イタリア写真草子 ウンブリア在住、日本語教師のイタリア暮らし・旅・語学だより。

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 さて、そうして、松山の中学校に転校して、まだ東京が恋しくて仕方のない頃、新しい担任の先生と、親を交えての三者懇談がありました。

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 すぐに高校入試の話になったのですが、そのときの担任の言葉で、今も忘れられない、そうして、わたしの人生を変えた言葉があります。

「東京の学校は学力が低いですからね。東京でできた子だって、こちらでは大したことは見込めませんよ。」

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 わたし自身の学力については、オール3に毛が生えた程度のものだった上、それまで、ろくに勉強をしたこともなかったのでいいのですが、恋しくて恋しくて仕方のなかった東京について、こんな言い方をされて、わたしは、内心ひどく腹を立てました。このあと、「高校1年時の成績は、卒業した中学に報告される」と聞いて、必死に勉強して、この言葉を撤回させてやると思いました。

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 当時、松山にあった県立普通高校は、松山東高校を始め、校名に「東西南北」を冠していました。歴史が古く、名声があり、有名大学への合格者が最も多いのは松山東で、以後、生徒の平均学力の高い方から順に、南北西と続きました。わたしが高校受験に臨んだ春には、さらに、伊予高校が創立しました。わたしの東京での成績を見た担任は、「松山西なら合格率は五分五分ですが、伊予高ならまず合格に間違いない」と、伊予高校を勧めました。けれど、後から聞いた話なのですが、親は、東京の担任から、「この子は力があるから、あまり目標を落とさないように。」と言われていたようで、受験まであと2か月ではありましたが、志望校は松山西高校と決め、生まれて最初で最後の塾通いも経験して、無事に、志望校に合格しました。

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 高校に入学した頃は、まだ東京が恋しくて、「早く高校生活を終えて、東京の大学に行って、東京に戻るんだ。」と思っていました。東京と言っても、中学生のわたしが暮らしていた町は、23区の外にあり、お隣は埼玉の新座市で、当時、駅前には盆踊りができる大きな広場があり、小学校の近くにも子供が遊べる空き地がある、のんびりとしたところでしたから、都会が恋しかったわけではなく、中学時代の友人や住み慣れた町が恋しかったのです。

 そんなとき父が、「国公立大学だったら、東京の大学に行ってもいい。」と言いました。東京の国公立大学というのは、とにかくかなり一生懸命に必死に勉強して、本当に一握りの人だけが入れる難関だというのは、当時のわたしでも知っていました。

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 ただ、その頃のわたしには、始まったばかりの高校生活を楽しもうとか、新しい友達を見つけようという気持ちはなく、ただただ東京へ戻りたい気持ちでいっぱいでした。ちょうど、赤毛のアンが、親友のダイアナと学校以外では会えなくなってしまったとき、ライバルのギルバートに負けまいと必死でただただ勉強に打ち込んだように、わたしも、高校最初の1年間は、「いつか東京に帰れるように、これ以上はできないくらいに勉強して、絶対に東京の国公立大学に受かってみせる。」と思って、毎日何時間も必死で勉強しました。そうして必死になって勉強をしたアンがやがてクラスで、そして、プリンス・エドワード島で1番の成績を収めたということも、わたしの、「必死になって努力をすれば、必ず成果が出るはずだ」という思いの底にありました。

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 小学校高学年の頃、放映されたアニメの『赤毛のアン』に夢中になったわたしは、やがて角川文庫でアンシリーズ5冊を父に買ってもらい、何度も何度も読み返しました。高校1年生の頃、わたしが夢中になって勉強したのは、高貴な目的のためでは決してなく、一つには、「一生懸命勉強して、あの中学の担任の言葉を撤回させてやる」という復讐心というか負けず嫌いの気持ちからでした。もう一つは、「どんなに難しくても、必死で勉強すれば難関大学でも合格できるはずだ、そうして東京に戻るんだ」という思いからでした。このとき、「不可能に思えることも、努力と根性で可能だ」というわたしの確信の根源になったのは、『赤毛のアン』と共に、わたしが中学生の頃、東京で再放送していた『巨人の星』の影響だと思います。だれもが無理だという偉業を、さまざまな困難に打ち勝って成し遂げた星飛雄馬。毎日学校から帰っては、『巨人の星』を見て、次の日学校で友人たちと話し合い、掃除の時間には巨人の星ごっこをしたりもしていた東京の中学時代。

 そうして、「大リーグボール養成ギプス」ならぬ「東京の国公立大学可能な学力養成ギプス」を自分に課して、高校1年生のときは、本当に死に物狂いで勉強をしました。そのとき、何が起こったかというと、後に同じ愛媛県立高校に勤める同僚となった、当時の高校の恩師によると、入学時には、400人ほどいた1年生の、後ろから数えた方が早かったわたしの成績は、あっという間に上昇し、1年の2学期からは、通知表の成績でも、実力テストの成績でも、学年1位を維持するようになったのです。

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 ただ、高1も終わりに近づいた頃には、高校で新しい友人もできて、「何が何でも東京に戻る」という思いは薄れた上に、父からは、「女の子は県外には進学させない」と、前言を撤回する発言がありました。けれども、それまでに夢中で勉強する過程で、勉強する楽しさに目覚め、以後も、勉強が楽しいのと、親や先生方の期待に応えようという気持ちから、当初ほど死に物狂いではないものの、その頃にはもう習慣になっていた勉強は続けました。数学の先生を尊敬して、生まれて初めて数学のおもしろさに気づき、高2の進路選択では理系クラスを選び、高3の半ばで、急に文系に転向したというか、本来の自分に合った進路に戻したのに、受験に問題がなかったのも、ずっと学年1位を維持していたからです。

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 わたしが受験して合格し、やがて通った国立愛媛大学教育学部、中学校教員養成課程の国語専攻は、定員が7人。高3の3学期のクラスの授業は、数学や化学の授業は週に10時間かそれ以上あったのに、国語はほとんどないという状況でしたが、それでも、模試の偏差値では、数学専攻から国語に科目を変更しても、志望者中いつも1位。松山市の愛媛県立高校は、東・南・北・西と、創立された順、歴史が古い順に、名声も生徒の平均学力も高く、大学の専攻課程の同級生、6人のうちわけは、確か松山東出身者が2人、松山南と松山北が各1人、松山以外の愛媛県立高校2校から2人だったかと思います。そのうち、松山東出身で、おそらく松山東でもいい成績を収めていたであろう男子学生から、「途中から模試で、愛大の志望者のうち、1位から2位になって、そのまま首位が奪回できなかったけれど、あれは石井ちゃんやったんやね。」と言われました。高校入学時には、逆立ちしたって彼の方が上だったはずの成績を、わたしがどんなに努力しても合格できなかったであろう高校に通った人たちの成績を、松山県立4校のしんがりの高校で、1年生から必死で勉強することによって、追い越してしまうことができたわけです。

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 そうして、そのときの経験から、わたしは、勉強することは楽しいこと、そうして、必死で努力すれば、たいていのことは成し遂げられることを、身をもって学びました。そういう経験があるから、高校で教えていた頃も、こちらで日本語・日本文学を教えるときも、学ぶ楽しさ、努力の大切さを伝えたいという思いが、根底にあります。教員採用試験に向けて、実用英検1級のために、イタリア語の学習に、イタリアの大学や大学院での勉強に、必死で取り組んで、胸を張れる成果を上げることができたのも、「やればできる」という確信が、自分の中にあるからだと思います。ただこれが、こと勉強や教職であると確信できるのに、人間関係や他のことだと、まだまだ、自分の可能性を信じる力に弱いような気がします。まずは信じてみないと努力もできないし、そうでなければ、成果も上がらない。いろんな意味で、自分の土俵を、器を広げてみたい、今はそういう時期を迎えています。

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 何だ、自慢話だと思われる方もいらっしゃるかもしれません。わたしが伝えたかったのは、他人が無理と言うことでも、必死で努力すれば、実現は可能だということです。つけ加えて、すべての学力、外国語の学習能力の基盤は、やはり国語だとわたしは確信していますし、幼い頃から本を読む習慣、本を愛する心を育てることが、国語力の育成には欠かせないと思います。早期英語教育より、まずは日本語の力をしっかり培うことの方が、人格形成のためにも、将来の学力のためにも、ずっと大切であり、国語の力さえあれば、英語もイタリア語も、大人になってからでも、きちんとものにすることができると確信しています。ひどく長くなりましたが、とりあえず、今日はここまで。

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*今回は、昨日の散歩で訪れたアンナ渓谷(Valle dell’Anna)かつての水小屋、Mulino di Valentina(Mulino di Buccilli)とその前にある池の写真をご紹介しました。最後の3枚は、帰りに再び、スバージオ山(Monte Subasio)とアッシジ(Assisi)付近を通りかかったときに撮影したものです。寒いものの、日中は天気がよかったので、朝には山頂を覆っていた雪が、午後にはかなり解けてしまっているのが、お分かりかと思います。

Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2012-04-10 17:24 | Umbria