2013年 04月 03日
「直子の渡伊日記Ⅰ 出発編」
離任式の日に皆に贈った、このクラスの思い出集に、綴じ込みました。
「直子の渡伊日記Ⅰ 出発編」
1年の予定が、11年経った今も、イタリアに住んでいるため、結局「Ⅰ 出発編」で終わってしまったのですが、今日は、自分自身があの頃を振り返るために、そして、どなたかの参考になればと思って、この渡伊日記に書いてあることをご紹介します。
イタリア
1999年の夏休みに、アイルランドで共に過ごしたイタリア人のクラスメートたちの温かさと陽気さ、人生を楽しもうとする姿勢に魅かれたのが、イタリア語学習のきっかけです。
言葉や文通、実際の旅を通して、その文化に触れるにつれ、行って学んでみたいというあこがれが、どんどん深くなりました。また、自分が言葉や古い文学、いろんな人との交流に強い関心を持っていることに気づきました。
生徒や先生方と共に学ぶのも楽しく充実していたのですが、自分の興味と力が最も向いている方向で、精一杯学んでみたい気持ちが、だんだん大きくなりました。
<今後の予定>
2002年
4月 3日 松山 → 関空 → ミラノ
4/4、4/5は、「こころ」や「山月記」、「人間失格」の愛読者であるイタリア人
の友人に、ミラノの町を案内してもらいます。
4月 6日 ミラノ → ウルバニア
4月 8日 ウルバニアの私立語学学校、Centro Studi Italiani
│ (チェントロ ストゥーディ イタリアーニ)で学ぶ
9月21日
ホームステイ先
(プライバシー保護のため省略)
10月1日 ペルージャ外国人大学のイタリア語イタリア文化コースで学ぶ
│
2003年
3月31日
就学ビザが最長1年間、2003年4月2日までなので、4月に帰国する予定です。もしイタリアの大学に正規あるいは単科留学したい場合には、東京のイタリア大使館で4月~7月にかけて申請の手続きなどを行わなければなりませんし。
ウルバニア
Centro Studi Italianiを選んだ理由は、
1.言葉とともに文化に関する授業(イタリア文学、イタリアの経済など)が学べること、
2.人情が温かく治安のよい小さな小さな町にあること、
3.ホームページや英独米の提携校から、先生方が熱心ですばらしいことがわかること……です。
ペルージャ
ペルージャ外国人大学は数千人の外国人が学ぶところです。文化を深く学べることにくわえて、いろんな国から来た人たちと共に学ぶことができるのもとても楽しみです。「イタリア語イタリア文化プロモーション学科」、「国際コミュニケーション学科」などの学位取得課程も気になります。
1月末に通信教育の「イタリア語上級」を終えたのですが、読み書きはともかく「聞くこと、話すこと」はまだまだなので、まずは向こうで言葉をしっかり身につけモノにしたいと思います。
1年間を通して、イタリア語イタリア文化のさまざまな側面を学んだあとで、イタリアの大学で、あるいは日本の大学院で学ぶか、仕事をするか考えたいと思います。
これから
日本の古典の世界(とくに平安時代)を向こうの人に知ってもらい、日本の人には、日本人は知らないけれど、すばらしい伊文学の作品を紹介するようなことができたら…という漠然とした希望はあるのですが。お世話になっているすてきな先生方、それではArrivederci!(またお会いしましょう)
TOSHIBA Dynabook M3/275PRH
イタリアで日本の情報を手に入れたり、日本の人と日本語でメールをやりとりしたりできるように、世界保証のあるこのノートパソコンを購入しました。メールアドレスがあったら教えてくださいませ。
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以上です。
今、書き写していて、どうやら、クラスの生徒だけではなく、上司・同僚の先生方にも、職員室のレターケースにでも入れて、あいさつに代えていたようだという気がしてきましたが、記憶はさだかではありません。
旅立つ前の予定はこうだったけれど、実際に留学してみたら、どうだったのか。これまでにも、いろいろな記事に少し触れてはいるのですが、今後は、当時の留学生活やイタリア語・イタリア語文化の講座などについても、意図的に、少しずつ書いておきたいと考えています。
3/4/2013 - Sono passati undici anni da quando ho cominciato a vivere in Italia!
- Qualche mese fa ho trovato una mia lettera. Fino al marzo 2002 ho lavorato come insegnante nella scuola superiore e la lettera era indirizzata agli studenti della mia classe e ai miei colleghi.
- "Mi piacerebbe far conoscere la letteratura classica del Giappone agli italiani e insegnare ai giapponesi le opere letterarie dell'Italia"; alcuni di questi desideri si sono esauditi in qualche modo, ma vorrei provare ancora di più!
- Un po' per festeggiare questo anniversario, finalmente abbiamo mangiato (e per farlo prima abbiamo spezzato) il bellissimo uovo di Pasqua; è anche molto buono!
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生徒さんや先生がたも、お別れは寂しくても応援してくれたのでしょうね……。
それと、11年も前のものであるにも関わらず今日なおこさんが書かれたような雰囲気すらするのは、なおこさんが今も好奇心をたくさんお持ちだからなのかな。
私もいろいろな形で「今」を残しておきたいなーと思いました!
お優しい言葉をありがとうございます。今は、もっともっとフランス語が分かって、旅や現地の方との会話が楽しめるようになればと思っています。
留学します、していますという時は、一生懸命情報を書きますけどあとで見るということが少ないですもんね。
こうやって留学していた時の様子を、拝見できるとこちらまで留学した気分になりますし、イタリアに来たばかりの自分の状況と比較して、焦らなくても大丈夫と安心できるかも(笑)
また、ときどき書いてくださ~い。
なおこさんがイタリアに行かれるまでの状況を記録されている日記と、イタリア留学のきっかけを読ませていただいて、なおこさんの気持がよく伝わりました。
生徒さんとのお別れはお辛かったと思いますが、こうして日記で見れて懐かしく宝物ですよね。
文化の違う所では最初は大変だったと思いますが今はもう慣れておられて素晴らしく思っています。
これからもまた書かれてください^^楽しみにしていますね。
幼い頃から父の仕事、成人してからは自分の仕事で、数年ごとに転勤を繰り返し、引越や転校・転勤のたびに、悲しい思いをしていたのですが、おかげで新しい土地に順応する能力は培えたかもしれません。文化の違いには今も驚くこと、とまどうことがありますが、幸い、義家族も異国の文化の風習が違うことに理解があるので、こちらでの生活にも、日本の食生活や文化も持ち込みつつ、慣れることができました。
アイルランドへの多国籍ツアーのこと、イタリアへ行くことへの決断、その時の記憶は鮮明です。
職員住宅を出るときの寂しさも。
周囲の人から、「どうしてイタリア行きを止めなかったのか!」て言われましたが、私は大賛成でした。
イタリアで活躍されている石井ちゃんの様子を伺い、私も幸せのお裾分けを頂いています。