を失う苦しみに何度も襲われ、悲しみを背負って生きなければならなかったディーノ伯父さん。今は、ようやく伯母さんやドン・アンキーセとめぐりあうことができて、3人でにっこり手を取り合って、ほほえみを交わしていることでしょう。

 昨夜は1日、家族で代わるがわる、伯父の棺の横たわる部屋で、伯父と最期の別れを告げ、祈り、あるいは次々と訪れる来客とあいさつをしたり、おしゃべりをしたり、そして、共に涙を流したりしました。昔は一晩中、起きて故人と共に過ごしたものだということなのですが、わたしたちは真夜中の少し前、義父母もそのあとまだしばらく伯父と共に過ごして、それから床についたそうです。

 葬儀は、今日の午後3時から。これからまた伯父のそばに行き、またわたしに何かできないか、義父母や義弟夫妻に聞いてみるつもりです。昨日は、わたしが義弟夫妻の分も昼食を用意したのですが、豆腐としょうゆを使ったタラ鍋もあって、義弟の奥さんが、「おかげで生まれて初めて大豆を食べたわ。」と喜んでくれました。節分の豆を持って行ったときにも、彼女が、「これが大豆なのね。初めて見たわ。」とつくづくと眺めていたので、食べたことはあっても、調理前の豆を見たことがないのかと思ったら、食べたこともないと聞いて、大豆消費国の国民であるわたしはびっくりしました。すぐに冷蔵庫から、みそやしょうゆ、棚からは、もやし栽培用の種を取り出して、見せてあげたのでありました。

Articolo scritto da Naoko Ishii

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Commented by yuzuko at 2012-02-09 08:02 x
叔父さまのご冥福を、心よりお祈りいたします。
私は、先月末、叔父を見送りました。
私の父と同い年(94歳)でした。
私の父は、30年前に急逝、叔父は、その後30年の時を紡ぎました。
本当にいろいろなことがありました。
仲良しの従兄弟と通夜、告別式をともに過ごし、昔の出来事を語り合いました。
叔父の安らかな顔は、今も、私の中に残っています。
太平洋戦争を生き抜いた叔父でした。
今日も、寒い一日になりますね。
なおこさん、ご家族のみなさま。
お身体お大切にお過ごしくださいね。
Commented by milletti_naoko at 2012-02-09 20:23
yuzukoさん、ありがとうございます。ディーノ伯父さんは92歳で、天寿を全うできたことと思います。お父さまもかなり高齢なのですね。どうか大切にしてあげてください。昨晩も共にロザリオを唱えた後、おしゃべりになったのですが、義母の従姉妹で90歳を超える(私たちから見たら)おばが、第二次世界大戦終結間際のイタリアの混乱ぶりや、その中を、夫が無事に生還するまでの様子を語ってくれました。
日本も寒い日が続くことでしょう。yuzukoさんもどうかお元気でお過ごしくださいね。
by milletti_naoko | 2012-02-08 10:30 | Famiglia | Comments(2)