2013年 03月 14日
新教皇、Papa Francesco
午後7時前に帰宅すると、義家族は教皇選挙、コンクラーヴェ(conclave)の結果を知ろうと、テレビの画面をじっと見つめています。信仰心に篤い義父母は、前教皇の引退発表以来、イタリアのテレビで頻繁に長く報道される、前教皇やコンクラーヴェに関するニュースをずっと熱心に追っていました。地上の絶対的権威というものに懐疑的なわたしは、「教皇だって人間なのだから、体力的・年齢的に限界を感じて辞めてもいいのではないか、何もこんなに騒がなくても」と思い、コンクラーヴェに関する報道も、「裁き弾劾する教会から、愛と慈悲を示す教会になってほしい」と願いつつも、「コンクラーヴェは根比べ」などというしゃれを頭の中で考えてにやりとしながら、少し距離を置いて見ていました。混迷をきわめるイタリアの政治の行方のほうが、ずっと気にかかっているからでもあります。
新教皇は決まらず黒煙が上がるか、それとも決まって白煙が上がるかと、テレビを見守る義父母にあいさつをして2階に上がり、お気に入りのクイズ番組を見ようと夫がテレビをつけると、「白煙が上がった、新しい教皇が選ばれた!」というニュース報道があり、サン・ピエートロの広場を埋め尽くす大勢の人々の姿が映し出されました。
夕食のしたくをするつもりが、今にも新教皇発表かという雰囲気だったので、ついついそのままわたしも夫とテレビの前にいすわりました。前教皇はベネデット、聖ベネデットの次は聖フランチェスコだし、厳しい姿勢の教皇のあとには愛や慈悲に満ちた教皇であってほしい…… 「今度はPapa Francescoかもね。」「いや、フランチェスコという名前の教皇は今までいたことがないから、今回も違うと思うよ。」「今度の教皇は、ラテンアメリカからじゃないかな。」
ようやく8時過ぎになって、新ローマ法王がアルゼンチン出身で、フランチェスコと名乗ると知ったときは、出身国からも名前からも、教会に新しい、そして温かい風を吹き込んでくれそうだと、うれしい予感がしました。
温かさに満ちた、初めての教皇としてのあいさつを聞いて、それが確信に変わりました。精神的に弱い人にも貧しい人にも病める人にも、上からではなく、同じ目の高さから語りかけ、裁くのではなく、愛を尽くして接した聖フランチェスコ。教会が栄華を極め、キリストの教えを忘れがちな中で、清貧を生きようとした聖フランチェスコ。世界各国の間に、そして、さまざまな国の中で、貧富の差がますます広がり、経済的に優位にある国では、心の豊かさが失われつつある中で、本来愛を説くはずのカトリック教が、教会としては弾劾する姿勢を取りがちな中で、聖フランチェスコのような聖人の生き方にこそ教わることが、多いような気がします。というわけで、新教皇の人となりと今後の活躍に、今からとても期待しています。
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Nuovo Papa Francesco, benvenuto!
Già dal nome scelto e dalle prime parole calorose, sento che porterà un vento innovativo con amore e fraternità alla Chiesa.
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関連記事へのリンク
- イタリア語学習メルマガ第86号「新教皇Papa Francescoのあいさつ」
↑ 温かく親愛に満ちた、新ローマ法王のあいさつの前半が、今号の学習教材。
音声映像リンクとあいさつ全文を書き起こした記事へのリンクあり。
わたしも法王選挙はニュースでたまに言及されるのを見て、新聞記事をざっと読むくらいで、どちらかと言うと冷めた態度でいたのですが、選ばれた教皇フランチェスコの温和な笑顔と言葉に、これはカトリック教会に、世界に新しい優しい風を吹き込んでくれそうだと、うれしくなりました。
だんなさん、アッシジ生まれなんですね! わたしも本当に、今の世が求めている、今のカトリック教会に必要な法王ではないかと思います。あまり詳しくはないのですが、いつかまたお会いしてお話できる日を楽しみにしています。
温和で、敬愛できる方のようで、これからの活躍に期待しています。
新法王様の演説もこちらで流れましたが、異国のものでも心のある演説だと思いました。私にも分かる言い回しで聞き取れたのが嬉しかったです。こちらにも漏れ聞こえてくる教会の古い体質と醜聞が、少しづつでも、改められ変わっていけばいいですね。私もなおこさんと同じで、フランチェスコ一世を名乗られたこと、とても親しみがわいて嬉しくもあります。一昨年訪ねたアッシジの風景が蘇りましたよ。あの聖人が求めた慎ましくて、人々のそばに寄り添うような本来の教会の姿になればいいですね。
夫の海外ニュースを見てて感激しながら見ていました。
立派な方なんだなって思いました、これだけの人の歓迎を受けられて
尊敬されるって素晴らしいですね。
いつもありがとうございます。
生活に苦しむ信者に、遠くの貧しい人々への寄付を請いながら、贅沢で費用のかさむバチカンの式典や教皇の移動には常々疑問を感じていたのですが、新しいローマ法王は、さっそくそういう浪費をなくそうと、護衛は半分にし、豪華なものはいらぬと拒否し、ホテルの宿泊費を自分で払ったそうです。昨夜はテレビニュースで「フランチェスコ、行って教会を建て直しなさい」と、かつて聖人が神に呼びかけられたことに言及していましたが、800年前に、キリストの教え、原点を忘れて、富の蓄積や浪費に走っていた教会で、これではいけないと自ら動いた聖人の教えが、当時も教皇から認められはしたのですが、ようやくカトリック教会自体の建て直しに生きるようで、期待しています。庶民が日々の暮らしに苦しむ中、高額な給料の上に、運転者つきの公用車、豪華なメニューなのに格安のレストラン、映画代など多くのものが無料という特典を貪っているイタリアの国会議員に、爪の垢を煎じて飲んでもらいたいものです。
昨日こちらの方でも新ローマ法王のことをテレビで観ました。
お話しを聞いていて素晴らしい方がなられて良かったですね。
全ての方々に平等な気持を与えられることを祈りたいですね。
なおこさん飛蚊症になられたのですね。でも大事に至らなくて良かったです。
民衆と同じ目線で、共に祈り合いましょうと、素朴な言葉で語りかける教皇に、わたしも夫もすぐに共感を抱きました。ニュースや新聞の記事を読むと、同じように感じた人やジャーナリストも多いようです。この期待と尊敬が的を射たものであるように、カトリック教会のためにも、イタリアのためにも(バチカンのイタリアへの政治干渉は度を越しています)、世界のためにも祈っています。
ありがとうございます。Saraさんも飛蚊症なんですか? 汚れは見えるけれど、だんだん気にならなくなってきました。ずっと、こういう調子だとありがたいので、とにかく水をたくさん飲むつもりでいます。
一昨日、日本から旅行に来ている友人と共に、ラファエラもフィレンツェ中継を観ていました。自分の宗教(仏教)もまともに理解していませんが、今年度(2012-13 Accademico)からキリスト教史を特に授業で学ぶ機会が多く、改めて仏教もキリスト教も知識が必要だなと感じました。昨年末に一時帰国した際、各宗教の違い・歴史本や、聖書の解説本などを持って来たので読書中です。新教皇フランチェスコI世のお話しを聞いていて、「教皇位に就く人でも、こんなに親近感の湧くイタリア語を話すんだ~~ めっちゃ“外国人”って感じのイタリア語!」と少し嬉しくなりました(笑)
なおこさんも飛蚊症なんですね。ラファエラも物心ついた頃からフヨフヨしています(笑)ただ、ラファエラの場合、母も飛蚊症なので生来の症状です。彼是23年くらいになります、フヨフヨ歴(苦笑)なおこさんは今後大事に至りませんように。。
スペイン語とイタリア語は互いによく似た言語である上に、当然新教皇はラテン語の知識も豊富なはずなので、親近感のある言葉を使ったのは、意図的なものではないかと、わたしは思っています。後でニュースを見て、選ばれるとは予想していなかったので、特にあいさつを準備していなかったのかなという気もちらりとしたのですが、司教、枢機卿として、博識や権威のある面々の前でも発言をすることに慣れている方なので、あえて真率な温かい言葉を使うことを選んだのではないかと思います。Padre NostroとAve Mariaで、声が出ていない部分は、スペイン語とラテン語でしか知らなかったからかもしれないなと推測しつつ……
ラファエラさんも、お若いのにそんなに長く飛蚊症なんですね! ありがとうございます。ラファエラさんも、どうかフヨフヨがフヨフヨのまま収まって、毎日をつつがなく過ごすことができますように。