2012年 05月 13日
世界を足下に1

この時期、イタリア中部では、ヒナゲシ(papavero)の花が花盛りです。昔、除草剤を使わない農家が多かった頃には、緑色の麦畑のあちこちに、真っ赤なヒナゲシの花が顔を出して、それはきれいだったそうです。

ペルージャ郊外でも、つい一昨年までは、時々、真紅のヒナゲシの美しい麦畑に、時々出会ったのですが、最近では、除草剤を使う農家が多いようで、多くの麦畑で、ヒナゲシが姿を消しました。

では、今は、どこでヒナゲシを多く目にするかと言うと、なんと郊外の道や無料高速道路(superstrada)沿いなのです。最近は、ペルージャから南東に向かい、アッシジやスペッロ、トレーヴィ、フォリンニョなどの田畑の間を車で通り抜けるたびに、道路脇の土手や田畑に、紅のヒナゲシがたくさん咲いていて、本当にみごとです。ただ、残念ながら、高速道路を走る車からでは、撮影チャンスも逃しやすいし、きれいな写真が撮れません。上の写真は、夫が給油している間に、ガソリンスタンド近くの道路沿いのヒナゲシを撮影したものです。

昨日1週間ぶりに、ペルージャから南西へと向かうと、ヒナゲシの赤がいっそう鮮やかだった上に、エニシダ(ginestra)も、きれいな黄色い花をいっぱい咲かせていたので、ドライブしながら、美しい野の花の眺めを、存分に楽しみました。

昨日、ヴァルネリーナ(Valnerina)、ネーラ川(Fiume Nera)の流れる渓谷(valle)に向かったのも、実は、ヒナゲシがいっぱいに咲く田畑の間を散歩しようと、夫が考えたからでした。数年前までは、ヴァルネリーナを5月に車で走ると、あちこちにヒナゲシの赤で彩られた畑があったそうです。

ところが、昨日、ヴァルネリーナで、ネーラ川沿いに車で走ってみると、こんなふうに、時々道路沿いに、ヒナゲシがたくさん咲いているところはあるものの、ヒナゲシの真紅に彩られた畑は見当たりませんでした。田畑には、除草剤をやるためか、ヒナゲシの花が咲かず、かつて畑だったところも、荒れ野原となっていたため、ヒナゲシは見当たりませんでした。ヒナゲシは、耕された地面を好んで育つそうです。

そこで、予定を変更して、少しだけ北上して、マルケ州にある聖所(下の写真)を訪ね、それから再び南下してウンブリア州に戻り、プレーチとノルチャを結ぶ渓谷を散歩することにしました。わたしたちがよく訪ねるシビッリーニ山脈(Monti Sibillini)は、マルケ州とウンブリア州の2州にまたがっているのですが、今回わたしたちが訪ねようと考えた教会は、そのマルケ側にあったからです。
教会を目指して山を登ると、緑の高原の向こうに、シビッリーニ山脈の高峰が見えてきました。

この美しい教会、Santuario di Maceretoの建立には、興味深い伝説があります。伝説によると、1358年8月12日に、ロレートからナポリ王国に、木製の聖母子像を運ぶ旅の途中、像を運んでいたラバたちが、この高原でひざまずき、人々が鞭打とうと足で蹴ろうと、そこからまったく動こうとしなかったというのです。それを目にした人々は、聖母子像がこの地にとどまることが神意だと考え、木像は結局ラバがひざまずいて動かなくなったその場所に据えられ、数年後には、小さな教会が建てられて、聖母マリアに奉献されました。
“Vuole la tradizione che il 12 agosto 1359, nel trasportare una statua lignea della Madonna con Bambino da Loreto al Regno di Napoli, i muli facenti parte della carovana si fermarono in ginocchio sul sito attualmente occupato dal santuario, e da lì non vollero più ripartire, nonostante i calci e le frustate. I popolani accorsi in aiuto videro nell'accaduto un segno divino, e pretesero che la statua rimanesse lì, così nel giro di pochi anni venne costruita sul luogo una primitiva chiesetta dedicata alla Madonna.” (Da Wikipedia, ‘Santuario di Macereto’)

その後、16世紀に、当初の小さな教会(写真の奥)を包み込む形で、ルネサンス様式の教会が建てられ、現在に至ります。教会の中では撮影が禁止されているので、教会の外から内部を撮影しました。現在、教会内にある聖母子像は、残念ながら複製です。教会が建てられる由来となった木像は、傷みが激しかったため、現在では博物館に保存されています。

教会の前には、長くみごとな柱廊が続いています。ここでは、古来しばしば市場が立ち、この柱廊は、市の際に、店舗として利用されたそうです。写真の奥、中央に見えるのは、給水場です。

この水がおいしいからと、空き瓶をたくさん持ってきて、次々に水を入れている人もいました。もちろん、わたしたちもこの水でのどの渇きをいやし、後の散歩に備えて、ペットボトルにも水を補給しました。

そうして、この給水場の端(写真の左端にあたる部分)に腰を下ろして、昼食に買っておいたパニーノをほおばりました。

こんなふうに、教会の敷地全体を見わたせるので、食べながら、眺めも楽しむことができました。雲一つない、ひどく暑い日だったのですが、この古い給水場のおかげで、日陰で涼みながら食べることができました。

こんなふうに、教会のどの位置からでも、シビッリーニ山脈の高峰が見えます。本当は、教会を訪ねたあとは、山を下りて、川沿いを歩く予定だったのですが、この山々にすっかり魅せられたわたしたちは、境内の土産物屋で、山の名前と行き方を尋ね、シビッリーニ山脈国立公園(Parco Nazionale dei Monti Sibillini)も購入して、予定を変更し、さらに山を登ることにしました。

山を登り続けると、教会に向かう途中に見えたこの二つの山が、さらに間近に迫って見えました。左に見える緑の山は、ロトンド山(Monte Rotondo、2102m)、右の岩山は、ボーヴェ北山(Monte Bove Nord、2112m)です。
ここで車から降りて、しばらく散歩したあと、さらに車で上を目指し、最初の写真にあるような美しい野の花や見晴らしを楽しむことができました。最後には標高1800メートルの高さまで車で登り、世界が足下にあるような、天に手が届くような、本当にすばらしい眺めに感動したのですが、そうした写真の数々は、また次の記事でご紹介するつもりでいます。(つづく)



ひなげしの真っ赤なお花は目につきますね、走行中にお花が
見えるのはほっとさせてくれますね。
除草剤を使わないとはびこるのはわかりますが、体にも悪そうですね。
聖母子像の伝説、心に強く残りますね。
こういうお話から人々の畏敬の念がしっかりと根付くのでしょうねぇ~
いつもわが身に置き換えて考えることが出来て
すぐに忘れる私ですが、教えて貰えるのが嬉しいです~
高い山と緑に囲まれたこの地にとどまりたいと、聖母子像も考えたのでしょうか。伝説を通して、人々の信仰の深さが感じられました。

こちらでも今道路沿いにヒナゲシが満開となっています。o(*^▽^*)o~♪
同じような環境でしょうか。
もう少しすると、近くの山の斜面で「天空のポピー畑」が満開を迎えます。(^^)/
天空のポピー畑、みごとでしょうね♪ 日本では赤だけではなく、他の色のポピーも咲くのでしょうか?

こちらでもヒナゲシはよく見かけるのですが、だいだい色のヒナゲシが多いですね。春先の時期に除草剤をまいてしまうと枯れてしまうんでしょうけど、この時期はまだ雑草が少ないので除草剤をかけない場所が多いのか、道ばたとか空き地、砂利の駐車場の脇とかでも見られます。
ちゃんと育てている所では赤色・ピンクなどの綺麗な色のヒナゲシ(ポピー)が見られるようになり、綺麗ですね。
凸d(^ー^)pochi!

以前Castelluccioの花の絨毯を見に行った後に私も主人とこのSantuarioに立ち寄りました!自然に囲まれたとても静かな空間ですよね。7月の暑い日だったので、私たちも柱廊に非難して涼みました。
私は海と山が見渡せる丘の上の田舎町に住んでいるのですが、家から見える景色は空と海の青に季節ごとの色(新緑、ひなげしの赤、ひまわりの黄色など)が加わりとても綺麗です。現在は既にひなげしのピークは過ぎつつあり、赤い絨毯の色は日々小さくなってきています。
花が咲く前のひなげしの葉は食用になり、この辺りでは摘んできて茹でた物をオリーブオイル、大蒜、塩で味付けして食べたりもするんですよ。
海も山も見渡せるなんて、本当にすてきな場所にお住まいですね。お宅から見える自然が織りなす綾錦、さぞかし美しいことでしょう。
ウンブリアでは、ひなげしの種を食用に使うレストランが時々あるのは知っていたのですが、花が咲く前の葉っぱも食用にするとは知りませんでした! 各地にいろいろな食習慣があって、おもしろいですね。春や夏を先取りして、楽しむようでいいなと思うのですが、お味はいかがなものなのでしょう?