イタリア写真草子 ウンブリア在住、日本語教師のイタリア暮らし・旅・語学だより。

イタリア語のTPO

 「あなたたち二人の話すイタリア語は、日常の話し言葉としては、ひどく硬いのよね。」

 今からもう9年ほど前のことです。ペルージャ外国人大学のイタリア語・イタリア文化講座では、当時、最上級クラスをV gradoと呼んでいたのですが、このクラスの半年間の授業が終わり、先生も交えて、クラス仲間と授業の打ち上げをしていたときに、先生から、こう言われて、友人と二人で驚きました。

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 わたしと一緒にこう言われた級友は、スロベニアの大学で、イタリア語の先生になるべく勉強している男子学生でした。わたしは単に、思いがけない言葉にびっくりしたのですが、彼の方は、「授業は半年もあったのに、どうしてそんなことを今頃言うんだろう。」と立腹し、「実は、自分でも常々それに気づいていたんだ。」と打ち明けてくれました。

 たとえば、「試験を受ける」ならsostenere un esame、「試験に受かる」ならsuperare un esameと、母国で書き言葉を中心に学んだ彼は、そう口にしていたけれど、イタリア人学生は、それぞれ、dare un esame、passare un esameと言って、すませてしまうことが多いなど、自分が学んだイタリア語と、実際にふだんの会話で使われる言葉の格差に、気づいていたと言うのです。

 彼と同様、わたしも、日本では、当時イタリア語が学べる学校などない町に住んでいたため、イタリア語は、数冊の文法書でひととおりの文法を学び、通信教育(文法・読解・作文中心)で勉強して、上級コースまで終えていました。自分の勉強が書き言葉に偏っていることは気になっていたので、日本にいる頃から、英語学習用の『English Journal』のイタリア語版と呼べるようなイタリア語の音声マガジンを購読したり、イタリア語の歌を聞いたり、参考書などの音声CDを繰り返し聞くように、心がけたりはしていました。さらに、現地のイタリアでは、「話すこと」に重点を置こうと、イタリアでの語学留学を始めた最初の半年は、私立のイタリア語学校に、通いました。

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 ただ、住んでいる村の人や他の留学生とイタリア語で話す機会はあったものの、この私立学校でも、通ったのが最初から上級クラスであったために、使用していた教科書は、イタリアの文学作品の一節を読んで、その語彙や表現、文法事項を学び、読解問題を解いて、討論や作文をするというつくりになっていました。文学に興味があり、読書が好きだったわたしは、この教科書が気に入って、興味のある文章があれば、その作品を買ったり借りたりして読みもしたのですが、実は、この教科書も、結局は、語彙にせよ、文章表現にせよ、書き言葉、しかも、ふだんの会話では使われない小難しい言葉や表現、雅語が多いという問題があることに、後で気づきました。さらに、この教科書は、もともとペルージャ外国人大学の先生によって書かれた本なので、扱い方こそ違うものの、結局、外国人大学のV級クラスのイタリア語の授業でも、この本が使われました。

 わたしの話すイタリア語がひどく硬かったのは、もともと日本で文法や書き言葉のイタリア語を中心に学んでいた上に、イタリアで使った教材や読んだ文章も、文学作品が多いので、表現が、ふだんの話し言葉に使うには適さないものになったからだと言えると思います。日本で聞いていたイタリア語音声マガジンも、音楽家など、活躍するイタリア人へのインタビューやイタリアの政治や文化についての説明が中心ですから、改まった言葉づかいになり、日常会話ほど、くだけていません。日本語でも、インタビューをするなら、「どういうきっかけで音楽家を志そうと思われたのですか。」と尋ねるのであって、「なんで音楽家になりたいの?」とは、言いませんよね。

 さらに初めてイタリアで暮らし始めたとき、足りない語彙を補おうとして、最大限に利用しようと使ったのは、自分の英語の語彙でした。イタリア語と同じロマンス言語であるフランス語やスペイン語ほどには、英語にはイタリア語との類似点・共通点はありませんが、それでも、英語は、小難しい語句や学術用語になってくると、ラテン語やギリシア語から派生しているため、イタリア語に似た単語が多く存在します。特に実用英検1級のために勉強して身につけた、そういう小難しい言葉には、ちょっと語尾を変えれば、イタリア語として通用したり、イタリア語にはない言葉だけれど、相手に分かってもらえる場合が、よくありました。

 それで、マルケの村で親しくなったイタリアの友人との会話で、たとえば、「それは関係ない」と言うのに、”E’ irrilevante.”と言ったのも、知っている英単語、irrelevantによく似ているので、わたしには表現が覚えやすく、使いやかったからなのですが、そのたびに、”Naoko, che termini usi!”(「なおこ、なんて言葉を使うの!」)と言われていました。今になって思うと、こんな表現は、政治の討論や新聞記事で使う言葉ではあっても、日常会話では場違いなのですが、その頃は、「こういう意味だから、今使える。」と思って、ふだんの会話で使っていたのです。由緒正しいイタリア語の表現なので、友人たちの中に、「こう言った方がいい」と注意してくれる人はいなかったのですが、こういうときは、くだけた日常会話でよく使う表現を利用して、”Non c’entra.”(「関係ない」)と言った方が、よっぽど適していたことは、数年後になって、ようやく分かりました。

 自分が話していたイタリア語が時々場に即していなかったということに、ようやくはっきりと気がつけたのは、けれど、先の授業の打ち上げから、さらに約1年ほど経ってからのことだったかと思います。2003年秋から、ペルージャ外国人大学で、外国人にイタリア語を教えるための学士課程に通い始めたのですが、2004年の社会言語学の授業で、一口にイタリア語と言っても、現在実際に、イタリアで話されているイタリア語は、約九つに分類できると学んだときのことです。

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 こちらが、その九つに分類されたイタリア語です。日本語と同様、イタリア語でも、言いたいことが同じでも、使う語彙や表現は、話す場や、話す相手、話し手の学歴や出身地など、さまざまな要素の影響を受けて、変わってきます。母語である日本語ではよく知っているそのことに、イタリア語で気づけていなかったことに、愕然としました。

 この写真は、当時の大学のノートを撮影したものですが、九つのうち、上に行くほど、改まった場所で話される、格式の高いイタリア語になり、下に行くほど、くだけて、間違いや方言が混入しやすいイタリア語になります。ただし、上から二つ目は科学技術、三つ目は官庁、一番下は隠語のイタリア語なので、使われる場や機会が限定されます。イタリアの学校教育で教えたいと考えているイタリア語は、理想としては、上から四つ目のitaliano standard letterario(直訳すると、「文学的標準イタリア語」)なのですが、最近では、たとえば日本語の「ら抜き言葉」にあたるような、従来文法では間違いとされていた言葉や用法が見られる、その一つ下の、italiano neo-standard(直訳すると、「新標準イタリア語」)が、若者やイタリア人の成人の間にも広まっていると、問題になっています。

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 その授業の大学の教科書がこちらの本で、他にも、言語と社会の関わりについて、主にイタリア語を例に挙げて、興味深いことがたくさん書かれています。この本の130ページに、同じ著者の別の著作(Berruto, G., “Sociolinguistica dell’italiano contemporaneo”, La Nuova Italia Scientifica, Roma, 1987)からの引用ですが、次のように、上の九つのイタリア語のうち、特殊な環境で使われるものを除いた六つに対応する「わたしは、彼らにどんなことを言ったのか、まったく知りません。」という表現が、順に並んでいます。

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Dalla pagina 130 di “Fondamenti di Sociolinguistica
(Berruto G., Laterza)

 どの表現が、皆さんだったら使われるであろうイタリア語に一番近いですか? 

 わたし自身は、改まった書き言葉であれば、”Non so affatto che cosa abbiano detto loro.”、改まった場での話し言葉なら、”Non so affatto che cosa gli abbiano detto.”、くだけた話し言葉なら、”Non so per niente che cosa gli hanno detto.”という表現を使うのではないかと思います。上の表で言うと、3から6の間、つまり、文学的標準イタリア語と新標準イタリア語にあたる表現と言えます。

 この分類が書かれ、発行されて以来、すでに15年経っていますので、イタリア語もその間に変遷を遂げており、たとえば3人称複数形の間接目的語に、loroの代わりにgliを使うことは、今では新聞記事にも浸透してきていますから、現在では、分類やそれぞれのイタリア語に該当する表現に、若干の変化があると思います。

 語学学校や大学で勉強したり、教えていたりすると、表の上の方にある表現に触れたり、学んだりすることが多いのですが、夫と暮らし始めて、家族の中で、あるいは大勢の友人たちと、くだけた会話を交わすことも多くなった今は、7から11のようなイタリア語を耳にする機会も多くなりました。イタリア人でも、すべての人が、この九つすべてのイタリア語を、時と場合に応じて使えるわけではなくて、たとえば、小学校を卒業して、あとは農業に従事した高齢者には、1から3のような表現は、読んで聞いたら分かるけれど、自分が使うのは難しく、一方、学歴が高く、改まった表現がよく用いられる職場で働く人の場合には、家や友人が、くだけた会話でさえそういうきちんとした話し方をする人ばかりであれば、9から11のような表現は使わないでしょうが、家族や親しい友人との間では、そういうくだけたイタリア語も話すかもしれません。

 うちの夫は、勤めているのがウンブリア州庁で、公文書を作成することが多いからか、たとえば履歴書などを作って添削してもらうと、添削では1や2のように、妙に改まった、格式あるイタリア語(italiano aulico formale)の文章になるきらいがあります。けれど、ふだんのわたしとの話し言葉では、新標準イタリア語、友人や同僚と話すときは、方言や口語が混じって、話し言葉のイタリア語(italiano parlato colloquiale)、義父や改築作業の工事の職人さんと話すときは、方言の混じる度合いがさらに高くなって、(文法や正確さに)不注意なくだけたイタリア語(italiano informale trascurato)と、自分が話すイタリア語を、場や話し相手に応じて、変えています。職人さんと話す場合でも、夫の場合は、不注意で文法的に困ったイタリア語になるのではなく、職人さんとの親しみを増すために、あえて方言色の強い、それで、イタリア語としては文法的に崩れたところもある話し方をするのだと思いますが。

 こんなふうに、イタリア語を話すときでも、言葉が使われる場や相手、話し言葉か書き言葉かなどによって、それぞれの場に応じた表現をすることが、望ましいのです。わたしの場合は、くだけた場で、改まった小難しい言葉や表現を使いすぎて、場にそぐわなかったのですが、逆に、日本ではあまりイタリア語の勉強をせずに、イタリアに来て初めて、毎日の生活の中でイタリア語を身につけていくという場合には、学ぶイタリア語が、「くだけた日常会話の中で使う表現、語彙」で終わってしまう可能性もあります。

 イタリアで単に旅行をするだけであれば、若干改まった表現の多い旅行会話を、文法書と並行して学べばそれで十分です。けれども、仕事でイタリア語を使いたいのであれば、せっかくイタリアに留学していても、学生どうし、あるいはステイ先の家族と交わす、くだけた会話ばかりに終始してしまうと、仕事で使って恥ずかしくないような、文学的イタリア標準語や新標準イタリア語は身につかず、自分自身が気づかないうちに、言葉で相手に評価されてしまうこともあるかと思います。逆に、イタリア人と会話がしたい、友達になりたいと思って、イタリア語を勉強するのに、学習書を勉強し、文学作品を読むばかりでは、ふだんの会話で使われている表現が、身につかないことになります。最初のうちは、まずは意思の疎通ができることが大切なのですが、だんだんイタリア語が理解でき、自分でも話せるようになってきたら、今度は、自分が使えるようになりたいのは、どういうイタリア語か、そのためには、どういう場で、どんな人と話す機会を持つようにすればいいか、どんなイタリア語に接すればいいか(改まったイタリア語であれば、新聞記事や文学作品、くだけた会話なら、内容にもよりますが、映画や漫画)を、折に触れて、考えて、自分が理解できるイタリア語、使えるイタリア語の幅を広げていくことが、大切だと思います。

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Le varietà dell'italiano e le situazioni comunicative

Ad Urbania, nel primo paesino in cui ho abitato in Italia e frequentato la scuola di italiano, parlavo in modo un po' strano, cioè parlavo l'italiano scritto, perché in Giappone avevo studiato l'italiano soprattutto leggendo e scrivendo. Per esempio, nella conversazione con amici dicevo 'E' irrilevante' invece di dire 'Non c'entra.'; allora conoscevo pochissime espressioni colloquiali e informali e per me la parola 'irrilevante' era facile da ricordare e usare, perché si assomigliava a quella inglese, 'irrelevant'. Anche quanto alla lingua, bisognerebbe usare le varietà adatte alla situazione, ai compagni ecc. come i vestiti - ma prima di imparare diverse varietà dell'italiano, ci sono voluti anni.
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参照リンク / Riferimenti web
- Treccani.it – Varietà (G. Berruto, Enciclopedia dell’Italiano 2011)
- Treccani.it – Italiano Standard (G. Berruto, Enciclopedia dell’Italiano 2010)

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- 思い出の学校1
- イタリア語学習メルマガ 第8号(3) 「イタリア語学習におすすめの教材(入門者編)2」
↑ 記事の半ばに、わたしが日本で、どんなふうにイタリア語を勉強したか、書いてあります。

Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2012-11-19 17:07 | Lingua Italiana