2014年 03月 09日
おばさん・お姉さん・お嬢さん
日本語で「おばさん」と呼ばれることには、抵抗があるくせに、姪っ子たちが、夫のことは、時には名前ではなく「おじさん」(zio)と呼ぶのに、わたしのことは、「おばさん」(zia)とは呼ばないのは、別の意味で気になります。イタリア語では、zia/zioという単語は血縁関係に使うのであって、年齢を暗示する言葉ではないからでしょう。
おいや姪に呼ばれる場合を除いて、「おばさん」扱いは嫌だなと思いつつ、店の人がわたしたちにあいさつするのに、夫にはArrivederci と改まったあいさつをするのに、わたしには、くだけたCiaoで返すのも、夫は、「若いと考えてか、親愛の情を持ってのことだよ。」と言うものの、気になります。結婚指輪をしているのに、外で、「お嬢さん(signorina)」と呼びかけられることにも。
わたしは顔立ちが幼いのか、いつだったか教えていた高校の職員室で、体育祭の前なので、体操服を着ていたからか、保護者に生徒と間違われたことがあります。10年以上教えて、担任を持ってからも、不安そうな顔をした保護者の方に、「先生は、教えるのは今年が初めてですか。」と聞かれたこともあります。二つ、三つ若く見えるならうれしいのですが、10歳以上も若く見えるのはどうかなと、昔から、何か心に引っかかるものがありました。
一時期、若く見えすぎて、経験がないように思われるのが嫌だからか、自分の年齢を自己紹介の際に言っていたこともあり、「あなたとつき合って、話していくうちに、自然とあなたの年齢は推測ができるのだから、あえて言わなくても」と助言をいただき、自分が肩ひじを張っていたのに、気づいたことがあります。
先月終わった、アッシジの観光学の授業でも、授業の最後の週に、先生から、「ぼくは1986年に、仕事で東京に行ったことがあるんだよ。ああ、と言っても、君はまだ生まれてもいなかったよね。」と、声をかけられました。「いえ、1986年には、わたしはもう19歳でしたよ。」と答えると、先生は驚かないふりをしていましたが、後ろの方で、女性たちが驚いてさざめく声が聞こえました。わたしが年相応に見えていれば、講座に通う間に、もっと親しくなれた人がいたかもしれません。ただ、ペルージャ外国人大学の学士取得課程に通っていた頃は、若く見えるおかげで、同年代の友人だけではなく、若い友人もできました。ごくごく親しくなってから、わたしの年齢を知ったときに、「え、そんな! ずっとtu(親称)で呼んできて、失礼なことを。」と、ひどくうろたえた友人もいて、「年齢なんて関係ない。これからもtuでいいのよ。」と言ったことがあります。
年の割りに幼く見えるのは、化粧を、ファンデーションやおしろいと口紅だけですませてしまい、それさえせずに外出したり、人前に出たりするからでもあるでしょう。幸か不幸か、何でも自然派志向の夫は、顔につけるクリームでさえ、「皮膚が呼吸しないからよくない」と言い、そういう気持ちだけの化粧でも、できればしないにこしたことはないと考えているようです。初めて勤めた学校で、女性の先輩たちが、わたしに化粧品一式をそろえさせようと、両腕をがっしりとつかんで、近所の資生堂に連れて行ってくださったのも、わたしが卒業式の介添えをする前に、更衣室で、マスカラまでばっちりと、わたしの化粧を担当してくださったのも、なつかしい思い出です。ただ、マスカラは、目が乾きやすい上、コンタクトレンズを入れた目に痛かったり、花粉症に敏感な目に刺激があったりする上、化粧に対する気合が少ないので、買うつもりも、する必要も感じたことがありません。
幼く見えるのはまた、あまり衣類に気を配る方ではないからでもあるでしょう。日本で教えていた頃、スーツだけは、仕事で一生使い続けるものだからと、いいものを数多くそろえたのですが、逆に、普段着は、楽で着やすいものをと選んでいました。洋裁の師範免許を持っていた亡き母が、幼い頃のワンピースから、大人になってのコートまで、あれやこれやと、布を買っては手作りをしてくれていたので、自分で服を選んだり、買ったりする習慣がなかったのも、服を買いに行くのがおっくうな理由の一つかもしれません。まもなく学校での日本語の授業が始まりますが、最近は、体重が元に戻りつつあるおかげで、再び着られるようになったスーツのスカートも多く、喜んでいます。ちなみに、やっぱりおしゃれや身だしなみは大切だと思っているので、今年は「おしゃれ」もひそかに目標に掲げ、そのための本もいくつか買ったのですが、まだほとんど目を通せていません。
わたしが大学4年生、二十歳のときに母が胃がんで亡くなり、わたしが初めて教えた高校で、国語指導の初任者研修を担当してくださり、とてもお世話になった先生は、44歳である朝、突然心筋梗塞に襲われ、帰らぬ人となりました。12年間の教員生活を後にして、イタリアに渡ることを決意したときにも、「もし、自分があと10年しか生きられなかったとしたら、何がしたいだろう。」という思いが、どこかにありました。来年は、その母が亡くなった歳と同じ年齢を迎えます。幼く見えるのは、子供がいないためでもあるかもしれません。大学で学びたい、学校で教えたいと願いつつ果たせなかった、その母の夢は、わたしたち子供3人が実現しました。お嬢さんのように若い気持ち、情熱を忘れず、お姉さんのようなおしゃれ・気配りができ、おばさんのように大人の配慮ができる人でありたい。せっかく与えられた生を、時間を、母の分まで、もっとていねいに、大切に生きたいと思います。書き出しから、ずいぶん話がそれてしまったのではありますが。
写真は最近、我が家で目と心を楽しませてくれている花たちです。
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Prugno, Bucaneve, Camelie, Giacinti, Mimosa...
Sono i fiori che ci rallegrano gli occhi e il cuore a casa in questi giorni.
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大変興味深く、また面白く読ませていただきました。
日本で言うところの「おばさん」という呼びかけ方は、何ともデリカシーのないものに感じますね。
日本ではつい、アンチエイジングに走ったり、若く見られるように振る舞ったりしがちですが、その風潮がために、若いことが素晴らしいことのように認識する人が増え、年相応であることを畏れたり、また、お年寄りを尊重することを忘れてしまいがちになっていると、誰かが何かの本で語っていたのを思い出しました。
私たちくらいの年齢になると、若々しさを保つためには、やはりある程度意識して、気にかける必要があるものですが、なおこさんのように、若く見られることは、むしろ素晴らしいことだと私は思いますよ。話していれば、実年齢は自ずと推測できるのだから...と仰った方のお話、とても素敵ですね。若いように見えても、中身が落ち着いている...というのが、私の理想です(笑)
これからも素敵に歳をかさね、可愛い大人の女性でいてくださいね。...私もがんばります。
人間的に成熟した経験豊かな大人を尊重する諸外国の考え方と、見た目の若さ、幼さをもてはやす日本の風潮の浅はかさに、大きな違いを感じました。
私も会社勤めをしていた20代の頃は、
仕事先で若いと思われたくなくて気負っていたときもあり、
しかし、30代が近づくと、急に年齢に焦りや抵抗を感じてしまったり・・・(笑)。
今は、実際に何歳であるかなんてことより、
その人の人間的な深みが大事だな、と思っています。
日々をどう過ごし、何を感じ、学び取ってきたかが、
きっとその人の精神的な年齢というか、年輪みたいなものを決めるのでしょうね。
なおこさんが、
地に足をつけてしっかりと生きてこられた、人生経験豊かな、
信頼のもてる方だということは、
これまでのブログ記事を拝読していても、私も感じます。
きっと周りの方も、それ以上にわかっておられることでしょう。
もし自分の命がこの先短いとしたらと仮定して、
悔いのない生き方をなさろうとされておられるなおこさんは、
本当に素晴らしいと思います。
私も、日々を大切に、意義ある人生を重ねていきたいです。
が近づいて来たということもあり、母の亡くなった年までしか生きられないとしたらどのように後の人生を過ごしたらいいだろうか?とどこかで考えている自分がいます(^-^;やっぱり、答えは、母の分まで精一杯与えられた人生を歩むしかないということですが…♪
イタリアでも、伯母さんという表現があるのですね!なおこさんのお気持ちなんとなく分かるような気がします。日本語の伯母さん=オバタリアンみたいな小馬鹿にしたような感じは、私も好きではありません(笑)。自分の姪や甥には、「伯母さん」と呼ばれても抵抗はありません。でも、義妹や義母が姪や甥に「伯母ちゃんが⭕⭕と言っているよ」とか言われるとショックです(;_;)人間って、いや私って勝手だなぁ…と思いました。もう充分オバサンと呼ばれる年齢が来ているのに…(笑)。
若く見えるというのは、確かに喜んでばかりいられませんね!私は小柄なので若く見られ勝ちですが、今は若く見えてラッキ―と思うことにしています(*^^*)
オシャレは、自分なりに楽しんですれば、人生より良くなること間違いなしです(^-^)
いつもお優しいみほさん、おほめの言葉をありがとうございます。太陽の下をろくに紫外線対策もせずに山歩きすることも多いので、肌は、こちらの人に比べると若いものの、日本の同世代の方に比べると、老化が進んでいるような気がします。わたしも、しなやかな気持ちを忘れず、かつもっと落ち着いた大人の女性になれるようにがんばります!
お優しいコメントをありがとうございます。理想と現実には、まだまだかなり大きい差があるのですが、少しでも近づけるために、自分にはっぱをかけるためにも、ブログの記事に、こうありたい、こうしたいことを書き連ねることも多くあります。
「おばさん」という言葉がきっかけで、書き始めると思いつくことも多く、こういう筆の運び、思いのめぐりとなったのですが、書いてみて、10年前、20年前のあの頃の真剣さ、ひたむきさを、もう一度思い返して、頑張らなければいけないなと、つくづく感じました。
義理の妹さんやお母さんがおっしゃるときには、子供の立場・目線に立って、「伯母さん」と言っているのでしょうが、やっぱり気になりますよね。
わたしが若く見えるのも、小柄なせいもあります。姪たちに、背の高さで追い越されるのも、もう時間の問題で、足と手は、もう彼女たちの方が大きいのです。
そうなんですね! 人生がよりよくなるなら、なおさらのこと、おしゃれが楽しめるように心がけます♪
若く見られるって、うらやましいです。o(*^▽^*)o~♪
私は20歳のときに「40歳くらい?」って言われて、ショックでしたよー。
若さと強気!
こころはいつも若くありたいです。(^^)/
とても興味深い面白い内容で、所々で深く頷きながら読ませていただきました。私もなおこさんと同年代なのですが、子供が小さいということもあり、いつも年齢よりはとても若く見られて、イタリアでは「Signorina」と呼ばれることが多いのですが、
若く見られることを嬉しく思うこともある反面、年齢相応の落ち着いた雰囲気が私にないからかな?と気になることもあります!
自分がどんな風に年を重ねて行くかは、
その人の心の持ち方で大きく変わっていきますものね~。
私も気持ちの上で若々しさを保ちつつ、
大人の女性としての心遣い、振る舞いを大切に年を重ねていきたいものです。
そして、お洒落心も忘れずに、ですね!
なおこさんの記事からは、
なおこさんが日々ご自分と素直に向き合って、向上し続けて行かれたいと、生きていらっしゃる姿勢のようなものを強く感じます。
私もなおこさんからいただいた気づきを大切に、
日々を大事に、素敵な大人の女性を目指して頑張っていきたいです!
楽しみに読んでくださって、ありがとうございます。日本では、今そういう本がベストセラーになっているんですね! 見た目への配慮が、女性としては少ない方だと自覚しているわたしは、何だかどっきりしてしまいました。わたし自身は、日本でもイタリアでも、つき合っていくうちに、見た目や第一印象とは違う、その人を発見して驚いたことも多々ありますので、やっぱり見た目も大切だけれど、見ただけで、相手を知ったつもりにならないことも同じように大事だという気がしています。
日本のわたしたちが、食べるものに不自由せず、生活に苦労がないから若く見えるというのは、確かにおっしゃるとおりだと思います。欧米の人に比べて幼く見えるのは、顔の彫りの深さがないこと、そうして、イタリアに関しては、日焼けや小麦色のを好む文化のために、こちらの人は顔にしわができやすいので、逆にしわの少ないアジアの人の顔が若く見えるのではないかなと思います。
「またはないよ」。本当に一期一会の心がけがいつでも大切ですね。思うことは多いけれど、実践できていないことが多いので、今年は少しでも、現実を理想に近づけていけたらと考えています。
ありがとうございます。こうあれたらなと思うことを書きつつ、自分にはっぱをかけているのですが、少しでも願う姿に近づけたらなと思います。40歳を過ぎたら、自分の顔に責任を持たなければいけないのは、男性に限らず、女性もではないかと思います。困ったような顔、何かにすぐ動揺するような顔ではなく、どっしり構えて、いろいろあっても、さわやかな笑顔でいられるようであったら、いいのですが、まだまだ、これからも、修業を重ねていかなければ!
やっぱり日本人は若く見えるということもあって、旅行中のあいさつ、そんなふうになりがちなんですよね。親近感はうれしいけれど、年相応の敬意も払ってもらいたい。でも、年齢よりは若く見られた方が、うれしい。わたしたち自体が、そういうことにひどく敏感で繊細な、複雑なお年頃なのかもしれませんね。
ちょうど今日のイタリア語の授業で、Anna Magnaniという女優さんの素敵な言葉が引用されてたので、ご紹介。
Una volta Anna Magnani disse al suo truccatore: “ Lasciami tutte le rughe , non me ne togliere nemmeno una. Ci ho messo una vita a farmele venire “
僕も僕の彼女には、あんまり化粧をしてほしくありません!ご主人と話が合いそうです・・・。
みつぐさんも、そういうご希望ですか! そうなんですよね。男性は、化粧もしないし、基礎化粧品を使わず、別に紫外線を気にしていないようでも、結構肌がきれいなんだなと、時々夫の顔を見つめて思います。