2014年 03月 29日
生きている生かされている

道路走行中のわたしの最後の記憶は、岩にぶつからないようにとハンドルを右に切ろうとしたところまでしかありません。忘れてしまったのか、意識がなかったのか、そのあとは、気づくと、いつのまにか、車がひどく急な斜面をゆっくりと下っていて、手前にある木にぶつかって、そうして、止まりました。
雨天に高速で走りすぎると、ハンドルで操作ができず、危険な事故につながりやすいということは、教習所でも学び、そのために起こった死亡事故のニュースも何度も見聞きして、知っていました。まだ日本に暮らしていた頃、スノータイヤをつけてはいたものの、急に凍結した道路に出くわして、車が滑り、恐い思いをしたこともあります。一度、冬の夕方、夫の車で山を登っていたら、凍った雪で滑った車が道から外れ、そのまましばらく雪の上をずり落ちたものの、幸いそのままそこに停まって、ほっとしたことがあります。遠い昔の同僚から、落ち葉の上に駐車していた車が滑って川に落ちたと聞いたこともあるし、つい最近、家の前の急坂で、車の右前輪が落ち葉の上に載ってしまい、滑ってしまって、困ったこともありました。
けれど、残念ながら、砂利道で、砂利にハンドルを取られることがあるということは、後からインターネットで調べると、その危険を説いたページはいくつもあるのですが、まったく知りませんでした。つい最近、新たに砂利をたくさん敷いたばかりの道は、その金曜日まで、雨がまったく降らぬ日が続いたために、特に危険な状況にあったようです。しかもわたしの車は、タイヤが小さく、地面と接触する面積も少ないのです。山道のカーブを曲がるのに、カーブに駐車された車が1台あったので、狭い道の中央を通って曲がり、その車の横を通り過ぎたあと、では車を右に持っていこうとしたら、ハンドルが効かず、右手にある木にぶつかりそうになりました。砂利にタイヤが浮いたような状態になってしまって、ハンドルが効かないので、ハンドルを切ってはいけない、止まらなければいけない、そういう状況だったのですが、何だか変だ、ちょっと調子が悪いのかなくらいに思って、ハンドルを大きく左に切ると、ようやく車は左を向いたものの、今度は、左側の岩壁に衝突しようとしています。そのとき、ハンドルを大きく切りすぎたのか、あるいはブレーキを踏んだために、車が滑ったのが原因なのか。気づくと車は、ガードレールなどない道の右手の崖の上へと落ちたものの、幸い、崖の斜面を覆っていた藪がクッションとなり、車は転倒することもなく、ゆっくりと下方へずり落ちて、木に当たって、止まりました。
急に傾いた衝撃で、地面に落ちていた携帯電話を、やっとのことで拾い上げ、先に目的地に着いていた夫に電話をすると、まもなくわたしの左手にあるドアを開け、すぐに降りるようにと促す夫が、そこにいました。夫は近くの山の斜面から、わたしの車が落ちるまでの一部始終を目にして、叫び声を上げてすぐに駆けつけ、斜面を駆け下りて来てくれたようです。夫の隣りにいて、道路に舞い上がる砂ぼこりと落ちていく車だけを見た友人が、そういう夫の様子に驚いたのだと、後で語ってくれました。
車の前方はすっかり壊れはててしまい、今日(予約投稿なので28日です)、ディーラーを訪ねると、車の内部を修理するだけでも、3800ユーロかかるということでした。それだけ壊れてしまいながら、車がすべての衝撃を吸収して、燃え上がることもなく、わたしを守ってくれたのです。落ちながら車が木にぶつかった衝撃のため、むちうち症や肩・背中・腰の痛みが、しばらくひどかった上に、今もまだ残り、崖の急な斜面を登っていて、滑り落ちて作ってしまった擦り傷も、まだ癒えていません。
事故が起こらなかったのであれば、それはそれに越したことはないのですが、砂利道を、しかもわたしの小さな車で走る危険性を知らなかったわたしが、山道を走ることは少なくないわけですから、いずれいつかはこういう事故が起こっていたかもしれません。事故の際に、見ていてすぐに駆けつけてくれる人がいたこと。命を失っても、まったく不思議ではないような状況にありながら、今もこうして無事に生きていること。何よりもそれに感謝したいなと思いました。ちょうどお彼岸でもあり、亡き母や、この時期に、今のわたしよりも若い歳で亡くなった恩師が救ってくれたようにも、また、自分は生かされているのだと、もっとていねいに、感謝をしながら生きなければいけないと、教えを受けたような気もしました。車が崖から落ちた瞬間の記憶がないわたしよりも、崖から落ちるのをその目で見た夫の方が、おそらくはずっと恐ろしい思いをしたことと思います。
命あることの大切さや、生かされているという感謝、生きている間に、もっと大切な人たちに、ご縁があって共に過ごすことの多い方たちに、そして、世の中に、何かできるようであればと、つくづく感じました。とは言え、体の痛みや心の奥に刻まれた恐怖、今週から始まった学校の日本語の授業などで、あっという間に1週間が過ぎ、恐怖がまだ、どこか心と体の奥底に残っている気がします。この記事は予約投稿で、土曜の朝から日曜にかけては、リミニに友人たちを訪ねます。気心の知れた友人たちと、くったくのない話をしながら、恐怖に固まった心の底をさらにほぐすことができたらと、願っています。



なおこさんがそんな怖い思いをなさっていたとは知るよしもなく、心から御見舞い申し上げます(((^^;)
何度も何度も読ませていただきました。一週間を経過してようやく語れるようになられたのですね。
そのような大きな事故にあわれたら本当に体は勿論のこと、精神的なショックはいかばかりなものかと心配です。
大きい怪我(骨折や内臓の損傷等)はなかったようですが、まだまだお身体ご自愛なさってくださいませ(*^^*)
なおこさんのことを本当に優しくサポートされているご主人様がいらっしゃいますので一安心です(^-^)
遠くに住んでいてなにもできない私ですが、いつもなおこさんのことを案じていますのでどうか一日でも早く事故の傷が癒えますように。
さしつかえなければ、もっと弱音をはいてくださいませ(^-^)

えっ、えっ、えー!!!
たいへんな思いをされましたね。('◇'*)
砂利道の恐怖は私も若い頃に経験したことがあります。
心身に負った傷、早く治るようお祈りいたします。
リミニでリフレッシュしてください。

最近あまりの忙しさに自暴自棄になりがちだったのですが、なおこさんの記事を読んで、生かされているという気持ちを忘れずにいたい、としみじみ思いました。ありがとうございます。


なおこさんにはまだまだすることがあるんですよ。だからこうしてここにいる。リミニのお友達と会うこともそのひとつ。誰もがなおこさんがそこにいてくれることを喜んでいるはず。
こういうことの後は無理に癒そうとせず、自然にまかせて、身体と心の声に耳を傾けながらいつも通り過ごして下さいね。まずはこの週末のリミニ滞在が楽しいものでありますように!
私も車の前輪2つが崖から出てブラブラして、全身から水につかっような大量の汗が出て、もうダメだと思った時に、気を失ってしまって、どう、この危機を逃れ救われたのか、わかりません。車も崖の間に止まっていて。今話をしても、誰も信じてくれません。「眠くなって、崖の近くに車を止めて、悪い夢でも見てたんじゃあないの。」といわれ前輪を落としてぶらぶらしていた記憶が、しばらく生々しく、思い出すたびに、恐怖を感じていました。わたしも、目に見えない力に助けられたように思うのです。

まずはご無事であったとのことで心からホッとしております!
車が崖から落ちたときの記憶がなかったとは言え、
仰るようになおこさんの中で少なからずとも計り知れない恐怖が残っていらっしゃると思います。
まずはどうかくれぐれもお大事になさって下さいね。
リミニのお友達とお会いになって、
なおこさんに少しでも笑顔が戻っていることを心より願います。

不幸中の幸い、大怪我を負うことなく無事であったことに安心いたしました。お忙しい毎日とは思いますが、どうぞゆったりとした時間を持つこともお忘れなく。事故のせいで「あれも出来なかった、これも出来なかった」なんて考えること禁止ですよ!

皆さんのおっしゃるとおり、ご自分が思う以上に、心身に受けたショックは大きかったことと思います。こんな時は、優しいご主人や、お友達と過ごす時間が一番の癒しになりますね。しばらくはゆっくりなさってくださいね。

ときどきお邪魔させていただいていたのですが、「あれから12年」の記事を読んだあと、「???」となり、そこからさかのぼりながらここの記事にたどり着きました。事故は本当に怖いですし、助かった有難さや周りの人々に支えられてなんとかこのつらい経験を乗り越えていただけたら何よりです。なおこさんはステキなご家族&ご友人に囲まれていらっしゃると思います。ご無事で本当によかったです。私も在イタリア12年ですがいろいろありますね・・・。スロースタートでゆっくり心身ともに日常の生活に戻ればいいですね。