2013年 12月 13日
わたしとイタリア語、思い出の学校2

退職して、2002年4月からイタリアで語学留学をすることを決心してからは、どこで勉強するのがいいだろうかと、本やインターネットで調べ、京都で開かれた留学説明会に、はるばる愛媛から参加しました。結果として、まずは地方の小さい私立の語学学校で、村の人と交流しながらイタリア語で聞き、話す力を身につけ、それから、ペルージャの外国人大学で、イタリア語やイタリア文化について、より深く学ぼうと考えました。今振り返って、いい選択をしたなと感じています。マルケの小さな村、ウルバーニアでは、数か月過ごすと、近所の人や見知らぬお年寄りが、声をかけてくれたり、食事に招待してくれたりして、学校で出会った世界各国からの友人だけでなく、イタリア語で話す機会が多く、地元の方と交流をすることもできました。大切な友人たちにも出会うことができました。

わたしが通ったのはこちら、Centro Studi Italianiという学校です。先生が熱心で親切で、とにかく話す機会を設けよう、いろいろとわたしたちに興味があることを教えようとしてくださいました。冒頭の写真でお分かりのように四方を山に囲まれていて、交通の便がそれほどいいわけではありませんが、すぐ近くにあるウルビーノを始め、フィレンツェやサン・マリーノなど、学校でいろいろと、小旅行を計画してくれました。オペラ歌手志望者たちが学ぶアメリカの大学との提携もあって、夏にはこうした学生たちが多数押し寄せ、毎週イタリア語の歌のコンサートがあったり、村の劇場で、学生たちによるオペラの上演があったりもして、楽しかったです。

日本でしっかり勉強していたおかげで、最初から上級クラスに入ることができました。授業の理解には問題がありませんでしたが、しばらくは、言いたいことがあったときに、言いたいことがすぐに言葉として出てこなくて、もどかしい思いをしました。もともと日本で国語を教えていて、正しくきちんと話さなければいけないという意識が強かったためでもあるのでしょうが、当時の友人たちにも、「イタリア語を上手に話すけれど、ゆっくりゆっくり話をするね。」と言われました。外国語学習は車の運転を学ぶのに似ています。いくら車のしくみや交通規則を習っても、実際に自分で車を運転し、さらに運転に慣れてからでないと、いちいち考えずにさっと運転ができるようにはなりません。外国語も、文法や語彙をいくら知っていても、実際に使う機会がなければ、頭のどこかには存在する知識が、さっと口から出てくるようにはなりません。小さな村で親切な村人たちと、そして、学校が小さいので、授業中も授業の後も、イタリア語で何かと話す機会を持てたおかげで、ウルバーニアでは、日本でわたしに欠けていた路上教習、コミュニケーション実践を積むことができました。

春先の人数が少ないときには、文法の授業では、発言の機会が多く、先生がきめ細かく指導してくれるという利点があり、上級クラスであった上に、英語圏ではないヨーロッパ諸国からの留学生も多かったので、幸い授業以外の場でも、友人たちとはイタリア語で話すことができました。ただ、すぐ近い国から来るこうした留学生は、2週間、1か月と、わずかな期間滞在しては、自国に戻る傾向があって、親しくなったと思ったらさよなら、そして、生徒がしばしば変わるので、遠過去や接続法など、授業内容も、同じことを学び直すこともまれではなく、留学期間が終わる半年後には少々退屈に感じることもありました。

午後には、イタリア語会話や美術、歴史、文学などの授業がありました。美術の授業では、ウルビーノの美術作品について詳しく学んだ後、ウルビーノへの学校からの小旅行があって、授業も旅行もとても興味深かったです。文学は、後でペルージャ外国人大学で受けた、内容が濃く、しかもおもしろい授業に比べると、まだ大学生だった、校長の娘さんの授業だったこともあり、もっと工夫できたのではないかと思います。ある作家の作品を、作者や作品解説を読んだあと、ひたすら読み続けるという感じだったのですが、それでも、いろいろな文学作品に接する機会を持つことができました。歴史の授業は、おもしろいこともあった一方、オーストリアからの留学生が憤慨するほど、歴史をイタリア寄りにゆがめて説明するなど、主観的になりすぎることもありました。これも、ペルージャ外国人大学のイタリアの歴史の授業を受けて、そのときに、学問的根拠があり、かつ客観的でおもしろい歴史の授業とはこういうものなのだと、感心しました。小さい学校でありながら、イタリア語だけではなく、イタリアの美術や歴史の授業があるのが、わたしがこの学校を選んだ理由の一つなのですが、美術の授業をのぞいては、こういう文化の授業の講師の資格に問題があった気がします。というわけで、話す機会を多く持てたという点には感謝しているものの、イタリア語やイタリア文化について、本当に系統だった学習を、しかも深くできたのは、やはりペルージャ外国人大学の講座でだったと思います。

お金を別に払って、当時は存在していたイタリア料理のコースにもしばらく通いました。イタリアやマルケの料理について、単に作り方だけではなく、文化や歴史も学ぶことができて、さらに、おいしくて、それほど手間はかかなない料理をいろいろと教えてもらって、とても参考になったし、何より楽しかったです。この授業を教えてくれた先生、フランチェスカは、実はわたしの親しい友人のいとこです。今も村で、家族と共に、手作りのパスタやピザなどを作って、店で売っているため、ウルバーニアを訪ねたときには、あいさつがてら訪問して、とびきりおいしいおみやげやおやつを、いくつか購入しています。

おととしの話ですが、この虹色のピザを夫へのおみやげにと購入したのですが、野菜たっぷりで彩りがきれいで、しかも、それはそれはおいしかったので、夫も感激して、どうやって作ったのだろうと、食べながら生地を見て研究していました。

滞在で一番わたしにとって問題だったのは、ホームステイ先です。受け入れ先の家族との交流や会話を期待していたのに、わたしが当たった家は、経済的な理由だけで留学生を受け入れていて、夕食も頼んであったのに、家族はすでに先に食べてしまったあと、わたしだけ一人で、冷たくなった食事を食べなければなりませんでした。洗濯も、それは考えたらそういうものかもしれませんが、7ユーロだか8ユーロだかお金を払って頼まなければいけませんでした。他の友人たちは、いつも夕食を一緒に食べて、遅くまで話をしたり、日曜に一緒に出かけたり、支払ってはいないのに昼食にも招待されたりと、面倒みのいい家庭に当たった人も多いようで、そういう話を聞くたびに、悲しくなりました。幸い、途中で学校側に相談して、ステイ先を交換してもらい、今度は温かく、かつ国際交流に関心のある家庭で過ごすことができましたし、その頃にはすでに、ウルバーニアに家族ぐるみで親しくなった友人ができたり、知り合いのお年寄りがたくさんいたりして、しばしばそういうお宅でごちそうになり、また、一緒に過ごしたりしていました。

ホームステイにはあたりはずれがあるし、合併授業や授業のレベルの問題も、小さい村の小さい学校では仕方ない点もあるのではないかと思います。外国人大学の上級コースの授業は、留学生の大半が、少なくとも講座が続く半年はしっかり勉強しようと考えて来ているのですから、しっかりした授業編成や計画ができるのは、当然と言えば当然でもあります。2002年4月から9月末に外国人大学に入学するまで、半年間学んだ学校は、いろいろあったけれども結果として、いい思い出・学び・交流の機会をたくさん与えてくれました。村の人も温かく、村は空気も眺めも治安もよくて、わたしがイタリアで暮らし始めた最初の半年を、そういう村で過ごすことができたのも、この学校のおかげだと、いろいろな意味で感謝しています。
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Ricordi di Urbania e della scuola, Centro Studi Italiani
Urbania, bellissimo paesino delle Marche dove ho iniziato a vivere
in Italia, gente e amici gentili, accoglienti e simpatici.
Centro Studi Italiani, molto bei ricordi delle lezioni, tempo trascorso con gli amici, escursioni, concerti & teatro. Insegnanti bravissimi e disponibili.
Tutto buono @ negozio, Il Mattarello. Bella e ottima la pizza arcobaleno. Anche qui ricordi della scuola, ho imparato nel corso di cucina italiana da Francesca.
Piatti squisiti e belli da vedere, decorati dai fiori @ Casa della Tintoria.
Sì, ad Urbania ci si mangia anche bene!
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参照リンク / Riferimenti web
- Centro Studi Italiani – Italian school of Italian launguage and culture for international students
- Casa Tintoria - Cucina
関連記事へのリンク
- 思い出の学校1 (2/12/2011)
- 指輪の行方 (21/4/2012)
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- 悲しい帰郷 (11/4/2013)
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- イタリア語のTPO (19/11/2012)


語学の学習にしても、今の自分の状況とくらべて、大変ではあるけれど、なおこさんのようにじっくりと取り組んだあとの成果は大きいなぁと思いました。
しかしなんといっても、なおこさんのこつこつと続けてきた努力に感服しました。
おはようございます。
松山での生活からイタリア留学まで、色々と
調べて行かれる、当たり前のようなことですが
なかなか忙しいと出来ないこともありますね。
なおこさんの考え方や生活、勉強への取り組みは
これから学ぶ人にとってとってもためになり参考に
なりますね。
ホームステイ先の治安も気になりますし、何より
お宅の雰囲気に受け入れですねぇ。
素晴らしいお話にわくわく読み進みました~♪
いつもありがとうございます。
感じました~♪料理まで習われたというのに、少し興味がわきました(笑)。語学=文化ですね!両方学んではじめて理解できるのだと思いました。
私なんかだと、料理が好きなのでそちら方面からアプローチすれば、語学も少しものになるかも???なんて勝手なことを少し思いました。
そして、イタリアにオペラ歌手志望の学生が短期留学で来て、歌劇の上演があったりしてとても濃い時間をすごされたのだと、羨ましくも感じました(*^_^*)

実際に現地で生活しますと、沢山の不便や不具合なども出てきますし、往々にして最初に期待した留学生活とはかけ離れるものですが、それでも初志貫徹されたなおさんはやっぱり凄いと改めて思います。それにしても選択する学校も住む場所もしっかり考えなくてはいけませんね。
現在があるのですね。
なおこさんの記事を拝読しながら、
自分のフランスでの語学学校の思い出を重ねて、思い出したりしました。
語学学校は、ほんとにいろんな留学生が入れ替わりたちかわりする中での、出会いと別れが繰り返されたりして、
そこでのさまざまな国民性の違いを知ったりと、
いろんな発見がありますよね。
私は、日本人同士だとなんとなく通わってくる
ニュアンスや本音のような部分が読み取れないことに、
ちょっとだけ苦悩を感じたことがあったなあと思い出しました。
そんななかで、
私たちを温かく応援し続けてくださった先生たちに恵まれたこと、とてもいい思い出になっています。
こういう経験って、
一生の思い出になりますね。
私は、現地になじんで自分で生活できるまでの力をつけるほど滞在できませんでしたが、
いろんなご経験を経てイタリアでの今を生きていらっしゃるなおこさんには、
本当に頭が下がる思いです。
とすかーなさんやライラさん、Patataさんのように、愛する人がたまたまイタリア人で、人生を共にするために人生を180度転換してイタリアで生活を始め、新しい家族と、妻として、家族としての役割分担も果たしながら、思うように表現できず理解が難しい場面もある中で暮らしていくのこそ、本当に大変で、そんな中で皆さん、苦労の多い中頑張っていらっしゃって、わたしも感服しています。
小さい村の方が村の人が打ち解けやすく、外国人に限らず、きさくに話しかけてくるということは、日本でもありますよね。とすかーなさんも、少しずつピサでの生活でお友だちができて、交流が増えてきているようで何よりです。
イタリアの町や語学学校も千差万別だし、留学の目的や期間も人それぞれなので、こういう例もあったと、11年前の話ではありますが、どなたかの参考になれば、うれしいです。
こちらこそ、いつもありがとうございます♪
料理の授業には1、2か月ほど通ったのですが、基本的なおいしい料理のフルコースを、実用性のあるものを選んで教えてくれて、とても助かりました。今もリゾットや肉料理、パスタを作るときは、あの頃教わったことを思い出したり、レシピを見直したりして、参考にしています。語学は興味のあることが教材だと、やる気も身につく率も高まるので、お料理大好きなアリスさんには、イタリア語のレシピや料理番組、料理の作り方を示した映像なども、とってもいい学習教材になりますよ。野菜の写真や映像と一緒に、言葉や音声が身につくので、視覚と聴覚を動員し、さらに実際に自分で作ってみたりすると、触角・味覚・嗅覚と五感を総動員するので、着実に残るものがあると思います。五感の多くを使えば使うほど、脳に記憶が長くしっかり残りやすいのです。(つづく)
プロを目指す学生さんたちのコンサートやオペラを楽しめたのも、いい思い出です♪ ミラノに行かれて、スカラ座で鑑賞されるアリスさんこそ、充実した旅行をされているなあと、わたしもそういう機会を作らなければと、感じています。
日本に残って、自分の道を切り開き、さらに着々と開拓を進めているすずさんこそ、すばらしいなとわたしは思います。留学経験も、花にやる肥やしと同じで、わたしたちをいろんな面で成長させ、支えてくれているのだと感じています。
このような経緯がおありだったのですね。
人生の岐路で、大きな決断をされたこと…私だったらどうだろうか?と自分に置き換えて取り留めもなく考えてしまいました。
イタリア留学中、楽しいことはたくさんあったかと思いますが、大変なことも苦労も楽しいこと以上にたくさんあったのではないか と思います。そんな中でも、諦めずに自分で道を切り開かれた なおこさん、本当に素敵です!
話は変わるのですが、”ゆっくりゆっくりイタリア語を話す”、と言う部分、私は最近文法よりも話すことに重点がきてしまっていて、兎に角早口、文法も正しくないことも多いのです、気をつけなくてはいけませんね、大切なことに気づかせてもらいました…!
実際にイタリアに暮らして、イタリア語で話すことを余儀なくされる場合は、文法に気をつけてていねいに考えながら話す必要もあるし、こちらの人はあまり人の話が終わるまで待たないし、何らかの事情で、とにかく内容をすぐに伝えなければと、文法がおろそかになる場合もあると思います。早口でどんどん話せるということは、それだけイタリア語が身につき、自分で自分の間違いに気づけるほど、文法もマスターできているということですよね。すばらしい! わたしも夫とけんかしていたり、何か慌てていたり、友人たちとのくつろいだ会話だったりすると、とにかく流れに乗って言ってしまうことも大切なのと、リラックスしているのもあって、言ってから間違いに気づくことがあります。状況に応じて、ときに文法、ときに内容に重点を置かれると、そのうち意識しなくても、自然にきちんと話ができるようになっていくと思いますよ。