2012年 04月 12日
イタリア語の化石化
上の写真は、3月にサッソヴィーヴォ修道院(Abbazia di Sassovivo、下記リンク参照)を訪ねたときに、地下聖堂(cripta)の入り口に見つけたアンモナイトの化石です。
今から約3億5千万年前後に繁栄したというアンモナイトが、今もその当時の姿を偲ばせてくれる、そういう意味で、化石(イタリア語でfossile)は興味深く、かつ貴重なものなのですが、このfossileから派生したイタリア語、fossilizzazioneには、文字通り「化石になること」という意味の他に、「時代遅れの考え方から抜け出せないこと、古い考え方に囚われた状態」という意味もあります。
日本に長い間住んでいるのに、外国語訛りの強い日本語を話す外人さんや、イタリアに長く住んでいるのに、母国語とまぜこぜのイタリア語を話すスペイン語圏出身の人に会ったことはありませんか? イタリアに住んでいても、住む年数が長いほど、イタリア語が上達していくかというと、そういうわけではありません。学習者が、「生活していく上で、自分のイタリア語の力はこれで十分」と知覚すると、いくらイタリアに住み続けても、イタリア語と接する機会、使う機会が多くても、イタリア語力の発達は、そこで止まってしまいます。外国語教育研究の世界では、これを「化石化」(fossilizzazione)と呼びます。
母国語の力でさえ、個人差が著しいのですから、自分の暮らす外国の言葉の力は、どこまで身につけるのが望ましいのか、その上限は設定しがたいのですが、もし内心、「せっかく住んでいる国の言葉なのだから、いろんな人ともっとコミュニケーションが図れるように、身につけたい」と思いながら、心の奥底で、「これだけ話せれば、もう用は足りるから大丈夫」と安心し、そこで、イタリア語力の発達が止まっているとしたら、残念なことです。
フィリピンや中国などから、集団でイタリアに移民としてやって来た人々は、自分たちの慣習を重んじ、イタリア人との交流が少ないため、イタリア語の発達も、かなり力が低い段階で、化石化してしまいがちだと、外国人大学の授業でも習い、多くの本でも読みました。また、スペイン語やポルトガル語など、もともとイタリア語に近い言語を母国語に持つ移民は、イタリア語の習得は容易なものの、いつまで経っても母国語の影響の強いイタリア語を話す傾向が多いのですが、この場合の化石化の背景には、「自我、引いては、自分の育った文化を象徴する母国語を、無意識に守ろうとするために、あえてイタリア語を完全に習得しようとせず、母国語の癖を保とう」とする深層心理があるそうです。
今回、この化石化の話をしたのは、外国語の力に限らず、他のことでも、意識の上では必要を感じていても、心の奥底に、現状に甘える気持ちがあって、結局、実際の努力に結びつかないことが多いようだと、気づいたからです。わたしの場合は、たとえば、化粧・衣類におけるおしゃれ、ダイエット・運動、あるいは、うちのインテリアなどで、「何とかしなければいけない」とは思っているのですが、結局、何とかできないのは、心のどこかで、「今のままでもいいや」という気持ちがあるからではないかと、気づいたのです。仕事にしても、幸い義父母が建ててくれた家に住めるし、子供がいるわけでもないし、経済的に追いつめられた状況ではないために、今ひとつはっぱがかからないような気もします。最近、久しぶりに春らしい装いをして出かけようとしたら、着られる服がなくて、これはダイエットをしなければと思ったのに、もう復活祭のチョコレート卵は平らげた上に、今夜はトンカツを揚げてしまいましたし…… おいしそうな豚肉の安売りがあったんです!
昔どこかで読んだ言葉に、「目標は高く持ちすぎると、達成しようという意欲がわかないし、低く持ちすぎると、向上がない。」とありましたが、むやみに高すぎる理想を掲げることなく、かつ現状に甘んじることなく、達成できそうな目標を設定し、小さい締め切りを少しずつ設けていくことが大切だと感じています。
「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も成らぬは人の為さぬなりけり」(上杉鷹山)
写真はすべて、今年3月31日に訪ねたサッソヴィーヴォ修道院(Abbazia di Sassovivo)で撮影したものです。3枚目は、最初の写真に案内のある聖マローネの地下聖堂(Cripta di San Marone)なのですが、この聖堂、なんと1997年にウンブリア・マルケ地震が起こって初めて、その存在が明らかになったそうです。
わたしの好きな言葉の一つは、カトリック関係の書籍を扱う店でもらったしおりに書かれていました。手元にないのでうろ覚えですが、
「わたしはきっと宝物。いつかだれかが見つけてくれる。」
まずは自分の中に眠っている宝物を、自分自身がきちんと発掘しなければいけないなと思うと同時に、思っているだけではいけないと強く感じている今日この頃です。
関連記事へのリンク
- 信じるこころ(勇気をくれる言葉、サッソヴィーヴォ修道院 / Abbazia di Sassovivo)
- 殻をやぶれば
- やればできる1
- やればできる2
うんうんと読み進んでいくうちに素晴らしいって言葉を噛みしめて読み返しました。
最近活字が疲れるので本も読んでいませんし、新聞もななめ読み
してる私です。
でもこちらで書かれてるのを読むのは好きなんですよ~
オババには理解できないこともありますが、素晴らしい~って思います。
宝物って好きな言葉なんですよ~♪
先日からのなおこさんの学生時代の話もダラダラ過ごして来た私には耳が痛いお話しで・・・。
でも、子供達のこれからのアドバイスにどこかで役立つといいなと思っています。
集中力の無さ、ズル賢さだけ一人前といったとこですが自分の同じ頃を思い浮かべると今の子達のほうがスゴイ所がたくさんあるような・・・。
最近の写真拝見すると“春”を感じますね。山歩きが楽しい季節になりますね。
私も先日、千鳥ケ淵で満開の桜を見る機会に恵まれ人ごみの中端から端まで見入ってしまいました。見物人の人達の会話に「今年の桜はきれいね」といった言葉を何回も聞きました。
頭上は桜のトンネル、対岸はお堀の水面に垂れ下がる木々が演出をさらに上げすばらしかったですがみんな昨年のアレに心を痛めていたんですね。
早く東北にも満開の桜が咲くことを願います。
千鳥ケ淵の満開の桜、きれいですね! 文章から気になって、検索して桜の写真を見てみました。早く東北でも、桜の美しさを穏やかな気持ちでただ楽しめる、そういうときが訪れますように。
それと、イタリア語の勉強も耳の痛い話でした。一人でイタリアに旅行がしたいと思って勉強をし始めましたが、もう旅行会話ならなんとかなるし~、と思い始めた矢先のなおこさんのお話。いやぁ参りました。本能とはいえ自分を守ろうとする意識が無意識にでも働くのは、ちょっとやっかいなものでもありますね。
それにしても、ウンブリアは素敵ですね。こんな清楚な教会が好きです。これからいい季節になるし、あちこちの散策も楽しいでしょうね。
わたしたちみんな一人ひとりが宝物なんですよね。まずは自分が大切にして磨かないことには、その価値を他人にも分かってもらえないかな、と。わたしも宝物という言葉、好きです。響きもいいですよね♪
↑↑ ムームーさん、このコメント、今朝書いたのですが、何を間違えたのか鍵コメントにしてしまっていました。今気づいて、コピーして送信し直しました!
イタリアを旅行するのだからと、イタリア語をちゃんと勉強されただけでも、kazuさんはすばらしいと思いますよ。わたしもフランス語、頑張らなければ。まずは旅行の日程を決めて、いつまでに勉強し終えるという期限が分かれば、それで励みになるかもしれません。明日から夫が、南イタリアへ1週間ほどの巡礼の旅に出るので、鬼のいぬ間にフランス語を! ウンブリアにはこういうすてきな教会や修道院も多いんですよ。これまで、週末と言えば、トスカーナのアッペンニーニまで出かけることが多かったのですが、最近は、フォリンニョ市でもらったガイドブックを手がかりに、夫も知らなかったウンブリアのすてきな場所をいろいろと訪ねに出かけています。