イタリア写真草子 ウンブリア在住、日本語教師のイタリア暮らし・旅・語学だより。

歌、『La Prima Cosa Bella』

 初恋の甘さや喜びが、春の陽気や情景、優しくなだらかな調べと重なっていて、大好きな歌です。春が来て、野に花が咲き始めると、この歌の言葉やメロディーが頭に自然に浮かんできます。

歌、『La Prima Cosa Bella』_f0234936_6593851.jpg
8/3/2011

 「ギターを手に取って、君のために弾いてみる。
  弾くのを習う時間はないし、うまく弾けないけれど、
  君のために演奏してみる。
  この声が聞こえるかい。
  歌っているのは、ぼくの心だ。
  愛しい君、愛しい君、愛しい君、
  それしか言えない。
  でも、君には分かるだろう。
  野原には花が咲き、 
  君も花のように、いい香りがする。
  何だか死にたい気分だ。
  もう歌えない。
  これ以上望むものなど何もない。
  ぼくが初めて人生から手に入れた
  美しいものは
  君の若々しい笑顔と君だ。
  木々の間に星が一つ
  夜の闇に明かりがさした。
  ぼくの恋心は深まってゆくばかりだ。」

 詩の解釈というのは、母語でもいろいろと分かれるのですが、イタリア語の歌詞を、わたしが受けとているように訳してみました。原詩全文および1970年にこの歌を発表したNicola Di Bariが歌う映像は、次のリンク先にあります。
- LyricsMania – La Prima Cosa Bella lyrics – Nicola Di Bari

 ただ、わたしが好きで、頭に自然と浮かんでくるのは、Malika Ayaneが歌う歌です。



 歌と同名の映画の中で、ヒロインが子供たちと何度も歌い、映画の主題歌としてMalikaが歌っていたのですが、映画を見終わったときには、わたしも夫もすっかりこの歌に魅かれて、CDを購入し、繰り返し聞きました。哀しくせつない映画でしたが、この映画のおかげで、今年のサンレモ音楽祭でも賞を得たMalikaを知ることができ、コンサートに行ったこともあります。

 今日の日本語の授業中、生徒さんの話を聞いていたら、なんとミラノに出張にした際、長距離電車でMalika Ayaneがすぐ近くの席に座っていたそうです。いろいろと話しかけすぎて、うるさがられたかもしれないと、少し気にかけているようでしたが、とてもうれしそうでした。

 4年前のメルマガで、この歌をイタリア語の学習教材として取り上げています。興味があれば、ご覧ください。

 ちなみに、4年前にこの歌を紹介したとき、あえて訳を避けたのが次の部分で、

  ho voglia di morire
  non posso più cantare
  non chiedo di più

 今回は、とりあえずこんなふうに訳しています。
 「何だか死にたい気分だ。
  もう歌えない。
  これ以上望むものなど何もない。」

歌、『La Prima Cosa Bella』_f0234936_723350.jpg

 ho voglia di morireは、直訳すると、「ぼくは死にたい」なのですが、歌の全体を見ても、non chiedo di più「もう何も望むものはない」という言葉からも、恋の絶頂にある、初恋と両思いの幸せをかみしめているはずだのに、なぜ「死にたい」のか。

 今回は、この記事をきっかけに、イタリア人の友人や読者に尋ねてみるつもりなのですが、わたしは、この歌の心は、『新古今集』や『小倉百人一首』収録されている儀同三司母の次の歌に通じるものがあるのではないかと感じています。

   忘れじの行く末までは難ければ 今日を限りの 命ともがな

   「君を愛している、君のことは決して忘れないよ
   とあなたは言うけれど、そのあなたの心や誓いが
   いついつまでも変わらないことはまずないでしょうから、
   いっそ幸せに満たされた今日
   この命が絶えてしまえばいいのに。」(これもわたしによる意訳です。)

  あるいは、「こんなに幸せなら、もういつ死んでもいい。ぼくは満足だ。」ということでしょうか。

  皆さんのお考えを寄せていただければ、幸いです。

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Canzone, "La Prima Cosa Bella"
- quando si avvicina la primavera e 'i prati sono in fiore' ,
questa canzone comincia a suonare nella mia testa e nel mio cuore.
Domanda rivolta a voi
Nella canzone si dice:
"ho voglia di morire / non posso più cantare / non chiedo di più /
La prima cosa bella / che ho avuto dalla vita /
è il tuo sorriso giovane, sei tu. "
Perché ha 'voglia di morire' se si sente così felice?
Ne ho alcune mie ipotesi, ma secondo voi perché?
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関連記事へのリンク
- メルマガ第39号「女性の日、悪天候と歌、『La Prima Cosa Bella』」
- 笑顔の力、Malika Ayaneコンサート
- メルマガ55号 「歌、『Come Foglie』(Malika Ayane)、秋の訪れと学習のヒント」

参照リンク / Riferimenti web
- LyricsMania – La Prima Cosa Bella lyrics – Nicola Di Bari
- Amazon.it - Malika Ayane, "Grovigli" (Musica CD)
- Amazon.co.jp - Malika Ayane, "Grovigli" (Music CD)

Articolo scritto da Naoko Ishii

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Commented by ayayay0003 at 2015-02-20 19:56
なおこさん

こんばんは^^
La Prima Cosa Bella、いい歌ですね~歌詞が素晴らしいです♪
CDを購入されたとのこと、よく解ります(*^^)v
家の夫も、映画で気に入った歌があるとやったり購入してます~(*^_^*)
でも、そういう曲はめったにないです!

日本の和歌と通じるものがあると捉えられてるところはさすがに元、高校の先生だけのことはあるなあ・・・と思いました!
私は、以前なら前者、今の時代に合わせると後者ではないかな?と思います♪どちらも正解だけれど、トレンド?というものがあるとすればそうかな?と・・・。
あくまでも私個人の見解です。
Commented by milletti_naoko at 2015-02-20 21:01
アリスさん、いい歌ですよね。春の情景や若い恋の喜びがあふれているようで、大好きな歌です。聞くと何だか優しいほっとした気持ちになれるような。本来は1970年に男性歌手が歌った歌で、あの頃は日本でも、曲調が穏やかで、言葉もゆっくりと語りかけるようなものが多かったですよね。

お考えを教えてくださって、ありがとうございます。イタリアの友人で、なんと「年を取ってから若い頃の恋を回想しているのではないか」と書いてくれた人がいて、びっくりしたのですが、作品は人によって、本当にいろんな受け取り方や解釈があるものだと驚きました。昔、高校で国語を教えるのに一番苦労したのは、現代文の試験問題作成です。作者の意図や主人公の気持ちについては、生徒に書かせることもあれば、わたしたちの方で選択肢を作って選ばせることもあったのですが、この四つの選択肢を作るのがなかなか難しくて、初任校の試験問題検討会で、先輩の先生方から、「ううん、石井さん、ぼくはこの中ではイよりもウの方が正解だと思うよ。」といった指摘を受けることも多く、検討会後は、わたしの作った問題は訂正が入って真っ赤になったのでありました。ただ、あとで小さい学校に転勤すると、そういう検討会はなく、一人ひとりが自分で作ってそれでOKというところも多くて、客観的な視点からみて問題のない問題を作れるという意味では、そうやって厳しい研修を受けることができたことに感謝しています。あ、話が逸れてしまいました。
Commented by kazu at 2015-02-21 21:48 x
なおこさん、こんばんは。そういえば、遠い昔、学生時代のゼミで、平安文学に出てくる「死」の表現について、真意は何かと先生に問われ、熱い議論が交わされたことを思い出します。私は熱心な受講生ではなかったので、当時のことは記憶が薄いのですが、少なくとも、新古今集の歌は幸せの絶頂期にありながらも、当時の通い婚という女性のあやうい立場を思うと、切ない女心を感じます。この幸せはいつか壊れることを承知している、それ故に、という情念さえも見え隠れしている気がします。一方、「La prima cosa bella」は、とても無邪気に、歓喜に浸っている光景が思い浮かびます。「死にたい」という言葉は、古今東西使われる、これ以上はない、“最高の”という形容詞で、彼は決して死にはしないし、そんなつもりもない。ただ、幼くて語彙が足らず、上手く表現できない結果、口をついて出たのが「死にたい」だったのだろうと推測します。同じような意味合いで用いられる表現も、詩の背景を考えれば、随分受け取り方が変わるし、読み手の経験や感受性も詩の理解に影響するかもしれませんね。二つの詩に共通しているのは、とても素直に心情を歌っていることかな。特に貴子の歌は、新古今集らしからぬ、技巧に走らない率直さを感じますし、「La prima cosa bella」は、何だか万葉集に出てくる詠み人知らずの歌のようです。

あっすいません、なおこさんの興味深い問いかけに、つい長々と生意気に語ってしまいました。先生から授業を受けているようで、懐かしい気持ちもしています。後から読み返すと、顔から火がでそうになる気がしますが、このまま投稿しますね(^^)。




Commented by milletti_naoko at 2015-02-22 22:20
かずさん、いろいろ真剣に考えてくださってのコメントをありがとうございます。おっしゃるように、『La prima cosa bella』は率直に、大げさにではなくて身近にあるものや行為を通して、若者が思いを伝えているような、そういうところがいいですよね。貴子さんは晩年に、息子たちが道長に追いやられる、その不遇を目の当たりにし、亡くなってはいますが、夫の道隆は生前、愛人は多くいたものの、貴子をずっと大切にし続けたそうです。清少納言が仕えた中宮定子の才知や機転も母親の貴子さんゆずりのようで、そういう女性だからこそ、道隆も「忘れじ」という約束を生涯守りとおしたのでしょう。
by milletti_naoko | 2015-02-19 23:04 | Film, Libri & Musica | Comments(4)