2014年 01月 12日
空高く飛べ

realizzato da Francesco Brugnami, Porziuncola
単に人々が、長く展示を楽しめるようにという配慮かと思っていたら、そうではないことが、今日のミサに参列して分かりました。今日のミサを執り行った、わたしたちが説教を聴くのが好きな修道士さん独特の意向ではないかと推測するのですが、今日、イエス・キリストの洗礼を祝う日を、二度目の顕現(Seconda Epifania)ととらえ、ひいては、クリスマスの祝祭の終わりと解釈したからのようです。

そういうわけで、今日のミサでも、クリスマス聖歌が歌われていました。
説教で印象に残ったのは、「イエスは列を飛ばさない」、「深海に飛び込め」、「空高く飛べ」、「しぶきを散らさず、濡れたまま行け」ということです。

修道士の妹さんが子供とガルダランドを訪ね、高い特別のカードを購入すれば列に並ばずにすぐに乗れると知ったけれど、それが子供の教育上よろしくないというところから、話は始まりました。その話を聞いて、わたしはすぐパリで利用したParis Museum Passを思い出しました。「どうしていけないのだろう」と思って聞くと、「高い金さえ払えば、他の人と同じように列に並ばず、自分だけ列を飛ばせるという悪い学びがあるからだ」ということです。
確かに、イタリアは、病院でも警察署でも、お金があれば、だれかを知っていれば、他の人と同様に列に並ばず、すぐにサービスが受けられることがまれではない、そういうところがあり、やがてはそれが、賄賂や汚職に結びつき、「金さえあれば優先権が得られる、何でもしていい」というゆがんだ処世観につながっていくのかもしれません。漠然とそんなことを考えました。

生きていくということは、人生で確実な二つのこと、「自分が生まれたことと、やがて死んでいくこと」、その二つの間を過ごすことであり、二つの確実の間の不確実に、勇気を持って飛び込むことである。水がよどみ濁った浅瀬に身を投じて、すぐに頭を打つのではなく、水が澄む深い大海に飛び込もう。
飛び込むには、飛び上がる必要があるのだけれど、飛び込み台からではなく、トランポリンから飛び込もう。自分の判断基準や望み、思い。飛び込み台からでは、そういう自分の枠から抜け出せずに飛び込むことになる。そうではなくて、トランポリンで、自分よりも大きなものに(ミサでは「神」や「神の声」だったのですが、これは、カトリックの枠を出て応用すると、「天」や「道徳」とも置き換えられると思います。カントの言う「至上命令」)力を借りて、楽により高く飛び上がり、それから飛び込むのがいい。

realizzata da Marcello Baldelli, Porziuncola
水泳競技の飛び込みで、水しぶきを上げると減点になるのは興味深い。教会で祈ったり、善行をしたりするのに、「自分はこうしています」と言わんばかりに、人に分かるように水しぶきを上げるのではなく、静かに飛び込んで、その代わり、自らは濡れて出て、周囲も濡らしていく。つまり、自分の学びや得たものを周囲に自らの振る舞いを通して伝えていくようでありたい。
同じ話を聞いても、心を打つこと、こうしなければと感じることは、人それぞれだと思います。謙虚な心と振る舞いを心がけ、自分の思いや狭い枠にとらわれず、より高く、より広い世界を求める。自分の功を喧伝するのではなく、よしと思うことを静かに実行に移していく。そんな生き方ができればいいなと思いました。

この数日、ペルージャの我が家もその周辺も1日中深い霧に覆われています。ミジャーナに出かけた夫は、改築中の家の1階部分までだけ霧に包まれ、その上は晴れていたと言い、昨晩、車で30分ほど離れた友人宅に招待されて出かけたのですが、どこまで行っても霧が晴れませんでした。今日もペルージャ・アッシジ間は、行きも帰りも白い霧の中を進みました。

どんなに周囲が霧に覆われていても、その上には晴れた青空が広がっている。

アッシジの中心街へと長い坂道を上ると、途中で霧が晴れて、霧の海の上に出たことがあるのですが(下記リンク参照)、今日もひょっとしたら、そうかもしれない。帰りの車の中で、夫がそうつぶやいていました。
ともあれ、次回パリを訪ねたら、やっぱりミュージアム・パスを買うことになると思います。
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Presepe su radici d'ulivo - Porziuncola, Assisi 12/1/2014
Mostra dei presepi del mondo fino ad oggi, considerato come 'Seconda Epifania'.
Dalla predica : "Tuffati nel mare profondo, vola alto con trampolino che ti aiuta a saltare con faciltà e uscire dal tuo schema mentale, non fare schizzi ed esci bagnato, vale a dire, non preghi facendoti notare ma trasmetti gli altri ciò che hai imparato tramite i tuoi atti, comportamenti."
Strade e città tra Perugia e Santa Maria degli Angeli, tutte avvolte dalla nebbia. Mi ricordo della città di Assisi che sembrava un'isola in mezzo al mare di nebbia.
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関連記事へのリンク
- Isola di Assisi sul mare di nebbia / 霧のアッシジ (25/11/2012)
- イタリアの今・未来 (8/8/2013)
- イタリア語学習メルマガ第91号 「初プレゼーペと聖フランチェスコ、フィレンツェ ブロガー招待」



「世界のプレゼーペ展の展示」が開催されていたとは、さすがアッシジですね!それにしても、古木の根を彫って創ったという「プレゼーペ」は味わい深くて圧巻ですね!!
なおこさんの今日の記事を読みながら、イタリアのあちこちで何とか脱税できれば、と試みている人が多いことなどをふと思いました。
今年は北イタリアでは霧に見舞われることは少ないのですが、
でも、霧の上には青空が広がっているのですね~!
ご主人様の一言、心に響きました!!
霧で覆われた上に、アッシジの街の中心街が浮かび上がっている景色は素晴らしいですね~♪
まるで、精神的な高みを目指していった上には、このように晴れ晴れとした景色が広がっていると教えてくれているような・・・というように感じます。霧は、いろいろな困難を表しているかのようですね。
上にこのような景色が待ってるとしたら、霧も悪くないですよね♪
本当にいろいろと考えさせていただける良いお話でした!
いろいろと感じるところあり、「自分の枠を取り外そう、とあがいているうちは、結局は枠は外せていないんだろうな」……などと思いながら拝読しました。
ペルージャがこんなにしばしば長時間にわたって霧に覆われるのは例年にはなくて異常だと夫は言います。風情はあるのですが、洗濯物も乾かないし、青空が戻ってくれますように。
今回の話は、説教自体で深く踏み込むのではなく、聴く者自身に、後でよくよく考えてみなさいという内容のものが多かったと思います。
素晴らしい修道士さんのお話を、
なおこさんがこうしてシェアしてくださるおかげで、
私も素晴らしいお話の中から、
自らを省みたり、共感したり、
深く考える機会をいただいています。
アッシジの霧の海のお写真、
幻想的で本当に美しいですね。
ちょうど今日、私も、
なにがあっても殻に閉じこもってしまうことなく、
勇気を出して広い世界へと飛び込むことが大切なんだな・・・
とか、いろいろ思っていたところでした。
私も空高く飛ぶ勇気をもちたいです。
その向こうに、なおこさんの見せてくださったお写真のような、
美しい世界が広がっていると、
私も信じたいと思います。
素敵な記事を、本当にありがとうございます☆
自分の力や可能性を信じて、失敗したってそれが学びのチャンスだと思って飛び込んでいく度胸が大切なのですよね。すずさんは、すでに飛び上がっていらっしゃるように思うのですが、わたしも飛び込む、飛び上がれる勇気と行動力が持てるようにしたいと、つくづく感じています。まずは自分がこうありたい、こうなりたいと思う姿を、具体的に現実的に思い描くことが、そしてその実現を信じる心が大切なのでしょうね。お互いに頑張りましょう!