2014年 01月 29日
イタリア最古の民族
それで、ひどく驚いたのです。2010年1月に、アメーリア市立考古博物館で、掲示を読んで知ったときには。
なんと、イタリア最古の民族と考えられているのは、ウンブリア人だと言うのです。
"Plinio il Vecchio, vissuto nel I secolo d.C., affermava che gli Umbri erano il popolo più antico d’Italia (gens antiquissima Italiae) e che il loro nome derivava dal fatto di essere sopravvissuti all’ombros, il “diluvio” universale, episodio mitico divenuto patrimonio comune di molte popolazioni antiche." (Dalla bacheca del Museo archeologico comunale di Amelia)
読み進めると、さらに、すべてを覆い尽くす「大洪水」(ombros)に耐えて、生き延びた人々であるために、「ウンブリア人」(Umbri)と呼ばれていると、書かれています。そして、この大洪水は、多くの古代民族が語り伝える伝説だそうです。掲示には、この後も続いて、古代ギリシアの歴史家たちによると、かつてはラヴェンナやリミニ、ファーノ、サルシナ、サッソフェッラートやセニガッリアまでが、ウンブリア人の領域であったと書かれています。
当時の日記には、こんなふうに記しています。
「考古学博物館に入ったのは雨がどしゃぶりだったのがきっかけだったけれど、Umbriの活躍やローマとの争いなど、おもしろい展示があり、博物館の人が親切に展示資料までくれた。」
テベレ川とネーラ川に挟まれた、アドリア海岸まで続く広い領域に、かつてはウンブリア人が住んでいたのだと読んだのは、ペルージャの国立考古博物館でだったような気がしますが、ウンブリアの町で言うと、たとえばグッビオやアッシジ、スポレートなどが、ウンブリア人が暮らしていた地域です。いつか記事にしようと温めすぎて、記憶があいまいになりましたが、確かアメーリアでも、スポレートでも、博物館には、古代ウンブリア人たちの残した道具や装飾品がいろいろと展示され、当時の暮らしの様子が推測されていて、展示を見ながら、農耕を好む、穏やかで平和な民族だったばかりに、後から来た民族に侵略されて、目立たない存在になってしまったのかなと、思ったように覚えています。侵略してきた古代ローマ人と、結局は和解して、うまく共存していったと、展示にあった気がします。館内では撮影禁止とあったので、スポレートでは、興味深い展示があっても、写真は撮りませんでした。
ちなみに、このスポレートの考古博物館は、国立美術館や博物館などが無料になる文化週間を利用して、訪ねました。
この日は、同じくスポレートにある城塞、Rocca Albornozianaも、無料で訪ねられると楽しみにしていたのですが、無料なのは、城内にある国立博物館だけで、城塞は、割引ではあっても有料だと知って、後日時間のあるときに訪ねることにしました。(下記リンク参照)
この城塞は、現在放映中のドラマ、『ドン・マッテーオ9』では、刑務所という設定になっています。現実には、今は観光施設なのですが、夫によると、数十年前までは、刑務所として使われていたそうです。
その翌週には、やはり文化週間を利用して、ペルージャにある国立ウンブリア考古学博物館も訪ねました。
この博物館は、ペルージャの中心街からも鐘楼が見える、サン・ドメーニコ教会の隣にあります。名前に「ウンブリア」を冠しているだけあって、一地域に重点を置いたアメーリアやスポレートの博物館に比べると、ウンブリア各地域について、説明や展示があるものの、大切な要素だけを抜き出してざっと説明してあるだけという印象を受けました。
ペルージャに多くの足跡を残したエトルリア文明に関しては、さすがに展示内容が充実しています。
ウンブリア州という名前そのものが、もともと「ウンブリア人の住む国」を意味する言葉に由来するのに、エトルリア文明や古代ローマの遺跡ばかりに焦点が当てられているのは、やはり勝者、強い者、優れた文明を持つものを、よしとする思いからでしょうか。州都のペルージャが、エトルリアの地だったからでしょうか。
ペルージャの博物館でも、わたしは、古代のウンブリア人、エトルリア人とローマ人の関係に注意しながら展示を見ました。テベレの右河畔にウンブリア人が、左河畔にはエトルリア人が暮らしていたと、絵や文章で示されています。
“Due popoli divisi dal fiume
[…] due popoli, Umbri ed Etruschi, che hanno abitato il territorio, in larga parte identificabile con gli attuali confini regionali. Le due etnie occupano rispettivamente la sponda sinistra e quella destra del fiume Tevere” (Dalla bacheca del museo)
ウンブリア人がとても古い民族であることや、その領地の広がりを記した、古代ギリシアや古代ローマの文献の該当箇所が紹介されています。
この二つの民族が、どういう経緯を経て、ローマ人に征服されていったかも、詳しく説明されていました。その詳細は、また、機会があれば取り上げるつもりでいます。
ペルージャの博物館からミニメトロの駅に向かう途中、丘の斜面いっぱいにヒナゲシの花が咲いていて、うれしかったです。
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Sapevate? Sono stata molto sorpresa quando ho letto queste spiegazioni sulla bacheca del Museo archeologico di Amelia. Quanto ai popoli antichi, a Perugia parlano quasi esclusivamente dei Romani e degli Etruschi, però...
"Plinio il Vecchio, vissuto nel I secolo d.C., affermava che gli Umbri erano il popolo più antico d’Italia (gens antiquissima Italiae) e che il loro nome derivava dal fatto di essere sopravvissuti all’ombros, il “diluvio” universale, episodio mitico divenuto patrimonio comune di molte popolazioni antiche."
"Il geografo Strabone, più tardi, menzionava come umbre le città di Ravenna, Rimini, Fano, Sarsina, Sentino (attuale Sassoferrato) e Senigallia"
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関連記事へのリンク / Link agli articoli correlati
- アメーリア、考古学博物館とプレゼーペ / Amelia, Museo archeologico & Presepi (22/12/2010)
- スポレート大冒険 / Avventura a Spoleto (15/4/2012)
Riferimenti bibliografici & web
- Schede illustrative del Museo archeologico comunale di Amelia
- Treccani.it – Umbri. Enciclopedie on line
- Treccani.it – Umbri. Enciclopedia Italiana (2012)
- Perugia.com – Storia della città – Periodo Etrusco
やっぱりいつの時代でも、どこの国でも、強いもの、勝者、優れた文明を持つものがよしとするものなのですね、。
そのようななか、資料としてなにかしら残っているというのは、真実味があるし、興味深いことだと思います。
後世に生きる私達は、先人に学ぶべきことは、たくさんあると思いますし、そういう歴史を学ぶのは素晴らしいことだと思います。
是非またそういったことをブログで紹介して下さいませ(*⌒∇⌒*)
いつも大変お勉強になり、ありがとうございます♪
http://www.perugia.com/storia_della_citta/periodo_etrusco.htm
次のページには、古代ウンブリアも、宗教や政治、立法において発達した国で、独自の言語やアルファベットも有していたとあります。
http://www.segnietruschi.it/MEDIACENTER/FE/CategoriaMedia.aspx?idc=2&explicit=SI
ウンブリアは、まずはエトルリア、そして、古代ローマ、後世にはローマ教皇の支配下となり、ペルージャでも、そしてグッビオやスポレートでも、残る古代遺跡は後から来たエトルリアやローマのものなので、足跡を大きく残した民について語られるということもあるのでしょう。いずれにせよ、考古学博物館では、あちこちで説明されているのに、歴史や観光案内ではウンブリア人について語らないことにも驚きました。