2014年 10月 31日
Passato
passatoの持つこの二つの意味をうまく利用して、ジョルジョ・チェルクエッティ(Giogio Cerquetti、下記リンク参照)がこんなことを言ったそうです。
“L’unico passato che fa bene alla salute è il passato di verdure.”
日本語の「過去」という言葉には「スープ」という意味がないので、この表現は、日本語には完全には訳せませんし、おもしろみや機転も伝わりません。あえて日本語とイタリア語を混ぜて訳すと、
「健康にいい唯一のpassatoは、野菜のpassatoだけだ。」となります。
「過去に起こったできごと(passato)にとらわれすぎていては、未来に向かって今を生きることができないので、過去という意味でのpassatoは健康を害するだけだ。もし健康にいいpassatoがあるとすれば、それは野菜のpassato(スープ)だけだ。」と言っているわけですが、「過去にしばられるな」ということを、passatoの持つ二つの意味を掛詞のように、だじゃれのように使って、笑いを誘いながら、かつ心にも頭にも残る、いいことを言っているなと思います。
人はとかく過去にしばられて生きるものであると同時に、現代は、過去が、生年月日や出生地などの自らの過去に関する情報がなければ、生きていくのさえ難しい時代です。こんな人生など嫌だと、姿をくらまして、別人として生きようとした小説の主人公、マッティーア・パスカルや、駅で暴漢に襲われ、記憶を失って自分の名さえ覚えていない、映画、『過去のない男』の主人公が、過去がないばかりに、本当の自らがだれかを証明できないばかりに、愛や夢をあきらめたり、仕事さえ得られなかったりするのは、そういう現代社会の不条理を描くためだと思います。(下記リンク参照)
自分の過去を受け入れ、お世話になった人たちに感謝してと、過去は大切なものではありますが、心をむしばみ、後ろ向きにし、人を恨んでしまうような過去の記憶であれば、振り払ってしまった方が、健康にいいと、チェルクエッティは言っているのでしょう。夫は、この言葉を、チェルクエッティ自らが言ったのを覚えているそうですが、わたしは、Deepak Chopraの講座(下記リンク参照)16日目に、PujaCristinaが引用したのを聞いて、「おもしろい、いいことを言うな」とは思ったのですが、かつて聞いたであろうことは忘れていました。この日の講座で自らの心に言い聞かせなければいけないことは、”Lascio andare e il mio cuore è in pace”でした。「わたしは、過去に執着せず、苦い思い出や負の感情から、自らを解き放つ。わたしの心は安らいでいる。」ということでしょう。チェルクエッティの言葉と、このチョープラの教えを、共にしばしば思い出して、心に留めたいと思っています。
写真は、今日の昼食に作ったカボチャのポタージュです。ちなみに野菜などを裏ごししたスープやポタージュを指すイタリア語は、passato以外にもいろいろあって、レストランや料理サイトによって、同じような料理が、passata、crema、vellutataなど、違う名前で呼ばれています。
*******************************************************************************************************
Oggi per pranzo ho fatto un passato di zucca. Era buono e
ci avrebbe fatto anche bene come dice Giorgio Cerquetti:
"L'unico passato che fa bene alla salute è il passato di verdure."
Queste parole, oltre a farmi sorridere, mi aiuteranno
a interiorizzare l'insegnamento di Deepak Chopra:
"Lascio andare e il mio cuore è in pace". Andiamo in pace!
*******************************************************************************************************
関連記事へのリンク
- ほっこりカボチャのポタージュ (30/12/2013)
- キスと抱擁、ほめ言葉~ジョルジョ・チェルクエットおすすめの心身の栄養剤 (13/11/2013)
- 鏡を見るたび ~Deepak Chopra 21 Giorni di Meditazione. Relazioni Miracolose (10/2014)
- 半過去、イタリア語・フランス語 (10/4/2013)
- イタリア語学習メルマガ第28号、「小説、『Il fu Mattia Pascal』~過去を捨てた男」
- 映画、『過去のない男』 / Film, “L’Uomo senza passato” (22/7/2014)
なおこさんの作られるかぼちゃのスープ、あっさりしていて本当に美味しそうですね~(^^♪確か、牛乳などの乳製品は入れず、オリーブオイルと他の野菜だけで作られるとおっしゃってましたね。まさに健康にいいスープです。
「過去」と「スープ」が同じ単語だと日本人には理解しがたい言葉の使い方ですね。そしてスープという単語がたくさんあるというのも外国人にとっては困るメニューでもありますね^^;やはり言葉というのはその国の文化でもあるわけで、なかなか奥が深いなと思った今日の記事でした♪
そして「よくない過去に囚われず、前向きに生きていこう」という意味の言葉はいいですね!人間は弱いから過去によくないことがあるとどうしてもそれにひきずられて・・・ということ小さいことでもあると思います。
ちょっと勇気をもらえる言葉ですよね、ありがとうございます(*^^)v
過去とスープが同じ単語なのには、実は理由があるのですが、またいつか時間のあるときに記事にしたいと思っています。他にもいろいろ関連で紹介したい単語があって、妙に長くなりそうなものですから。外国語では、やっぱり料理を注文するときに本当に苦労しますよね。わたしも今回スペインでどきどきしながら注文したり、料理が来るのを待ったりしたことがありました。
この言葉いいですよね。ディーパクの講座、恥ずかしながらまだ終えていないのですが、とっても気に入って、何度でも聴いて、瞑想の習慣をつけていきたいと思っています。こちらこそ、共感していただけたと知ってうれしいです。ありがとうございます♪
過去にとらわれず、今を生きる、未来を見るってとてもいいことだと思います。私はつらい過去から立ち直るのに時間がかかりましたが、今思うとその時間も自分にとって重要だったと分かりました。自分を見つめ直して楽しく生きるために、いいことも悪いことも過去はこれからのために必要なんですね。そう思えば前向きになれますね。イタリア人も良い事いうなぁ!
温かいスープのおいしい季節になりましたが、まさかハロウィンとかけてのかぼちゃ・・・ではないですよね。おそらく一日早かったのでは。ブイヨンも入れますから、カボチャのポタージュならわたしでも作れるかしら・・・あ、秤が無かった。
カボチャはハロウィンとは関係なくて、たまたまです。ブイヨンなしでも、ニンニク・ローズマリー・玉ねぎ・ニンジンをいっしょに炒めて煮込めば、びっくりするほどおいしくできますよ。はかりがなくても目分量で大丈夫では、と思ってしまうのは、イタリア式の「こんな感じかな」という料理法が身についてしまったからでしょうか。