イタリア写真草子 ウンブリア在住、日本語教師のイタリア暮らし・旅・語学だより。

『L’étranger』

 今、『L’étranger』を読み終えました。前回、半ばほどまで読み上げたあとで書いた記事には、イタリア語では、急に話が意外な展開を見せ、どう進むのか不安だと、記しているのですが、そのあと、後半を読み始めてすぐに、結末が気になり、最後のページを先に読んでしまいました。心の準備がしたかったのです。

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 冒頭の母の葬儀までの描写が、なぜこんなにも詳細にわたっているのかが、後半の裁判を読み始めてから、納得がいきました。

 俗に名作と言われる作品には、小説でも演劇でも映画でも、悲しい結末を迎えるものも多く、そういう作品をかつて何度も読んで、あるいは見て感動はしているものの、最近は、映画では、残酷な場面の多い作品や悲劇、スリラーを避けていました。幼い頃、『まんが日本昔話』で、夏に一話だけ挿入されていた恐い話を見ただけて、夜眠れなくなり、一晩中恐怖を引きずったりしていたのですが、今もそういう傾向はあって、わたしの中では、後味の悪さがいつまでも残ってしまうからです。というわけで、この作品も、たぶん筋を知っていれば、読まなかったと思うのですが、読みかかったので、いつまでも心に重しを引きずらぬようにと、一気呵成に読み上げました。

 「異邦人」と訳される題名の、L’étrangerとはいったいだれのことだろうと、読み始めてから気にしていたのですが、読んでいて、そして読み終えて、フランス語のこの言葉は、日本語の「異邦人、外人」という訳では一くくりにすることができないのではないかと感じました。

 猛暑のさなかに、突然訪れた母の訃報で、母の暮らしていた養老院に向かい、通夜を過ごす際にも、そして、死刑を科せられ、牢の中で思いをめぐらせる場面でも、主人公である語り手が、ある意味で、自分の身にふりかかる現実を、自分自身ではなく、他人に起こっているかのように、突き放して冷静に描写していることが、印象に残りました。最初に読み始めたときは、冗長な描写が作家の特徴かと思い、あるいは、主人公が、突然の母の死を現実として受け容れることができずに、こうして、枝葉末節に注意がふりむけられ、語られているのかと考えたのですが、読み終わった今は、こんなふうに、主人公がどこか、自分自身の人生をまるで自分に無縁な(étranger)ことのように、あるいはよそもの(étranger)のように受け取り、語っていることこそ、この題名の意味なのではないかと感じました。突きつめて考えれば、痛みに襲われるので、それを避けるためにあえて、冷静であろうと、他のことを思うということは、小説中に書かれていたのではありますが。ある意味、太宰が「人間失格」と作品の主人公に言わせていた性質に似たものが、別の意味である気がしました。

 母の亡骸の前で涙を落とさず、カフェオレを飲み、また、神の存在を信じない。正当防衛の結果、起こしてしまった殺人が、こういう殺人自体とは無縁であるはずの事実をもとに、曲解され、不当な罵倒と理不尽な判決を受け、死刑になってしまう主人公。主人公である語り手と共にそれまで、さまざまなできごとに接してきた読者には、主人公は、俗に言ういい人であり、やむにやまれぬ状況で、発砲して殺人を犯してしまったことが分かるのに、その地の風習とは異なる行為を、あるいは、理解ができない信条や行動を、その地の人々の常識と偏見で解釈され、恐ろしい運命や現実に向き合うことになる。

 読みながらすぐに、かつて読んでとても感動した、『To Kill a Mockingbird』や、映画、『パーフェクト・ワールド』を思いました。前者では、偏見や差別意識が、いかに人々の恐怖をかきたて、理解を妨げ、そうして、無実の若者が有罪とされ、死を遂げ、後者でもやはり、観客には悔い改めた善人だと分かる主人公が、前科などから来る偏見によって、悪辣な犯罪者と誤解され、警察に射殺されてしまいます。映画を見たとき、ステレオタイプや差別、偏見のうずまく現代社会が、いかに「完璧な世界」から程遠いかを思い、愕然としたのを覚えています。

 次々と身に起こるできごとに、悪意なしに、思うように、なるように行動していただけで、いきなり社会に有害な、反道徳きわまりない殺人犯として、死刑を宣告された主人公。

 その牢屋での思いを読みながら、中島敦、『山月記』の李徴を思い起こしました。

  「どうしても夢でないと悟らねばならなかった時、自分は茫然とした。そうして懼れた。全く、どんな事でも起り得るのだと思うて、深く懼れた。しかし、何故こんな事になったのだろう。分らぬ。全く何事も我々には判らぬ。理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。」

 小説自体がそういう書かれ方をしているのか、いえ、きっとおそらくはわたしのフランス語の力不足で、今ひとつ、結局主人公は、現実に上訴を取り消したのかどうか、また、最後の場面が、処刑の直前なのか、それとも、そうではないのかが、残念ながらよく分かりません。それでも、人生や宿命の理不尽さ、偏見の恐ろしさを、この小説を読みながら、つくづくと感じました。最後に主人公が、「自分の人生は幸福だったし、今も幸福だ。」と感じ、人生や社会と和解をしているのが、せめてもの救いです。

 次は気を取り直して、再びジュール・ヴェルヌの作品を読むつもりでいます。

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Ho finito la lettura di "L’étranger".

Ingiusto, triste ... è orribile come i pregiudizi impediscono di vedere la realtà, come certe azioni della vita quotidiana conducono il protagnista alla condanna a morte, quando non la merita per niente. Almeno alla fine lui si trova in pace con se stesso e con il mondo; ciò mi rasserena un po.
Ora leggerò "L''Île mystérieuse" di Jules Verne!
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関連記事へのリンク
- フランス語で読む夏2 (6/8/2013)
- フランス語7か月で464時間、原書で読む『異邦人』 (13/8/2013)
- 青空文庫 - 中島敦、『山月記』

LINK
- Amazon.it – A. Camus, “L’ètranger”, Collection Folio

Articolo scritto da Naoko Ishii

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Commented by suzu-clair at 2013-08-17 21:56
カミュのL'etranger、名作として名前だけは知っていながら、
私も読んだことがありませんでした。
今度私も読んでみたくなりました。
いつも興味深いお話を、ありがとうございます。

前回のコメント、重複送信でなくてよかったです(苦笑)。
同じ内容ではと、2回目の書き込みでは簡単に書きましたが、
お写真の夕空に感動で胸がいっぱいになり、
「いろんな現実が目の前にあったとしても、
 こんなに美しい世界の中に、私たちは生きているのだと思うと、
 希望で満たされる」
ということを書きたかったんです^^
美しいお写真を見せてくださって、本当に感謝しています☆
Commented by milletti_naoko at 2013-08-17 22:53
すずさん、この小説の主人公も、当たり前に受け取っていた日常生活から牢屋での暮らしに隔離されて始めて、夏の日ざしや夕べの匂い、海に入るときの感覚など、そういうささやかな喜びのすばらしさを感じていました。わたしも夕焼け空の美しさには本当に感動して、翌日も山を登り、今度は山頂近くから十分に眺めを楽しみました♪

本当に世界は、美しいもの、すてきなもの、何かを教えてくれるもので満ちていますよね。こちらこそ、お優しいうれしいコメントをありがとうございます。
by milletti_naoko | 2013-08-16 17:18 | Film, Libri & Musica | Comments(2)