2014年 05月 13日
外国語、数字も時刻も難しい

4月17日の日本語の授業の初めに、ホワイトボードに日づけを黒板に書いたとき、そのことを思い出しながら、日本では数字の「7」は、こんなふうにイタリア風にではなく、こう書かなければいけませんよと、左横に日本風に書いた「7」を書き足しました。すると、「それでは、片仮名のクと混同しませんか。」と、生徒さんから質問がありました。言われてみれば、確かに「ク」と似ているのですが、そのときは、「前後の文脈からすぐに区別ができますよ。」と答えました。
この日は、その頃、授業で学んだばかりの時刻表現についても、復習や練習問題、会話練習をいくつかしたのですが、今教えている生徒さんに限らず、そしてイタリア人に限らず、「じゅういちじに」や「じゅうにじに」と言うのに苦労する人がたくさんいます。考えてみると、イ・チ・ジ・ニ、あるいはニ・ジ・ニと、母音のiで終わる音節が三つ、四つ連なるのですが、それで言いにくいし、文字の順序を混同したりもするのでしょう。「じゅうに」の「に」は数字の2で、一方、「~時に」の「に」は時を表す助詞で、同じ音なのに意味が違う語がすぐ近くに並んでいることにも、とまどうようです。
ただ、今の授業は個人授業で、かつ、生徒さんが文法的な観察力や洞察力の鋭い方なので、話を聞いていて、日本語での時刻の言い方が、イタリアの人にとっつきにくい、すぐにはなじみにくい理由が、他にもあることが分かりました。
イタリア語では、「12時に」は通例、前置詞aと定冠詞leを融合させたalleの後に数字をつけて、alle 12と言います。日本語と同じように「時」を表すore(ora「時間」の複数形)をつけて、alle ore 12ということもありますが、これはニュースや新聞、連絡なので、その数字が時刻だということを、特に強調したいときだけです。
考えてみると、イタリアの人が日本語で時刻を言うときには、単に日本語の数字が言えて、「~時…分」という言い方を覚えるだけではなくて、時刻を表す表現を、イタリア語とはまったく逆の順番で言わなければいけないわけです。
alle ore 12 ⇒ 12時に
イタリア語では最後に言う時刻を表す数字「12」が、日本語では最初に来て、「~に」という意味を表す語が、イタリア語では最初に来るのに、日本語では最後に来ます。ちょうど鏡に写して、裏返しになったような、そんなふうに反対のひっくり返った順序になっているのは、それだけではなくて、たとえば、今日の授業ででてきた
「来週の金曜日の晩」も、イタリア語では、la sera di venerdì della prossima settimanaとなり、日本語では、「来週⇒金曜日⇒晩」と、まずは大きな枠から入って、少しずつ標的を絞っていくのに対して、イタリア語では「晩⇒金曜日⇒来週」と、最初に焦点となる「晩」を言って、あとからそれが「金曜日」、そして、それも「来週の」金曜日なのだと、より大きな時の流れの中での限定を加えていきます。
わたしたちは、イタリア語を学ぶ前にすでに英語を習っているので、イタリア語的時間の言い方や表現法にはとっつきやすいのですが、すでに英語やフランス語は知っている生徒さんも、日本語では表現する言い方というか言葉の流れが逆であることが多いのにとまどっているわけです。そうして、これは、単に口にする言葉の順序であるだけではなく、わたしたちが頭で考えるときに、頭に浮かぶ、思考をめぐらせる順序でもあるのだろうなと推測して、おもしろいなと思いました。
わたしは、遠い昔に学校で習った英語は別にして、大学で第二外国語としてドイツ語を学んで以来、新しい外国語を学ぶときは、数字の学習に入ったら、階段を上ったり、道を歩いたりするときに、足を前に運びながら、その外国語で「1、2、3…」と、30や100まで数えて、数字を復習すると共に、数字を日本語を解さずに、直接に現実の動作と結びつけて、数えるのに使う練習をしています。ギリシャやポルトガルを、2週間、3週間旅したときも、旅行の基本会話だけはと、1か月は学習書を買って勉強したのですが、そのときも、あいさつやお礼の次に大切なのは数字だからと、やはり数字を勉強して、歩きながら、数字をギリシャ語やポルトガル語で言ってみたりしました。数多い外国語の中でも、フランス語は、表記と発音の乖離がはなはだしいので、数字に限った話ではありませんが、旅行中に聞き返さなければいけないことが、多かったように覚えています。
ただ、外国語学習・教育や精神言語学の研究によると、頭の中で数を処理する場合は、どんなに外国語を使い慣れても、やはり母語の方がはるかに処理が早く正確だそうです。わたしも、もうイタリアに暮らし始めて12年以上になり、イタリア語で考えたり生活したりするのにも慣れたのですが、それでも、特に数字が大きいときは、イタリア語のままだと、その数字を実際に感覚的に知覚できないので、日本語に換算する傾向があります。
というのも、日本では千のあとは、万、十万、百万と単位が変わりますが、イタリア語では、万・十万もあくまで千を単位として考えるので、1万は「10千」(diecimila)、10万は「100千」(centomila)と数え、それ以上になると、100万(un milione)が基準になって、100万は「1・百万」(un milione)、1000万は「10・百万」(dieci milioni)、1億は「100・百万」(cento milioni)となり、大きい数字を言い表すときに、くくってまとめる単位が違うからです。そういうわけで、耳でtrecento milioniと聞いて、それが「100万の300倍」だということはすぐに認識できるのですが、それが数字、あるいは人口、金額として、どれだけ大きいかを考える、感じるためには、少なくともわたしの場合には、どうしてもそれを、「3億」と日本語に直して、日本語の単位に直して考えることが必要なのです。
ユーロで高い値段を聞くときは、さらにこれに、ユーロから円への換算の必要が加わり、duecentocinquantamila euroと耳で聞いて、それが250×1000ユーロだとは分かるのですが、それが具体的にどういう金額かを感覚としてつかむ、自分の金銭感覚の中に位置づけるには、日本円に直し、日本語の数字を使って、それは、約3500万円だと言い換える必要があるのです。こんなふうに大きい数字になると、桁の問題もからんでさらに厄介ですが、日常の買い物では、りんごが1キロ0.99ユーロはお得だとか、小さい豆腐二切れ3ユーロは高いとか、そういう小さい数字なら、数字を日本語に置き換えたり、円に換算したりしなくても、数字と値段を脳で処理することができます。ただ、カメラが約300ユーロ、ダイソンの掃除機が約400ユーロとなると、やはり、その値段が高いか安いかを考えるには、わたしは円に換算する必要を感じます。
すでに12年間、ユーロで支払い、ユーロで給料も受け取って暮らしているのですが、それでもやはり、わたしの思考回路では、金銭の価値の基準を、生まれ育った日本の円に置いているのでしょう。イタリアでは同じように、すでにユーロが使われて12年経っても、いまだにユーロでは、それがどのくらいなのかという金額の大きさが実感としてつかめず、リラに直して、「リラではこれだけの金額になる」と言い換える人が大勢います。
フランス語になると、ただでさえ発音の聞き取りが厄介な上に、数字の言い方が一筋縄ではいきません。73を60+13(soixante-treize)、95 を20x4+15(quatre-vingt-quinze)と言うわけですから、フランスの子供たちは、算数の時間に苦労しないのかしらとか、フランス語で、73.895 eurosと聞いて、その数字を正しく認識できるまでの道のりは遠そうで、フランスで暮らす日本の方はさぞかし大変だろうななどと、想像をめぐらせてしまいます。ちなみに、日本語では千の単位の区切りに「,」(コンマ)を、小数点は「.」(ピリオド)で示しますが、フランス語とイタリア語ではその逆で、泉の単位の区切りに「.」(ピリオド)、「,」(コンマ)は小数点を表しますから、そんなことにも注意が必要です。ちなみに、イタリア語ではeuroは複数形でも形が変わらず、常にeuroです。
同じアラビア数字を使い、同じ時計を使っていても、外国語での数字や時刻の学習も、使い慣れるのも、なかなか大変なのです。
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Giapponese VS Italiano
In giapponese il numero 7 si scrive a mano diversamente.
In italiano si scrive 'martedì 13 maggio 2014', '13/5/2014', ma in giapponese si scrive nell'ordine contrario: '2014年5月14日火曜日', '2014/5/13'.
Idem per indicare l'orario. In giapponese: 12時に (letteralmente traducendo, '12 - ore - a/alle').
Quindi non è semplice per il nostro allievo. Anch'io faccio fatica in italiano quando si tratta di un numero molto grande, perché 10000 è per voi 'diecimila' ma in giapponese 'ichi-man' (uno diecimila) e 100000 è per voi 'centomila' ma per noi 'juu-man' (dieci diecimila) e così via. Devo ragionare un po' per capire bene.
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関連記事へのリンク
- イタリア語学習メルマガ 第93号「物語を読む~『L'avventura di due sposi』、イタリア語で日記を書こう、船でめぐるベネチア、イタリア語お役立ちメモ」
↑ イタリア語での時刻の言い方についても触れています。「1時」だけは正しくは、l’unaとなり、定冠詞がleではないことや、その理由についても説明しています。(2020年追記: バックナンバーを載せていたサイトがヤフーのサービス終了によって消失したため、ただいまこのブログに移行中です。この号を移行次第、リンクを添える予定でいます。)


数字の書き方まで違うという外国語を習得するのは本当に大変ですよね!並びが違うというのも、私たち日本人がなかなか英語を習得するのが難しい理由のひとつでもあります。
ゆえに裏を返せば、外国人の方が日本語を習得するのが難しいというこでもあります。
フランス語の数字は確かに80=キャトルヴァンといいますが、キャトル=4、ヴァン=20で20が4つという言い方に最初私も笑っちゃいました。難しいです~。でもなおこさんの言われるように海外旅行する時はせめて数字の数え方だけでも覚えておくことは必要かな・・・と思います。個人旅行をしたフランス(パリ)は、そうしてフランス語の100までだけは過去に覚えた私です(笑)。今はツアーで行くので数字さへも覚えてないダメな私です・・・。
フランス語の数字の数え方はまた独特ですよね。それでも旅行のためにと、100まで覚えられたとはすばらしい! わたしたちは、夫が自由を好むこともあって、友人と行くことは多いにせよ、基本的に個人旅行なので、宿の値段や料理の値段、買い物のためにも数字は必須です。言語が違うと、発想や思考の流れ、着眼点も違ってくるのが、外国語を勉強するには大変ですが、おもしろくもあるのですよね。アリスさんはお宅でお忙しいし、日々の暮らしを豊かにされることを大切にされているので、それでいいのではないかと思いますよ。
そうだった!古い昔に大学で勉強したフランス語。言われるまですっかり忘れていました。確かにあれは何故?と日本人に思わせる数字の数え方でしたが、フランス人にとってはそれが「普通」なんですもんね。
ちょっと脱線しますが、私はイタリア人が未だにリラ換算して話すともう分からないですね。いちいちユーロ換算してもらいます。
スーパーの広告もつい最近までユーロ価格の下に小さくリラで価格が表示されていました。日本ではまだないですが貨幣が変わるというのはそういうことなんでしょうね。