2012年 03月 14日
大地の恵みと招かれざる客
左に見えるのはカリフラワー。イタリア語では、cavolfiore。今回は、青々としたみごとな外葉がいっぱいについているので、分かりにくいのですが、摘み立てのカリフラワーを見て、「白い花いっぱいのブーケみたい」と、感嘆することがよくあります。緑の外葉も、太い筋だけ取り除けば、青菜として、ゆでておいしく食べることができます。カリフラワーは、花も葉も一緒にゆでて、パスタの具にしたり、オリーブオイルと塩で味つけしたり、オムレツにしたりして食べます。カロリーが高くなりますが、花に衣をつけて、揚げてもおいしいです。
右手に見える小さな青い葉は、カブの若葉で、これを、お義母さんはbloccolettiと呼んでいます。ホウレンソウと同じ要領で、さっと熱湯でゆでて、食べることができます。
味に癖がないので、わたし一人のときは、ゆでた青菜に、しょうゆをかけて食べるのですが(これで、かつお節さえあれば、言うことないのですが)、義家族は、カブの若葉に限らず、フダンソウ(bietola)でも何でも、青菜は、ゆでたあとに、オリーブオイルにニンニクで香りをつけ、炒めて、塩・こしょうで味をつけて食べるので、夫と二人で食事をするときは、夫の大好きなニンニク(aglio)をみじん切りして、炒めてから、食卓に出すようにしています。
昨日の朝、のんびりと台所で、前夜洗って乾いた食器を片づけていて、こちらの御仁を台所の壁に見つけてぎょっとしました。『みなしごハッチ』や『みつばちマーヤ』の影響かもしれませんが、わたしは蜘蛛(ragno)は苦手です。芥川龍之介の『蜘蛛の糸』は名作だと思うけれども、触るのも嫌です。
うちの夫は、蜘蛛であれサソリであれムカデであれ、慈悲心に富むというか、富みすぎるというか、家の中で見つけると、かならずそっと箱に入れて、外に放してやります。その影響で、殺すのもどうかという気持ちと、下手に逃げられて、蜘蛛の行方が分からなくなり、びくびくしながら台所に入るのも嫌だという気持ちから、結局、そのまま、蜘蛛を放っておくことにしました。
すると…… 蜘蛛さんと来たら、朝から、夕食後に夫が外に放してくれた午後9時過ぎまで、ずっと同じ場所にいすわり続けていたのです! それも、壁にかけたエプロンと手ぬぐいの間、ゴミ箱の近くという非常にやっかいな場所なので、わたしは昼食や夕食を準備する間じゅう、時々蜘蛛を気にしては、目をやっていました。昨晩、夫がようやく外に放してくれたときには、思わず歓声を上げました。
冬には、虫たちが、暖かい屋内へと入り込むことがたまにあるもので、この冬も、カメムシが入ってきて、ぶんぶん飛び回ったことが、何度かありました。幸い、サソリやムカデを壁に見つけることは、この冬に限ってはありませんでした。こういう虫を見つけた場合、わたしは自分では対処できず、夫は外に放してやるので、義父母が言うように、結局はまた、屋内に戻ってくるのだと思います。
ものごころつくまで、横浜・札幌・東京と、あまり虫に縁のない場所で育ったわたしは、以後は、日本でもイタリアでも、自然の多い中で暮らすようになったものの、いまだに虫が苦手です。でも、うちの中に入ってきてくれるとうれしい虫もいます。
それは、こちらのテントウムシ(coccinella)。イタリアでは、幸せをもたらすと言われているテントウムシ、この冬は、よくうちの中で見かけました。
リンク
- 青空文庫 - 芥川龍之介、『蜘蛛の糸』
- Amazon.co.jp - 芥川龍之介、『蜘蛛の糸・杜子春・トロッコ他17篇』(岩波文庫)
↑ 芥川の作品では、『杜子春』や『鼻』も好きです。人間心理の観察が鋭く、描き方が本当にうまい。
なおこさんも蜘蛛がお嫌いですね!?私も本気で苦手ですっ!特にデカイのはとりはださえたつかも!旦那さんはやさしいんですねー。私なら「とっとと外に追い出すか、殺すかしてくれーー!」と逆切れしているかも知れません(笑)(でも、自分では決して手を汚しません。)
てんとう虫は、確かにかわいいですよねー。同じ生き物なのに、どうしてこんな違いが生まれるのでしょうね?
私も蜘蛛は「ギョッ」としますよ~。
自然の中で育った私は子供の頃に大きな蜘蛛を手でつかまえて噛まれたことがあります。(^^ゞ
それ以来、蜘蛛はダメ~となっています。
でも、自然の中からの来客が多いのは嬉しいものです。
おはようございます。相性でしょうか。家の外には限りない虫が居「どきっ」としますがよく見ると、それなりに生きているのが伝わり、殺生はできませんね。野菜の青虫は殺しますが。ほんの一畳ぐらいの菜園にも季節の物が育ち、食卓を楽しませてくれます。
芥川も鴎外もいいですね。何度読んでもいいですね。漢籍の時代の人の作品は不思議とすーと入ってきます。旧字体ですと特に忘我になり、本の世界に遊んでおられます。
イギリスは寒いので、特に冬は新鮮な青菜を食べるのが難しそうですね。きっとそれで、北国の人はジャガイモをたくさん食べるのでしょう。冬も青野菜が食べられるのは、ありがたいです。
大きい蜘蛛は、幼い頃母の実家で見かけるたび、ぞっとして鳥肌が立ちました。蜘蛛はともかく、サソリやムカデ、calabrone(猛毒性のある大きく黄色いスズメバチ)は、殺してほしいと思うのですが、虫にやさしい夫であります。日中ムカデに驚いて、義母に助けを求めたこともあります。今朝もフタツボシテントウが、こうしてパソコンに向かっている窓のカーテンにたたずんでいます。どうかいいことありますように。
鴎外もいいですよね。特に史伝が好きで、『高瀬舟』は現代人にも問題を突きつけて、考えさせ、教えてくれるところが多いと思います。漢文の素養のあった作家と言えば、中島敦の『山月記』が大好きです。以前にも書きましたっけ。高2の国語の教科書の定番で、何度も教えたのですが、読むたびに、リズムと作品の奥深さを感じました。よく高3の現代文の教科書にあった『舞姫』はどうしても好きになれません。「石炭をば早や積み果てつ. 」雅で響きの美しい文章は好きで、主人公豊太郎の使命感と苦悩も分からなくはありませんが、エリスに対する仕打ちがひどすぎるし、彼女の運命が悲しすぎる。自分が一人の女性の人生を狂わせるむごいことをしておいて、悲劇の主人公ぶって、憂愁にふけるのではない、と大学の文学講読の授業で、読みながら腹を立ててしまいました。これに限らず近代文学って、男性作家に書かれたものが多いので、女性の視点から見ると、これはどうかと思う作品は多々あるのですが。
母国文化に刷り込まれての思い込みが、意外に多いことを、海外に暮らしていると、痛感します。我が家にある数ある聖フランチェスコの伝記の中には、ジョットのフレスコ画に、言葉を添えたものもあるんですよ。恥ずかしながら、高群逸枝さんのお名前は初めて知りました。機会があれば、ぜひ読んでみたいと思います。
都会ッ子で、虫という虫が大の苦手なのですが、実は蜘蛛だけ大丈夫です。触ることは出来ませんが、そばにいても平気です。
多分、朝か夜か覚えていないけど、蜘蛛をやっつけるのは縁起が悪いという言い伝えのせいだと思います。
ところで、虫が大の苦手のせいで、カフカの「変身」を吐く思いで読んだことを今思い出しました(高校の時の夏休みの課題図書でした…。ちなみに夫はカフカ大好きっ子…て本文から関係なくてスミマセン)。
カフカの『変身』は、何だかひどくやりきれないけれど、名作だと感じつつ読んだように覚えています。大学でドイツ語にはまって、ドイツ文学はいろいろ読み、特にヘルマン・ヘッセとミヒャエル・エンデが好きでした。あの「巨大な毒虫」というのが、一体どんな様相だったのか。わたしは主人公の内面を追うのに必死で、幸い、外見がどういうふうに見えたかまで想像して気分が悪くなるほどまでには感受性が豊かではありませんでした。でも、「毒虫って、いったいどんな?」と疑問には思いました。カフカが好きなイタリア人のだんなさんって、おもしろいですね。見た目や触感が苦手で、日本人の癖に、イカやタコや貝が食べられないわたしが言えることではありません。