2013年 04月 11日
悲しい帰郷
「帰りました」と、「帰る」という動詞を使いたい思いに駆られるのは、わたしが11年前にイタリアで暮らし始めた最初の地であり、かつ、イタリアの家族と呼べるような友人家族に温かく迎えてもらった、うれしい思い出のある場所だからです。
ただ、昨日突然ウルバーニアに帰ったのは、その大切な友人のお母さんの訃報を知ったからでした。夫が、職場から昼食時には帰宅して、君に同行するよと言ってはくれたのですが、それでは葬儀の開始時刻に間に合わない可能性が高いので、迷った挙句、一人で車を運転して行きました。片道2時間の道のりは長いのですが、幸い天気はよく、白や黄色、桃色のきれいな花たちが、緑の野山を彩っていました。
何かできるわけではないし、気の利いた言葉が言えるわけでは決してないけれど、前にするだれをも優しく包み込むような、病気や苦難に遭いながら、いつも笑顔で働いていた、友人のすてきなお母さんに、最後のあいさつを、皆と一緒することができました。
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Ieri sono tornata ad Urbania, purtroppo per dare l’ultimo saluto alla mamma di una carissima amica.
Era una persona davvero speciale, come descriveva ieri il sacerdote, ‘coraggiosa nei dolori e affettuosa, si dedicava sempre ai familiari, agli altri con tanto amore’.
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↑ ウルバーニアに滞在中、最初のホームステイ先ははずれだったけれど、温かい村の人や友人のおかげで楽しく過ごせたという話。
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でも遠くからお別れを言いに駆けつけてくれたことが、ご本人もご家族もとっても嬉しかったんじゃないかなぁ、と思います。
時々そのお母様のことを話題にしたりして、忘れないであげたらきっと天国で喜んでいると思います。
別離はつらいけど、元気出してくださいね。
ふだんは遠出は夫が一緒のときが多いのですが、ウルバーニアだけは、夫を始め、友人たちなどいろいろな人の車で通い慣れた道だし、有料の高速道路もないので、時々一人で出かけています。この冬、時々どしゃぶりの雨も降る中を、夜、日本語を教えにフォリンニョに通っていたら、運転にはかなり度胸がつきました。イタリアの道路標識には、本当に困りますよね。カーナビにとても助けられています。