2012年 06月 26日
たらい回しの定めかな
早起きして、午後7時半前に、県警(Questura)前の列に並びました。8時から、門前で受付番号が配布され、8時半から申請の受付が始まりました。わたしの番が回ってきたのは、ようやく10時半頃のことです。準備万端のつもりだったのですが、夫による結婚・同居・扶養の自己証明は、わたしがインターネットで見つけた様式ではだめで、移民局がくれた所定の用紙に、夫が記入し、署名する必要があるとのことです。
幸いにも、知人に、ちょうど先週、滞在証の更新をした方がいて、その方から、結婚・家族・居住地証明については、「公的証明は不要で、本人・配偶者の自己証明で代用できる」と聞いていました。ところが、担当官は、「どうしても必要なので、市役所で発行してもらうように」と、言うのです。「先週申請した方から、自己証明で済んだと聞いているのですが」と食い下がったのですが、「それはわたしがいなかったからよ。」の一点張り。不幸中の幸いは、「午後1時まで、必要な証明書を持って戻れば、今日中に申請を受け付けますよ。」と言ってくれたことと、わたしがペルージャ市在住(たとえば、ペルージャから車で1時間かかるスポレートも、ペルージャ県警の管轄です)で、夫の職場も近いことです。
ペルージャ市役所には、出張所がいくつかあり、受付時間も長いので便利です。ペルージャ県警(青い矢印)は、ミニメトロ(Menimetrò)の沿線にあり、コルトネーセ駅と終着駅、ピアン・ディ・マッシアーノ駅の中間地点にあります。ピアン・ディ・マッシアーノ駅(赤い矢印)には、今のところは無料の広い駐車場があるので、わたしは、ここに車を駐車していました。車でリンボッキ(Rimbocchi)の出張所に行こうか、ミニメトロに乗って、中心街の出張所に行こうかと、しばらく悩みました。車でリンボッキに行けば、切符代は不要ですが、車を運転する必要がある上、経験的に、リンボッキの出張所の方が、待ち時間がかなり長く、係りの人が不親切だという印象があったからです。
そこで、コルトネーセ駅からミニメトロに乗って、中心街に行き、きれいなバラの花を愛でながら、市役所の出張所に向かいました。10時55分頃に、出張所に入ると、今日に限って、たくさんの人が自分の番を待っていました。「最後の方はどなたですか?」(Chi è l’ultimo?)と尋ねると、温厚そうな老紳士が手を挙げました。待つこと約1時間。ようやくわたしの番が回ってきたのは、正午頃のことです。
県警移民局の女性担当官が、わたしの申請書の写真貼付欄に、必要な書類を書き込んでくれていました。
- Certificato di stato di famiglia
- Certificato di residenza
- Certificato di matrimonio
市役所の職員に、証明書が必要な理由を聞かれたので、間違いのないようにと、申請書のその言葉を見せながら、この三つの証明書が必要なんですと言いました。すると……
「いえ、この証明書は出せませんよ。」
「でも県警で、市役所に行って書類をもらって来いと言われたんですけれども……」
「まったく県警は、何度言っても分からないんだから。」
と、席を立って、奥の席にいる上司らしき人に尋ねに行った係りの人は、戻って来て、こう言いました。
「今年の1月に新しい法律ができて、公的機関に対しては、証明書が発行できないようになり、市民の自己証明(Certificazione sostitutiva)で済むようになったんです。手数料も収入印紙も不要で、自己証明書でいいんです。自己証明の内容が正しいかどうかを確かめるのは、県警の役目です。県警は、わざわざここに来て証明書を申請しろと言う代わりに、自己証明書の所定の用紙を、あなたに渡すべきだったんですよ。」
そう言ったあと、家族・結婚・居住地の証明書の所定様式を、すべて1枚ずつ印刷してくれました。
「また市役所に行けと言われる可能性があるので、そのときのために、何か一筆書いて、市役所の判を押していただけませんか。」
とお願いすると、証明書は発行できない旨と、自己証明書で済むという根拠となる法律と条(Legge di Stabilità 2012 – 12 novembre 2011 n.183 – art. 15)を記して、その上に、判を押してくれました。
出張所で1時間待つ間に、夫が書いて署名しなければいけない文書は、すでに記入が終わっていました。夫の職場から出張所までは、ミニメトロを使えば約15分です。ただし、夫の職場は県警からも近く、やはりミニメトロを使って15分ほどで行けたのです。「本当は、わざわざ市役所まで来る必要も、1時間自分の番を待つ必要も、ミニメトロの切符を2回刻印する必要もなかったのに。」と思いながら、ピンチェット駅まで歩いて、ミニメトロに乗り、再びペルージャ県警に戻ったのは、12時半頃のことでした。
戻ってすぐに、列に並んで順番を待ったのですが、わたしの直前の人の番が来たときには、すでに午後1時を過ぎていました。
「あなた、わたしは今日はもうここで締め切るわよ。」と、先の女性担当官に言われたので、「足りなかった書類を取りに市役所に行って戻って来たんです。番号はあります。」と言うと、「だったらいいわ。」
わたしの番がようやく回ってきたのは、午後1時15分でした。夫の署名入り文書と他の必要書類を提出したあとで、わたしは、自分が書いた自己証明書と市役所で書いて判を押してくれた紙を差し出して、こう言いました。
「市役所で、公的機関への証明書は発行できないし、法律が変わって、自己証明書でいいと言われました。」
「まったく、市役所ときたら、何度言っても分からないんだから。移民については、また別の法律があって、2012年いっぱいは、公的証明でないといけないので、外国人のあなたたちの自己証明書ではいけないのよ。結婚証明と家族証明は、だんなさんに頼めても、あなたの居住地証明は、あなたがしなければいけないけれど、それはここでは無効なのよ。」
「でも、先週同じ届出をした方が、届出に必要な書類を、県警で尋ねたときには、自己証明でいいと言われたそうで、移民局も、自己証明を受け取ったそうなんですけれども……」
「それは、わたしがいなかったからよ。電話番号はこちらにあるので、不足する証明書があれば、後から要請するわ。まったく市役所と来たら、何度も話はしているし、これまでは、いつも証明書を発行していたのに。」
「また出張所に行かなきゃいけないのか、また早起きして、番号札を取りに、早朝から並ばなきゃいけないのか」と思い、わたしは、すっかりしょげてしまいました。イタリアの役所では、本当は不要な書類を要求される可能性があったり、県によって、あるいは担当者によって、同じ書類をそろえていても、申請できたりできなかったりすることは、あらかじめ分かっていました。だからこそ、インターネットでさんざん情報を収集した上で、県警に問い合わせのメールを書き、返事はないものの、「同じ状況で、つい先週滞在証の申請をしたばかり」という方から、必要だった書類を教えていただいて、そろえたのに、それでも、県警から市役所へ、市役所から県警へと行かされて、またしても市役所に行かなければいけないないなんて、今日中には申請ができないなんて……
「せっかく一度市役所まで足を運んだのに申しわけないけれど、明日の朝、証明書を取ってくれば、特別に、明日も申請を受理しましょう。」
申請できず気がかりな状況がずっと続くのかと落胆したわたしは、明日申請ができると聞いて、ほっとしました。郵便局を通さずに、県警の移民局(Ufficio Immigrazione)で、直接滞在許可カードを申請できるのは、ペルージャ県警では、本来は火曜日と金曜日だけのようです。
申請書やパスポートを、わたしの手に戻し始めた担当官はふと手を止めました。
「ちょっと待ってくださいね。あなたが帰る前に、市役所に電話をして、証明書を発行するように言っておきますから。」
本来の窓口の受付時間は午後1時までなので、そのとき移民局には、担当官たちを除けば、わたし一人しかいませんでした。昼食にでも出かけたのか、そのうち他の担当官も姿を消し、最初は、「市役所(comune)は……」、「公共の秩序(ordine pubblico)を保つためには……」と、電話口で話す女性担当官の声が聞こえていたのに、1時半頃になると、彼女の声も聞こえなくなりました。移民局の受付時間を確認すると、朝は午後1時まで、昼は午後3時からとなっています。「ひょっとしたら、わたしのことを忘れて、皆で食事にでも出かけてしまったのかしら。」
ひどく不安になりながら、それでもじっと待っていると、長い長い静けさのあとで、「あなたたち、証人になってね。それでいいって言われたことの証人にね。」と、先の女性担当官が、他の担当官たちに言う声が聞こえてきました。
その言葉に、ひょっとしたらと再び希望を持ちながら待っていると、1時40分頃になって、ようやく女性担当官が戻って来ました。
「今市役所側と話をして、これからは、今のところは自己証明書でよくて、市役所に取りに行く必要はないということになりましたよ。万一、必要となったら、電話で連絡しますが、あなたの電話番号を書いてある文書もありましたよね。散歩をさせてしまって、申しわけありませんでした。」
市役所の出張所で、「証明書は不要」と言われて、再び県警に戻るときには、憤っていたわたしも、その後、「また市役所にも県警にも行かなきゃいけない」と思って、落胆していたため、その時点では、怒りよりも喜びと解放感の方が大きくて、「いえいえ、おかげで少し歩くことができました。」と答えました。滞在許可カードは2か月後に発行されます、とのことです。
ペルージャ県警・市役所戸籍課対決は、ペルージャ市役所の勝ち。朝7時半から県警前の列に並び、申請書を受領してもらえたのは、ようやく午後1時45分のことでした。約6時間もかかった上に、市役所出張所まで行かねばならず、すっかり疲れ果てました。我が家が県警から近いのが救いで、午後2時には、帰宅できました。
わたしもイタリア暮らしが長くなったので、寛容になり、今は、不満よりも、長い間の懸案事項が片づいたという安堵感の方が大きいです。けれども、暑い中、市役所出張所まで出向き、自分の番を1時間待った挙句に、「わざわざ来なくても、自己証明でよかったんですよ。」と聞いたときは、さすがに県警の担当官への憤りを抑えきれず、ミニメトロで県警へと戻りながら、頭の中で、こんな言葉を紡ぎ出していました。
イタリア業者もお役所も
諸業遅延の恐れあり
さあ大丈夫と出向くとも
書類不足と断りに遭う
応える者も詳しからず
並び待つも済むとは限らぬ
ひたすら堪忍、我慢あるのみ
日本のとある古典作品冒頭のパロディなのですが、皆さん、言わなくても、お分かりになりますよね。
帰宅してから、市役所の人が書いてくれた法律をインターネットで探して、該当条項を読んでみました。この条項によると、「自己証明書で構わない」ということは、決して、証明した人を信用しなさいということではなくて、自己証明を受け取った公的機関には、関係機関を通じて、早急に、自己証明の内容が事実に即したものであるかどうかを確認する義務があるとのことです。
*追記(6月27日)
すみません。言わんとすることを伝えたいあまりに、作品原文とはかなり言葉が違うところが多いので、原典が分かりにくいんですね! 下敷きにしたのは、こちら、『平家物語』の冒頭文です。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、唯春の世の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。
書類や手続きのことって準備万端整えてネットやHPで調べて
行っても一度ですまないことがありますね。
お互いにかちかちの頭の人が揃ってるのか、縄張り争いなのか知りませんが困りますね。
でも無事にうまくいきましたのね、良かったですわぁ。
え、これは源氏物語ですかぁ?嫌~わからないです。
教えて下され~
すみません。言わんとすることを尊重するあまりに、言葉が原典から逸れすぎたので、分かりにくいですよね。『平家物語』の冒頭の「祇園精舎」をもじったものです。かつて高校の授業でよく教えたのですが、作品もこの冒頭文も大好きなんです。
私たち学生も手続きに関しては山のように文句を言っていますが・・・・まだまだ軽かったんですね・・・・
はー、お暑い中ご苦労様でした。それにしても「散歩をさせてしまって申し訳ありませんでした」なんて言ってきたんですね。市役所との連携が出来ていなくて、自己証明ではいけないというところで、読んでいてもイライラしましたが、人としては一応大丈夫な方のようですね。横柄な対応が多い中、無駄が多かったとはいえ、対応一つでこちらも気持ちが変わりますものね。
しかしやはり、こういう連絡不行き届きはどうにかしてほしいものです…。
この女性担当官、わたしが市役所に行く前は、とっても横柄で、「電話で市役所とかけ合うから」と言ったときも、「負けは認めたくない姉御肌」なのかなと思いました。だから、謝られて、とってもびっくりしたのですが、過ちを認められるのは、大切なことだと思います。
こういう連絡不行き届きが「氷山の一角」だというところに、イタリア社会の大きな大きな問題があると思います。幼い頃からのしつけと、社会人になって仕事を始めてからの研修と、改善を図るための方法はいろいろあると思うのですが、結局は、自分個人のことや自分の仕事ばかりで、社会全体のことや他の役所との連携を考えないから、こういうことになるのでしょうね。
えー市役所送りになってしまっただなんてーしかも最終的には「やっぱり要りません」って(怒)イタリアのお役所たらい回しって体力消耗されてどっと疲れますよね。。。私は最初からQuesturaの窓口でも「市役所では出さないから自己証明でOK、はいこの書類ね」と三枚紙をくれたんですけどね・・・同じQuestura内でも担当官が変われば対応も違うという例ですね・・・でも担当の方が素直に謝りの言葉を発したというのにもビックリです(笑)
こちらで仕事をしていると「ホウレンソウ」の概念が全くないなぁーとあきれることが多いですが、何度も市民から同じことを聞かれるお役所なのですからここくらいは実施して欲しいものですね・・・
何はともあれ一日で終わってよかったです。
お疲れ様でした!!!