2014年 06月 02日
二人で山登り
標高が高いので、野バラはまだ咲き始めでしたが、シクラメン(ciclamino)など、色とりどりの野の花がたくさん咲いていて、うれしかったです。
わたしとしては、去年と同じように、この山を奥に見える頂まで、ずっとずっと登って、花や風景を楽しみたいと思っていました。
後ろを振り返ると、こんなふうにシビッリーニ山脈の高峰を見晴らすこともできます。
ところが、夫が、あまり登りたくない、それよりも下を流れる川に沿って歩いてみたいと言うので、この趣のある滝の辺りまで登ってから、山を下りることにしました。
アヤメ(iris)も、きれいに咲いています。
夫は、自分がいいなと思う森や大木、遡ってみたい滝や川を見つけると、定められたコースをはずれて、どんどん歩いていくことがよくあります。そういう道は歩きにくい上、迷う恐れもあるので、わたしは苦手です。今日も夫が川を目指して、草が高く生えたでこぼこの道をどんどん下るので、わたしは必死でついてい行きました。
そうしてたどり着いたパーニコ川の水源では、澄んだ水が勢いよく流れていて、とてもきれいでした。
放し飼いの犬がいるそばを、心配しながら歩いて登り、再び登山コースに戻りました。ところどころに、キングサリ(maggio ciondolo)の花が咲いています。
実は、先ほどの山を登り始める前にも、夫は道の傍らに流れている川を遡ろうと、道なき道を登り、わたしもしばらくは着いていったのですが、ご覧のように、道が石だらけだったり、木が生い茂っていて通りにくかったり、急斜面で足元が滑りそうだったりと歩きにくいので、わたしは途中で引き返し、昨年と同じ道を通って山を登ろうとしていました。そうして、後から追いついた夫が、「あまり登りたくない」と言うので、少し登っただけで引き返し、川の水源を訪ねたのです。
本当は夫は、ラヴェルナかカステッルッチョに行きたかったようですが、今日は3連休の最終日で、ふだんから人気の場所は人が多いだろうと、今回は、カザーリから歩くことにしたのです。一緒に山を歩いても、見たいものも、歩きたい場所も違うのですが、時には相手の希望を時に聞き入れながら、時にはそれぞれが自分の歩きたいところを歩きながら、そうして二人で散歩をしています。
大切なのは、そうやって、それぞれが自分のペースで、自分のしたいことをしながら、それでも、一緒に歩いていくことだと思います。タイム(timo)の花が、じゅうたんのように岩や草むらを覆っていて、美しいところも、あちこちにありました。
Passeggiata nella Val di Panico, da Casali alle sorgenti di Panico 2/6/2014
- Ci rallegrano i fiori e ci rinfrescano i torrenti, le cascata e le sorgenti.
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- 天下を足下に3 / Sibillini, lato Marche – parte3 (5/2012)
- 天下を足下に2 / Sibillini, lato Marche – parte2 (5/2012)
お花いっぱいの山歩き、でも山歩きもやっぱり自分が歩きたい場所は違うのですね(^^;ちょっと意外でした~(^-^)
映画鑑賞や、町歩きは行きたいところが違うけど、山歩きもいろいろあるのですね~♪今日のなおこさんの記事を読んで納得しました~(^-^)そして、アイリスやキングサリ、タイムのお花も素晴らしいけど、なおこさんの最後の言葉に感動しました!
「大切なのは、自分のペ―スで自分のしたいことをしながら、それでも一緒に歩いて行くこと」山歩きだけでなく、夫婦ってまさにそうなんでしょうね♪人生の教訓になります♪
素晴らしい言葉ありがとうございます(*≧∀≦*)
それにしても、夫婦仲良くというのは言葉では簡単に言えますが、毎日毎日何年も顔をあわせていると、そんな訳にも行きませんよね。けれど、相手を変えようと思ったら自分が先ずは変わらなければならないし、夫婦といえども、親しき仲にも礼儀ありで、相手への尊敬と思いやりがいるとつくづく思うこの頃です。御主人様とはもう仲直りされましたか?我が家も現在、闘争中です(笑)
わたしも色とりどりのきれいな花が見られてうれしかったです。夫はその感動をあまり共有していなかったようで残念ですが、本当は他に行きたい場所や歩きたいところがあったのに、連れて行ってくれたことに感謝することにしましょう。
頭では分かっていても、実際にはなかなか難しいので、日々修業であります。
親しき仲にこそ礼儀があるべきなのですが、実際には、自分は甘えるくせに、相手には高いレベルを要求してしまうのですよね、お互いに。バラの祭典で出会ったお年寄りの修道女が、「聖人聖女でもないわたしたちは、欠点も罪もたくさんあって当然で、そんなのお互いさま。新教皇でさえ、自分には欠点があり罪深いと言っているのに、あなたたちお互いにこれはと思うことがあるのは当たり前よ。」と言っていました。割れ鍋に綴じ蓋。弱みや困ったところも含めて愛することが大切なのでしょうが、なかなか難しいですよね。うちは今のところは仲直りいたしました。
私はイタリア生活も夫との生活もまだ駆け出しですが、なおこさんの書かれる日記なにかしら参考にさせていただいてます。
一つ前の日記を読んでふと、コメントさせていただきたく・・・・・・
私も父が40歳の若さで亡くなったので、昨年ようやく私がその年齢に達してなおこさんと同じように、父の分まで・・・・と強く思いました。夫はこの年でイタリアにやってきた私をまるで父親の様接してくれますが、私がいたらないせいでよくけんかになってしまいます・・・・・いつも後反省しつつ、よほどの縁がなければこの人と暮らしてないのだからとこれまでの主人との歩みを振り返ります。
「ていねいに生きていく」ほんとに私にとってこれからの課題です。
いつも素敵な風景をありがとうございます。私、いつも行った気になって拝見させていただいております。
なおこさんは旦那様にいつもついて山を知っているので、大変でも楽しく歩いて風景をたのしめるのでしょうね。なんだかんだあって、お二人お似合いですよ!
私も自分が完璧な人間であるわけでもないのに、相手に完璧を求めたり悪いところを攻めたりするのは間違っているような気がするのです。そうすると人に優しくできたり、許せたりしますよね。勿論自分が実際そういう人にはなれていないのですが、そうなりたいとはいつも思っています。
なかなか難しいですね・・・
ありがとうございます。山歩きの楽しさや野の花の美しさを知ることができたのは、夫と出会ったおかげです。感謝しなければいけないことも、たくさんあります。自分を間違いや未熟さをひっくるめて愛せるようになって初めて、人もそうやって愛して受け容れられると、読んだことがあります。他人を非難するのも、他人に自分の影を見て非難しているのだとも。大らかにゆったりと構えられたらいいのですが、それでは夫を甘やかす気もするし、かと言って、一挙一動にやきもきしていたら、お互いの精神的健康にもよくないし、やっぱりどこか「ちょうどいい加減」を見つけることが大切ですね。難しいですけれども。
ご主人様との 楽しい 山登りでしたね ♪
なおこ様のブログで 自然を愛するのも
人類みな同じ〜 笑 そんな 印象です 。
ご主人様は 日本の文化に ご興味は おありですか ?
私の住む 埼玉県の川越市 では たくさんの外国人観光客の人たちが訪れます 。
建造物のほか 着物にも 興味を持たれています ♪